愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:観音

ちょうけいじ  布金山長慶寺(曹洞宗)の開基は,第83代土御門天皇(在位1198~1210)の皇子弘仁太子で,貞応元(1222)年杉山で亡くなったので,陵墓を守護するために開創されたと伝わる。六連(田原市)長仙寺末の真言宗ではなかったかとされる。その後,今川氏の代官杉浦 ...

ちょうおんじ  塩満山潮音寺(曹洞宗)の創立は明らかでないが,「塩満山潮音寺記」(天和2年)では「鎌倉時代には歴代の執権が寺領を寄せ,北条時頼のころは最も盛んな天台寺院であった。天文5(1536)年竜拈寺(りゅうねんじ)4世休屋宗官和尚が再興し,曹洞宗に改宗してそ ...

ちょうえいじ  天獏山長栄寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,行基(667~749)の足跡から見て和銅,天平(708~749)年代に駒形の地に一草庵として存在したと推測される。文治元(1185)年源平の乱に焼失した。その後,天正11(1583)年東観音寺4世玉岫和尚が本宮神社(豊橋市 ...

たかしむら  「和名類聚鈔」の渥美郡6郷中の高芦(たかし)(多加之)は,渥美郡高足村とされる。ただ,古代の高芦郷の地は梅田川下流域のみではなく,広く太平洋岸に至る地をも包含し,鎌倉時代以後多数の村が分立して今日に至っている。渥美郡高足村の村高は,「三河国村々 ...

たかしのしょうじ(12世紀頃)  文覚(俗名遠藤盛遠)が,高師原で追いはぎに遭ったという。この追いはぎが高足ノ庄司である。「三河雀」に「昔高足の庄司と云盗人,此山(窟堂観音)に住,高雄の文覚,兵衛(源頼朝)変をすすめ,白川ノ法皇の院宣を乞にのぼりし時,此所に ...

だいがんじいわやどうかんのんきょう・とうろう・えま  「大岩寺岩屋堂の観音経・灯籠及び絵馬」(大岩寺蔵)は,昭和32(1957)年9月19日豊橋市有形文化財に指定された。 岩屋堂(豊橋市大岩町)の「観音経」(普門品)1巻は,元禄14(1701)年に岡山藩主池田綱政が自ら筆 ...

だいがんじ  亀見山大岩寺(曹洞宗)は,もと岩屋山麓にあって,岩屋観音に奉仕した6坊中の1坊で,真言宗普門寺の末寺であった。他の5坊の衰退の後は,大岩寺だけが残って観音堂の奉仕管理を続けていた。正応元(1288)年,天正11(1583)年の2度にわたる住民の集団移転の度 ...

だいおうじ(こじま)  滝湘山大応寺(臨済宗妙心寺派)の創立は文禄4(1595)年,開山は東観音寺5世瑤林(ようりん)和尚と伝えられる。本尊は観世音菩薩坐像である。創立当初の経緯は不明であるが,密教寺院として海岸部に位置し荒廃していたのを,瑤林和尚が草庵を建て,山 ...

だいおうじ(くさま)  松岳山大応寺(曹洞宗)は,大雄院と称する真言寺院であったが,大永7(1527)年竜拈寺(りゅうねんじ)第3世仙桂宗休和尚が曹洞宗に改宗再興し,開山となった。本尊は地蔵菩薩坐像である。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,草間村「松岳山大 ...

だいえんじ  竜溪山大円寺(曹洞宗)の創立は,天文元(1532)年で,開山は如翁存貞和尚,開基は城下(豊橋市城下町)の旧家神藤源左衛門とされる。開山如翁は鎌倉建長寺系の僧とされ,当初は臨済宗であったが,竜門寺の白鳳紹天和尚の時,曹洞宗に改宗して末寺となった。は ...

だいうんじ  金福山大雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文保元(1317)年で,開山は桂昌寺(豊橋市老津町)2世少林快哉禅師と伝え,往古は臨済宗建長寺派であったが,天文年中(1532~55)に妙心寺派に改めた。創立以後,中興開山梅谷禅師を経て,徳川初期の快天悦公首座が ...

そうじゅうじ  潮響山宗住寺(曹洞宗)は,もと真言寺院であって,天正年間(1573~92)竜拈寺(りゅうねんじ)第6世雪雄宗継和尚が曹洞宗に改宗再興したと伝わる。第5代名室竜誉和尚は,延宝7(1679)年本堂を再建,また竜拈寺第16世鉄肝州舩和尚を開山に請した。「三州吉田 ...

そうえいじ  長楽山宗栄寺(臨済寺妙心寺派)の創立は,応安2(1369)年で,開山は蒲済和尚,開基は万江機和尚で,正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,長楽村「長楽山宗栄寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間半・四間,寺領壱石五斗,長楽 ...

ぜんぷくじ  竜香山全福寺(曹洞宗)は,もと六連(むつれ)(田原市)長仙寺末の真言寺院で,北方200mあまりの山麓にあったが,岡崎竜海院の開山模外惟俊和尚(?~1541)が,曹洞宗に改宗再興して末寺とした。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,杉山村「竜香山全福寺 ...

ぜしんけん・いちろ(1734頃~80)  是心軒一露は,下総国葛飾に生まれた。後年,江戸本所に住んだ。姓は溝口,名は定体,丹渓と号した。旗本の家系を弟に譲り,寛延(1748~1751)のころ京都に上り,東福寺沙門中流軒宣流に師事して鷲尾松月流派の華道を究めた。安永3(177 ...

せきがんじ  赤岩山赤岩寺(高野山真言宗)の創立は寺伝によると聖武天皇の勅願により神亀3(726)年行基菩薩が開創したとある。本尊は阿弥陀如来像で室町期の仏像である。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,多米村「真言宗,赤岩山法言寺,高野平等院末寺,法印, ...

せいりゅうじ  瑞雲山青竜寺(高野山真言宗)の創立は,元禄元(1688)年で,開山は正源院権大僧都願泉道本師(俗名,福井将監)である。陰陽師として吉田(豊橋)藩主の母公の病気平癒(へいゆ)を祈り,四神の内,東方すなわち青竜の方に向かって祈願し,所願成就して母公の ...

すざんじ  少林山嵩山寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,養老2(718)年とされる。寛文7(1667)年文律和尚が吉田(豊橋)奉行所へ宛てた書上(嵩山寺蔵)によると,開創以来600年余は不明なるも,寺伝によれば,建武元(1334)年夢窓国師が当地に来訪した際,現在地(豊橋市野 ...

すさのおしゃ(おがさと)  (大蚊里(おがさと))素盞嗚社は,享禄4(1531)年牛頭(ごず)天王を勧請して鎮守とした。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大蚊里村「牛頭天王,祢宜七太夫,右境内薬師堂」「正八幡宮,祢宜七太夫,観音堂」とある。明治5(1872)年素盞 ...

ずいりゅうじ  祥雲山瑞竜寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天正2(1574)年,開山は,空谷和尚(天正2年12月11日示寂(じじゃく))で,開基は五井村(豊橋市下条西町)の高柳孫兵衛である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,五井村「祥雲山瑞竜寺,嵩山正宗寺末寺,平 ...

すいげつじ  礎嶽山水月寺(曹洞宗)の開山は,伊奈(宝飯郡小坂井町)東漸寺第17世禅柱素石和尚( ~1760)で,水月庵として創立された。当時の詳細は不明である。明治初年(1870ごろ)廃寺となり,当時の堂守水月廓瑛尼が再興したが,明治20(1887)年水害によって流出し ...

しんぷくじ  瑞雲山真福寺(臨済宗妙心寺派)は,由来記によれば,開元王が虚舟(うつろぶね)に乗って漂着し,この地に堂宇(どうう)を建て,行基作の聖観音像を安置したものである。古くは,天台宗であったが,貞治3(1364)年大寂常照禅師が再興し,臨済宗に改めた。開山は ...

しょうみょうじ  石巻山照明寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,承安年間(1171~75)で,古来石巻神社の社僧であったのを了渓座元が再興改宗して,正宗寺末浄蔭派に属しながら社僧を兼ねた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,金田村「石巻山照明寺,嵩山正宗寺末寺, ...

しょうぼうじ  正法寺(臨済宗妙心寺派)の創立年代は不明である。東観音寺の塔頭(たっちゅう)の一つとして,総門右手に位置する。東観音寺6世仲山和尚の隠寮大安軒を改めて「正法院」と称し,同じく塔頭海福院(廃寺)の黙隠文守和尚を開山とした。本尊は薬師如来坐像であ ...

しょうかんのんぼさつりゅうぞう  「木造聖観音菩薩立像」1躯(く)(赤岩寺蔵)は,昭和32(1957)年9月19日,豊橋市有形文化財(彫刻)に指定された。 赤岩寺(豊橋市多米(ため)町)の「聖観音菩薩立像」は,木造漆(うるし)箔(はく),像高102.8㎝,頭部21㎝,肩幅30㎝,台 ...

しょううんじ(ひがしいわた)  如意山祥雲寺(曹洞宗)の創立は,寛永4(1627)年に開墾された田尻村に,庵真宅公座元が小庵を結んだのが始まりである。その後,寛永14(1637)年に公称寺院となった。全久院の隠居寺となり,全久院第24世郁応憲鳳和尚が開闢(かいびゃく)開 ...

しじあん・ほくらい(1725頃~98)  四時庵北莱は,安永4(1775)年,是心軒一露(1734頃~80)が西行の途次,吉田指笠町(豊橋市新本町)の観音寺に仮寓(かぐう)した時,松月堂古流の華道を伝授された。このとき,学ぶ者は四時庵北莱(観音寺住職懐顔)のほか,垂蔭亭青柯 ...

しうんじ  高足山紫雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文安5(1448)年で開山は不詳,明治3(1870)年の書上に「開山村中,行基勧請開山」とあるが,本寺東観音寺開山が行基であるため,後世創立の紫雲寺もこれにならって行基の名を付したものである。紫雲寺過去帳歴代住持の ...

さかつじ  西福山坂津寺(高野山真言宗)の創立は,寛弘2(1005)年,開山は祐深法印である。本尊は十一面観世音菩薩像である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牟呂村「真言宗,坂津山(ママ)西福寺,赤岩法言寺末寺,法印,客殿六間・四間,御朱印寺領五石目,右寺 ...

さいふくじ(まえしば)  蛤光山西福寺(浄土宗)の創立は,文明7(1475)年で,開山は光誉音周上人,開基は不明である。維新前までに度々津波の難に遭って,伝来の記録類は全部流失してしまった。西福寺の本尊阿弥陀如来立像は恵心僧都の作といわれる端麗な像である。脇侍 ...

こまつばらむら  小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年) ...

こはんぎ  「古版木」2面(東観音寺蔵)は,昭和62(1987)年3月20日,豊橋市有形文化財(歴史資料)に指定された。 東観音寺(豊橋市小松原町)の馬頭観音版木は,大永6(1526)年東観音寺本尊の馬頭観音を刻したものである。縦21㎝,幅12㎝で,銘文に「願主貞意大姉寄附 ...

こはまむら  渥美郡小浜村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に418石余,明治2(1869)年,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分529石余,万福寺領3石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数60,人数307であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6 ...

こくてつばす  国鉄浜名線は,昭和8(1933)年3月27日,豊橋~二川間6㎞の自動車による運輸営業を開始し,静岡運輸事務所二川自動車所(昭和11年9月1日二川自動車区と改称)が開設された。停車場は豊橋・公設市場前・豊橋瓦町・山中橋・飯村(いむれ)・岩屋観音・二川である ...

ごかんせいどうがぞう  「悟鑑西堂画像」1幅(東観音寺蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 東観音寺の悟鑑西堂画像は,麻地着色,掛幅,縦89㎝,横38㎝で,東観音寺が建長寺末であったころの住職悟鑑西堂の肖像である。作者は不明 ...

こうらくじ  竜心山江楽寺(曹洞宗)の創立は,永禄8(1565)年正月28日,開山は竜心順虎首座,開基は天王村(豊橋市下条西町)の郷士,村上三郎兵衛である。本尊は阿弥陀如来像,ほかに観音像を祀っている。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,天王村「禅宗,竜心山江 ...

こうふくじ(いしまきほんまち)  中尾山広福寺(臨済宗妙心寺派)は,承安4(1174)年に創立した。当初天台宗であったが,天正10年(1582)遠山祖芳和尚が再興し,臨済宗に改宗した。正宗寺2世蒲済和尚を勧請開山と仰ぎ,以来,正宗寺末浄蔭派に属した。 所在地ははじめ神 ...

こうとくいん  聖岳山光徳院(真言宗醍醐派)の現在地は,牛馬の屍(しかばね)を捨てた通称「馬捨場」と呼ばれたところで,馬頭観音石像が建てられていた。弘化2(1845)年堂宇(どうう)が設けられ,以来毎年二ノ午(うま)の供養を営むこととなった。昭和13(1938)年真言宗僧 ...

こうしょうじ  明祐山光勝寺(曹洞宗)の創立は,文明6(1474)年開山は豊川妙厳寺第2世雲嶽性慶和尚である。はじめは賀茂村定重(豊橋市賀茂町)にあったが,天正4(1576)年竹尾家の初代竹尾彦太夫茂久を光勝寺に葬って以来,竹尾家の香華地となり,竹尾家が賀茂村城屋敷 ...

こうこうえん  弘法大師堂向弘苑(高野山真言宗)は,明治28(1895)年豊橋町向山字一本松に,旧田原藩士族阿辺護岳が開山となり,守り本尊堂を建立した。本尊は石仏の弘法大師像である。明治38(1905)年本堂,観音堂を建立し,昭和初期には庫裏(くり)を建立した。昭和20( ...

くろだじょう  畔田城は,豊橋南部の梅田川流域で勢力を誇った畔田氏の本城である。赤沢城ともいう。築城時期,規模などは不明だが,東観音寺の古文書によれば寛正2(1461)年以前には畔田氏はこの地域にいたようである。 畔田城は昭和40(1965)年ごろまでは,海岸浸食な ...

くびきりじぞう  上伝馬(かみでんま)(豊橋市上伝馬町)に藤三郎という男が女房と二人の子どもと暮らしていた。ある時,火事により上の子と全家財を失ってしまった。その後,残った子供も病死した。女房は小池村(豊橋市小池町)の塩満観音(しおみちかんのん)(潮音寺)に子 ...

ぎょらんかんのん  赤沢(豊橋市東赤沢町)の海に夜な夜なおかしな光が浮かび,魚が獲れず,村人たちは困り果てていた。漁師で信仰深い久作は,光るものを取り除けば,平和な村が戻るのではないかと光に向かって網を投げた。すると金色に輝く観音様が網で引き上げられた。左 ...

ぎょくせんじ  南竜山玉泉寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山慈雲座元が嘉慶元(1387)年に没していることから,南北朝末期の創立と推察される。古来正宗寺末浄蔭派に属していたが,明治38(1905)年妙心寺の直末となった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...

ぎょくしゅうおしょうがぞう  「玉岫和尚画像」1幅(東観音寺蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 東観音寺(豊橋市小松原町)の「玉岫和尚画像」は,麻地着色,掛幅,縦91㎝,横44㎝で,永禄10(1567)年に東観音寺が妙心寺末にな ...

かんのんじのかんのんさま  元和8(1622)年の大津波の時,梅の木に本尊の観音様がお留まりになられているのを村人が見つけた。住職永宿和尚が上屋敷の了源寺を現在地に移転改築し,寺号も観音寺(豊橋市梅薮町)と改め,村名も梅の木にちなみ梅薮(うめやぶ)とした。その後 ...

かんのんじ(はいじ)  普門山観音寺(浄土寺)は,永正3(1506)年の創立で,開山は法順法師という。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,馬見塚(まみづか)村「浄土宗,指笠町,普門山観音寺,吉田悟真寺末寺,平僧,客殿四間半・四間,境内東西七間半・南北廿二間,右 ...

かんのんじ(うめやぶ)  高松山観音寺(曹洞宗)は,もと了源寺といい,天台寺院であったという。本尊聖観音菩薩像は,天平5(733)年小松原東観音寺の地を観相していた行基菩薩が,余暇に7体刻んで海に投じたうちの1体が漂着したもので,嘉慶3(1389)年まで存在していた ...

かんのんいん  宝樹山観音院(浄土宗西山禅林寺派)は,仁連木(にれんぎ)村(豊橋市東田(あずまだ)町)にあったが,元禄12(1699)年浄慈院3世覚元の弟子南嶽寂厳が開山となり,中世古に移築した。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,羽田村「猿屋町観音堂,四尺四方, ...

かんきじ  大慈山歓喜寺(曹洞宗)は,もと真言宗で,中世曹洞宗に改宗し,天正11(1583)年満光寺2世千巌舜鶴和尚により復興されて末寺となった。本尊は聖観世音菩薩立像である。 「津田村書上書」(明治21年)には「当寺は初め真言宗にて大悲山歓喜寺,境内千三百十坪本 ...

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