愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:老津

こうしんこう  庚申講は,60日ごとにめぐってくる「庚申(かのえさる)の日」に庚申仲間の人々が一堂に会し,共同飲食しながら徹夜で語り明かす行事である。庚申の夜は,眠ると人体に潜む三尸(し)という虫が天に登り,天帝にその人の罪を告げるため,夜は起き明かして三尸が体 ...

けいしょうじ  天香山桂昌寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,寛元4(1246)年から建長元(1249)年と推測される。本尊は正観世音坐像である。 「当寺縁起書」(弘安2年)によると,当初は真言宗であった。鎌倉時代の住尼叟珍公首座の時,元久元(1204)年南宋の僧蘭渓道隆が鎌 ...

けいさつしょ  愛知県豊橋警察署は,明治5(1872)年11月に額田県が愛知県に合併した時,豊橋支庁に邏卒(らそつ)(巡査)など132人が配置されたことに始まる。明治6(1873)年,邏卒を番人に改称した。翌明治7(1874)年,豊橋駅札木町に屯所(とんしょ)を設置,警史1人,番 ...

きゅうほんどうふすまえ  「恩田石峰筆 旧本堂襖絵」52面(太平寺蔵)は,平成5(1993)年2月16日豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 太平寺(豊橋市老津町)「旧本堂襖(ふすま)絵」は,縦177㎝,横82㎝,波濤図12面,孔雀図8面,萩図10面,松図12面,山水図10面で, ...

きちじょうじ  庚申山吉祥寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天正2(1574)年であり,開山は大円光覚禅師雲竜和尚である。雲竜和尚ははじめ,嵩山(すせ)(豊橋市嵩山町)正宗寺に住み,後,大津(豊橋市老津町)太平寺の中興となり,天正2(1574)年吉祥寺を興して開山となった ...

きたうらじょう  北裏城は,田原方面で勢力を誇った戸田氏の城の一つである。豊橋市老津町中北の畑地の小高い高まりに祠(ほこら)があるが,この高まりが唯一の遺構,土塁の可能性がある。築城時期・規模については不明である。 城址(じょうし)付近は周囲より高くなっており ...

きけんじ  呉服山喜見寺(曹洞宗)の創立は,南北朝末期の元中7(1390)年で,開基は郷士の吉見吉(喜)太郎であり,寺域は当時戦乱のために消失した吉見氏の城址(じょうし)であると伝えられている。開山は大津(豊橋市老津町)桂昌寺の3代徳海和尚で,はじめは吉見寺と書い ...

かわらまちかいはつおぼえ  「河原町開発覚」(稿本 延享元年ごろ)は,現在の豊橋市瓦町に関する開発覚である。筆者は当時瓦町の庄屋で,鎮守神明宮の神主も兼ねていた佐藤弥七信長と推定される。本書の内容は,寛文2(1662)年から延享2(1745)年8月までの84年間にわた ...

かみたがわ  紙田川は,紙田川水系の基幹をなす二級河川(愛知県管理)である。表浜海岸の豊橋市東赤沢町から流れ出す橋詰川(延長2370m)が,細田川(延長1200m)と庄兵衛川(延長1230m)を合流して紙田川となり,豊橋市老津町と杉山町の境を北流し,途中で神出川(延長600 ...

かいちゅうのあざのはいし  田原湾の梅田川・汐川の河口には,海面下の土地が存在していた。このような場合,公有水面埋立地が土地となるためには,①海面下の土地の滅失による「海中の字の廃止」②「新たに土地が生じたことの確認」 ③「公有水面埋立地の編入または町・字 ...

かいぐんこうくうたいぼうくうごう  豊橋海軍航空隊基地の隧道(ずいどう)式倉庫は,第2次世界大戦中,本土決戦に備えて掘鑿されたものである。豊橋海軍航空隊基地でも対策がはかられた。基地の対岸にあたる豊橋市大崎町城戸中では,海に面した丘陵西縁の崖面に隧道式倉庫, ...

かいぐんこうくうたい  豊橋海軍航空隊は,昭和13(1938)年から大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年4月1日開隊し,同年6月から第22空襲部隊第6部隊となった。海軍航空隊の開隊に先立ち,昭和14(1939)年から同18(43)年4月までに,1500m×100mの ...

おんだ・せきほう(1775~1847)  恩田石峰は,安政4(1775)年吉田(豊橋)曲尺手(かねんて)町の恩田太惣太(心応軒三省)の子として生まれた。通称吉作,字(あざな)を大矩(たいく),号を石峰といった。画を京都の渡辺南岳に師事した。帰郷後,父から華道を学んだ。代表的 ...

おおつむら  渥美郡大津村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に1743石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に北大津村豊橋藩領分1068石余,八所・神明・三島社領9石,桂昌寺領12石余,南大津村豊橋藩領分741石余,太平寺領35石余」とあり,「吉田領戸数調」(安政5年) ...

⇒ 老津飛行場の飛行機用掩体 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のbl ...

おおしみずえき  豊橋鉄道渥美線大清水駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,植田~老津間(新豊橋起点8.5㎞)に開業した。昭和10(1935)年3月8日に,大清水駅構外の相模紡績(豊橋紡績)豊橋工場の貨物引き込み線を敷設した。昭和 ...

おおさきしょうがっこう  豊橋市立大崎小学校は,明治6(1873)年3月,大崎義校として小柳津(おやいづ)忠民(大崎村船渡)の自宅別屋,次いで東光院に発足した。明治6(1873)年10月に,2つの義校を合わせて,第10中学区第14番小学大崎学校として,大崎村竜源院に大崎村を校 ...

おおさきじま・おおつじま  田原湾の海面の寄州(よりす)に,大崎村(豊橋市大崎町・船渡町)に属する本島・平島・長松島(一部)と大津村(豊橋市老津町)に属する大津島・蜷島(になじま)・仏島・長松島などがあった。江戸期にはこの海域に,野依村・西植田村・東植田村・切 ...

おいつゆうびんきょく  老津郵便局は,明治9(1876)年,渥美郡老津村に開設された。老津村・大崎村・植田村・杉山村・谷熊(やぐま)村を郵便局管内とした。明治25(1892)年,野依(のより)村が高豊郵便局から,老津郵便局管内になる。昭和7(1932)年,大崎・植田・野依は豊 ...

おいつむら  明治11(1878)年12月20日,郡区町村編制により渥美郡北大津村・南大津村・森脇新田が合併して老津村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,昭和30(1955)年3月1日,老津村は豊橋市に合併して豊橋市老津町になった。  関連項目 - 大津村 - - ...

おいつひこうじょうのひこうきようえんたい  飛行機用掩体とは,飛行機置き場のことである。陸軍老津飛行場は,豊橋市南大清水町にあった。敷地は,北東-南西1000m,北北西-南南東1000mの逆L字形をしている。昭和18(1943)年1月,航空本部直轄で飛行場構築のための研究と ...

おいつのあまごい  大津(豊橋市老津町)の海ぎわに若宮という字があった。若宮の海中には,神々が履いていた履物が石化したという木履石(ぼくりいし)が沈んでいるといわれている。木履石の東方の島地に,神々が入って来たので名づけられた「御入江(おいりえ)」という場所が ...

おいつちゅうがっこう  老津村立老津中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴って,老津村の老津小学校内に老津村を校区として開校した。昭和22(1947)年11月,旧老津演習廠舎(しょうしゃ)を移築した新校舎が老津村宮脇に完成する。昭和30(1955)年,豊橋市立老津 ...

おいつそんし  「老津村史」(老津村史編纂会 昭和33年)は,老津村が豊橋市に合併した際に刊行されたものである。古代から現代にいたる老津の歴史を取り上げ,併せて町村合併の経過などを記録している。 なお,平成2(1990)年に「郷土誌老津」が郷土誌刊行委員会より刊 ...

おいつじんじゃ  八王子権現社は,「大津名縱(めいしょう)綜録」に,天長元(824)年,造立したとある。宮座があり,年9回の祭日には神田からの米で濁酒(どぶろく)を作り,お供えののち拝殿で直会(なおらい)を開いた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大津村「神明 ...

おいつしょうがっこう  豊橋市立老津小学校は,明治6(1873)年,第10中学区第15番小学老津学校として,老津村(豊橋市老津町)の桂昌院を校舎として開校したことに始まる。明治20(1887)年,尋常小学大崎学校の分教場となるが,翌21(88)年,老津村立老津尋常小学校とな ...

おいつこうえん  老津公園は,豊橋市老津町今下地内にあり,国道259号に面している。老津公園は,昭和58(1983)年,鈴木新兵衛商店の清酒製造工場の跡地が豊橋市に寄付され,同60(85)年3月30日開園した。面積は0.68haで,園内には遊具や休憩所が設けられている。中央でペ ...

⇒ 豊橋家政高等専修学校(豊橋市老津町西高縄) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊 ...

おいつえき  豊橋鉄道渥美線老津駅は,大正13(1924)年1月22日,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,大清水~杉山間(新豊橋起点10.7㎞)に開業した。昭和55(1980)年2月1日に,場内信号機に警戒信号現示・列車同時進入を開始した。平成3(1991)年3月16日に無人 ...

いちょう  イチョウ(イチョウ科)は,落葉高木で,高さは約30mに達し,葉は扇形であるが針葉樹の仲間である。葉は秋に黄変し,また黄色の種を結び,内に核がある。これを「ぎんなん」といい食用にする。雌雄異株で,雄の枝は上に向かって伸び,雌はやや横に張り出す。漢字 ...

いしまきさまごらいさん  石巻さまは,長彦,伊豆彦の両神を連れ,大和の三輪山から紀伊の国に出て,そこから舟で三河湾に入り,大津(豊橋市老津町)に上陸,牛の背に乗り,三輪山と地形の似た石巻山に入山し,居を構えたといわれている。それ以後,牛は石巻さまのお使いで ...

いしぶねとこしかけいわ  大昔のこと,国造りの神々が船に乗って大津(豊橋市老津町)にやってきた。その時,乗り捨てられた木製の船が石船と化して海中に沈んでいるという。神々は伊勢の国からやってきたとも竜宮から来たとも伝えられ,船は嵐にあって沈んだとも伝えられて ...

あんようじ(むかいやま)  妙向山安養寺(臨済宗妙心寺派)は,大正13(1924)年,渥美郡老津村(豊橋市老津町)から向山に移転した寺院である。創建は承安3(1173)年で,熊野山安養寺といい,天台宗の寺院であった。江戸時代からは老津の太平寺に属し,桂昌寺領から黒印 ...

あつみわん  渥美湾は,三河湾の東部の渥美半島に囲まれた海域につけられた名称である。渥美湾奥の汐川河口から柳生川河口の間を田原湾といい,大崎島・大津島などがあった。波は静かで,水深は10m以下の浅い部分が多く,沿岸は漂砂が集まり,近世以降に天津(あまづ)新田・ ...

あつみじゅんこうせん  吉田(豊橋)と田原(田原市田原町)を結ぶ海上交通は,江戸時代からあったが,明治6(1873)年より小型船ながら牟呂(豊橋市牟呂町)と田原を定期的な通船が行われるようになった。明治17(1884)年からは蒸気船が使われるようになり,同36(1903) ...

あつみぐんし  「渥美郡史」(渥美郡役所 大正12年)は,大正12(1923)年の郡制廃止にあたってまとめられたもので,遺跡・遺物・古文書などの資料を中心に,渥美郡の歴史の概要が記述されている。 豊橋についての記述では,牟呂,高師,二川,老津などの古墳の様子,平安 ...

あけみちょう  昭和13(1938)年から,大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年,豊橋海軍航空隊が開隊した。昭和28(1953)年6月,愛知県は豊橋港の港域拡張について告示し,同33(58)年,豊橋市は東都製鋼(トピー工業)を誘致するなど,豊橋港・臨海工 ...

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