豊橋市議の長坂です。本は読む時代から、出す時代ですね。さて、今日はは一部の全豊橋市民が待ち焦がれた「だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!」第2巻の発売日。豊橋市長坂なおと(豊橋だいすき ⋈ 市議)@naotoyo84だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!今回は発売 ...
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(トークショー追記)スラムダンク井上雄彦作品、豊橋に再び。本の豊川堂本店「本屋の2階」へ!
豊橋市議の長坂です。田臥勇太選手、五十嵐圭選手も松坂世代です。(お知らせ)1月20日(日)14時半~、活動報告会を開催します。"来てください!1月20日(日)豊橋だいすき活動報告会3 in 旧駅前文化ホール!"http://nagasakanaoto.blog.jp/181127.html(お知らせ ...
新しいイベントスペース「本屋の2階」が豊橋の豊川堂にできました。
豊橋市議の長坂です。豊川(とよがわ)に架かる豊橋(とよばし)が、豊橋(とよはし)の由来のようです。さて、遡ること1ヶ月ほど前の9月23日、豊橋に新しいイベントスペースができました。本の豊川堂@housendou_1874豊川堂本店の2階イベントホール「本屋の2階」が完成 ...
豊川堂(豊橋市呉服町) とは(豊橋百科事典より)
ほうせんどう 株式会社豊川堂の前身は,高須屋といい,天正年間(1573~92)から味噌製造業,呉服太物,質屋などの事業を代々営んできた。明治7(1874)年,10代高須又八郎(1831~1903)は,学制施行に伴い教科書の出版を手がけた。11代高須広治(1862~1903)は,高須屋 ...
「文化」(雑誌) とは(豊橋百科事典より)
ぶんか 「文化」は,第1次の豊橋文化協会が文化活動の啓発のために,豊橋市民を対象にして昭和9(1934)年10月に創刊し,翌10(35)年11月の第8号で終刊となった。編集委員として浅井秀雄ら28人が名を連ね,豊橋市旭町の豊橋文化協会を発行所とした。同所の岩瀬正雄が編集 ...
「東三河の廃仏毀釈」(鈴木源一郎) とは(豊橋百科事典より)
ひがしみかわのはいぶつきしゃく 「東三河の廃仏毀釈」(豊川堂 昭和52年)は,平田神道の思想伝達者で,羽田八幡宮・湊町神明社の神主である羽田野敬雄に焦点をあてて,東三河の廃仏運動が論じられている。その論述は,羽田野敬雄の「幕末三河国神主記録」(「万歳書留控 ...
高須広治 とは(豊橋百科事典より)
たかす・ひろじ(1862~1903) 高須広治は,文久2(1862)年4月3日,吉田(豊橋)呉服町に高須又八郎の子として生まれた。高須家は味噌醤油呉服などを販売していた。父・高須又八郎は,学制頒布を契機とし西洋文化の原動力である教育に着目し,書籍の販売および出版に乗り ...
「参陽新報」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
さんようしんぽう 参陽新報は,豊橋で最初に発刊された日刊新聞で,4ページだて。外国ニュース・国内政治・社会ニュース・汽車時刻表・諸相場・小説・文芸・広告などで紙面が構成されていた。発売当初の購読料は,1か月20銭であった。参陽新報の前身は,明治28(1895)年 ...
「参陽商工便覧」(川崎源太郎) とは(豊橋百科事典より)
さんようしょうこうびんらん 「参陽商工便覧」(竜泉堂 明治21年)は,商店や製造業者の紹介本である。7.7㎝×18.0㎝のポケットサイズで使用しやすく,文字どおり便覧である。 1ページに1店舗の絵で紹介されている。全188ページで豊橋,岡崎,西尾,刈谷など三河全域にわ ...
「清須新田開発始末記」(中西正) とは(豊橋百科事典より)
きよすしんでんかいはつしまつき 「清須新田開発始末記」(豊川堂 昭和51年)は,清須新田開発の契機,開発過程が如実に記載されている。なかでも中西秘録書は,新田経営法,家督・分家の関連,財産分与などについての家憲的指示書となっている。 吉田(豊橋)宿本陣の清 ...
「郷土文学読本」(豊橋高等女学校校友会編) とは(豊橋百科事典より)
きょうどぶんがくどくほん 「郷土文学読本」上・下巻(豊川堂 昭和11年)は,豊橋市立高等女学校校友会により高等女学校生の読本として編纂された書である。内容は奈良時代より昭和に至る当時の文化人約61人の著書,和歌,俳句,漢詩などの作品の中から,主に東三河に関す ...
「一隅」(雑誌) とは(豊橋百科事典より)
いちぐう 「一隅」は,大正3(1914)年1月1日鷹野弥三郎(名古屋新聞豊橋支局長)と妻の次子を中心にした一隅同人によって創刊された文芸同人誌である。翌大正4(1915)年9月の第10号の刊行まで継続した。発行所は鷹野の居住した豊橋市中八町,発売所は豊川堂(ほうせんど ...


