愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:豊橋市議

わで・とくいち(1922~2005)  和出徳一は,大正11(1922)年5月30日,北設楽郡本郷町(北設楽郡東栄町本郷)で,和出栄太郎の長男として生まれたが,昭和2(1927)年,5歳の時,父が死去して,母子3人で豊橋に移り住んだ。昭和16(1941)年,豊橋第二中学校を卒業し,南満 ...

よこた・ぜんじゅうろう(?~1922)  横田善十郎は,豊橋本町の菓子司,横田屋甘露軒,横田三嶺の2男として生まれた。全国菓子連合会本部総代の時,菓子業者は砂糖の輸入税と菓子の卸売税との二重課税であったのを不合理として,東奔西走し,明治18(1885)年から同29(96 ...

やまもと・しょうじ(1871頃~1931)  山本松二は,豊橋上伝馬町に生まれた。若いころより,書画骨董に親しみ「天籟園」という名の表具屋を営んでいた。政治に関心を持ちはじめ,大正元(1912)年,市会議員に当選した。 大正初期の豊橋の政界は同志派と実業派が市政を2分 ...

みやけ・とし(1888~1966)  三宅敏は,明治21(1888)年3月30日,岡山県児島郡大崎村(玉野市八浜町大崎)で,三宅藤四郎の長男として生まれた。東京帝国大学医科大学医学科を卒業し,大正3(1914)年,伝染病院研究所技師を経て,大正5(1916)年,愛知県渥美郡田原病院 ...

まるち・こうのすけ(1886~1972)  丸地幸之助は,明治19(1886)年12月8日,渥美郡東田村(豊橋市東田(あずまだ)町)西郷に生まれた。古城と号した。大正3(1914)年から同10(21)年,名古屋新聞豊橋支局長を務め,同13(24)年,豊橋市会議員に当選した。昭和4(1929) ...

ふない・けんいち(1900~85)  船井健一は,明治33(1900)年8月25日,渥美郡大崎村(豊橋市船渡町)の船井七蔵の5男に生まれた。大崎尋常小学校を卒業し,海苔の養殖とアサリの採取を業とした。昭和16(1941)年から,大崎漁業協同組合理事長,同28(53)年から同30(55) ...

ふくたに・もとじ(1860~1943)  福谷元次は,安政7(1860)年2月18日,宝飯郡柴屋村(豊橋市大村町)の林勝蔵の2男に生まれた。明治15(1882)年,豊橋札木町の旅籠(はたご)丁字屋,福谷藤十郎の養嗣子となった。明治22(1889)年,豊橋町会議員,同34(1901)年,豊橋町 ...

はらだ・せんじろう(1898~1959)  原田仙二郎は,明治31(1898)年5月15日,北設楽郡御殿村月(北設楽郡東栄町月)の原田為五郎の2男として生まれた。早稲田大学を卒業し,大正10(1921)年,豊川鉄道に入社し,豊川鉄道の取締役支配人,鳳来寺鉄道・田口鉄道などの取締役 ...

はやし・しなじ(1890~1962)  林品次は,明治23(1890)年3月17日に渥美郡若戸村越戸(田原市)の網元・13代林七左衛門の2男として生まれた。明治42(1909)年,東京の私立高橋簿記学院で学んだ複式簿記で豊橋の繭問屋松本商店や豊橋倉庫,砂糖問屋福谷商店を近代的経営に ...

はが・やすじ(1857~1934)  芳賀保治は,安政4(1857)年1月12日,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂大西町)の5代芳賀清治郎憲祥の長男として生まれた。明治13(1880)年明治新田干拓の発起人に名をつらねているが,公職についたのは,同19(86)年牟呂村外2か村役場書記に挙げ ...

にほんしゃかいとうとよはししぶ50ねんのきろく  「日本社会党豊橋支部50年の記録」(金田長市 平成11年)は,昭和20(1945)年11月の日本社会党豊橋支部の結成から,平成8(1996)年12月に解散するまでを,資料をもとに記述したものである。支部結成の過程や解散の経過, ...

とうかいあさひしんぶん  「東海朝日新聞」は,豊橋で最初に発刊された夕刊新聞である。大正15(1926)年10月1日の第1276号に「呱々(ここ)の声をあげて四年」の見出しがあることから,創刊は大正11(1922)年ごろとされる。豊橋市会議員をしたこともある岡田実が個人経営と ...

すずき・ごろく(1882~1932)  鈴木五六は,明治15(1882)年11月27日,渥美郡赤羽根村(田原市赤羽根町)に鈴木玉吉の長男として生まれた。東京中学校,日本法律学校に進学し,明治35(1902)年検判事試験に合格し,検事となったが,在職1週間で辞職して帰郷,豊橋で弁護 ...

こんどう・じゅいちろう(1870~1960)  近藤寿市郎は,明治3(1870)年4月15日,渥美郡高松村(田原市高松町)に生まれた。豊橋市会議員・愛知県会議員・衆議院議員・豊橋市長を歴任した。大正10(1921)年東南アジアを視察し,インドネシアの灌漑(かんがい)用水に着目して ...

くまだ・かへい(1889~1971)  熊田嘉平は,明治22(1889)年5月10日,渥美郡八王子村(渥美町八王子)に大久保猶吉の子として生まれた。鳥羽市出身の熊田家を継いだ。東京農業大学専門部を卒業した。その後,大正4(1915)年豊橋市花田町大塚に肥料・飼料・油脂製造業の会 ...

きわだ・きろく(1901~18)  木和田喜六は,明治34(1901)年3月1日,八名郡石巻村多米(ため)(豊橋市多米町)の木和田三作の2男に生まれた。大正7(1918)年6月9日,豊橋駅構内踏切で人命救助で殉職した。多米赤岩寺に「故鉄道院豊橋駅員木和田喜六之碑」が建立された。 ...

かわい・ろくろう(1902~76)  河合陸郎は,明治35(1902)年3月1日,渥美郡豊橋町(豊橋市飽海(あくみ)町)に白井又蔵の6男として生まれた。6歳の時,豊橋市札木町の叔母河合しげの養嗣子となった。大正5(1916)年八町高等小学校を卒業し,大阪で働き,YMCA夜間英語学校 ...

かわい・とくじろう(1898~1964)  河合徳次郎は,明治31(1898)年12月11日,豊橋清水町(豊橋市魚町)で河合金作の3男として生まれた。小学校を卒業後,講道館の三船久蔵について柔道を学んだ。大正9(1920)年整骨療院を開業,同15(26)年から豊橋商業学校・豊橋第二中 ...

かとう・ろくぞう(まさお)(1891~1969)  加藤六蔵正雄は,明治24(1891)年12月10日,宝飯郡前芝村の加藤六蔵尚正の長男として生まれた。幼名を正雄といった。慶応義塾大学予科を中退した。大正6(1917)年前芝村会議員,同8(19)年前芝村長,翌9(20)年愛知県会議員 ...

かたやま・おさむ(1900~70)  片山理は,明治33(1900)年2月2日,渥美郡神戸村(田原市)の三浦長の2男に生まれた。大正6(1917)年田原商工銀行,同9(20)年三河燃料株式会社に入社した。大正12(1923)年,豊橋市西八町の片山家の養嗣子となった。大正15(1926)年愛 ...

かきはら・はるじ(1917~2006)  柿原春次は,大正6(1917)年佐賀県に生まれた。明治大学法学部に進んだが兵役に服し,第2次世界大戦後復員して,豊橋市天伯原で開拓に従事する。昭和25(1950)年豊橋開拓農業協同組合長となり,翌26(51)年から豊橋市議会議員に連続6期 ...

おおばやし・うきち(1860~1933)  大林宇吉は,万延元(1860)年5月24日,渥美郡寺沢村(豊橋市寺沢町)の大林作之右衛門の長男に生まれた。明治15(1882)年朝倉仁右衛門が細谷製糸工場を設立すると,翌16(83)年株主として入社し,原料購入係に従事した。玉糸製糸に着 ...

いとう・よねさく(1852頃~1910)  伊東米作は,吉田(豊橋)萱町の人で,明治22(1889)年豊橋町制施行にあたって町会議員に当選した。市制施行問題に関して町政刷新委員に任命された。明治39(1906)年市会議員に当選した。この間,明治25(1892)年豊橋銀行設立発起人, ...

あまの・みちはる(1906~80)  天野道治は,明治39(1906)年12月17日,海部郡美和村の林徳次郎の2男として生まれ,天野家を継いだ。昭和6(1931)年,豊橋大衆新聞社に入社した。その後,昭和17(1942)年豊川映画劇場支配人になり,興行界に入った。昭和23(1948)年より ...

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