わがまちはねい 「わが町羽根井」(豊橋市立羽根井小学校 昭和62年)は,移り変わる羽根井校区の歴史を豊橋市立羽根井小学校の職員が執筆したものである。 内容は,校区の自然や歴史などを資料や聞き取りをもとにまとめたものであり,明治以降の羽根井の町づくりと変遷に ...
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レインボータワー とは(豊橋百科事典より)
れいんぼーたわー レインボータワーは,豊橋駅前の豊橋市駅前大通一丁目から今橋町の豊橋公園までのL字型のシンボルロード(約1.5㎞)の中間の前田町一丁目の前田橋交差点に,平成8(1996)年3月に完成した高さ30m のシンボルタワーである。 このシンボルタワーは豊橋の ...
ルート1 とは(豊橋百科事典より)
るーとわん ルート1は,第2次世界大戦後に国道1号に付けられた別名である。進駐軍のジープは,まだ舗装されていない岡崎から国府などを砂煙りをあげて走っていた。名古屋などでは,1st street,A avenue という街路標識をつけた。東海道のROUTE 1の道路標識は,東海道 ...
旅券コーナー(豊橋市駅前大通二丁目) とは(豊橋百科事典より)
りょけんこーなー 東三河県民生活プラザ旅券コーナーは,昭和53(1978)年5月,豊橋駅前西武百貨店4階に豊橋県民サービスコーナーとして設置され,同61(86)年6月,駅前大通開発ビル4階に旅券センター豊橋分室として開設された。平成14(2002)年3月,東三河総合庁舎内に ...
吉田24町 とは(豊橋百科事典より)
よしだ24ちょう 東海道吉田の宿は,慶長6(1601)年,松平(竹谷)家清以来の譜代の城下町であった。また,慶長6(1601)年,徳川家康が東海道に伝馬の制を実施して以来の宿場町であり,吉田川(豊川)の河口を扼(やく)する湊町である。江戸時代を通じての町数は,24町であ ...
吉田駅(廃止) とは(豊橋百科事典より)
よしだえき 吉田駅は,明治30(1897)年7月15日に,豊川鉄道(飯田線)の吉田(豊橋)~豊川間の開通により豊橋駅を共同使用して開業,同32(99)年12月11日に豊橋駅より分離,吉田駅として単独開業した。大正9(1920)年12月に,三角形の屋根の鉄筋コンクリート2階建てに ...
養鶏 とは(豊橋百科事典より)
ようけい 豊橋の養鶏は,明治24(1891)年,大崎(豊橋大崎町)の小柳津友治が500羽規模での飼育を開始したことに始まる。その後,豊橋へ進出し,採卵養鶏に徹して,明治30(1897)年には7000~8000羽規模に発展した。小柳津友治は,アメリカから白色レグホンを輸入し,年 ...
UFJ 銀行 とは(豊橋百科事典より)
ゆーえふじぇいぎんこう UFJ銀行は,平成14(2002)年1月に東海銀行と三和銀行(昭和8年,三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の合併により発足)が合併してできた。UFJ銀行の発足によって,東海銀行豊橋支店はUFJ銀行豊橋支店となったが,東海銀行の豊橋東支店は平成15(2003 ...
闇市 とは(豊橋百科事典より)
やみいち 闇市は,第2次世界大戦後,豊橋駅前の防空壕跡に自然発生し,半年ほど続いた。やがて,駅前広場を占拠し,交通・治安上問題が多くなったため,戦時中の建物強制疎開により空き地となった駅前大通りの両側と神明町に移転した。 駅前大通りの闇市は飲食店4割,サツ ...
名鉄自動車 とは(豊橋百科事典より)
めいてつじどうしゃ 三谷自動車は,大正12(1923)年,蒲郡~豊川,蒲郡~豊橋間の運行を開始した。昭和11(1936)年には,豊橋電気軌道のバス路線と相互乗り入れ(豊橋駅前~前芝間)していた。 名鉄自動車は,昭和18(1943)年8月11日,名鉄自動車・尾三自動車・浄心自 ...
ムクドリ とは(豊橋百科事典より)
むくどり ムクドリ(ムクドリ科)は,翼長13㎝ほどの鳥で,体は灰褐色,くちばしと足は橙色で,白いほおが目立つ。「柿をつつく」「糞(ふん)を落とす」と,人から嫌われている。春から夏への繁殖期を終えて,夏の終わりごろから秋にかけて,その年に誕生した若鳥を中心に大 ...
民衆駅(豊橋駅) とは(豊橋百科事典より)
みんしゅうえき 民衆駅は,駅施設の一部を部外者に使用させることを条件に,その建設費の一部を負担させて建設する駅で,国鉄初の民衆駅として豊橋駅が,昭和25(1950)年3月に,完成した。 豊橋駅は,昭和20(1945)年6月,豊橋空襲で駅舎は全焼した。その後,仮駅舎で営 ...
幸公園(豊橋市佐藤町・高師町・東幸町) とは(豊橋百科事典より)
みゆきこうえん 幸公園は,東海道本線二川駅と豊橋駅の中間北側の豊橋市佐藤町池下・江島にまたがる長三池を中心に,昭和58(1983)年3月に開設された都市公園面積12.8haの総合公園である。 豊橋市福岡東部区画整理事業に伴い「人と水と緑」をテーマに農業用ため池の長三 ...
三井住友銀行(豊橋市広小路三丁目) とは(豊橋百科事典より)
みついすみともぎんこう 三井住友銀行は,昭和22(1947)年2月,大阪銀行(明治28年個人創業,同45年住友銀行設立,昭和20年大阪銀行と改称)豊橋特別支店として豊橋市花田町石塚に開設したのが始まりである。昭和23(1948)年11月には豊橋支店となり,同25(50)年10月豊 ...
丸物百貨店 とは(豊橋百科事典より)
まるぶつひゃっかてん 丸物百貨店は,昭和7(1932)年10月,豊橋市神明町(広小路)の物産館の建物を使って豊橋支店の営業を開始した。昭和20(1945)年5月,木造4階建ての建物は強制疎開の対象となったが,移転先(浦柴屋洋品店)も戦災にあった。戦後,焼け残った守田屋 ...
丸物会館 とは(豊橋百科事典より)
まるぶつかいかん 丸物会館は,昭和25(1950)年,豊橋駅前(豊橋市駅前大通一丁目)の豊橋丸物の鉄筋コンクリート造り3階建ての店舗を新増築したのを機に,3階に大映映画を上映する映画館として開設された。豊橋東宝株式会社(第二映画劇場・千歳劇場・丸物会館の3館)は ...
幻の馬車鉄道 とは(豊橋百科事典より)
まぼろしのばしゃてつどう 明治15(1882)年,東京で馬車鉄道の営業が始まり,愛知県では愛知馬車鉄道が,明治27(1894)年,名古屋で営業を始めた。馬車鉄道は,軌道を敷設し,動力を馬によって客貨車を引いて旅客または貨物を運搬するものである。このころ牟呂~田原間に ...
幻の遠三鉄道 とは(豊橋百科事典より)
まぼろしのえんさんてつどう 昭和初期に,豊橋~浜松間に鉄道を敷設しようとする計画が3つあった。1つは遠三軌道で,旧東海道を並走し,浜松から舞阪~新居~白須賀~二川を経由し,豊橋の柳生橋あたりまで至る計画であった。しかし,浜名湖の架橋工事が困難なことからとり ...
松下忠男 とは(豊橋百科事典より)
まつした・ただお(1917~2001) 松下忠男は,大正6(1917)年3月15日,豊橋市岩崎町に生まれた。横浜専門学校を卒業し,昭和12(1937)年東京鉄道局,同18(43)年名古屋鉄道局,同24(49)年静岡鉄道管理局に勤務した。昭和40(1965)年豊橋駅長,同43(68)年運輸長を経 ...
町裏10か所 とは(豊橋百科事典より)
まちうら10かしょ 町裏10か所というのは,江戸時代末期に吉田(豊橋)町地と仁連木(にれんぎ)村・花ヶ崎村・羽田(はだ)村などとの接点にできた新興住宅地10か所である。 談合宮と中世古は安久美神戸(あくみかんべ)神明社の氏子で,現在の豊橋市談合町・中世古町である。野 ...
ホテル とは(豊橋百科事典より)
ほてる 豊橋における本格的なホテルは,昭和43(1968)年,名豊ビル(豊橋市駅前大通二丁目)内に開業した豊橋グランドホテル(108室)が最初であった。昭和47(1972)年には豊橋ビジネスホテル(40室・豊橋市花園町),同50(75)年豊橋グリーンホテル(87室・豊橋市広小 ...
豊栄百貨店 とは(豊橋百科事典より)
ほうえいひゃっかてん 株式会社豊橋豊栄百貨店は,全国初の民衆駅として誕生した豊橋駅の2階に,昭和25(1950)年3月に開店した。昭和29(1954)年に,駅前に豊栄百貨店の新館が完成した。「豊橋産業文化博覧会」に合わせてオープンしたものである。 昭和30(1955)年,レ ...
ペデストリアンデッキ(豊橋市花田町) とは(豊橋百科事典より)
ぺですとりあんでっき ペデストリアンデッキは,豊橋駅総合開発事業に伴い,東西連絡通路の延長上の東口駅前広場に,平成10(1998)年3月完成した面積5000㎡の人工地盤である。デッキには,エレベーター4基,上り専用のエスカレーター6基,階段を設置し,階上には,噴水池 ...
船町駅(貨物) とは(豊橋百科事典より)
ふなまちえき(かもつ) 飯田線船町駅(貨物)は,明治33(1900)年11月7日に,豊川鉄道の船町支線1.7㎞(豊橋市北島町)に,船町貨物仮停車場として開業,同37(04)年7月25日に,船町停車場として開業した。昭和18(1943)年8月1日に,豊川鉄道他3社は国鉄飯田線となり, ...
二俣線 とは(豊橋百科事典より)
ふたまたせん 二俣線は,遠美線(掛川~大井)のうち掛川~二俣間(二俣東線)と,二俣~豊橋間(二俣西線)を連結して建設されたものである。昭和9(1934)年,大井(恵那)~明知間,翌10(35)年,掛川~遠江森間が開通した。昭和11(1936)年12月1日,豊橋~新所原~三 ...
二川駅(豊橋市大岩町南元屋敷) とは(豊橋百科事典より)
ふたがわえき JR東海二川駅(東京起点286.7㎞)は,明治21(1888)年9月1日,開業した東海道線豊橋駅~鷲津駅間に,同29(96)年4月7日開業した。所在地は,渥美郡大川町(豊橋市大岩町)の旧東海道に面した二川宿の西端である。昭和11(1936)年12月1日から同62(87)年 ...
広小路 とは(豊橋百科事典より)
ひろこうじ 広小路は,豊橋駅前の豊橋市花田町西宿(広小路一丁目)より大手線(国道259号)の同神明町(広小路三丁目)までの延長約600mの道路である。開鑿当時は,「停車場通り(常盤通り)」に対して「新停車場通り」と呼ばれた豊橋市道(広小路1号線)である。 明治4 ...
百花園 とは(豊橋百科事典より)
ひゃっかえん 百花園は,いつ開園し,いつ廃止したのかは不明であるが,その名を高めたのは渡辺崋山の第2子の渡辺小華(1835~87)が明治10(1877)年に豊橋の吉田神社境内に居を構えたころである。 百花園は,豊川(とよがわ)に臨み四季折々に風情を呈する花畑と,その一 ...
花田駅(廃止) とは(豊橋百科事典より)
はなだえき 豊橋鉄道渥美線花田駅は,大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄師団口~新豊橋間の開業により,新豊橋駅として開業した。昭和2(1927)年10月1日に,花田(新豊橋)~新豊橋間の延長により花田駅と改称され,同19(44)年6月5日,休止,同29(54)年11月21日,国 ...
バスターミナル(豊橋市駅前大通二丁目) とは(豊橋百科事典より)
ばすたーみなる 豊橋市バスターミナルは,豊橋市駅前大通二丁目(狭間児童広場地下1階)に,都市計画自動車ターミナル(計画名称 狭間バスターミナル)として,昭和43(1968)年11月6日に,9バース・面積0.5haで告示され,翌44(69)年8月30日に営業を開始した。乗降客の ...
馬車会社 とは(豊橋百科事典より)
ばしゃがいしゃ 豊橋馬車会社は,渥美巡航の社長でもあった岡田秀吉(1858~1934)が,明治41(1908)年10月発足させた。馬車は1頭立て6人乗り,2台が午前と午後各2回,人や荷物を乗せて牟呂街道を通り豊橋駅(現在の西駅の北側辺り)まで運んだ。運賃は1人5銭だった。 大 ...
「豊橋雷動ひょう記」(近藤鹿堂) とは(豊橋百科事典より)
とよはしらいどうひょうき 「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...
豊橋藩 とは(豊橋百科事典より)
とよはしはん 吉田(豊橋)藩は,明治2(1869)年6月,政府の指示により豊橋藩と改称した。吉田藩は,他に伊予吉田藩(愛媛県北宇和郡吉田町)があったからといわれている。 政府は明治2(1869)年6月の版籍奉還を機に,紛らわしい同名の藩は1藩を残して他を改称すること ...
豊橋鉄道(豊橋市南松山町) とは(豊橋百科事典より)
とよはしてつどう 豊橋鉄道株式会社は,豊橋電気軌道株式会社が豊橋乗合自動車株式会社・田口鉄道株式会社を合併し,渥美線を名古屋鉄道株式会社より譲受して成立した。 豊橋電気軌道は,大正13(1924)年3月17日会社創立,翌14(25)年7月14日豊橋駅前~赤門間開業,同14 ...
豊橋駅(豊橋市花田町西宿) とは(豊橋百科事典より)
とよはしえき 豊橋駅は,明治21(1888)年9月1日に,東海道線の浜松~大府間の開通に伴い,渥美郡花田村西宿(花田町西宿,東京起点293.6㎞)に開業した。なお,東海道線は,明治22(1889)年7月1日に,新橋~神戸間が全通した。 明治30(1897)年7月15日に,豊川鉄道の吉 ...
豊橋 とは(豊橋百科事典より)
とよはし 明治2(1869)年6月19日,版籍奉還に際して吉田(豊橋)藩は豊橋藩と改名させられた。明治維新政府によって,伊予国(愛媛県)に同名の吉田藩があるので,それと混交して誤りやすいため,改名を命ぜられたとされる。命令を受けて,明治2(1869)年5月23日,豊橋・ ...
特定郵便局 とは(豊橋百科事典より)
とくていゆうびんきょく 特定郵便局は,「全国郵便局沿革録」明治篇・「三河三等局長会沿革誌」「東海地方特定郵便局長会史」によれば,二川(明治4年)・高塚(明治9年,同42年高豊と改称)・大津(明治9年,同14年老津と改称),高井(明治9年,同12年玉川と改称,同42年石 ...
常盤通り とは(豊橋百科事典より)
ときわどおり 常盤通りは,豊橋市広小路一丁目の「広小路」より同松葉町一丁目(城海津跨線橋の延長道路)までの豊橋市道(松葉町・広小路8号線)の商店街の通りである。 明治21(1888)年9月1日,東海道線豊橋停車場の開業により豊橋上伝馬町から停車場までの延長330間・ ...
道路信号 とは(豊橋百科事典より)
どうろしんごう 豊橋市内の道路にはじめて信号がついたのは,昭和31(1956)年4月,萱町・城海津・西八町の交差点である。昭和35(1960)年には,神明町・駅前大通りに道路信号が増設された。戦災復興都市計画によって,豊橋駅前の東・西,守下・新川・西八町・東八町の交 ...
動物園(豊橋市大岩町大穴) とは(豊橋百科事典より)
どうぶつえん 豊橋の動物園は,明治32(1899)年,安藤政次郎(1855~1930)が豊橋駅前(豊橋市花田町西宿)に開設したことに由来する。明治45(1912)年,広小路開鑿(かいさく)のため豊橋市花田町守下に移転する。しかし,安藤政次郎が死去したため,昭和6(1931)年,遺 ...
東西自由連絡通路(豊橋駅) とは(豊橋百科事典より)
とうざいじゆうれんらくつうろ 東西自由連絡通路は,平成9(1997)年3月豊橋市(東西自由連絡通路条例)がJR豊橋駅橋上駅舎に建設した歩行者専用施設である。東海道線で分断された東西市街地を結ぶ自由通路で,駅舎東口から西口まで幅10~12mあり,エレベーター1基,エスカ ...
東海銀行 とは(豊橋百科事典より)
とうかいぎんこう 東海銀行は,金融統制が戦時態勢(非常時)一色に塗り替えられようとしているとき,昭和16(1941)年6月9日,名古屋地区が本店銀行である愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の3行が合併して設立された。 愛知銀行は,明治28(1895)年3月8日,第十一国立銀 ...
鉄道郵便局 とは(豊橋百科事典より)
てつどうゆうびんきょく 昭和12(1937)年10月1日,名古屋鉄道郵便局が設立され,豊橋駅構内に豊橋郵便室が開局した。豊橋郵便局で取扱っていた東海道線下りの愛知県内宛の郵便物と豊橋辰野間の郵便物は,豊橋郵便室で取扱われることになった。伊那電鉄ではサハユニフ(付 ...
停車場事件 とは(豊橋百科事典より)
ていしゃばじけん 停車場事件は,明治22(1889)年2月20日,豊橋駅で突発的に起きた。東海道本線の開通により,明治21(1888)年9月に開設された豊橋駅は,機関車,客車,貨車などの見物に地元住民はもとより,歩兵第18聯隊の兵士たちもつめかけて連日にぎわっていた。 明 ...
TMO構想 とは(豊橋百科事典より)
てぃーえむおーこうそう TMO構想は,平成12(2000)年4月に策定された「豊橋市中心市街地活性化基本計画」を踏まえ,中小小売商業高度化事業に関する総合的かつ基本的構想として,同12(00)年7月に策定された。TMO(TownManagementOrganization)とは,都市計画や商業活性 ...
駐輪場 とは(豊橋百科事典より)
ちゅうりんじょう 豊橋駅東口自転車等駐車場は,平成6(1994)年4月,豊橋市が豊橋市駅前大通一丁目に地下2階,延べ床面積7958㎡,自転車3300台・ミニバイク900台を収容できる駐輪場として供用開始した。エレベーター・オートスロープを備え,監視カメラを設置し,防犯体制 ...
中心市街地活性化基本計画 とは(豊橋百科事典より)
ちゅうしんしがいちかっせいかきほんけいかく 中心市街地活性化基本計画は,平成12(2000)年4月,「とよはし21世紀ビジョン」の「賑(にぎ)わいと魅力ある都心づくり」の考え方に基づき,豊橋駅を含む商業地域を中心としたエリア(230ha)に対し,「中心市街地における市街 ...
駐車場 とは(豊橋百科事典より)
ちゅうしゃじょう 公共駐車場は,急激な交通量の増加で市街地の駐車場需要量増加に伴い建設された。昭和44(1969)年8月,豊橋市駅前大通の地下に豊橋市公共駐車場(「第1駐車場」80台収容,昭和53年73台増設,「第2駐車場」144台)を建設した。昭和47(1972)年10月,豊橋 ...
建物疎開 とは(豊橋百科事典より)
たてものそかい 建物疎開は,昭和18(1943)年10月公布の改正防空法および都市疎開実施要綱にもとづいて実施された大都市疎開事業の一環で(他に人員疎開・工場疎開があった),空爆に備えて市街地に大規模な防火用空地を造成しようとするものであった。建物疎開地域に指定 ...
太陽神戸銀行 とは(豊橋百科事典より)
たいようこうべぎんこう 昭和24(1949)年6月,日本無尽株式会社が飯田支店豊橋会場を豊橋市花田町守下に設置し,翌25(50)年3月豊橋支店とした。昭和26(1951)年6月豊橋市松葉町の額田ビルに移転した。昭和26(1951)年10月に日本相互銀行と商号を変更し,同41(66)年 ...