やぎゅうばしえき 豊橋鉄道渥美線柳生橋駅は,大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄高師口~新豊橋(花田)間の開業により,新豊橋~小池間(新豊橋起点1.0㎞)に開業した。昭和59(1984)年2月1日に,貨物取扱を廃止,12月20日に乗降場を改良(高さ1100㎜)・ホーム上屋 ...
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名鉄自動車 とは(豊橋百科事典より)
めいてつじどうしゃ 三谷自動車は,大正12(1923)年,蒲郡~豊川,蒲郡~豊橋間の運行を開始した。昭和11(1936)年には,豊橋電気軌道のバス路線と相互乗り入れ(豊橋駅前~前芝間)していた。 名鉄自動車は,昭和18(1943)年8月11日,名鉄自動車・尾三自動車・浄心自 ...
広小路 とは(豊橋百科事典より)
ひろこうじ 広小路は,豊橋駅前の豊橋市花田町西宿(広小路一丁目)より大手線(国道259号)の同神明町(広小路三丁目)までの延長約600mの道路である。開鑿当時は,「停車場通り(常盤通り)」に対して「新停車場通り」と呼ばれた豊橋市道(広小路1号線)である。 明治4 ...
「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会) とは(豊橋百科事典より)
なごやてつどうしゃし 「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社 昭和36年)は,名古屋鉄道の約70年の歴史を書いたものである。東三河関係については,明治29(1896)年,横山孫一郎(1846~1911)により設立された豊川鉄道株式会社と,大正11(1922)年,吉原祐太郎(1860 ...
豊橋乗合自動車 とは(豊橋百科事典より)
とよはしのりあいじどうしゃ 豊橋乗合自動車株式会社は,昭和18(1943)年11月1日,陸上交通事業調整法によって,東三河地方の7社が合同して,資本金70万円で設立されたものである(三谷自動車は名鉄自動車に統合し,省営自動車は統合の対象とならなかった)。豊橋乗合自動 ...
「豊橋鉄道50年史」(豊橋鉄道創立50周年記念事業委員会編) とは(豊橋百科事典より)
とよはしてつどう50ねんし 「豊橋鉄道50年史」(豊橋鉄道 昭和49年)は,豊橋鉄道創立50周年を記念して製作された。大正11(1922)年渥美電鉄株式会社が設立され,同13(24)年高師~豊島間に開業した。大正12(1923)年豊橋電気軌道株式会社が設立され,同14(25)年駅前 ...
豊橋鉄道(豊橋市南松山町) とは(豊橋百科事典より)
とよはしてつどう 豊橋鉄道株式会社は,豊橋電気軌道株式会社が豊橋乗合自動車株式会社・田口鉄道株式会社を合併し,渥美線を名古屋鉄道株式会社より譲受して成立した。 豊橋電気軌道は,大正13(1924)年3月17日会社創立,翌14(25)年7月14日豊橋駅前~赤門間開業,同14 ...
武田賢治 とは(豊橋百科事典より)
たけだ・けんじ(1865~1937) 武田賢治は,慶応元(1865)年9月1日,尾張国知多郡成岩村(半田市)の医師荒川吉蔵の2男に生まれた。7歳で父を失ったため,苦学して医術開業試験に合格した。宝飯郡森村(豊川市)の武田準平の養嗣子となり,医学に専念して,宝飯郡医師会長 ...
終着駅 とは(豊橋百科事典より)
しゅうちゃくえき 豊橋駅の飯田線と名鉄名古屋本線は,頭站(とうたん)式の始発駅・終着駅である。豊橋駅の東海道線は,明治21(1888)年の開業以来,通過駅であった。しかし,近年電車のこま切れ運転が増加して,豊橋駅で折り返すものが増加して,乗り継がなければならなく ...
東雲通り とは(豊橋百科事典より)
しののめどおり 東雲通りは,豊橋市道八町線(東田(あずまだ)町・吾妻町29号線)の一部で,豊橋市東田町の坂上電停から東雲町間の旧路面電車が通っていた道路である。明治43(1910)年8月までに,豊橋市上伝馬町の遊廓が同東田町・同瓦町に移転した。明治43(1910)年12月 ...
市内電車 とは(豊橋百科事典より)
しないでんしゃ 市内電車は,大正12(1923)年3月23日,豊橋に電気軌道敷設が許可され,翌13(24)年3月17日,豊橋電気軌道株式会社が資本金50万円,取締役社長武田賢治(1865~1937),専務取締役今西卓(1883~1933)で発足したことに始まる。大正14(1925)年7月14日豊 ...
河合藤四郎 とは(豊橋百科事典より)
かわい・とうしろう(1890~1963) 河合藤四郎は,明治23(1890)年6月24日,豊橋市萱町の福谷藤七の5男に生まれた。大正6(1917)年東京帝国大学法科大学経済学科を卒業し,三井物産に勤務したが,翌7(18)年妻・喜代の父河合常次郎が死去したため,河合製糸を継ぎ,河合 ...
河合孜郎 とは(豊橋百科事典より)
かわい・しろう(1886~1966) 河合孜郎は,明治19(1886)年9月1日,永原整造の2男として広島に生まれた。明治43(1910)年山口高等商業学校を卒業し,翌44(11)年豊橋市魚町の河合虎三郎の養嗣子となった。大正4(1915)年豊橋青乾物取締役,同11(22)年豊橋委託運輸 ...
神野三郎 とは(豊橋百科事典より)
かみの・さぶろう(1875~1961) 神野三郎は,明治8(1875)年5月28日,西春日郡清州村(西春日井郡清州町)の竹田長蔵晨正の3男に生まれた。明治16(1883)年,竹田三郎は神野金平(1811~1905)の養子となり,明治21(1888)年,大谷派普通学校を卒業した。 明治31(189 ...
大手橋(牟呂用水) とは(豊橋百科事典より)
おおてばし 大手橋は,国道259号(田原街道)が,豊橋市駅前大通三丁目で牟呂用水を横切るところに架けられた橋である。明治44(1911)年4月,道路大手線が開鑿され,大正14(1925)年7月,豊橋電気軌道(豊橋鉄道)柳生橋支線(路面電車)が開通(昭和51年3月廃止)した。 ...
大手通り とは(豊橋百科事典より)
おおてどおり 大手通りは,豊橋市札木町の東海道から,渥美郡髙師村福岡(豊橋市堂浦町)の柳生橋まで開通した道路大手線の通称名であったが,平成17(2005)年,豊橋市八町通二丁目の国道1号から同魚町の国道259号までの豊橋市道区間が,商店街の通称名「大手通り」となっ ...
榎本為知 とは(豊橋百科事典より)
えのもと・ためのり(1894~1963) 榎本為知は,明治27(1894)年6月24日,愛知県幡豆郡家武(えたけ)村(西尾市家武町)の榎本峰造の2男として生まれた。明治45(1912)年豊橋商業学校を卒業し,大正12(1923)年豊橋電気軌道株式会社に入社し,会社創立事務に従事した。昭 ...
今西卓 とは(豊橋百科事典より)
いまにし・たく(1883~1933) 今西卓は,明治16(1883)年8月7日,岐阜県揖斐郡池田村(岐阜県池田町)の今西文造の長男として生まれた。京都帝国大学電気工学科卒業後,豊橋電気株式会社の主任技術者となり,大正11(1922)年寒狭川水系の横川発電所建設に従事した。横川 ...
渥美電鉄 とは(豊橋百科事典より)
あつみでんてつ 渥美電鉄株式会社に,大正10(1921)年4月13日,豊橋福江間の軌道特許状が下付された。大正11(1922)年3月6日,渥美電鉄株式会社創立,社長吉原祐太郎(1860~1936)。大正13(1924)年1月22日高師~豊島間を開業し,昭和2(1927)年10月1日,新豊橋~黒 ...
浅田平太郎 とは(豊橋百科事典より)
あさだ・へいたろう(1882~1968) 浅田平太郎は,明治15(1882)年4月19日,福岡県嘉穂郡忠隈村(福岡県嘉穂郡穂波町)に生まれた。上京して攻玉社に学んだ。南満州鉄道に就職し,後に台湾の塩水港精糖の引込線の建設に従事した。大正11(1922)年豊橋へ赴任し,渥美電鉄 ...
藍川清成 とは(豊橋百科事典より)
あいかわ・きよなり(1872~1948) 藍川清成は,明治5(1872)年4月15日,岐阜県厚見郡小熊村(岐阜市)の弁護士藍川清通の長男として生まれた。東京帝国大学卒業後,名古屋で弁護士を開業し,名古屋電燈・伊藤銀行の顧問弁護士となり,名古屋弁護士会会長にも推された。愛 ...