愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:豊川鉄道

よしだえき  吉田駅は,明治30(1897)年7月15日に,豊川鉄道(飯田線)の吉田(豊橋)~豊川間の開通により豊橋駅を共同使用して開業,同32(99)年12月11日に豊橋駅より分離,吉田駅として単独開業した。大正9(1920)年12月に,三角形の屋根の鉄筋コンクリート2階建てに ...

よこやま・まごいちろう(1846~1911)  横山孫一郎は,弘化3(1846)年,茨城県の横山彦兵衛の長男として生まれる。翻訳局の始設に尽力する。また,大倉喜八郎と商社を興し,大倉組ロンドン支店を開設し,貿易事業に貢献した。帝国ホテル・国光生命・大日本ホテルなどの重 ...

ふなまちえき  飯田線船町駅は,昭和2(1927)年6月1日に,豊川鉄道の吉田(豊橋)~下地間の渥美郡牟呂吉田村東豊田(豊橋市北島町,豊橋起点1.5㎞)に新船町駅として開業した。昭和18(1943)年8月1日に,豊川鉄道他3社は国鉄飯田線となり,飯田線船町駅と改称し,同34(5 ...

ふなまちえき(かもつ)  飯田線船町駅(貨物)は,明治33(1900)年11月7日に,豊川鉄道の船町支線1.7㎞(豊橋市北島町)に,船町貨物仮停車場として開業,同37(04)年7月25日に,船町停車場として開業した。昭和18(1943)年8月1日に,豊川鉄道他3社は国鉄飯田線となり, ...

ふくせんかさあげ  明治21(1888)年9月1日,大府~浜松間が開業した東海道線(新橋~神戸間全通は明治22年7月1日)は,単線であった。明治36(1903)年7月6日,鷲津~豊橋間,同41(08)年6月6日,豊橋~御津間が複線化された。全線複線化したのは,大正2(1913)年8月1 ...

ひらやま・じんた(1840~1900)  平山甚太は,天保11(1840)年1月13日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の2男として生まれたが,吉田藩士平山清助の養嗣子となった。第八国立銀行を設立した中村道太の弟である。 明治3(1870)年,横浜ではじめて花火を打ち上げたといわれる ...

ひらいしんごうじょう  平井信号場は,昭和2(1927)年6月1日,愛知電気鉄道(名古屋鉄道)が豊川鉄道(飯田線)の吉田(豊橋)駅へ乗り入れたとき,豊橋起点3.9㎞地点から分岐する位置に設置された信号場である。愛知電気鉄道の上り線は豊川鉄道の下り線をオーバークロス ...

ひがしみかわとよはしちほうしゃかいうんどうぜんし  「東三河豊橋地方 社会運動前史」(尾原与吉 昭和41年)は,大正時代から第2次世界大戦終戦までの豊橋を中心とした東三河地方の労働者階級の闘争と弾圧の社会運動史である。 内容は第1項で,大正3(1914)年~昭和12 ...

はらだ・せんじろう(1898~1959)  原田仙二郎は,明治31(1898)年5月15日,北設楽郡御殿村月(北設楽郡東栄町月)の原田為五郎の2男として生まれた。早稲田大学を卒業し,大正10(1921)年,豊川鉄道に入社し,豊川鉄道の取締役支配人,鳳来寺鉄道・田口鉄道などの取締役 ...

にほんこくゆうてつどう100ねんし  「日本国有鉄道百年史」(交通協会 昭和44~49年)は,昭和47(1972)年日本国有鉄道が創業100年を迎える記念事業として企画された。大正10(1921)年,鉄道50周年に際して「日本鉄道史」が刊行されているが,その続編ではなく,新しく10 ...

にしかわ・よしじ(1855~1926)  西川由次は,安政2(1855)年1月20日,西川又次の2男として生まれた。自由党系の渥美郡会議員として,永野武三(渥美郡会議員),遊佐(ゆさ)発(ひらく)(愛知県会議員)・疋田又右衛門らと豊川鉄道を設立し,初代社長横山孫一郎のもとで, ...

なごやてつどうしゃし  「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社 昭和36年)は,名古屋鉄道の約70年の歴史を書いたものである。東三河関係については,明治29(1896)年,横山孫一郎(1846~1911)により設立された豊川鉄道株式会社と,大正11(1922)年,吉原祐太郎(1860 ...

なごやてつどう  昭和10(1935)年8月1日,愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併して,名古屋鉄道が成立した。愛知電気鉄道は,大正6(1917)年3月19日,有松線の神宮前~笠寺間が開通し,順次線路を延長して,同15(26)年4月1日,豊橋線東岡崎~伊奈信号所~小坂井間が開通し, ...

とよはしらいどうひょうき  「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...

とよはしのりあいじどうしゃ  豊橋乗合自動車株式会社は,昭和18(1943)年11月1日,陸上交通事業調整法によって,東三河地方の7社が合同して,資本金70万円で設立されたものである(三谷自動車は名鉄自動車に統合し,省営自動車は統合の対象とならなかった)。豊橋乗合自動 ...

とよはしぎんこう  豊橋銀行は,明治25(1892)年9月豊橋魚町に設立された。明治18(1885)年東本願寺系の豊橋真利宝会が豊橋本町に資本金5万円で開業したものが発展的に解散して豊橋銀行となったものである。初代頭取は杉田権次郎であった。豊橋銀行は,明治29(1896)年に ...

とよはしきかんく  昭和18(1943)年8月1日,名古屋鉄道局静岡管理部豊橋機関区が開設された。昭和62(1987)年3月1日,豊橋電車区と改称し,翌63(88)年3月13日,豊橋運転区と改称した。平成元(1989)年3月11日,豊橋運転区と豊橋車掌区をあわせて豊橋運輸区とした。なお ...

とよはしえき  豊橋駅は,明治21(1888)年9月1日に,東海道線の浜松~大府間の開通に伴い,渥美郡花田村西宿(花田町西宿,東京起点293.6㎞)に開業した。なお,東海道線は,明治22(1889)年7月1日に,新橋~神戸間が全通した。 明治30(1897)年7月15日に,豊川鉄道の吉 ...

とよがわのてっきょう  豊川に明治21(1888)年,東海道線(単線)の鉄橋が架設され,同41(08)年,複線化(下り線架設)した。この間,豊川鉄道(飯田線下り線)の架設は,明治30(1897)年,資本金40万円を50万円に増資して,下地町起点を花田村(豊橋市花田町西宿)豊橋 ...

とよかわてつどう  明治29(1896)年1月24日,豊川鉄道株式会社に私設鉄道敷設免許状が下付され,同29(96)年2月1日,豊川鉄道株式会社創立,取締役社長横山孫一郎(1846~1911),同29(96)年,起点を下地から花田村に変更(資本金を50万円とする),豊橋停車場(明治32 ...

とよかわかいぐんこうしょうのばくげき  豊川海軍工廠は,昭和14(1939)年12月15日,宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがる姫街道の北側約300haの土地に設立された。機銃部で陸用・空用の機銃,火工部で弾丸を製造した。その後,光学部と指揮兵器部が増設された。付帯 ...

てつどうしょうか  明治33(1900)年5月,大和田建樹作詞・上真行と多梅稚(おおのうめわか)作曲の「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」という歌詞から始まる「鉄道唱歌」は,「地理教育唱歌」と名づけられて発売された。その30番が豊橋である。30番 豊橋おりて乗る汽 ...

せんろきょうよう  名古屋鉄道名古屋本線とJR東海の飯田線は,豊橋―平井分岐点(小坂井)間3.8㎞で線路を共用している。このような例は,全国的にも極めてまれである。これは名古屋鉄道の前身であった愛知電気鉄道が,昭和2(1927)年6月1日,豊橋に進出した際,単線で営業 ...

せいざい  製材は,伐採した杉や桧などの原木を,角材や板などに加工することである。豊橋の製材業は,その背後に豊川(とよがわ)・矢作(やはぎ)川・天竜川水系の豊かな山林地帯をもっているため,古くから盛んであった。とりわけ豊川は,鉄道やトラック輸送の前は,その流れ ...

しろかいづこせんきょう  豊橋駅構内西の羽田道は,明治21(1888)年開通した東海道線および明治30(1897)年開通の豊川鉄道(昭和18年飯田線となる),昭和2(1927)年開通の愛知電鉄(昭和10年名古屋鉄道と改称)の踏切があった。そこに大正12(1923)年,人道跨線橋が架 ...

しもじえき  飯田線下地駅は,大正14(1925)年12月23日に,豊川鉄道の豊橋~小坂井間の宝飯郡下地町(豊橋市横須賀町 豊橋起点2.2㎞)に開業した。昭和18(1943)年8月1日に,豊川鉄道ほか3社は国鉄飯田線となり,飯田線下地駅となる。昭和49(1974)年2月19日に,豊川(と ...

しせいしこうから100ねん  豊橋が全国62番目の市として市制を施行したのは明治39(1906)年8月1日である。明治21(1888)年,東海道線大府~浜松間の開通に伴い,豊橋駅が開業した。明治30(1897)年,豊川鉄道(飯田線),大正14(1925)年,渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線), ...

くらた・とうしろう(1869~1951)  倉田藤四郎は,明治2(1869)年,伊勢国一志郡雲出村(津市)に倉田重兵衛の4男として生まれた。新聞記者を経て,明治30年代には北越鉄道の会計課長として国営化の清算に才覚を発揮した。明治43(1910)年,豊川鉄道会長の末延道成(1855 ...

かもつせんようせん  豊橋駅では,旧豊川鉄道船町貨物線が第2次世界大戦中増強され,昭和41(1966)年10月1日,豊橋貨物コンテナ基地となった。この間,昭和29(1954)年,豊橋駅経由飯田線で送られる佐久間ダム工事用資材輸送のため,豊橋駅に貨物引込線11本が増設された ...

かじ・ちまと(1853頃~1929)  加治千万人は,吉田(豊橋)藩士の家に生まれた。明治10年代には,村雨案山子・西川由次などと自由党闘士として政治活動を行った。明治25(1892)年,豊橋銀行設立発起人・取締役に就任した。明治28(1895)年,豊橋町会議員に当選した。明治 ...

かいすいよくじょう  豊橋の海水浴場は,前芝・大崎・吉前(よしざき)などがあった。学校にプールのなかったころには,海水浴場はにぎわいを見せていた。前芝海水浴場は,大正から昭和初年にかけて豊川鉄道を利用して小坂井からのバスの便もあった。このころの利用者は,毎夏 ...

いいだせん1897~1997  「飯田線 1897~1997」(東海日日新聞社 平成9年)は,平成9(1997)年開業100周年を迎えたJR飯田線について,明治30(1897)年の豊川鉄道の開業以来100年の歴史と現況を57枚の写真などを入れて解説したものである。この間,明治42(1909)年に伊那 ...

いいだせん  飯田線は,昭和18(1943)年8月1日,東海道線豊橋駅と中央線辰野駅を結ぶ豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道が国鉄に買収されて国鉄飯田線(豊橋~辰野間192.1㎞,豊川~西豊川間2.4㎞)となった。豊川鉄道は,吉田~長篠間および豊川~西豊川間32. ...

あいかわ・きよなり(1872~1948)  藍川清成は,明治5(1872)年4月15日,岐阜県厚見郡小熊村(岐阜市)の弁護士藍川清通の長男として生まれた。東京帝国大学卒業後,名古屋で弁護士を開業し,名古屋電燈・伊藤銀行の顧問弁護士となり,名古屋弁護士会会長にも推された。愛 ...

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