だいだらぼっちのあしあと 石巻山の山頂へ向かう途中,だいだらぼっちの足跡とか,山姥(やまんば)の足跡と呼ばれているまん中が凹(へこ)んだ大きな岩がある。大昔,だいだらぼっちが石巻山に登る途中で小便がしたくなり,石巻山に片足を踏ん張り,もう片足を本宮山にかけて ...
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綜合郷土研究所(愛知大学) とは(豊橋百科事典より)
そうごうきょうどけんきゅうじょ 愛知大学総合郷土研究所は,昭和26(1951)年6月,旧豊橋陸軍第一予備士官学校の将校集会所の建物内に設立された。東海5県の資料・史料の所蔵が多く,機関誌「綜合郷土研究所紀要」は48輯刊行,資料叢書「三州渥美郡馬見塚村渡辺文書」など ...
製材 とは(豊橋百科事典より)
せいざい 製材は,伐採した杉や桧などの原木を,角材や板などに加工することである。豊橋の製材業は,その背後に豊川(とよがわ)・矢作(やはぎ)川・天竜川水系の豊かな山林地帯をもっているため,古くから盛んであった。とりわけ豊川は,鉄道やトラック輸送の前は,その流れ ...
スズキ とは(豊橋百科事典より)
すずき スズキ(スズキ科)は海水魚で,沿岸の岩礁(がんしょう)地帯や内湾の砂底の海域に生息し,甲殻類や魚類を好んで食べる。若魚は体の背部と背びれに小さな黒い点が見られるが,成長するに従って消える。若魚は夏季に川をのぼる。3年から4年で体長60㎝ほどに成長し,成 ...
水道 とは(豊橋百科事典より)
すいどう 豊橋市水道は,大正15(1926)年6月,豊橋市議会が水道敷設計画を可決,昭和2(1927)年7月着工した。八名郡下川(しもかわ)村大字西下条(げじょう)字三ノ下(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底から集水,同村牛川字小鷹野(おだかの)(豊橋市東小鷹野二 ...
水洗便所 とは(豊橋百科事典より)
すいせんべんじょ 豊橋市は,昭和5(1930)年に当時の戸数1万8312戸中3800戸,同5(30)年末には5036戸に水道を取り付けている。平成14(2002)年度末の給水栓数は14万2794(戸数12万8839)である。下水道は,昭和10(1935)年に野田汚水処分場が築造され,市内中心部の家 ...
水位観測所(豊橋市湊町) とは(豊橋百科事典より)
すいいかんそくじょ 豊橋水位観測所は,大正9(1920)年,愛知県により豊橋市湊町豊川(とよがわ)本流堤防上に水防警報の基準点水位観測所として設置された。河口より5.6㎞地点に位置し,零点高1.3m,警戒水位3.5m,計画高水位6.16mで,この水位高で豊川水防警報の発表が出 ...
神明社(豊橋市川崎町) とは(豊橋百科事典より)
しんめいしゃ(かわさき) (川崎)神明社は,応仁元(1467)年の創建という。古い棟札に,寛永18(1641)年中林太良兵衛とある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「川崎,神明,祢宜七郎右衛門」「川崎村,大明神,無社森有,祢宜平太郎弥よ・村中支配」, ...
シロダモ とは(豊橋百科事典より)
しろだも シロダモ(クスノキ科)は,常緑高木である。暖地性の樹木で,10m程度まで生長する。葉は薄く,大きさは10㎝を超える。葉脈がはっきりし,表面には光沢があり,裏は粉を吹いたような白さがある。葉をもむと少し樟脳(しょうのう)の香りが感じられる。春の芽が伸び ...
シラウオ とは(豊橋百科事典より)
しらうお シラウオ(サケ目シラウオ科)は体長約10㎝,細長く半透明の魚である。内湾性の海水魚であるが,1年で成熟し,川をさかのぼって産卵する。日本全土に分布する。幼魚期の姿のまま親になるので幼形成熟といわれる。シロウオ(ハゼ科)とは,外観や習性も似るが別の ...
しょうぶ街道 とは(豊橋百科事典より)
しょうぶかいどう しょうぶ街道は,豊橋市が平成2(1990)年に道路愛称として公募して認定した道路である。豊橋鳳来線(愛知県道69号)の一部区間で,豊橋市石巻本町の国道362号(姫街道)から豊橋市賀茂町の宝飯郡一宮町との市町境界までの延長3.3㎞の道路である。なお, ...
少年勤労会 とは(豊橋百科事典より)
しょうねんきんろうかい 豊橋少年勤労会は,昭和7(1932)年勤労少年を援助するために設立された社会事業団体であった。勤労会は,不況にあえぐ貧しい家庭の少年(小学校尋常科5・6年生と高等科の1・2年生)を学校長の推薦で入会させた。 少年たちは,学校の授業が終わる ...
浄水場(豊橋市東小鷹野(おだかの)二丁目) とは(豊橋百科事典より)
じょうすいじょう 小鷹野浄水場は,昭和5(1930)年3月,豊橋市の上水道事業として建設された。八名郡下川(しもかわ)村西下条(げじょう)地先(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底の伏流水を水源として,同村牛川字小鷹野(豊橋市東小鷹野二丁目)に浄水場を,八名 ...
下豊川漁業協同組合 とは(豊橋百科事典より)
しもとよがわぎょぎょうきょうどうくみあい 下豊川漁業協同組合は,昭和25(1950)年1月25日に,組合員の出資金(1口200円)によって設立された。平成16(2004)年度の組合員数は,正組合員115,準組合員165である。漁協の漁業権・漁業水域は,豊橋市賀茂町と豊川市三上町 ...
下地駅(豊橋市横須賀町横須賀) とは(豊橋百科事典より)
しもじえき 飯田線下地駅は,大正14(1925)年12月23日に,豊川鉄道の豊橋~小坂井間の宝飯郡下地町(豊橋市横須賀町 豊橋起点2.2㎞)に開業した。昭和18(1943)年8月1日に,豊川鉄道ほか3社は国鉄飯田線となり,飯田線下地駅となる。昭和49(1974)年2月19日に,豊川(と ...
シジミ とは(豊橋百科事典より)
しじみ シジミは,シジミガイ科の二枚貝の総称で,淡水・汽水域(きすいいき)に生息する。大きさはアサリよりも小さく,貝殻の外側が暗褐色で内側は薄紫色をしている。シジミの仲間には琵琶湖にいるセタシジミのほかにマシジミとヤマトシジミが知られている。そのうち豊橋に ...
志香須賀の渡し とは(豊橋百科事典より)
しかすがのわたし 志香須賀の渡しは,承和2(835)年の太政官符に飽海(あくみ)川の渡しとあったところで,豊川(とよがわ)の渡しである。東海道の要衝にあたり,古来知られていたが,特に名高くなったのは,天暦8(954)年,村上天皇が皇太后藤原隠子の70の賀のために,内裏 ...
「三州吉田船町史稿」(佐藤又八) とは(豊橋百科事典より)
さんしゅうよしだふなまちしこう 「三州吉田船町史稿」(佐藤公彦・佐藤利恭 昭和46年)は,竜運寺(豊橋市船町)の宝蔵に収蔵されていた,江戸時代についての数千点におよぶ古文書(船町文庫)をもとに書かれたものである。編者である佐藤又八(閑翠)は郷土史家で船町文 ...
三州馬稼 とは(豊橋百科事典より)
さんしゅううまかせぎ 三州馬稼とは,江戸時代に三河国設楽郡津具・武節を中心とした村々が行った馬稼のことである。信州と三河両地方間の商人の荷物を運んだ。信州飯田地方からはたばこ・木地椀などを,三河吉田(豊橋)・新城・岡崎からは魚・塩・茶などを運んでいた。吉 ...
三遠南信地域連携センター(愛知大学) とは(豊橋百科事典より)
さんえんなんしんちいきれんけいせんたー 三遠南信地域連携センターは,平成16(2004)年10月,愛知大学豊橋校舎(豊橋市町畑町町畑)研究館内に開設された。このセンターは,天竜川水系と豊川(とよがわ)水系,秋葉街道によって古くから一つの文化・経済圏として築きあげら ...
酒井忠次 とは(豊橋百科事典より)
さかい・ただつぐ(1527~96) 酒井忠次は,大永7(1527)年,額田郡井田(岡崎市井田町)に,酒井忠親の子として生まれた。徳川家康が人質として駿府にあった時代には,酒井忠次は岡崎にあって,今川氏から派遣された城代のもとで城を守っていた。酒井忠次夫人は,徳川家 ...
近藤寿市郎 とは(豊橋百科事典より)
こんどう・じゅいちろう(1870~1960) 近藤寿市郎は,明治3(1870)年4月15日,渥美郡高松村(田原市高松町)に生まれた。豊橋市会議員・愛知県会議員・衆議院議員・豊橋市長を歴任した。大正10(1921)年東南アジアを視察し,インドネシアの灌漑(かんがい)用水に着目して ...
金色島(豊橋市下地町) とは(豊橋百科事典より)
こんじきじま 金色島は,豊橋公園対岸の豊川(とよがわ)河口から6.2㎞地点の右岸蛇行部内側に土砂が堆積して陸地状になった砂州で,島といっても陸続きである。この水域は,三河湾の潮の干満の影響を受けるので,砂州の面積は大きく変化する。金色島の中央部には雑木が繁茂 ...
小坂井大橋(豊川(とよがわ)放水路) とは(豊橋百科事典より)
こざかいおおはし 小坂井大橋は,国道1号(東京起点299.9㎞)が豊川(とよがわ)放水路の開鑿により,豊川放水路を横切るために架けられた橋である。豊橋市下五井町と宝飯郡小坂井町を結ぶ。昭和35(1960)年9月,橋長137.8m・幅員18.0mで完成した橋である。なお,豊川放水 ...
国道362号 とは(豊橋百科事典より)
こくどう362ごう 国道362号は,豊川市から静岡市に至る道路である。その一部区間(豊川市~静岡県引佐郡細江町)は,通称「姫街道」と呼ばれている。豊橋市区間では,大正9(1920)年,愛知・静岡県道豊川気賀線に認定され,昭和31(1956)年4月14日,愛知・静岡県道豊川二 ...
国道151号 とは(豊橋百科事典より)
こくどう151ごう 国道151号は,昭和28(1953)年5月18日に指定された豊橋市から豊橋豊川線(愛知県道400号)を経て,豊川市・新城市・長野県飯田市に至る道路であった。昭和52(1977)年2月28日,豊橋市から豊川市下長山町間が宝飯郡小坂井町(国道1号と重複指定)経由に ...
国道1号 とは(豊橋百科事典より)
こくどう1ごう 国道1号は,明治18(1885)年,国道2号(東京~大阪港)となった道路を大正9(1920)年4月1日,国道1号(東京~伊勢神宮)と改称した。昭和27(1952)年12月4日,東京から大阪までに変更された国道である。豊橋市の区間は,潮見バイパスの豊橋市東細谷町 ...
五貫森貝塚(豊橋市大村町五貫森) とは(豊橋百科事典より)
ごかんもりかいづか 五貫森貝塚は,豊橋市大村町五貫森に所在する縄文時代晩期の貝塚である。豊川(とよがわ)流域の自然堤防上(標高約2m)に形成され,A~Cの3か所の貝塚がある。明治大学により,昭和24(1949)年にA貝塚が,翌25(50)年にはB貝塚が発掘調査されている。 ...
工兵隊の歌 とは(豊橋百科事典より)
こうへいたいのうた 豊橋工兵隊の隊歌「鳶(とび)の誇り」に,一 流れも清き豊川(とよがわ)や 一望果てなき高師原 古き名に負う吉田こそ わが誇りなる豊橋の 土地高層の向山 見るも床しき鳶の色 いざや称えん我が兵科二 水濤(とう)とうの豊川や 濁流 ...
耕地整理 とは(豊橋百科事典より)
こうちせいり 神野新田二回地区約179haは,神野新田耕地整理の第1期事業として干拓による耕地整理を明治41(1908)年10月20日から始め,大正元(1912)年6月に完工した。引き続き第2期工事として,大正5(1816)年12月から神野新田耕地整理西部施行地区320haの整理が開始 ...
洪積台地 とは(豊橋百科事典より)
こうせきだいち 洪積台地は,更新世(約170万年前~1万年前)に形成された地層からなる台地である。一般的には沖積平野または海と山地との中間に分布する。豊橋では,豊川(とよがわ)左岸に河岸段丘として広く分布している。その下位段丘は豊橋段丘と称され,豊橋市街地の ...
下条橋(豊川(とよがわ)) とは(豊橋百科事典より)
げじょうばし 下条橋は,中条豊橋線(愛知県道394号)の豊橋市下条西町と豊川市行明町間の豊川に架けられた橋である。昭和53(1978)年4月12日竣工した。橋長は370.0m・幅員は12.0mである。なお,橋の開通により「天王(下条)・行明・暮川の渡し」は,廃止された。 - ...
クロダイ とは(豊橋百科事典より)
くろだい クロダイ(タイ科)は,海水魚で,全長は約45㎝である。沖縄地方を除く日本全域の内湾や沿岸の50m以浅の岩礁(がんしょう)域に生息し,若魚は河口部などの汽水域にも出現する。雑食性であり,小型のエビの仲間を好んで食べる。4~6月ごろに産卵し,稚魚は河口域や ...
空襲を語りつぐ会 とは(豊橋百科事典より)
くうしゅうをかたりつぐかい 豊橋空襲を語りつぐ会は,平成元(1989)年,戦争と空襲体験を語りつぐことで,ふたたび惨禍を繰り返さないという決意を込めて結成された。豊橋が空襲された6月20日には毎年,豊橋市湊町公園で豊橋空襲犠牲者を追悼し,「平和を誓うつどい」を ...
清須神明社(豊橋市清須町地形(じきょう)) とは(豊橋百科事典より)
きよすしんめいしゃ(きよす) 清須新田(豊橋市清須町)は,寛文(1661~73)のはじめ,尾張清洲の住人中西与右衛門が三河吉田(豊橋)に来て本陣役を務めており,豊川(とよがわ)河口右岸の土地を開発したものである。(清須)神明社は,寛文3(1663)年城内神明社を勧請 ...
清須新田 とは(豊橋百科事典より)
きよすしんでん 清須新田の地名は,開発者吉田(豊橋)札木町の中西与右衛門の出身地・尾張清洲に由来する。寛文3(1663)年,豊川(とよがわ)河口右岸に46町余の新田を開発した。清須新田の入植者は,中西与右衛門以下の14人と黒鍬38人であった。清須新田が開発されたこと ...
行明の渡し とは(豊橋百科事典より)
ぎょうめいのわたし 行明の渡しは,豊橋市下条西町と豊川市行明町を結ぶ豊川(とよがわ)の渡船である。始まりは,天文12(1543)年であるとされ,昭和53(1978)年4月に,中条豊橋線(愛知県道394号)の下条橋の完成で廃止された。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のこと ...
木下克巳 とは(豊橋百科事典より)
きのした・かつみ(1914~80) 木下克巳は,大正3(1914)年3月28日,八名郡石巻村玉川(豊橋市石巻本町市場)の近田玉吉の2男として生まれた。父・珠浪の影響を受け,豊橋中学校在学中より俳句に興味を持ち,市川丁子(ていし)・臼田亜浪(あろう)に師事した。昭和10(1935 ...
北島河川敷広場(豊橋市北島町北島) とは(豊橋百科事典より)
きたじまかせんじきひろば 北島河川敷広場は,豊川(とよがわ)左岸の豊橋市北島町に,平成9(1997)年3月31日に,開設された。面積4万1500㎡の都市緑地である。コンビネーション遊具が設置され,河川敷とともに利用されている。なお,近くの豊川右岸の豊橋市清須町に,平成7 ...
神田川 とは(豊橋百科事典より)
かんだがわ 神田川は,豊川(とよがわ)水系に属する一級河川(県管理)である。豊橋市嵩山(すせ)町にある蛇穴の下の追馬ケ池から流れ出す嵩山川(延長2000m)が長彦川(延長1600m)と合流して神田川となり,西流する。途中で矢田川(延長1870m)と合流し,さらに,三ツ口池 ...
かわっこ資料館(豊橋市北島町北島) とは(豊橋百科事典より)
かわっこしりょうかん 豊川KAWAKKO資料館(国土交通省豊橋河川事務所豊川出張所)は,平成10(1998)年7月,豊橋市北島町豊川(とよがわ)堤防上に開館した。鉄筋コンクリート2階建て,延べ床面積約400㎡。1階に豊川の治水,利水に関する展示,2階に豊川に生息する魚類の標 ...
川砂・砂利 とは(豊橋百科事典より)
かわすな・じゃり 川砂や砂利は,近代建築のコンクリートの材料として,欠かせない資材である。豊川(とよがわ)の上流域は,花崗(かこう)岩やチャート系の岩石が多いため,良質の砂や砂利が採取できる。したがって,豊川の岸辺にあたる豊橋市牛川町や豊橋市湊町の辺りには, ...
川崎町 とは(豊橋百科事典より)
かわさきちょう 川崎とは,川の前(さき)という意味である。豊橋市川崎町は,明治初年までは,馬見塚・吉川・三ツ相・野田とは地続きであった。「鹿菅村誌」によれば,川崎の村内小区画は,吉川川崎南・野田川崎北・馬見塚川崎南がある。現在でも豊橋市川崎町には,吉田方地 ...
カレイ とは(豊橋百科事典より)
かれい カレイは,カレイ科の海水魚の総称で,愛知県でよく獲れる食用のものは,イシガレイ,マコガレイ,メイタガレイである。釣りで釣れるのはイシガレイとマコガレイである。 マコガレイは,三河ではモガレイとも呼ばれ,水深100m以浅の砂泥底に生息し,ゴカイ類,二枚 ...
カルガモ とは(豊橋百科事典より)
かるがも カルガモ(カモ科)は,体長60㎝ほどの大型のカモであるが,漢字では「軽鴨」と書く。当て字は「夏留鴨」で,当て字の方が生態をよく表している。大部分のカモは,北の国で繁殖し,秋に渡って来るが,カルガモは夏も留っており,豊橋市内でも繁殖する。大部分のカ ...
茅野新田 とは(豊橋百科事典より)
かやのしんでん 茅野新田は,元禄10(1697)年,前芝村・梅薮村の村請負で豊川(とよがわ)河口左岸に開発され,宝暦元(1751)年,新田の修復をし,堤を築いた。渥美郡茅野新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分64石余とある。明治11(1878)年,青竹新田 ...
賀茂橋(豊川(とよがわ)) とは(豊橋百科事典より)
かもばし 賀茂橋は,石巻萩平豊川線(愛知県道499号)が豊川を横切るところに架けられた橋である。豊橋市賀茂町と豊川市向川原町間を結ぶ。昭和41(1966)年3月に完成,橋長332.2m・幅員6.0mである。なお橋の開通により,「賀茂の渡し」は廃止された。平成7(1995)年4月に ...
上渡津橋(豊川(とよがわ)) とは(豊橋百科事典より)
かみわたつばし 上渡津橋は,豊川の渡津橋の上流約600mに,豊橋環状線(愛知県道502号)が豊川を横切るところに架けられた橋である。豊橋市三ツ相町と川崎町間を結ぶ。平成9(1997)年に工事を開始し,同14(2002)年12月22日に,橋長305.8m・幅員14.5mで完成した。橋の両 ...
カマツカ とは(豊橋百科事典より)
かまつか カマツカ(コイ科)は,河川や池沼の砂底に生息している淡水魚で,成魚の体長は約25㎝である。頭部は吻部(ふんぶ)がやや長く,口は吻の下面に開き,左右一対の口ひげがあり,口の周囲は乳頭(にゅうとう)突起(とっき)で覆われ,味覚器を備えている。この特色をもつ ...
鎌倉街道 とは(豊橋百科事典より)
かまくらかいどう 鎌倉街道は,鎌倉幕府成立後,鎌倉を中心として放射状に整備された中世交通路のことである。東国を中心に整備された上・中・下の3道が主要なルートであったが,政治の2大中心地であった京・鎌倉を結ぶ中世東海道も鎌倉街道と呼ばれている。 鎌倉幕府は東 ...