愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:豊橋市議会

れいてんごうはちにひょうじけん  昭和38(1963)年4月30日,豊橋市議会議員選挙で,伊藤丈太郎は1703.582票で最下位当選し(定数44),次点の天野道治は1703票で,差は0.582票だった。0.582票とは,昭和28(1953)年の公職選挙法改正で,同姓または同名の候補者が複数ある ...

ゆうかくのいてん  明治40(1907)年3月,第15師団の豊橋設置が正式に決定した。初代市長大口喜六は,陸軍省に師団誘致運動を展開する際に,条件として豊橋市上伝馬町と札木町の遊郭を適当な地に移転することを挙げていた。遊郭の移転は,市街地中心部の風紀だけでなく道路 ...

のだしょりじょう  豊橋市下水道野田処理場は,昭和6(1931)年6月,豊橋市議会が下水道築造事業を議決,4排水区(八町・松山・船町・北島)の汚水と雨水を処理するため,同8(33)年10月豊橋市野田町・三ッ相町に汚水処分場と併設ポンプ場の築造に着工した。昭和10(1935) ...

とよはしらいどうひょうき  「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...

とよはししのひょうしょう  豊橋市では,豊橋市表彰(自治功労,市勢功労)・教育・体育・文化の各表彰が市制施行記念日(8月1日)に行われている。これらの表彰は,豊橋市での功績が顕著な個人や団体を対象としており,それぞれ,豊橋市功労者表彰条例(昭和27年),豊橋市 ...

とよはししのはな  豊橋市の花は,昭和35(1960)年5月,豊橋市民愛市憲章推進協議会の前身である豊橋都市美協会が,豊橋市民からアンケートで募集した「ツツジ」を選定し,市議会の総務調査会がその旨を承認して決定した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調 ...

とよはししこうかいどう  「豊橋市公会堂」鉄筋コンクリート造り3階建て,建築面積1202㎡(豊橋市八町通二丁目)は,平成10(1998)年9月2日,国の文化財登録原簿に登録された。 「豊橋市公会堂」の建設の経緯は,大正11(1922)年豊橋市議会で,八町高等小学校跡地(吉田 ...

でんかそうぎ  電価争議は,大正9~10(1920~21)年の第1次電価争議と昭和5~6(1930~31)年の第2次電価争議の2回あった。第1次電価争議は,豊橋電気株式会社の合併問題が発端となった。大正9(1920)年12月,豊橋電気株式会社は,名古屋電燈株式会社との合併を決め,合併 ...

だい15しだんゆうち  第15師団の誘致は,明治40(1907)年3月に持ち上がった。市制施行直後の豊橋市の将来発展策を模索している時であり,大きな期待が寄せられた。陸軍省は,日露戦争(1904~05)後,4個師団を増設すると発表した。そのうち1個師団は東海道筋に設置すると ...

すいどう  豊橋市水道は,大正15(1926)年6月,豊橋市議会が水道敷設計画を可決,昭和2(1927)年7月着工した。八名郡下川(しもかわ)村大字西下条(げじょう)字三ノ下(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底から集水,同村牛川字小鷹野(おだかの)(豊橋市東小鷹野二 ...

しぜんしはくぶつかん  豊橋市自然史博物館は,昭和57(1982)年,青木茂豊橋市長がアメリカデンバー自然史博物館から,恐竜アナトサウルスの実物化石を購入しようと考えたことに始まる。昭和58(1983)年,豊橋市議会は市制80周年記念事業として,恐竜化石を主体とした博物 ...

あいしけんしょう  愛市憲章は,昭和37(1962)年,豊橋市校区社会教育委員会の間から起こった「まちづくりの規範」を制定しようという声に端を発して制定された。昭和37(1962)年11月21日,愛市憲章制定準備委員会が発足し,翌38(63)年3月19日,豊橋市議会へ「市民愛市 ...

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