愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:豊川

かねがふち  昔,石巻山のある寺に,大変美男の青年僧がいた。豊川(とよがわ)の近くのさる大家の姫君が,この僧に恋をし,会ってほしいといい寄った。困り果てた僧は一計をめぐらし,「大雨の降る日に三明寺(豊川市馬場町)の釣り鐘を外し,引っ張って来たら会う」といった ...

かに  カニは,甲殻類十脚目の節足動物で,多くの種類があり,三河湾の干潟では,チゴガニ,コメツキガニ,イソガニ,ケフサイソガニ,ヒライソガニ,ヤマトオサガニなどいろいろな小型のカニが見られ,それぞれのカニは生息する場所が少しずつ違っている。 チゴガニは,河 ...

かとうしんでん  加藤新田は,元禄9(1696)年,吉田(豊橋)船町の加藤平四郎が,豊川(とよがわ)河口に開発したことによってできた。しかし,宝永3(1706)年,前芝村の加藤長左衛門に譲渡された。渥美郡加藤新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分79石 ...

かたみのすずき  昔,吉田(豊橋)の里に漁師が住んでいた。男は毎日,豊川(とよがわ)に漁に出ていた。ある時,7日以上も何も釣れぬ日が続いた。そんな9日目のこと,それは大きな鱸(すずき)を釣り上げた。男は,吉田の殿様は,鱸の刺し身が大好きだと聞き,喜んで魚を殿様に ...

かし  慶長5(1600)年関ヶ原の合戦に協力した船町(豊橋市船町)に船役が課され,豊川(とよがわ)の河口に,吉田湊(みなと)が開かれた。豊川の上流からの鵜飼舟,伊勢参宮渡船の道者舟,江戸廻船,伊勢尾張通船などでにぎわった。船町の榎河岸,田町(豊橋市湊町)の神明河 ...

えのき  エノキ(ニレ科)は,落葉高木である。葉は柄があり,5~6㎝の大きさで,その先半分には縁に鋸(のこぎり)状の切れ込みが見られる。葉脈は3本がよく目立ち,表面はざらつく。幹は灰黒色で,表面にはぼつぼつがあり,滑らかさに欠ける。果実は秋に橙(だいだい)色に熟 ...

えがわ  江川は,かつては豊橋市瓜郷町から流れ出て豊橋市前芝町で豊川(とよがわ)と合流して三河湾に注いでいた。しかし,豊川放水路の開鑿によって下流部は消滅した。現在の江川は,上流部で江川(普通河川延長2140m)に南江川(普通河川延長680m)を合流して豊橋市横須賀 ...

えいしょうじ  馬頭山栄昌寺(浄土宗)の創立は,天正8(1580)年であり,開山は理誉意円上人,本尊は阿弥陀如来像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に三相村「浄土宗千仏山栄昌寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿三間・五間,右寺内観音堂弐間四方」とある。山号千 ...

うりごういせき  「瓜郷遺跡」1万3688㎡(豊橋市瓜郷町寄道・前川)は,昭和28(1953)年11月14日,国の史跡に指定された。 「瓜郷遺跡」は,豊川(とよがわ)沖積地の標高2~3mの自然堤防上に立地する弥生時代中期から古墳時代前期(2000~1700年前)にかけての集落遺跡で ...

うしかわのわたし  牛川の渡しは,豊橋市牛川町洗島と同大村町高山を結ぶ豊川(とよがわ)の渡船で,豊橋市道の一部である。渡船料は無料である。始まりは,平安末期のころと考えられるが,詳細は不明である。明治末期に,八名(やな)郡下川村(豊橋市牛川町)の村営となり,昭 ...

いまはしちょう  今橋とは,牧野古白が,永正2(1505)年,豊川(とよがわ)と朝倉川の合流点の河岸段丘上に築いた城名である。今橋城は,大永2(1522)年,吉田(豊橋)城と改められたという。昭和38(1963)年1月1日,豊橋市中八町・東八町のうち旧吉田城(旧陸軍歩兵第18聯 ...

いまはし  豊川(とよがわ)は飽海(あくみ)川と呼ばれ,承和2(835)年の太政官符では飽海の渡しと呼ばれた。貞応3(1224)年ごろ,ここに架橋された橋を今橋と称したとされる。地名は飽海で,橋名は今橋であった。永正2(1505)年,牧野古白が飽海と狸塚(まみづか)(馬見塚) ...

いぬいのけやき  「乾の﨔」樹木を中心として30坪(豊橋市吉田城址内)は,昭和30(1955)年7月1日,愛知県天然記念物に指定されたが,同33(58)年8月2日,指定を解除された。 吉田城址二の丸乾の土塁外側の豊川(とよがわ)沿いにあって,目通り2丈4尺余で,樹齢600年の大 ...

いちきしまひめしゃ  八名郡天王村(豊橋市下条西町[天王])の市杵島姫社の縁起によると,「その昔,百姓の老人が山から薪(たきぎ)をとっての帰り,豊川(とよがわ)の鐘ヶ淵で休んでいる時,天女が現れて,この河は氾濫(はんらん)するので西方の葦の茂った所へ連れていって ...

いちきしまじんじゃこふん  市杵島神社古墳は,標高2~3mの低位な段丘の先端部に位置する古墳である。墳丘上には,市杵島神社が建っている。昭和60(1985)年に,豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,古墳は全長60m前後,後方部一辺32m,同高さ5m,前方 ...

いせわんたいふう  伊勢湾台風(台風15号)は,昭和34(1959)年9月26日18時過ぎに東海地方に来襲した。名古屋地方を中心に愛知県下で,死者3168人,行方不明92人,湛水(たんすい)2か月に及ぶ被害をもたらした。 豊橋市では,死者8人・重傷者14人・軽傷者108人,住宅の全壊 ...

いしばいやま  石灰山は,豊橋市牛川町乗小路の牛川鉱山が石灰岩を採掘した山で,山肌が削り取られて白く見えていた。この石灰山は,文政年間(1820年代)に発見され,牛川村(豊橋市牛川町)出身の後藤庄五郎が豊川(とよがわ)べりに窯を築き,藩の事業として石灰焼を始めた ...

いかるちどり  イカルチドリ(チドリ科)は,中型のチドリの仲間で,一般には,多くのチドリは干潟に生息するものが多い中,「川千鳥」という感じがする。河口近くにはいなく,河川の中流域から上流域に多く,繁殖期には砂礫地(されきち)に縄張りをもって営巣する。 豊橋市 ...

あつみはんとう  渥美半島は,豊橋市の南部から西の方向へ約40㎞延びて伊良湖岬に至っている。半島の骨格は,中央構造線と平行に東西方向に走る中古生層の岩塊で,南側(太平洋側)が隆起し,北側(三河湾側)にゆるく傾斜している。そのため,太平洋岸は標高約60mの海食崖 ...

あつみぐん  渥美郡は,「和名類聚鈔」の三河8郡の一つで,「渥美 阿豆美」と表記され,幡太・和太・渥美・高蘆(たかし)・磯部・大壁の6郷を記す。しかし,この6郷の位置については諸説がある。東は,遠江(とおとうみ)国浜名郡(敷地(ふち)郡)と弓張山脈で境し,北は,八 ...

あさり  アサリは,沖縄地方を除く日本全国に分布する二枚貝で,水深の浅い砂泥の海底に生息している。卵から孵化(ふか)すると10日間程度海中をただよっているが,0.25㎜ぐらいの大きさになると泳ぐのを止め,しばらく海底の砂や小石に付いて生活し,大きくなるに従って砂に ...

あさくらがわ  朝倉川は,豊川(とよがわ)水系に属する一級河川(県管理)で,豊橋市多米(ため)町の「多米の滝」を源流域とし,上流部は「蝉川」と呼ばれている。朝倉川・蝉川ともに名称の由来ははっきりしないが,朝倉川は戦国時代の今川17騎の内の朝倉氏が多米村の出自で, ...

あさい・よじえもん(?~1640)  浅井与次右衛門は,戦国時代の北近江の戦国大名である浅井長政の重臣であった。天正元(1573)年8月,織田信長は浅井の小谷(おだに)城を滅亡させた。小谷城落城後,浅井与次右衛門は一族郎党83人を引きつれ,吉田(豊橋)の四ッ谷(船町) ...

あくみむら  飽海の地名は,飽海河の渡しとして「類聚三代格」(承和2年)太政官符に現われる。「和名類聚鈔」(承平年間)の渥美郡6郷中の渥美であるとの説もある。しかし,伊勢神宮領の「本神戸廿戸号渥美神戸,新神戸十戸号飽海神戸,新加神戸十戸」の記述などから,渥美 ...

あくみのわたし  豊川(とよがわ)の河口は飽海河の渡しとして,極めて早い時代から渡船が設けられていた。交通量の増加によって,渡船が増加された。承和2(835)年の太政官府に「三河国飽海矢作雨河各四艘(そう),元各二艘,今加各二艘」とある。そのころ,現在の豊橋は飽海 ...

あおたけしんでん  青竹新田は,明和7(1770)年,豊川(とよがわ)河口左岸に前芝村青木九郎治・吉田(豊橋)呉服町大嶽七右衛門が開発した新田である。新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分248石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数10 ...

あおきしんでん  青木新田の地名は,開発者・前芝村青木九郎治に由来する。元禄6(1693)年以前,豊川(とよがわ)河口右岸に新田が開発された。新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分118石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)では家数25,人数103であ ...

あおき・くろうじ(?~1782)  青木九郎治は,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の人で,元禄6(1693)年以前,豊川(とよがわ)河口に青木新田118石余を開発した。明和7(1770)年には,吉田(豊橋)呉服町の大嶽七右衛門とともに渥美郡青竹新田248石を開発した。天明2(1782) ...

あいちけんどう496ごう  愛知県道496号(豊橋白鳥線)は,江戸時代の東海道で,昭和37(1962)年5月,豊橋市八町通二丁目・豊川市白鳥町間の国道1号が開通するまでの国道1号であった。昭和40(1965)年11月29日,豊橋市大橋通三丁目(国道23号)・豊川市白鳥町(国道1号 ...

あいだがわ  間川は,豊川(とよがわ)水系に属する一級河川で,豊橋市石巻萩平町と新城市富岡の大原地区が接する吉祥山の南麓から流れ出し,途中で割田川(延長1190m),吉祥川(延長1930m),安川(延長4550m),郷道川(延長3150m)などと合流し,豊橋市石巻西川町・賀茂町 ...

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