愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:賀茂

るいだいみかわかしゅう  「類題参河歌集」(三河新堀深見藤吉 慶応2年)は,竹尾正久の代表編集で寺部宣光,中山繁樹,竹尾正久,村上忠順,釈公阿の共選である。半紙本2巻2冊,上61丁,下53丁,作者は巻末名簿から497人,春夏秋冬恋雑部で和歌1680首,施頭歌6首,長歌7首 ...

よしだはん  吉田藩は,三河国吉田に置かれた藩で,藩主はいずれも譜代大名であった。15万石の池田輝政が姫路に移ると,松平(竹谷)家清が慶長6(1601)年,3万石で入封して吉田藩が成立した。以後,松平(深溝)氏・水野氏・小笠原氏・久世氏・牧野氏・松平(大河内)氏・ ...

やまもと・かんすけ(1493~1561)  山本勘助は,明応2(1493)年8月15日,八名郡加茂庄(豊橋市賀茂町)で,2500石を領した山本光幸の第3子に生まれたという。「参河国名所図絵」や「牛久保密談記」には明応9(1500)年8月5日,山本藤士郎の3男とある。「甲陽軍鑑」では明 ...

やなぐんし  「八名郡誌」(八名郡役所 大正15年)は,郡制廃止記念として鈴木宇良安を主任として編集・刊行されたものである。「八名郡誌」は,郡内の史実を探求網羅しており,八名郡百科全書といってもいい過ぎではない。古代・中世から明治期まで記載されている。神社・ ...

もうり・よしひさ(1860~1941)  毛利祥久は,安政7(1860)年3月6日,周防国佐波郡上右田(かみみぎた)村(山口県防府市)に毛利元亮の子として生まれた。明治18(1885)年,姉婿・毛利内匠藤内死去後家督を相続し,百十国立銀行頭取となった。明治12(1879)年から同13(8 ...

むろようすいふつうすいりくみあいし  「牟呂用水普通水利組合誌」(八名郡牟呂用水普通水利組合 大正7年)は,牟呂用水の建設を記録したものである。牟呂用水は,明治17(1884)年の旱魃(かんばつ)にあった賀茂村・金沢村・八名村大字八名井の3か村が,同20(87)年豊川( ...

むろようすい  牟呂用水は,豊川(とよがわ)の牟呂松原頭首工(新城市一鍬田(ひとくわだ) 豊川河口から25㎞地点)から取水し,豊川の左岸を牟呂松原幹線水路として流れる。豊橋市に入って,牛川台地・東田台地の西端をかすめ,市街地を抜け,さらに,羽田(はだ)台地の南端を ...

みかみばし  三上橋は,平成17(2005)年,現在の東三河環状線(愛知県道31号)が豊川を横切るところに架けられた橋である。豊川市三上町坂下と同三上町権現下(豊橋鳳来線の交差点)間を結び,賀茂橋と当古橋の中間に位置する。昭和30(1955)年,水くぐり橋が完成し,同55 ...

まつばらようすい  松原用水は,豊川(とよがわ)右岸の水田約800haを灌漑する農業用水で,豊川用水事業に併合されている。昭和43(1968)年に愛知用水公団の事業として完成した牟呂松原頭首工(新城市一鍬田(ひとくわだ))で豊川から取水し,牟呂松原幹線水路を5.3㎞流下した ...

ほんがんじ  医王山本願寺(曹洞宗)の創立は不明であるが,もとは天台宗の古刹(こさつ)であったと思われる。開基の孤雲玄峯和尚の時,曹洞宗寺院に再興改宗され,豊川妙厳寺末寺となったものと思われる。本尊は薬師如来坐像で,十二神将とともに時代のある雄健の作である。 ...

ほうとくしゃ  報徳社は,江戸末期の篤農家であった二宮尊徳(金次郎)の勤倹仕法の流れをくむ民間の運動・結社である小田原報徳社がはじめとされる。東三河地方では,八名郡の農家の間に広まった。運動の柱は,至誠・勤労・分度・推譲の4則を本義とし,精神面を強調するも ...

ほうおういん  火鎮山宝王院(真言宗醍醐派)は,安永2(1773)年,青順法印の創立で,旧幕時代賀茂村加納寺配下の修験寺であったが,明治5(1872)年醍醐派の寺院となる。ただし西河寺の過去帳に,「専永法印,安永2年寂,宝王院父」とあるから,青順創立以前にこの地にあ ...

ほいぐん  宝飯郡は,「和名類聚鈔」の三河8郡の1で,「宝飫(ほお)」と表記されたが,後に,「宝飯」と誤記されたものといわれる。形原・赤孫(あかひこ)・美養(みや)・御津(みと)・宮道(みやじ)・望理(もり)・賀茂・度津(わたつ)・篠束(しのづか)・宮島・豊川・雀部(ささべ) ...

ひがしみかわ  東三河は,三河国の東部,古代の穂国(ほのくに)である。「国造本紀(こくぞうほんぎ)」泊瀬(はつせ)朝倉朝(雄略朝)に「以生江臣祖葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)命四世孫菟上足尼(うなかみすくね)定賜国造」とあり,菟上足尼は国造に任命され,小坂井を本拠と ...

はやし・だいさく(1905~85)  林大作は,明治38(1905)年,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)に生まれた。東京帝国大学法学部を卒業し,三井物産から交易営団に移り,上海支部長を務める。第2次世界大戦後,片山哲の法律事務所で働き,昭和22(1947)年,日本社会党から衆議 ...

はしもと・こうどう(1834頃~95)  橋本弘道,通称俊蔵は,吉田(豊橋)藩士で,安政6(1859)年札元(40俵),明治2(1869)年政庁大録事,同4(71)年禄15石2斗役米年40俵を受けた。橋本弘道は,明治初年賀茂小学教員となった。慶応2(1866)年,刊行された「類題参河歌 ...

なし  梨(日本なし)は果樹園芸として,「長十郎」が主に栽培されてきた。昭和40年代から,果肉が軟らかく,果汁が豊富な「幸水」を中心に栽培されるようになった。現在は「豊水」「新高」など収穫時期の異なる品種も栽培し,経営的広がりを持つようになった。栽培されてい ...

とよはしゆうびんきょく  豊橋郵便局は,明治4(1871)年4月,豊橋上伝馬町に豊橋郵便取扱所として開業し,同6(73)年7月,豊橋郵便役所と改称した。明治8(1875)年1月,豊橋郵便局(3等)に改称した。明治5(1872)年9月,豊橋電信分局を豊橋関屋町に開設,同20(87)年 ...

とよはしめぐり  「豊橋めぐり」(東三文化会 昭和57年)は,100項目の史跡と都市施設について,その歴史と現況をそれぞれの関連写真を付して紹介したものである。 記述の方法は豊橋を東部,石巻・賀茂,北部,西部,南部,二川・高豊,中央部(吉田城址(じょうし)・大橋 ...

とよはしぞうせん  豊橋造船は,昭和47(1972)年,清水市(静岡市)にあった金指造船所が豊橋市明海町に豊橋工場を設立したことに始まる。金指造船所は,稲取(静岡県賀茂郡東伊豆町)出身の金指丈吉(1873~1946)が明治36(1903)年,大阪で創立したものである。明治41( ...

とよはしじいんし  「豊橋寺院誌」(豊橋仏教会 昭和34年)は,昭和28(1953)年豊橋仏教会総会において企画され,同34(59)年に刊行された。内容は,豊橋市内に現存する200か寺と廃寺61か寺についての創立・沿革・文化財(宝物),事業(幼稚園)などを,さまざまな資料 ...

とよはしし  明治22(1889)年10月1日の町村制施行により豊橋市街23町が渥美郡豊橋町となった。明治28(1895)年2月25日,豊橋町(25大字)は豊橋村(9大字)を合併した。明治39(1906)年7月16日,豊橋町(34大字)・花田村(1大字)・豊岡村(6大字)は合併して豊橋町(41 ...

とよがわのとせん  平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定され ...

とよがわのだこう  蛇行は,川が連続してS字状にうねって流れる状態をいい,曲流またはメアンダーともいう。豊川は新城(しんしろ)市で三河山間部から豊橋平野に出ると蛇行し,沖積平野をつくり,三河湾に注いでいる。豊橋市内では,上流から豊橋市賀茂町,下条西町,牛川町 ...

とつか・かんかい(1854~1932)  戸塚環海は,嘉永7(1854)年9月15日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の林九一郎の長男に生まれた。幼名芳太郎。明治2(1869)年,一宮砥鹿神社神官草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)が皇学所講官に任ぜられた際,供をして上京したが,草鹿砥宣 ...

とくていゆうびんきょく  特定郵便局は,「全国郵便局沿革録」明治篇・「三河三等局長会沿革誌」「東海地方特定郵便局長会史」によれば,二川(明治4年)・高塚(明治9年,同42年高豊と改称)・大津(明治9年,同14年老津と改称),高井(明治9年,同12年玉川と改称,同42年石 ...

とうめいこうそくどうろ  東名高速道路は,正式路線名を「第一東海自動車道」という。昭和44(1969)年5月26日に東京インターチェンジと小牧インターチェンジ間(346.7㎞)が全通した。日本道路公団管理の全国の高速道路のうちで最も通行量が多い。また,東京インターチェン ...

とうしょういん  大供山稲垣院(曹洞宗)の創立は,天文8(1539)年,開山は融峯元祝和尚,勧請開山は豊川妙厳寺第5世竹雄愛貞和尚で,開基は賀茂村の稲垣重賢と伝えられている。稲垣氏は戦国時代の郷士とされる。山号ははじめ大幡山と称したが,万治年間(1658~61)以後大 ...

てりやまじょう  照山城は,一説に豊川方面で勢力を誇った牧野氏の創建と伝えられるが,その沿革は定かではない。「三河国二葉松」(元文5年)に,「賀茂村照山古城,城主不知,山本勘助此所出生,天正十八年ヨリ池田家臣戸倉四郎兵衛同村住」とある。 城址(じょうし)は加 ...

てりやま  照山は,豊橋市賀茂町と宝飯郡一宮町金沢の境にある主として角閃岩(かくせんがん)から成る標高123.6mの山である。岩石は,採石会社によって採掘され,生コン用や埋め立て,道路工事や鉄道線路の敷石などに利用される。照山は円頂形の均衡のとれた山容であったが, ...

ちょうそんがっぺい  明治以後の市町村の歴史は合併の歴史である。明治11(1878)年12月20日郡区町村編制が行われ,戸長を置いた。明治11(1878)年12月28日町村分合を行った。明治9(1876)年2月14日愛知県令の通達は,一定の行政水準を維持するに足る費用負担と地租改正の ...

ちょうぜんじ(かも)  蓮邦山長全寺(曹洞宗)の創立は,天正2(1574)年,開山は源流本和尚,開基は賀茂村の旧家林家の祖林孫左衛門で,豊川妙厳寺第7世相屋舜承和尚を勧請開山としている。しかし,天正2(1574)年創立は,古廃寺の再興改宗であったとされる。本尊は厨子( ...

たまがわしょうがっこう  豊橋市立玉川小学校は,明治6(1873)年6月,第9中学区第37番小学和田学校として,和田村御所の竜泉寺を校舎として発足したことに始まる。明治9(1876)年,校地を高井村東野に移転し,同12(79)年10月,八名(やな)郡第32番小学玉川学校と改称した ...

たけお・まさひさ(1834~1904)  竹尾正久は,天保5(1834)年3月28日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の賀茂神社神主竹尾大和守成樹の2男に生まれた。幼名を勝之助という。中務・八束髭などと号した。一宮の草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)に学んだ。明治2(1869)年,賀茂村 ...

たけお・ひこくろう(1839~1907)  竹尾彦九郎7代林啓は,天保10(1839)年8月10日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の竹尾新五左衛門茂幹の3男に生まれた。明治5(1872)年額田県第9大区副戸長・第2小区戸長,同9(76)年愛知県第18区戸長となった。明治11(1878)年八名郡 ...

たかはし・こじゅうろう(しげひこ)(1881~1943)  高橋小十郎(茂彦)は,明治14(1881)年12月24日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の竹尾準の2男に生まれた。札幌農学校を卒業し,明治40(1907)年豊橋市船町の肥料問屋高橋小十郎久助の養嗣子となった。明治45(1912) ...

そうわむら  昭和26(1951)年4月1日,八名郡賀茂村・金沢村は合併して双和村と改称した。昭和30(1955)年4月1日,双和村大字賀茂は豊橋市に合併した。また,大字金沢は宝飯郡一宮村に合併した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござ ...

そうわちゅうがっこう  賀茂村・金沢村組合立双和中学校は,昭和24(1949)年,賀茂村天神前に,賀茂小学校・金沢小学校を校区として設立された。そのため,石巻村・賀茂村・金沢村組合立祥南中学校は廃止され,石巻村立石巻中学校と賀茂村・金沢村組合立双和中学校となった ...

すせしょうがっこう  豊橋市立嵩山小学校は,明治6(1873)年8月,第9中学区第39番小学嵩山学校とした。嵩山村上角庵の正宗寺支院の陽徳院を校舎として,嵩山村・長彦(ながひこ)村・月ヶ谷(わちがや)村を校区として発足した。明治10(1877)年,嵩山村宮下に校舎である陽徳 ...

すずき・やなまろ(1731頃~1817)  鈴木梁満は,吉田(豊橋)魚町の熊野権現(安海熊野(やすみくまの)社)の神主の家に生まれた。延享元(1744)年家職を継ぎ,はじめ鈴木伊予重房,後に鈴木土佐梁満と称した。遠江(とおとうみ)国浜松の杉浦国満(くにまろ)に学び,荷田春満 ...

しんめいしゃ(こもぐち)  (菰口)神明社は,天文元(1532)年菰口(豊橋市菰口町)の産土神として創建された。天文9(1540)年の大津波で八名郡加茂村(豊橋市賀茂町)の照山へ漂着したのを同9(40)年再建したという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「 ...

じんのしんでん  牟呂村地先の富久縞(ふくしま)新田・明治新田の前面に広がる広大な寄州(よりす)は,干拓の適地として早くから注目されていた。明治18(1885)年,愛知県令として赴任した勝間田稔は,旧山口藩老で第百十国立銀行(赤間関銀行)頭取の毛利祥久に,この干拓事 ...

しょうぶかいどう  しょうぶ街道は,豊橋市が平成2(1990)年に道路愛称として公募して認定した道路である。豊橋鳳来線(愛知県道69号)の一部区間で,豊橋市石巻本町の国道362号(姫街道)から豊橋市賀茂町の宝飯郡一宮町との市町境界までの延長3.3㎞の道路である。なお, ...

しょうなんちゅうがっこう  石巻村・賀茂村・金沢村組合立祥南中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,旧石巻公民学校校舎を使用して,石巻村の玉川小学校・三輪小学校(昭和30年石巻小学校と改称)・嵩山(すせ)小学校・西郷小学校,賀茂村の賀茂小学校,金沢村 ...

しもとよがわぎょぎょうきょうどうくみあい  下豊川漁業協同組合は,昭和25(1950)年1月25日に,組合員の出資金(1口200円)によって設立された。平成16(2004)年度の組合員数は,正組合員115,準組合員165である。漁協の漁業権・漁業水域は,豊橋市賀茂町と豊川市三上町 ...

しーてぃーてぃー  CTTは,コミュニケーション豊橋市北部テレビジョンの愛称で,平成4(1992)年,旧豊橋市北部農協(JA豊橋)が,従来の有線放送から転換して運営しているケーブルテレビジョンである。豊橋市の北部地域の石巻中学校区(石巻小学校・玉川小学校・賀茂小学校 ...

さるたひこめん  「猿田彦面」1面(賀茂神社蔵)は,昭和33(1958)年3月29日愛知県有形文化財(彫刻)に指定された。 賀茂神社には,古神事に使用されたと思われる面が7面あり,この猿田彦面は面長20㎝,面幅16㎝で,神事に使用されたものと思われる。様式は,舞楽曲から ...

さどうくらぶ  豊橋茶道クラブは,豊橋文化協会が発足した昭和21(1946)年以降,茶道講演会などを開催して普及活動を続けてきた。昭和26(1951)年11月2日の改組文協茶道クラブ第1回茶会を契機に,8流派が結束して,豊橋地域の茶道の振興と相互の研鑚(けんさん)を目的に再 ...

さかいのこうしんさま  賀茂村の坂井(豊橋市賀茂町坂井)に,一体の庚申さまが流れ着いた。庚申さまは大雨の中をいずこから流れて来たのかも,どこのものかも分からなかった。村人たちは庚申さまを洗い清め,流れ着いた所にお祀りした。でも庚申さまは,雨のたびに水びたし ...

こくがくしゃ すずきやなまろ  「国学者 鈴木梁満」(日本図書刊行会 平成9年)は,山田久次による鈴木梁満(1731頃~1817)研究の成果をまとめた著作である。東三河の国学の概要について触れ,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木家の家系,鈴木梁満・重野・重実 ...

↑このページのトップヘ