れんせんじ 高流山蓮泉寺(真宗大谷派)ははじめ正行寺と称し,その創立は不明な点が多い。寺伝によれば,創立は応永8(1401)年で,開山は慶心法師で,三河国足助庄下山上小市(豊田市)に建てられ,後,4世了慶法師(文安4年示寂(じじゃく))の時,渥美郡馬見塚(吉田城 ...
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竜興院(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
りゅうこういん 法英山竜興院(浄土宗)の創立は,永和元(1375)年であり,開山は岌観和尚である。本尊は阿弥陀如来坐像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,「…孤峯山浄業院悟真寺…塔頭…竜興院…」とある。麗誠和尚は仁連木(にれんぎ)村の及部氏出身で, ...
竜運寺(豊橋市船町) とは(豊橋百科事典より)
りゅううんじ(ふなまち) 橋本山竜運寺(浄土宗)の創立は,天正6(1578)年であり,開山は方誉念西上人,本尊は阿弥陀如来像である。山号橋本山は寺が豊川(とよがわ)の大橋の傍らにあったことに由来する。 豊川(とよがわ)の大橋は幕府の重視した三大橋の一つで,天正18 ...
楽法寺(豊橋市東脇二丁目) とは(豊橋百科事典より)
らくほうじ 五願山楽法寺(曹洞宗)は,もと天台宗で,後に臨済寺院となったが,天正元(1573)年竜拈寺(りゅうねんじ)第6世雪雄宗継和尚が曹洞宗に改宗再興し,さらに竜拈寺第13世天岩州呉和尚(?~1645)が再興して山号を玉竜山と称したが,後に五願山と改めた。またか ...
養福寺(豊橋市川崎町) とは(豊橋百科事典より)
ようふくじ 塔本山養福寺(浄土宗)の創立は,文禄4(1595)年で,開山は誠誉春達法師である。山号塔本山は当時の地名(塔ノ元)より出ている。本尊は阿弥陀如来立像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,馬見塚村「浄土宗,川崎,塔本山養福寺,吉田悟真寺末寺 ...
祐泉寺(豊橋市下地町三丁目) とは(豊橋百科事典より)
ゆうせんじ 祐泉寺(真宗高田派)の創立年代は,不明であるが,開山は恵善法師で,聖眼寺(しょうげんじ)(豊橋市下地町)の塔頭(たっちゅう)であった。「三州吉田領寺社仏閣記」(元禄6年)に,下地村「一向高田宗,聖霊山聖眼寺……塔中祐泉坊・真光坊・正林坊」とある。 ...
唯心寺(豊橋市東松山町) とは(豊橋百科事典より)
ゆいしんじ 久遠山唯心寺(真宗大谷派)の創立は,元和3(1617)年で,開山は尊誉法師である。寺伝によると尊誉法師は九州島原の城主(城主の弟,または城主家臣とも伝えられている)で,キリシタンであったために弾圧を受け,三河国深溝村(額田郡幸田町深溝)に逃れた。 ...
万福寺(豊橋市嵩山(すせ)町奈木) とは(豊橋百科事典より)
まんぷくじ(すせ) 月ヶ谷山万福寺(臨済宗妙心寺派)の創立は貞和3(1347)年,開山は日顔禅師の3世の法孫にあたる大摸範和尚で,古来正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「月ヶ谷山万福寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿六間・ ...
満光寺(豊橋市瓜郷町高道) とは(豊橋百科事典より)
まんこうじ 通月山満光寺(曹洞宗)の創立は,大永5(1525)年機安明全和尚である。寺伝では明全和尚は,大永5(1525)年後柏原院から宸筆(しんぴつ)の「勅特賜大聖智鑑禅師」の号を賜り,本山に出世した。時の室町幕府12代将軍足利義晴から寺領5町8反歩の寄進があったとい ...
法蔵院(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
ほうぞういん 大悲山法蔵院(浄土宗)の創立は,応永2(1395)年で,開山は悟真寺2世慈智翁上人,実住初代は雲誉玄太大徳である。本尊は阿弥陀如来像である。昭和20(1945)年6月の空襲により山門を残して全焼した。昭和24(1949)年本堂・庫裏(くり)を上棟,平成6(1994) ...
法香院(豊橋市野田町野田) とは(豊橋百科事典より)
ほうこういん 春光山法香院(浄土宗)の創立は,天文3(1534)年であり,開山は光誉春応上人,本尊は阿弥陀如来坐像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「浄土宗,法香院,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿三間半・四間,境内東西十九間・南北廿六間,右寺内 ...
普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町ナベ山下) とは(豊橋百科事典より)
ふもんじ 船形山普門寺(高野山真言宗)の開基は,神亀4(727)年,諸国巡錫(じゅんしゃく)中の行基菩薩が霊気を感じ,聖観世音菩薩立像を刻み本尊としたといわれている。平安時代に真言宗となった。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,雲谷村「真言宗,船形山普門 ...
普仙寺(豊橋市牟呂中村町) とは(豊橋百科事典より)
ふせんじ 順雲山普仙寺(浄土宗)の創立は,不詳であるが,天文7(1538)年に円誉眷想和尚が,天台宗であったのを浄土宗に改めて開山となる。本尊阿弥陀如来三尊立像は伝慈覚大師作である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牟呂村「浄土宗,順雲山普仙寺,吉田悟真 ...
比売天神社(豊橋市下条東町木戸口) とは(豊橋百科事典より)
ひめてんじんしゃ 比売天神社は,八名郡堀之内村(豊橋市下条東町[堀之内])の氏神で,創建年代は不明である。「三河国内神明名帳」の「従四位上日女天神(ひめてんじん)坐八名郡」が当社であるとする説があるが,確証はない。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,堀 ...
仁長寺(豊橋市花園町) とは(豊橋百科事典より)
にんちょうじ 慧日山仁長寺(真宗大谷派)の創立は,明応年間(1492~1501)で,もとは伊奈村(宝飯郡小坂井町)にあったが,天正2(1574)年吉田下リ町(豊橋市花園町)の現在地に移転してきた。開山は蓮如上人の法孫と伝えられている専光坊順故法師である。本尊は阿弥陀 ...
桃林寺(豊橋市牛川町西側) とは(豊橋百科事典より)
とうりんじ 牛河山桃林寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,牛川村開発ごろと推察される。往古は天台宗であったのを,永和年中(1375~79),悦奈和尚が再興し,正宗寺5世陽岩禅師を請じて開山とし,正宗寺の末寺となった。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牛川村「牛 ...
東光寺(豊橋市新栄町新田中) とは(豊橋百科事典より)
とうこうじ(しんさかえ) 明照山東光寺(浄土宗)の創立は,天文19(1550)年であり,開山は林誉恵休上人で,当初吉田指笠町(豊橋市新本町)に建立された。本尊は岡崎源空寺より寄進された阿弥陀如来立像である。江戸時代黒印2石を受けており,「三州吉田領神社仏閣記」 ...
東高院(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
とうこういん 凌雲山東高院(浄土宗)の創立は,文禄4(1595)年であり,開山は蓮誉林慶和尚である。昭和20(1945)年6月の空襲により堂宇(どうう)焼失,本尊阿弥陀如来立像のみ焼失を免れる。昭和20(1945)年庫裏(くり)・仏間合棟,仮堂宇建立,同30(55)年2階建本堂を ...
東観音寺(豊橋市小松原町坪尻) とは(豊橋百科事典より)
とうかんのんじ 小松原山東観音寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天平5(733)年であり,開山は行基菩薩と伝えられる。創立縁起は,淳和天皇・後奈良天皇御宸翰(ごしんかん)・複数の縁起書(えんぎしょ)を編集した「東観音寺御由緒書」(延宝7年)によると「行基菩薩が紀州熊 ...
長楽寺(豊橋市石巻本町立石) とは(豊橋百科事典より)
ちょうらくじ 竜尾山長楽寺(臨済宗妙心寺派)は,正宗寺の祥叔和尚が延文2(1357)年,長楽(ながら)村(豊橋市石巻本町)の東北瀬戸山の山腹に創立した。山形が竜尾に似ていたことから山号にしたといわれる。正宗寺2世蒲済和尚を請じて開山と仰ぎ,浄蔭派に属していたが, ...
長養院(豊橋市新吉町) とは(豊橋百科事典より)
ちょうよういん 吉沾山長養院(曹洞宗)は,永禄年中(1558~1570)竜拈寺(りゅうねんじ)5世悟慶宗鶴和尚により開かれた。創立以来竜拈寺の塔頭(たっちゅう)として,本寺の参道右側にある。本尊は阿弥陀如来像であった。しかし,昭和20(1945)年6月の空襲で一物残さず全焼 ...
長全寺(豊橋市賀茂町宗末) とは(豊橋百科事典より)
ちょうぜんじ(かも) 蓮邦山長全寺(曹洞宗)の創立は,天正2(1574)年,開山は源流本和尚,開基は賀茂村の旧家林家の祖林孫左衛門で,豊川妙厳寺第7世相屋舜承和尚を勧請開山としている。しかし,天正2(1574)年創立は,古廃寺の再興改宗であったとされる。本尊は厨子( ...
智光院(豊橋市飯村(いむれ)南一丁目) とは(豊橋百科事典より)
ちこういん 智光院(曹洞宗)の創立は享保8(1723)年で,寺の屋敷は吉田(豊橋)の本陣山田新右衛門の別荘の地であった。開基智光尼は山田新右衛門の娘で,吉田城主に仕えていた土肥豊隆(茶匠二三)の側室となり,一子を失った後仏門に入り智光尼と称し,庵室を営んで智 ...
竹意寺(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
ちくいじ 竹意寺(浄土宗)の創立は,天正5(1577)年で,開山は松誉円善大徳である。本尊阿弥陀如来三尊立像は定朝作と伝えている。昭和17(1942)年竹意軒を竹意寺に改めた。昭和20(1945)年6月の空襲で本堂,庫裏(くり)が全焼した。昭和24(1949)年本堂庫裏を再建した ...
太蓮寺(豊橋市東田町西脇) とは(豊橋百科事典より)
たいれんじ 太子山太蓮寺(浄土宗)の創立は,文安3(1446)年であり,開山は覚阿残夢上人,本尊は室町時代作阿弥陀如来像である。もとは八名郡小鷹野(豊橋市小鷹野),屏風岩の麓にあった真言寺院で,覚阿残夢上人の時,浄土宗に改宗した。「太蓮寺縁起」によると,「往 ...
大福寺(豊橋市石巻西川町城山) とは(豊橋百科事典より)
だいふくじ 清水山大福寺(臨済宗妙心寺派)は,明治初年の明細帳によると延久元(1069)年の創立となっている。しかし,開山陽岩和尚の示寂(じじゃく)は永徳元(1381)年であるので,往古天台か真言の寺であって衰退していたのを陽岩和尚が再興改宗したものとされる。開基 ...
大雲寺(豊橋市老津町大津中) とは(豊橋百科事典より)
だいうんじ 金福山大雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文保元(1317)年で,開山は桂昌寺(豊橋市老津町)2世少林快哉禅師と伝え,往古は臨済宗建長寺派であったが,天文年中(1532~55)に妙心寺派に改めた。創立以後,中興開山梅谷禅師を経て,徳川初期の快天悦公首座が ...
善明寺(廃寺) とは(豊橋百科事典より)
ぜんみょうじ(はいじ) 鏡光山善明寺(浄土宗)の創立は,慶長元(1596)年で,開山は繁誉昌閑和尚である。初めは十王堂と称し,江戸時代には吉田惣門(豊橋市上伝馬町)の東側に建てられていたが,寛文6(1666)年,吉田藩主小笠原長矩の命により,瓦町村(豊橋市瓦町) ...
善忠院(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
ぜんちゅういん 慈光山善忠院(浄土宗)の創立は,明確ではないが,嘉慶元(1387)年とされる。開山は善忠寂翁上人である。善忠上人は悟真寺創建後,竜興院に次ぎ善忠院を建立し,開山上人の名をもって善忠院とされた。創建当初は学寮などにも当てられていたようである。昭 ...
専称寺(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
せんしょうじ 中宝山専称寺(浄土宗)の創立は,永享6(1434)年で,開山は清賛和尚である。本尊阿弥陀如来三尊立像は鎌倉時代の作である。この本尊については,「参河国名所図絵」に伝説が記されている。昭和20(1945)年6月の空襲で堂宇(どうう)全焼,山門のみ残る。昭和 ...
専修院(豊橋市下地町西) とは(豊橋百科事典より)
せんじゅういん 専修院(浄土宗)の創立は不明である。下地町の旧家中西家は,知誓尼( ~1808)のために小庵を結び,専修庵とした。本尊は阿弥陀如来像である。 文政12(1829)年,岡崎荒井山徳住上人の弟子を迎え専修念仏の道場とした。専修庵は一私庵であったが,昭和 ...
赤岩寺(豊橋市多米町赤岩山) とは(豊橋百科事典より)
せきがんじ 赤岩山赤岩寺(高野山真言宗)の創立は寺伝によると聖武天皇の勅願により神亀3(726)年行基菩薩が開創したとある。本尊は阿弥陀如来像で室町期の仏像である。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,多米村「真言宗,赤岩山法言寺,高野平等院末寺,法印, ...
勢至寺(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
せいしじ 勢至寺(浄土宗)の創立は,永禄9(1566)年と伝えられているが,檀徒(だんと)鳥居家の記録に同6(63)年本堂建築とある。開山は吟竜上人と伝えられている。本尊阿弥陀如来坐像は第2次世界大戦末期,戦災を避けるため境内の井戸につるし,昭和20(1945)年6月の空 ...
清源寺(豊橋市大橋通一丁目) とは(豊橋百科事典より)
せいげんじ 石塚山清源寺(浄土宗)の創立は,天文3(1534)年で,開山は宅誉全賀上人,本尊は阿弥陀如来像である。「三河国吉田名蹤綜録」によると境内地は,石塚清助という人のいた古城址である。戦国時代今川義元の寄進を受けた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年) ...
専願寺(豊橋市馬見塚町) とは(豊橋百科事典より)
せいがんじ 正行山専願寺(浄土宗)の創立には諸説がある。元文元(1736)年編「悟真寺古記」には「文禄二年七月,笈感上人馬見塚村に燕居し玉ふ。専求庵之なり」とあり,当寺の創立を文禄2(1593)年,開山を悟真寺16世笈感魯念としている。 「三州吉田領神社仏閣記」( ...
嵩山寺(豊橋市野依(のより)町中瀬古) とは(豊橋百科事典より)
すざんじ 少林山嵩山寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,養老2(718)年とされる。寛文7(1667)年文律和尚が吉田(豊橋)奉行所へ宛てた書上(嵩山寺蔵)によると,開創以来600年余は不明なるも,寺伝によれば,建武元(1334)年夢窓国師が当地に来訪した際,現在地(豊橋市野 ...
神泉寺(豊橋市日色野町菱形) とは(豊橋百科事典より)
じんせんじ 花林山神泉寺(浄土宗)の創立は,文亀3(1503)年,開山は法誉善定上人となっているが,詳細は不明である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,日色野村「浄土宗,花林山神泉寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿四間・弐間半」とある。本尊は阿弥陀如来立像で ...
真光寺(豊橋市下地町三丁目) とは(豊橋百科事典より)
しんこうじ 朝晃山真光寺(真宗高田派)の創立は,永禄7(1564)年以前で,開山は智清である。以前は聖眼寺の塔頭(たっちゅう)であり,聖眼寺の記録には「本堂五間半・六間,庫裡五間・五間半」とある。 昭和20(1945)年6月の空襲によって全建物が焼失した。昭和52(1977 ...
正琳寺(豊橋市花園町) とは(豊橋百科事典より)
しょうりんじ(はなぞの) 裂網山正琳寺(真宗大谷派)の創立は,永正2(1505)年で,開山は玄栄法師と伝えられている。創立当時は川毛(吉田城址(じょうし)付近)にあったが,天正2(1574)年,下リ町(豊橋市花園町)に移転した。 文禄4(1595)年,教如上人によって誓 ...
照明寺(廃寺) とは(豊橋百科事典より)
しょうみょうじ 石巻山照明寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,承安年間(1171~75)で,古来石巻神社の社僧であったのを了渓座元が再興改宗して,正宗寺末浄蔭派に属しながら社僧を兼ねた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,金田村「石巻山照明寺,嵩山正宗寺末寺, ...
称名院(豊橋市松葉町三丁目) とは(豊橋百科事典より)
しょうみょういん 三社山称名院(浄土宗)の創立は,寛永19(1642)年で,開山は悟真寺第24世典誉上人,本尊は阿弥陀如来像である。境内は吉田神社の神職石田式部屋敷の一部で,山号三社山は,神明,白山,天満天神の三社によっての命名で,この三社は創立当初から祀られて ...
正太寺(豊橋市牛川町西側) とは(豊橋百科事典より)
しょうたいじ 積忠山正太寺(真宗高田派)の創立は,天正19(1591)年,開山は聖眼寺13世行順法師で大明寺と称する寺を再興したものである。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牛川村「高田宗,積忠山正太寺,下地村聖眼寺末寺,平僧,客殿六間・四間,寺領弐石目 ...
常心寺(豊橋市杉山町天津) とは(豊橋百科事典より)
じょうしんじ 一葉山常心寺(曹洞宗)の創立は,寛文3(1663)年で,開基は天津(あまづ)新田(豊橋市杉山町)の開発者牧野氏で,はじめは杉山長慶寺の支配であったが,後に竜拈寺(りゅうねんじ)末となり,竜拈寺第18世法運義官和尚(?~1731)を開山に請した。「三州吉田 ...
聖眼寺(豊橋市下地町三丁目) とは(豊橋百科事典より)
しょうげんじ 聖霊山聖眼寺(真宗高田派)は,平安時代に慈覚大師の創立した天台宗の寺で八名郡八名井郷吉祥山麓(新城市)にあった。嘉禎元(1235)年住持行円が浄土真宗の開祖親鸞聖人に面謁(めんえつ)し,真宗に改宗し,下地(豊橋市下地町北村)の地に寺を移し,慶長9 ...
浄円寺(豊橋市大村町黒下) とは(豊橋百科事典より)
じょうえんじ 方鏡山浄円寺(真宗大谷派)の創立は,天文3(1534)年,開山は釈了証法師,本尊は寛永9(1632)年造立の阿弥陀如来像である。天文3(1534)年はじめて一個公称寺院方鏡山浄円寺の許可を受け,天正2(1574)年吉田(豊橋)城東川毛より下リ町(豊橋市花園町) ...
樹松院(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
じゅしょういん 円清山樹松院(浄土宗)の創立は応永3(1396)年で,開山は,円清和尚といわれている。貞享3(1686)年,西隣の大清院が荒廃したので西岸院と境内地を分配した。昭和20(1945)年6月の空襲により堂宇(どうう)が全焼したが,本尊阿弥陀如来像は無事救出され ...
十王院(豊橋市二川町東町) とは(豊橋百科事典より)
じゅうおういん 十王院(曹洞宗)の創立は,天正13(1585)年で,二川村の後藤源右衛門の祖・一翁善得が私庵として開き,後に村の惣庵となって,十王堂または念仏堂とも称されていた。住僧も宗派も一定でなく,歴代墓にも禅僧や浄土僧等諸宗の法名が入り混じっている。後藤 ...
地蔵院(廃寺) とは(豊橋百科事典より)
じぞういん(はいじ) 地蔵院(浄土宗)の創立は寛永元(1624)年で,開山は方誉欣西である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,吉田方「下リ町,浄土宗,地蔵院,悟真寺末寺,平僧,客殿弐間半ニ壱間半」とある。本尊は地蔵菩薩像,前立阿弥陀如来像である。明治5( ...
察順院(豊橋市花田町斉藤) とは(豊橋百科事典より)
さつじゅんいん 古杉山察順院(浄土宗)の創立は,大正7(1918)年で,開山は豊橋市花田町石塚(豊橋市大橋通一丁目)清源寺住職察順上人,本尊は阿弥陀如来像である。はじめ浄土宗の一私庵であったが,その後,額田郡河合村古部(こぶ)(岡崎市古部町)より明善尼を迎え庵 ...
西福寺(豊橋市前芝町東) とは(豊橋百科事典より)
さいふくじ(まえしば) 蛤光山西福寺(浄土宗)の創立は,文明7(1475)年で,開山は光誉音周上人,開基は不明である。維新前までに度々津波の難に遭って,伝来の記録類は全部流失してしまった。西福寺の本尊阿弥陀如来立像は恵心僧都の作といわれる端麗な像である。脇侍 ...