しろかいづこせんきょう 豊橋駅構内西の羽田道は,明治21(1888)年開通した東海道線および明治30(1897)年開通の豊川鉄道(昭和18年飯田線となる),昭和2(1927)年開通の愛知電鉄(昭和10年名古屋鉄道と改称)の踏切があった。そこに大正12(1923)年,人道跨線橋が架 ...
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白井烟嵓 とは(豊橋百科事典より)
しらい・えんがん(1894~1976) 白井烟嵓は,明治27(1894)年2月8日,渥美郡花田村(豊橋市西羽田町)に白井徳平の2男として生まれた。本名滝司。従兄弟の白井永川(1884~1942)から絵の手ほどきを受け,静古と号した。大正3(1914)年近衛聯隊に入営,除隊後松林桂月に ...
白井永川 とは(豊橋百科事典より)
しらい・えいせん(1884~1942) 白井永川は,明治17(1884)年3月2日,渥美郡花田村(豊橋市西羽田町)の白井勝蔵の長男に生まれた。本名を儀三郎,字(あざな)を義人,号を永川といった。牟呂八幡社神官の森田光文(緑雲)について神職を志すとともに,国学と南画を学んだ ...
浄慈院(豊橋市花田町百北) とは(豊橋百科事典より)
じょうじいん 多聞山浄慈院(浄土宗西山禅林寺派)は,「縁起(えんぎ)」によると,はじめ下野国(栃木県)にあったが,寛文7(1667)年住職忍誉良済は本尊押合地蔵尊を負って吉田(豊橋)馬見塚へ,さらに高須新田(豊橋市高洲町)に移ったが,高潮に遭ったため,延宝8(16 ...
浄円寺(豊橋市大村町黒下) とは(豊橋百科事典より)
じょうえんじ 方鏡山浄円寺(真宗大谷派)の創立は,天文3(1534)年,開山は釈了証法師,本尊は寛永9(1632)年造立の阿弥陀如来像である。天文3(1534)年はじめて一個公称寺院方鏡山浄円寺の許可を受け,天正2(1574)年吉田(豊橋)城東川毛より下リ町(豊橋市花園町) ...
17人の郷士 とは(豊橋百科事典より)
17にんのごうし 戦国時代には多くの郷士が東三河に土着し,多くの郷村が成立した。林自見「三州吉田記」に「是時東三河有十七人郷士」とあり,今橋城を守る今川方の17人の郷士がいたことを記している。① 戸田惣兵衛は,二連木(にれんぎ)にいた。② 石田式部は代々,吉田 ...
時習館高等学校(豊橋市富本町国隠(くにかくし)) とは(豊橋百科事典より)
じしゅうかんこうとうがっこう 愛知県豊橋中学校は,昭和23(1948)年4月,6・3・3制移行に伴い,愛知県立豊橋高等学校となる。昭和23(1948)年10月,愛知県立豊橋時習館高等学校と改称した。昭和24(1949)年4月,男女共学・小学区制・総合制の高等学校再統合が行われた ...
シイ とは(豊橋百科事典より)
しい シイ(ブナ科)の葉は小さく,表は濃緑で艶がある。このため照葉樹の一種として扱われる。葉の裏は銀色の輝きがある。シイには2種類あり,コジイは実が小さく,主に山地に見られ,樹皮に裂け目が少ない。スダジイは実が大きく,主に平地や社寺に見られるもので,この ...
佐野蓬宇 とは(豊橋百科事典より)
さの・ほうう(1809~95) 佐野蓬宇は,文化6(1809)年10月14日,吉田本町(豊橋市新本町)の万屋という饅頭(まんじゅう)屋の子に生まれた。幼名を英之助,のち深寧(ふかやす),通称権右衛門,号を呉井園蓬宇といった。俳諧を岡崎の鶴田卓池,国書を羽田野敬雄と中山美石( ...
「栄樹園謌集」(羽田野敬雄) とは(豊橋百科事典より)
さかきぞのかしゅう 「栄樹園謌集」(自筆 美濃本2巻合1冊,墨付上巻28丁・下巻17丁 計45丁 明治9年)は,羽田野敬雄(1798~1882)の自筆歌集で,2巻が1冊にまとめられ,明治9(1876)年12月付の自序を付している。墨付き上巻28丁,下巻17丁で10行の罫紙に書かれてい ...
悟真寺(豊橋市関屋町) とは(豊橋百科事典より)
ごしんじ 孤峰山悟真寺(浄土宗)の創立は,貞治5(1366)年で,開山は善忠寂翁上人である。善忠上人は浄土宗藤田派4代唱名上人の高弟,仏法を広めるため関東から三州今橋(豊橋)に来て奇瑞(きずい)があってその地に一寺を建立し,浄業院悟真寺と称した。建立地は現在の吉 ...
皇学所(1868~1869) とは(豊橋百科事典より)
こうがくしょ 皇学所は,明治維新の動乱期に開設された日本最初の国立大学ともいえる学校である。明治元(1868)年9月,明治政府が,京都に設置,12月に開校した。一般には開放されず,公家子弟を主とする貴族学校である。平田鉄胤・玉松操・羽田野常陸らの国学者が中心と ...
「近世三河・尾張文化人蔵書目録」(藤井隆編) とは(豊橋百科事典より)
きんせいみかわ・おわりぶんかじんぞうしょもくろく 「近世三河・尾張文化人蔵書目録」8巻(ゆまに書房 平成17年)は,羽田野敬雄(たかお)の羽田文庫(春之巻・夏之巻・秋之巻・冬之巻),森田光尋(みつひろ)の見聞集,松坂重賜(しげます)の舒嘯園(じょしゅうえん)蔵書記 ...
金光寺(豊橋市西羽田町) とは(豊橋百科事典より)
きんこうじ 宝林山金光寺(浄土宗)の創立は,天文8(1539)年であり,開山は実誉善故上人,本尊は阿弥陀如来像である。順誉源可上人のころ,延宝(1673~81)から安永(1772~81)年間にわたり,千躰仏を祀っていた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,羽田村「浄土 ...
観音院(豊橋市中世古町) とは(豊橋百科事典より)
かんのんいん 宝樹山観音院(浄土宗西山禅林寺派)は,仁連木(にれんぎ)村(豊橋市東田(あずまだ)町)にあったが,元禄12(1699)年浄慈院3世覚元の弟子南嶽寂厳が開山となり,中世古に移築した。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,羽田村「猿屋町観音堂,四尺四方, ...
花谷院(豊橋市中世古町) とは(豊橋百科事典より)
かこくいん 栄川山花谷院(曹洞宗)の創立は,天文11(1542)年開山は竜拈寺(りゅうねんじ)4世休屋宗官和尚と伝えられる。もともと天台宗の古寺で荒廃していたものを宗官和尚が再興したのではないかといわれている。はじめは羽田村(豊橋市花田町)の栄川という名泉のわい ...
「大村八所神社と松原用水」(八所神社昇格記念誌発行委員会編) とは(豊橋百科事典より)
おおむらやところじんじゃとまつばらようすい 「大村八所神社と松原用水」(八所神社昇格記念奉賛会 昭和57年)は,八所神社の社格が八級(旧郷社)になったのを記念して刊行されたもので,八所神社祭神8柱,水の開鑿(かいさく)の犠牲となった8人の庄屋の霊を併せて祭祀す ...
大木聟治 とは(豊橋百科事典より)
おおぎ・むこじ(1863~1942) 大木聟治は,文久3(1863)年12月5日,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂大西町)の芳賀清治郎の2男として生まれた。大崎小学校を卒業し,渥美義塾で和漢洋の学を修め,小学校教員免許状を下付され,牟呂小学校・大崎小学校に奉職した。明治19(1886 ...
ええじゃないか とは(豊橋百科事典より)
ええじゃないか ええじゃないかは,慶応3(1867)年7月14日吉田(豊橋)宿近郊牟呂村大西(豊橋市牟呂大西町)での伊勢外宮や伊雑社(いざわのみや)の御札降りを契機として,牟呂村では手踊りや餅投げ神酒の振る舞いなど臨時の祭礼が行われた。この後周辺の羽田村・草間村・ ...
「磯の藻屑」(実相院(じっそういん)古道(こどう)) とは(豊橋百科事典より)
いそのもくず 「磯の藻屑」(私家版 嘉永5年)は,飽海(豊橋市飽海町)の青竜寺住職,実相院古道の家集である。集名の由来の序歌を巻頭に,春46,夏33,秋52,冬18,恋19,雑37の計205首を収めて1巻としている。私家版として刊行された。巻首木記に「製本書肆(しょし) ...
朝市 とは(豊橋百科事典より)
あさいち 豊橋の朝市は,大正13(1924)年に豊橋市農会が豊橋別院裏の萱町線に農産物販売斡旋(あっせん)所を開設したのが始まりである。昭和6(1931)年東田(あずまだ)の前畑通りに三八(さんぱち)の市(毎月3と8の日),翌7(32)年から羽田八幡社境内の一五の市(毎月1と ...
「秋の野草」(鈴木梁満(やなまろ)) とは(豊橋百科事典より)
あきののぐさ 「秋の野草」(写本,半紙本1冊,墨付13丁)は,鈴木梁満の家集で,春夏秋冬恋雑と長歌2首の計96首を収める。序跋(じょばつ)もないが,鈴木梁満の孫の美濃守重実が歌稿の「秋の野草」より選び出し書写し,羽田八幡宮文庫へ奉納したものといわれている。豊橋 ...