ゆうびんばんごう 郵便番号制度は,昭和43(1968)年7月1日から実施された。豊橋郵便局の集配区域(昭和7年合併の豊橋市)は440となり,石巻局441-11・二川局441-31・高豊局441-32・老津(おいつ)局441-33・前芝(小坂井局)441-01のように集配局番号が付けられた。平 ...
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郵便局 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 石巻郵便局(豊橋市石巻本町北市場) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂 ...
木炭自動車 とは(豊橋百科事典より)
もくたんじどうしゃ 木炭自動車は,公式には代燃車といった。バス・トラックなどに木炭ガス発生炉を取り付け,木炭または薪を不完全燃焼させて発生した一酸化炭素を燃料として走る自動車である。 昭和12(1937)年末には,石油消費規制が強化され,翌13(38)年には,ガソ ...
廃藩置県 とは(豊橋百科事典より)
はいはんちけん 廃藩置県は,全国の知藩事(旧藩主)を解任し藩を政府直轄の府県とする改革であった。明治4(1871)年の廃藩置県により,全国は3府302県に区分され,三河国では豊橋,田原,半原,岡崎,西大平,西尾,西端,刈谷,重原,挙母(ころも)の10藩がそれぞれ県と ...
農協 とは(豊橋百科事典より)
のうきょう 農業協同組合(以下農協)は,昭和23(1948)年,それまでの農業会が解散して農業協同組合法に基づき,信用・購買・販売・加工・共同施設・福利厚生施設・技術指導などを主な事業内容として発足した。豊橋市内には27の農協と14の開拓農協があったが,昭和42(19 ...
南稜中学校(豊橋市植田町的場) とは(豊橋百科事典より)
なんりょうちゅうがっこう 豊橋市立南稜中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,本部を植田小学校に置き,植田教場(植田小学校)・大清水教場(植田小学校大清水分教場)・大崎教場(大崎小学校)・野依(のより)教場(野依小学校)に分散して,大崎小学校・植 ...
「豊橋めぐり」(吉川利明) とは(豊橋百科事典より)
とよはしめぐり 「豊橋めぐり」(東三文化会 昭和57年)は,100項目の史跡と都市施設について,その歴史と現況をそれぞれの関連写真を付して紹介したものである。 記述の方法は豊橋を東部,石巻・賀茂,北部,西部,南部,二川・高豊,中央部(吉田城址(じょうし)・大橋 ...
豊橋南高等学校(豊橋市南大清水町元町) とは(豊橋百科事典より)
とよはしみなみこうとうがっこう 愛知県立豊橋南高等学校は,昭和47(1972)年4月,豊橋市南大清水町元町に愛知県立時習館高等学校高豊分校・二川分校の1年生を2年生(家政科)とし,普通科・家政科の高等学校として発足した。翌昭和48(1973)年度から同63(88)年度まで ...
豊橋乗合自動車 とは(豊橋百科事典より)
とよはしのりあいじどうしゃ 豊橋乗合自動車株式会社は,昭和18(1943)年11月1日,陸上交通事業調整法によって,東三河地方の7社が合同して,資本金70万円で設立されたものである(三谷自動車は名鉄自動車に統合し,省営自動車は統合の対象とならなかった)。豊橋乗合自動 ...
「豊橋寺院誌」(豊橋寺院誌編纂委員会編) とは(豊橋百科事典より)
とよはしじいんし 「豊橋寺院誌」(豊橋仏教会 昭和34年)は,昭和28(1953)年豊橋仏教会総会において企画され,同34(59)年に刊行された。内容は,豊橋市内に現存する200か寺と廃寺61か寺についての創立・沿革・文化財(宝物),事業(幼稚園)などを,さまざまな資料 ...
豊橋市(市制施行) とは(豊橋百科事典より)
とよはしし 明治22(1889)年10月1日の町村制施行により豊橋市街23町が渥美郡豊橋町となった。明治28(1895)年2月25日,豊橋町(25大字)は豊橋村(9大字)を合併した。明治39(1906)年7月16日,豊橋町(34大字)・花田村(1大字)・豊岡村(6大字)は合併して豊橋町(41 ...
豊南村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
となみむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・万場新田・城下村は合併して豊南村と改称した。明治17(1884)年8月11日,豊南村は分離して高塚村・伊古部村・赤沢村・豊南村(城下)となった。明治22(1889) ...
豊南小学校(豊橋市東赤沢町西横根) とは(豊橋百科事典より)
となみしょうがっこう 豊橋市立豊南小学校は,明治6(1873)年5月,第10中学区第40番小学七根(ななね)学校が七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区として設置された。分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始まる。明治8(1 ...
特定郵便局 とは(豊橋百科事典より)
とくていゆうびんきょく 特定郵便局は,「全国郵便局沿革録」明治篇・「三河三等局長会沿革誌」「東海地方特定郵便局長会史」によれば,二川(明治4年)・高塚(明治9年,同42年高豊と改称)・大津(明治9年,同14年老津と改称),高井(明治9年,同12年玉川と改称,同42年石 ...
電話局番 とは(豊橋百科事典より)
でんわきょくばん 豊橋の電話が自動開局(4桁のダイヤル式)したのは,昭和6(1931)年3月29日である。大正15(1926)年,東京・横浜,昭和3(1928)年,大阪・京都・神戸・名古屋に自動交換式の電話が登場した。豊橋と姫路が軍都として選ばれた。しかし,自動改式は豊橋だ ...
町村合併 とは(豊橋百科事典より)
ちょうそんがっぺい 明治以後の市町村の歴史は合併の歴史である。明治11(1878)年12月20日郡区町村編制が行われ,戸長を置いた。明治11(1878)年12月28日町村分合を行った。明治9(1876)年2月14日愛知県令の通達は,一定の行政水準を維持するに足る費用負担と地租改正の ...
地区市民館 とは(豊橋百科事典より)
ちくしみんかん 豊橋市地区市民館は,昭和47(1972)年3月,豊橋市社会教育審議会が行った「豊橋市における社会教育施設の適正な配置・規模および望ましい運営について」の建議を受け,年次計画で各中学校区に地区市民館(各小学校区には校区市民館)の建設を決定着工した ...
高橋猪代 とは(豊橋百科事典より)
たかはし・いよ(1849~1926) 高橋猪代は,嘉永2(1849)年6月,渥美郡七根(ななね)村(豊橋市西七根町)の高橋徳十郎の子に生まれた。高塚(豊橋市高塚町)の小野田吉次郎に教えを受け,明治7(1874)年養蚕業を志し,野生桑苗の栽培に着手した。明治15(1882)年蚕種製 ...
高根村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
たかねむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢 ...
高根小学校(豊橋市西七根(ななね)町北浜辺(ほうべ)) とは(豊橋百科事典より)
たかねしょうがっこう 豊橋市立高根小学校は,明治6(1873)年10月,西七根(ななね)村の竜泉庵に第10中学区第40番小学七根学校として,七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区とし,分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始 ...
高豊郵便局(豊橋市高塚町西石神) とは(豊橋百科事典より)
たかとよゆうびんきょく 高豊郵便局は,明治9(1876)年,高塚郵便局として開設され,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ななね)村・西七根村・高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・城下(しろした)村・野依(のより)村・高足(たかし)村を管内にし ...
高豊村(明治39年合併) とは(豊橋百科事典より)
たかとよむら 明治39(1906)年9月10日,渥美郡高根村・豊南(となみ)村は合併して高豊村と改称した。昭和30(1955)年3月1日,高豊村は豊橋市に合併した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発 ...
高豊分校(廃止) とは(豊橋百科事典より)
たかとよぶんこう 高豊分校は,昭和24(1949)年2月,愛知県立成章高等学校定時制課程(普通課程)の分校として,高豊中学校(渥美郡高豊村伊古部字原)に隣接し,もと公民館の建物を移設して設置された。昭和24(1949)年4月,愛知県立豊橋時習館高等学校高豊分校と改称・ ...
高豊中学校(豊橋市伊古部町原) とは(豊橋百科事典より)
たかとよちゅうがっこう 豊橋市立高豊中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,高豊村伊古部字原の高豊村立青年学校校舎に,高根小学校・豊南(となみ)小学校を校区とする高豊村立高豊中学校として創立された。昭和30(1955)年,豊橋市立高豊中学校と改称した。 ...
「高豊史」(高豊史編纂委員会編) とは(豊橋百科事典より)
たかとよし 「高豊史」(高豊史編纂委員会 昭和57年)は,高豊校区史である。著者は校区在住の鈴木源一郎で,昭和51(1976)年から6年の歳月をかけて1394ページにまとめあげた労作である。内容は,自然,近代以前,近代,現代の順で構成され,もっとも多くのページが割か ...
時習館高等学校(豊橋市富本町国隠(くにかくし)) とは(豊橋百科事典より)
じしゅうかんこうとうがっこう 愛知県豊橋中学校は,昭和23(1948)年4月,6・3・3制移行に伴い,愛知県立豊橋高等学校となる。昭和23(1948)年10月,愛知県立豊橋時習館高等学校と改称した。昭和24(1949)年4月,男女共学・小学区制・総合制の高等学校再統合が行われた ...
警察署(豊橋市八町通三丁目) とは(豊橋百科事典より)
けいさつしょ 愛知県豊橋警察署は,明治5(1872)年11月に額田県が愛知県に合併した時,豊橋支庁に邏卒(らそつ)(巡査)など132人が配置されたことに始まる。明治6(1873)年,邏卒を番人に改称した。翌明治7(1874)年,豊橋駅札木町に屯所(とんしょ)を設置,警史1人,番 ...
片浜13里 とは(豊橋百科事典より)
かたはまじゅうさんり 片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。 渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高 ...
外海漁業協同組合 とは(豊橋百科事典より)
がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい 豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...
大須賀初夫 とは(豊橋百科事典より)
おおすか・はつお(1908~81) 大須賀初夫は,明治41(1908)年10月15日,渥美郡高師村磯辺(豊橋市向草間町)の大須賀幸一の長男として生まれた。昭和2(1927)年,愛知県第一師範学校を卒業し,田原東部尋常高等小学校,田原中部尋常高等小学校の訓導,同18(43)年から ...
大沢秀雄 とは(豊橋百科事典より)
おおさわ・ひでお(1908~2002) 大沢秀雄は,明治41(1908)年2月26日,渥美郡高豊村赤沢(豊橋市西赤沢町)の農家の5男に生まれた。小学校高等科を卒業して上京し,早稲田工手学校電気科で学んだ。卒業後,中島飛行機に入社し,ここで螺子(らし)と出会った。精度の高い螺 ...
老津郵便局(豊橋市老津町今下(こんげ)) とは(豊橋百科事典より)
おいつゆうびんきょく 老津郵便局は,明治9(1876)年,渥美郡老津村に開設された。老津村・大崎村・植田村・杉山村・谷熊(やぐま)村を郵便局管内とした。明治25(1892)年,野依(のより)村が高豊郵便局から,老津郵便局管内になる。昭和7(1932)年,大崎・植田・野依は豊 ...
弥栄 とは(豊橋百科事典より)
いやさか 愛知県は県内の不良土開発集落の建設を企て,第1弥栄~第8弥栄および4か所の富山(とみやま)を建設した。 昭和6(1931)年第2弥栄10戸が渥美郡二川町三弥・同10(35)年二川富山5戸が定着した。昭和12(1937)年には伊勢皇太神宮を勧請した弥栄神社を建立した。 ...
「伊古部郷土誌」(伊古部郷土誌編集委員会編) とは(豊橋百科事典より)
いこべきょうどし 「伊古部郷土誌」(伊古部町 平成元年)は,「高豊史」(高豊史編纂委員会 昭和57年)刊行後,伊古部町独自の郷土誌の発行を求める声に応じて編纂された。 内容は,豊橋市伊古部町の自然や地誌的内容,古代から近代に至る歴史などが記述されている。 ...