愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:細谷

さかいばし  境橋は,東海道(旧国道1号)で,現在の湖西東細谷線(愛知・静岡県道173号)が境川(三河国と遠江国の国境)を横切るところに架けられた橋である。古くから,境川・境橋は文書に登場し,「東海道名所記」に「境橋,これ三川・遠江のさかひ橋也,橋のしたハ小 ...

さかいがわ  境川は,豊橋市東細谷町・湖西市白須賀町を起点とし,その名称のとおり三河国(愛知県)と遠江(とおとうみ)国(静岡県)の境界を北に向かって流れる川である。東海道本線新所原駅のすぐ西側で梅田川に合流する。延長は4.7㎞で,二級河川に属し,東海道(国道1 ...

さいくりんぐろーど  渥美サイクリングロードは,渥美豊橋自転車道線(愛知県道497号)で,豊橋市東細谷町~伊良湖岬間の延長約55㎞と,伊良湖岬~伊良湖国民休暇村間の約3㎞の道路である。国が,昭和48(1973)年から整備を進めている大規模自転車道102路線のうちの一つの ...

こまつばらむら  小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年) ...

こじまむら  小島郷は,暦応4(1341)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したとされる。渥美郡小島村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に392石余,明治2(1869)年「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所391石余とある。明治4(1871)年の家数167,人 ...

こさわむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・七 ...

きょうどうよくじょう  東三河では約40か所の共同浴場が,明治末期から昭和初期にかけて,沿海部に多く作られた。共同浴場の組合を有志で起こし建設,運営をした。最盛期には豊橋で16か所あり,東は東細谷町から西は梅薮町まであった。このうち牟呂町に5か所の共同浴場が設 ...

かみほそやむら  細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡上細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に742石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所862石余とある。延宝3(1675)年の家数229,人数1235 ...

がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい  豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...

おやいづ・ただたみ(1831~1903)  小柳津忠民は,天保2(1831)年12月10日,朝倉仁右衛門の弟として渥美郡上細谷村(豊橋市細谷町)に生まれた。嘉永元(1848)年,大崎村(豊橋市大崎町)小柳津忠秀の養嗣子となった。宮路恒雄に入門して国学・和歌を学び,自邸内に大崎 ...

おのだ・きちじろう(1822~79)  小野田吉次郎は,文政5(1822)年1月15日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市西七根町)の高橋能経の3男として生まれた。長じて渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田家に養嗣子となった。 小野田吉次郎は26歳の時に,羽田野敬雄に国学 ...

おざわしょうがっこう  豊橋市立小沢小学校は,明治6(1873)年3月,小島村の大応寺内に小島義校が設けられたことに始まる。明治6(1873)年12月,第10中学区第9番小学細谷学校が設立され,小島・小松原・寺沢に分教場を設けたが,同11(78)年,第10中学区第26番小学小島学 ...

おおばやし・うきち(1860~1933)  大林宇吉は,万延元(1860)年5月24日,渥美郡寺沢村(豊橋市寺沢町)の大林作之右衛門の長男に生まれた。明治15(1882)年朝倉仁右衛門が細谷製糸工場を設立すると,翌16(83)年株主として入社し,原料購入係に従事した。玉糸製糸に着 ...

おおかわむら  明治11(1878)年12月20日,郡区町村編制の渥美郡大岩村・二川村(大脇新田を合併)・谷川村(雲谷村・中原村・原村が合併)は,同22(89)年10月1日,町村制施行にあたって合併して大川村と改称した。明治26(1893)年6月23日,大川町となった。明治30(1897 ...

えぞかたびろおさむし  エゾカタビロオサムシ(オサムシ科)は,暖地性の海浜種で,7月ごろから灯火に飛来してくる大型種のオサムシである。体色は黒色であり,翅(はね)には銅色の「てかり」とはっきりした点刻があり,体長は35㎜くらいである。オサムシの仲間でも臭(にお) ...

うたせあみじけん  打瀬網事件は,明治25(1892)年2月29日,渥美郡細谷,小沢,高根の表浜3か村の地引網漁業の漁師700人が決起し,打瀬網禁止の断行を要請して渥美郡長松井譲に面会を強要,渥美郡役所に乱入して暴力を振った事件である。豊橋警察署と豊橋憲兵隊は,これを ...

いやさか  愛知県は県内の不良土開発集落の建設を企て,第1弥栄~第8弥栄および4か所の富山(とみやま)を建設した。 昭和6(1931)年第2弥栄10戸が渥美郡二川町三弥・同10(35)年二川富山5戸が定着した。昭和12(1937)年には伊勢皇太神宮を勧請した弥栄神社を建立した。  ...

⇒ 細谷村(町村制施行) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...

いなみちゅうがっこう  豊橋市立五並中学校は,昭和22(1947)年,6・3制移行に伴い,細谷小学校・小沢小学校(平成3年校名呼称を「こさわ」から「おざわ」に変更)を校区として渥美郡二川町上細谷字北芋ヶ谷に設立された。昭和30(1955)年,豊橋市立五並中学校と改称した ...

いとう・ういち(1867~1941)  伊藤卯一は,慶応3(1867)年12月3日,渥美郡上細谷村(豊橋市細谷町)伊藤善兵衛の3男として生まれた。小学校を卒業後,田原の川澄親・太田啓太郎に師事し,明治17(1884)年愛知県より小学初等科教員免許状を受け,細谷小学校に奉職した。 ...

いちりやまのいちりづか  「一里山の一里塚」1基は,昭和50(1975)年11月8日,豊橋市史跡に指定された。 一里塚は慶長9(1604)年に徳川家康が徳川秀忠に命じて1里(約3.9㎞)ごとに築かせたものである。豊橋市域の東海道には,東から細谷・二川・飯村・下地の4か所に一 ...

いちりやまこようしぐん  一里山古窯址群は,7世紀の終わりごろから9世紀ごろの須恵器を生産した豊橋市南東部に分布する窯跡群である。豊橋市東細谷町から豊橋市大岩町辺りまでの東西約3.5㎞,南北約5.5㎞の範囲に分布している。窯跡は,深田支群,東篭田(ひがしかごた)支群 ...

いちりやま  東海道の白須賀宿と二川宿の間は,1里17町(5782m)である。境川(東京起点283.2㎞)から二川宿の東(東京起点287.4㎞)の丘陵は,下細谷村(豊橋市東細谷町)字一里山である。愛知・静岡県境の境川から西へ650mの北側に,昭和50(1975)年11月8日,豊橋市文化 ...

いちりづか  一里塚は,街道の両側に1里(約3.9㎞)ごとに木を植えた塚のことで,旅人が道程や目的地への目印としたり,馬や駕籠(かご)の賃銭を支払う目安ともした。慶長9(1604)年徳川家康の命により徳川秀忠が江戸日本橋を起点として東海道をはじめ各街道に一里塚を築き ...

いおうじ(ひがしほそや)  瑠璃山医王寺(曹洞宗)の創立は,天和2(1682)年,開山は白須賀(湖西市)蔵法寺第6世天山尭存和尚である。はじめは南方の海辺にあった。しかし,宝永4(1707)年の海難以後に,下細谷(豊橋市東細谷町)に移転した。かつては薬師堂があった。 ...

あさくら・にえもん(1829~85)  朝倉仁右衛門は,文政12(1829)年12月25日,渥美郡上細谷村(豊橋市細谷町)庄屋朝倉仁右衛門包叔(8代)の長男として生まれた。幼名仁作,長じて仁右衛門古完,朝倉家9代を継ぐ。慶応3(1867)年12月,全村こぞって神道に改宗させた。明 ...

あさくら・てんえき(1879~1950)  朝倉天易,本名貞二は,明治12(1879)年9月15日,渥美郡五並(いなみ)村上細谷(豊橋市細谷町)の朝倉佐野四郎の2男に生まれた。明治36(1903)年,細谷村収入役,その後,二川町会議員を歴任し,上細谷に産業組合を創設して,17年間組合 ...

あさくら・いくたろう(1866~1928)  朝倉幾太郎は,慶応2(1866)年11月2日,渥美郡小島村(豊橋市小島町)朝倉清右衛門の子として生まれた。 明治25(1892)年2月29日,太平洋沿岸の下細谷・上細谷・小島・小松原・寺沢・七根(ななね)・高塚の漁民700余人が渥美郡役所へ ...

あかあしこはなこめつき  アカアシコハナコメツキ(コメツキムシ科)は,体色は光沢のある黒色で脚は茶色,体長は8㎜前後である。夏の砂浜の40℃を超える厳しい環境でも生息することができ,生存競争の相手が少ない場所に適応している。この仲間はもともと肉食であり,体を ...

あおどうがね  アオドウガネ(コガネムシ科)は,鮮緑色をした体長30㎜ぐらいの大型のコガネムシである。最近,豊橋市細谷町などの南部地域で,梅をはじめ各種の庭木や草花に見いだされるようになってきた。これまでは稀な種とされていたが,現在では普通種となった例である ...

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