れんだこあげ 豊橋市立五並(いなみ)中学校(豊橋市細谷町北芋ヶ谷)では,毎年連凧揚げの行事を実施している。この恒例の行事は,「小さな学校の大きな夢―生涯に残る思い出づくり―」をテーマに昭和60(1985)年11月から実施している。毎年,五並中学校近くの表浜海岸で連 ...
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安海熊野社(豊橋市魚町) とは(豊橋百科事典より)
やすみくまのしゃ 安海熊野社は,保延2(1136)年,鳥羽上皇の命により,熊野から快円法印が下向して建立したと伝える。その後,紀伊の人・鈴木重胤(しげたね)が宝飯郡佐脇村(宝飯郡御津町)に上陸し,この地に住み熊野権現の神主となった。牧野古白は,明応4(1495)年社 ...
モチノキ とは(豊橋百科事典より)
もちのき モチノキ(モチノキ科)は,常緑高木で,表浜海岸沿いに見られ,ヒメユズリハ,ヤブツバキなどと海岸林を構成している。山の中に見られることもあり,10m近くまで生長する。葉はやや厚く有柄で,深緑色で表面には光沢があり,照葉樹である。葉の大きさは5㎝前後で ...
三河湾国定公園 とは(豊橋百科事典より)
みかわわんこくていこうえん 豊橋市や蒲郡市など三河湾周辺と渥美半島,知多半島の外側海岸部を区域として,昭和33(1958)年4月に指定された。指定面積は9443ha。景観的には湾内の10数の島々,宮路山・遠望峰(とぼね)山など湾を見渡せる山および伊良湖(いらご)岬などの海 ...
ミカワサビキコリ とは(豊橋百科事典より)
みかわさびきこり ミカワサビキコリ(コメツキムシ科)は,体長は20㎜前後であり,体色はほぼ黒色で,畑の周辺でよく見出されるサビキコリよりも細身形で小型である。豊橋市細谷町などの表浜海岸の流木の近くか,その周辺から見出された個体から記載された種で,岡崎市在住 ...
マサキ とは(豊橋百科事典より)
まさき マサキ(ニシキギ科)は,常緑低木である。原産地は日本から中国にかけての沿岸部である。潮風への耐性はかなり強く,風障樹形を見せながら生き抜いている木も多い。厳しい自然環境に耐える性質は,大気汚染や強剪定(きょうせんてい)に対する強さにつながる。そのた ...
前田伝次郎 とは(豊橋百科事典より)
まえだ・でんじろう(1832~99) 前田伝次郎は,天保3(1832)年5月2日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田喜代次郎の長男に生まれた。20歳ごろ,魚の仲買人として表浜の生魚を干し鰯,煮干しとして付近の山村に出荷した。慶応元(1865)年から明治4(1871)年に至る ...
富士見街道 とは(豊橋百科事典より)
ふじみかいどう 富士見街道は,豊橋市が平成2(1990)年に,道路愛称として公募して認定した道路である。この街道は,豊橋市植田町神戸坂の国道259号(田原街道)より同東赤沢町東横根の国道42号(表浜街道)までの東赤沢線(愛知県道409号)延長5.5㎞である。なお,「富士 ...
ヒメユズリハ とは(豊橋百科事典より)
ひめゆずりは ヒメユズリハ(トウダイグサ科)は,暖地性の常緑高木で10m程に生長する。葉は大きく,有柄で10㎝ほどの長さがあり,その形はユズリハに似るが,大きさではユズリハと比較してかなり小さいため,小さい意味のヒメをつけた名である。表面には光沢があり,照葉 ...
ハマヒルガオ とは(豊橋百科事典より)
はまひるがお ハマヒルガオ(ヒルガオ科)は,多年生草本で,海岸の砂浜に生える。葉は,3~4㎝で,その基部は切れ込んで全体ではハート形をしている。厚みがあり,水を蓄える構造をしている。花は5・6月で,地表面からつぼみを出し,日中に開く。直径5~6㎝の淡いピンク色 ...
ハマヒサカキ とは(豊橋百科事典より)
はまひさかき ハマヒサカキ(ツバキ科)は,常緑低木で,その名は海岸性のヒサカキの意味である。樹高は1~2mで,葉には光沢があり,中央がへこむ。葉は倒卵形で柄があり,枝に水平につく。花は白色の小さなもので,春先に枝の下に無数つける。花には都市ガス臭のような独 ...
ハマニガナ とは(豊橋百科事典より)
はまにがな ハマニガナ(キク科)は,多年生草本で,海岸の砂浜に生える。葉は厚手で5~6㎝の大きさがあり,切れ込みが深い。地下茎が長く伸び,それに沿って点々と葉が出る。花茎を地表上に出し,直径2㎝くらいの黄色の花をつける。砂の堆積した砂丘状の場所に生え,ほか ...
ハマエンドウ とは(豊橋百科事典より)
はまえんどう ハマエンドウ(マメ科)は,多年生草本である。草丈は30~40㎝であるが,茎の長さはこれ以上になる。エンドウに似ており,葉は小葉が集まった複葉で,その先端部は巻きひげになる。その小葉は2㎝前後で,やや厚く,白色を帯びた緑色をしている。花は5月に房状 ...
ハシボソミズナギドリ とは(豊橋百科事典より)
はしぼそみずなぎどり ハシボソミズナギドリ(ミズナギドリ科)は,タスマニアやオーストラリア南東部で繁殖し,春から夏に日本の近海を多数が通過する。そして,非繁殖期をベーリング海で過ごす。時に,この若鳥が何らかの原因で渥美半島沖で死亡し,豊橋市内の表浜に死体 ...
ハクビシン とは(豊橋百科事典より)
はくびしん ハクビシン(食肉目ジャコウネコ科)は,夜行性の哺乳類である。体長は約50㎝で,額から鼻にかけて中央に白線が走っていることから「白鼻芯」の名がある。東南アジア・中国大陸に分布しており,日本にもともといる在来種か外国から入った移入種か議論があったが ...
ネズミ とは(豊橋百科事典より)
ねずみ ネズミ(ネズミ目ネズミ科)は哺乳類で,体長5~30㎝,体毛は灰色・黒褐色などである。門歯が上下に2枚ずつあり,生涯伸び続け,物をかじるのに適する。繁殖力が旺盛で,環境への適応力もあり,農作物・食料品を食い荒らし,家財を破損し,病原菌の仲介をすることも ...
ナガラミ とは(豊橋百科事典より)
ながらみ ナガラミは,標準和名ではダンベイキサゴという直径45㎜,高さ28㎜位の巻貝である。昭和20(1945)年の終戦前後の数年間,表浜の海ではナガラミが大量にとれた。食用だけでは処理し切れず,田畑の肥料にしたともいう。最近は漁獲が少なくなっているが,その原因は ...
「豊橋雷動ひょう記」(近藤鹿堂) とは(豊橋百科事典より)
とよはしらいどうひょうき 「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...
東漸寺(豊橋市寺沢町寺瀬戸) とは(豊橋百科事典より)
とうぜんじ 仏法山東漸寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,文中元(1372)年で,東観音寺中興玉岫(ぎょくしゅう)和尚を勧請開山とする。本尊は観世音菩薩立像である。創立当初は「東福寺」と称して海岸部に位置していたが,火災焼失後の慶長12(1607)年「東漸庵」と改称し,後 ...
ツワブキ とは(豊橋百科事典より)
つわぶき ツワブキ(キク科)は,多年生草本である。フキと同様の大型の葉をつけるが,フキと比べると厚手の常緑性で濃緑色をしている。若い葉では,表面に褐色のとれやすい毛が密生している。花期は秋から冬にかけてで,株の中央から花茎を伸ばし,黄色の大きな花をつける ...
タヌキ とは(豊橋百科事典より)
たぬき タヌキ(食肉目イヌ科)は,雑食性で果実・木の実・ノネズミ・ヘビなどを食べる。昼間は自然の岩穴やアナグマの古巣などで休み,夜に活動する。ひどく驚くと,失神し意識不明の状態になる。これを「狸寝入り」という。また,よく通る特定の場所に糞(ふん)をし,新旧 ...
高塚緑地(豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷(びわがや)) とは(豊橋百科事典より)
たかつかりょくち 高塚緑地は,豊橋市の南部,太平洋岸(表浜)の豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷にある面積25万7700㎡の風致公園である。昭和33(1958)年,三河湾が国定公園の指定を受けたのに伴い,豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷の全部・小鮒ヶ谷(こぶながや)・本郷・北椎木谷(きたし ...
「大地は語る」(池田芳雄) とは(豊橋百科事典より)
だいちはかたる 「大地は語る」(池田芳雄 昭和60年)は,池田芳雄が昭和37(1962)年の「新城市誌」に掲載した地学関係著作・論文50編と,愛知県農地林務部自然保護課の自然環境保全に関する調査報告書を加えた合計100編以上の著作の中から,東三河にしぼって「東愛知新 ...
大円寺(豊橋市城下町休場) とは(豊橋百科事典より)
だいえんじ 竜溪山大円寺(曹洞宗)の創立は,天文元(1532)年で,開山は如翁存貞和尚,開基は城下(豊橋市城下町)の旧家神藤源左衛門とされる。開山如翁は鎌倉建長寺系の僧とされ,当初は臨済宗であったが,竜門寺の白鳳紹天和尚の時,曹洞宗に改宗して末寺となった。は ...
水産業 とは(豊橋百科事典より)
すいさんぎょう 江戸時代,豊橋の海辺に面していた村々は農業のかたわら漁業を営んでいた。三河湾の漁業は,明治時代より,のり・あさりの養殖が盛んに行われてきたが,昭和30年代末期からの臨海工業地帯の造成に伴い,平成11(1999)年4月には,終わった。 外海の漁業は ...
シロダモ とは(豊橋百科事典より)
しろだも シロダモ(クスノキ科)は,常緑高木である。暖地性の樹木で,10m程度まで生長する。葉は薄く,大きさは10㎝を超える。葉脈がはっきりし,表面には光沢があり,裏は粉を吹いたような白さがある。葉をもむと少し樟脳(しょうのう)の香りが感じられる。春の芽が伸び ...
シロギス とは(豊橋百科事典より)
しろぎす シロギス(キス科)は,浅い海の砂泥底の海域に群れを作ってすむ体長約25㎝の細長い円筒形の海水魚である。危険を感じた時や夜は砂に潜ることがある。通常海底に接するように遊泳するため,夏場に起こる海底付近の低酸素による被害が大きい。秋から冬は沖合に移動 ...
地引網 とは(豊橋百科事典より)
じびきあみ 渥美半島表浜地区の地引網は,左右に長い袖網(500m)と袋網,袖網の先端に取り付けた引き網(300m)からなる。魚群が近づくと浜から網船を出して岸に対して半楕円形に網を張る。そして,浜から引き綱を引いて網を移動させ,魚を網の中に追い込んでいく漁法であ ...
サーフィン とは(豊橋百科事典より)
さーふぃん サーフィンは,ハワイ諸島の原住民たちが丸太を削り,魚を取るのに移動する足としてはじめられた。いまや世界中に広がり,スポーツとして若者たちに絶大な支持を得ている。日本のサーフィンは,昭和35(1960)年ごろ始まったとされ,やがて若者たちのスポーツと ...
国道42号 とは(豊橋百科事典より)
こくどう42ごう 国道42号は,浜松市から伊良湖岬,鳥羽市を経て和歌山市に至る道路である。渥美半島の遠州灘区間では,通称「表浜街道」または「伊勢街道」と呼ばれている。豊橋市区間では,大正9(1920)年4月1日に愛知静岡県道田原白須賀線,昭和34(1959)年12月15日に ...
蛤珠寺(豊橋市前芝町西) とは(豊橋百科事典より)
こうしゅじ 海潮山蛤珠寺(曹洞宗)は,永禄元(1558)年の創立で,開山は伊奈(宝飯郡小坂井町)東漸寺第2世大中一介和尚(~1532)で,開基は明らかでない。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,前芝村「禅宗,海潮山蛤珠庵,伊奈村東漸寺末寺,平僧,客殿五間・三間 ...
クロマツ とは(豊橋百科事典より)
くろまつ クロマツ(マツ科)は,常緑針葉高木で,雄松(おまつ)とも呼ばれ,庭木としてよく植えられている。幹が黒く,葉が長く,松笠も大きいなど,雌松(めまつ)と呼ばれるアカマツより豪壮に見える。山地に生えるアカマツに対して,クロマツは海岸近くに生える。美保の松 ...
キツネ とは(豊橋百科事典より)
きつね キツネ(食肉目イヌ科)は,耳が三角形で大きく,尾は先が白く太くて長い。夜行性動物で,主にノネズミやノウサギなどを捕食し,アケビなども食べる。トンネル状の穴を掘り,時にはアナグマの古巣を利用して子育てをする。北海道のものをキタキツネ,本州以南をホン ...
吉祥院(豊橋市西赤沢町郷ノ内) とは(豊橋百科事典より)
きちじょういん 神宮山吉祥院(曹洞宗)の創立は不明であるが,はじめは真言宗六連(田原市)長仙寺の末寺であったと伝えられている。永禄5(1562)年花屋栄公という僧によって曹洞宗に改宗再興して,竜門寺(田原市田原町)の天巷周東和尚の代に,竜門寺の末寺となった。 ...
カラスザンショウ とは(豊橋百科事典より)
からすざんしょう カラスザンショウ(ミカン科)は,落葉性の高木である。葉はサンショウのような複葉であるが,それと比べ大型で,小葉は5~6㎝ある。香りはサンショウほどではないがやや感じられる。枝先から葉が出ている様子はヤシのようで,四方に広がって見える。若い ...
紙田川 とは(豊橋百科事典より)
かみたがわ 紙田川は,紙田川水系の基幹をなす二級河川(愛知県管理)である。表浜海岸の豊橋市東赤沢町から流れ出す橋詰川(延長2370m)が,細田川(延長1200m)と庄兵衛川(延長1230m)を合流して紙田川となり,豊橋市老津町と杉山町の境を北流し,途中で神出川(延長600 ...
片浜13里 とは(豊橋百科事典より)
かたはまじゅうさんり 片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。 渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高 ...
化石 とは(豊橋百科事典より)
かせき 表浜海岸に現れている渥美層群から,貝を中心としたさまざまな化石が発見されている。特に,豊橋市城下町・東赤沢町・高塚町では,多種類の二枚貝・巻貝と魚や木の葉などの化石が見つかっている。 よく見つかるのは,チヨノハナガイ,ヤマトシジミ,ウラカガミなど ...
外海漁業協同組合 とは(豊橋百科事典より)
がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい 豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...
表浜の自然 とは(豊橋百科事典より)
おもてはまのしぜん 豊橋市の太平洋側の海岸を表浜と呼ぶ。隆起してできた直線の海岸で,砂浜が広がる。砂浜には,ハマヒルガオ・コウボウムギ・ハマエンドウ・ハマナデシコなどの海浜植物が自生し,春から夏にかけて一面に花を咲かせる。また,表浜海岸はアカウミガメの産 ...
表浜街道 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 伊勢街道 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...
エゾカタビロオサムシ とは(豊橋百科事典より)
えぞかたびろおさむし エゾカタビロオサムシ(オサムシ科)は,暖地性の海浜種で,7月ごろから灯火に飛来してくる大型種のオサムシである。体色は黒色であり,翅(はね)には銅色の「てかり」とはっきりした点刻があり,体長は35㎜くらいである。オサムシの仲間でも臭(にお) ...
打瀬網事件 とは(豊橋百科事典より)
うたせあみじけん 打瀬網事件は,明治25(1892)年2月29日,渥美郡細谷,小沢,高根の表浜3か村の地引網漁業の漁師700人が決起し,打瀬網禁止の断行を要請して渥美郡長松井譲に面会を強要,渥美郡役所に乱入して暴力を振った事件である。豊橋警察署と豊橋憲兵隊は,これを ...
今川義元 とは(豊橋百科事典より)
いまがわ・よしもと(1519~60) 今川義元は,永正16(1519)年,今川氏親(1470~1526)の3男に生まれた。はじめ僧となったが,天文5(1536)年長兄氏輝の死により次兄と家督を争い,翌6(37)年還俗(げんぞく)して治部大輔兼駿河守となった。駿河・遠江(とおとうみ)・三 ...
渥美半島駅伝 とは(豊橋百科事典より)
あつみはんとうえきでん 渥美半島駅伝競走大会は,昭和22(1947)年,豊橋陸上競技協会が発足したことを受けて,同24(49)年1月に第1回が行われた。コースは,豊橋市公会堂前をスタート,裏浜(三河湾側)から渥美町福江,堀切と表浜(太平洋側)を走って,ゴールが公会 ...
アカウミガメ とは(豊橋百科事典より)
あかうみがめ アカウミガメ(ウミガメ科)は,体長(甲羅の長さ)は約0.9m,色は赤褐色である。日本各地の砂浜に上陸して産卵する。産卵時期は5月から8月で,1回に100~120個の卵を産む。孵化(ふか)した子ガメは8,9月の夜間に海へ戻っていく。10数年後には親ガメになって ...
アカアシコハナコメツキ とは(豊橋百科事典より)
あかあしこはなこめつき アカアシコハナコメツキ(コメツキムシ科)は,体色は光沢のある黒色で脚は茶色,体長は8㎜前後である。夏の砂浜の40℃を超える厳しい環境でも生息することができ,生存競争の相手が少ない場所に適応している。この仲間はもともと肉食であり,体を ...
愛知県道407号(伊古部(いこべ)南栄線) とは(豊橋百科事典より)
あいちけんどう407ごう 愛知県道407号(伊古部南栄線)の通称は野依(のより)街道である。大正4(1915)年に認定された軍事国道の国道特5号であり,昭和34(1959)年12月15日,地方道(愛知県道407号)に認定された。豊橋市高師町北原(南栄町空池)の国道259号(田原街道) ...
愛知県道405号(小松原街道) とは(豊橋百科事典より)
あいちけんどう405ごう 愛知県道405号(小松原街道)は,大正4(1915)年に認定された軍事国道の国道特4号であり,昭和34(1959)年12月15日,地方道(愛知県道405号)に認定された。豊橋市小池町西海戸(にしかいど)の国道259号(田原街道)小池跨線橋(こせんきょう)南より ...