むろはつでんしょ 牟呂発電所は,豊橋電燈株式会社が梅田川発電所の不安定供給を解消するために,明治29(1896)年4月に渥美郡牟呂村大西大海津(豊橋市牟呂町大海津)に設立した発電所である。当時,通水したばかりの牟呂用水を水源とした。水路の長さは約40m,幅約2.4m, ...
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三浦碧水 とは(豊橋百科事典より)
みうら・へきすい(1841~1915) 三浦碧水は,天保12(1841)年11月29日,吉田(豊橋)藩札元三浦深右衛門の2男に生まれた。幼名を陽次郎といい,字(あざな)を温夫と称した。文久のころ(1861~64),江戸に出て幕臣高畠眉山について西洋流兵学・砲術を学ぶ。慶応4(1868) ...
福谷元次 とは(豊橋百科事典より)
ふくたに・もとじ(1860~1943) 福谷元次は,安政7(1860)年2月18日,宝飯郡柴屋村(豊橋市大村町)の林勝蔵の2男に生まれた。明治15(1882)年,豊橋札木町の旅籠(はたご)丁字屋,福谷藤十郎の養嗣子となった。明治22(1889)年,豊橋町会議員,同34(1901)年,豊橋町 ...
「東三河電気事業沿革史」(芳賀信男) とは(豊橋百科事典より)
ひがしみかわでんきじぎょうえんかくし 「東三河電気事業沿革史」(芳賀信男 平成8年)は,「渥美半島電気事業小史」の続編として出版した。第1編は明治中期の豊橋電燈を重点的に,第2編は東三河地域に設立された小電力事業社の経緯と統合・消滅について述べ,さらに第3 ...
豊橋電燈 とは(豊橋百科事典より)
とよはしでんとう 豊橋電燈株式会社は,明治26(1893)年,豊橋商業会議所が創設された折の電気燈設立気運の高まりにより,翌27(94)年3月に,三浦碧水・福谷元次・佐藤弥吉ら8人が発起人となり,資本金1万5000円で創立された。全国で14番目,愛知県内では名古屋電燈につ ...
東邦電力 とは(豊橋百科事典より)
とうほうでんりょく 東邦電力株式会社は,大正11(1922)年5月に設立された。社長は伊丹弥太郎であった。大正10(1921)年,名古屋電燈株式会社(社長福沢桃介)は豊橋電燈株式会社(社長福沢桃介)を合併した。豊橋電燈は名古屋電燈の豊橋営業所となった。名古屋電燈は大 ...
杉田権次郎 とは(豊橋百科事典より)
すぎた・ごんじろう(1844~95) 杉田権次郎は,弘化元(1844)年,吉田三浦町(豊橋市新本町)に生まれた。明治15(1882)年豊橋魚鳥株式会社相談役,後に監査役に就任し,同18(85)年豊橋真利宝会を設立,同25(92)年豊橋銀行に改組し,初代頭取に就任した。明治26(18 ...
白井直次 とは(豊橋百科事典より)
しらい・なおじ(1849頃~1918) 白井直次は,八名郡金沢村(宝飯郡一宮町)の佐久間家に生まれたが,豊橋札木町の白井家の養嗣子となった。明治22(1889)年豊橋町収入役に就任,同26(93)年豊橋商業会議所の創立委員,翌27(94)年豊橋米麦取引所設立発起人・理事となっ ...
神野三郎 とは(豊橋百科事典より)
かみの・さぶろう(1875~1961) 神野三郎は,明治8(1875)年5月28日,西春日郡清州村(西春日井郡清州町)の竹田長蔵晨正の3男に生まれた。明治16(1883)年,竹田三郎は神野金平(1811~1905)の養子となり,明治21(1888)年,大谷派普通学校を卒業した。 明治31(189 ...
梅田川発電所 とは(豊橋百科事典より)
うめだがわはつでんしょ 梅田川発電所は,豊橋電燈株式会社が明治27(1894)年に渥美郡高師村車(豊橋市浜道町車)に設立,同年4月1日から運転を開始した水力による発電所である。水路の長さ226m,幅1.8m,落差3mを有し,出力15kW,16燭光300燈で,水力発電では自家用を含 ...
伊東米作 とは(豊橋百科事典より)
いとう・よねさく(1852頃~1910) 伊東米作は,吉田(豊橋)萱町の人で,明治22(1889)年豊橋町制施行にあたって町会議員に当選した。市制施行問題に関して町政刷新委員に任命された。明治39(1906)年市会議員に当選した。この間,明治25(1892)年豊橋銀行設立発起人, ...