わにぐち(とうかんのんじ) 「東観音寺の鰐口」1口(東観音寺蔵)は,平成元(1989)年3月24日,豊橋市有形文化財(工芸)に指定された。 「東観音寺(豊橋市小松原町)の鰐口」は青銅製,「三州奥郡細谷住人九郎三郎,天文弐年癸巳九月吉日」の陰刻銘があり,天文2(153 ...
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老人憩の家 とは(豊橋百科事典より)
ろうじんいこいのいえ 老人憩の家は,平成8(1996)から同16(2004)年に,老人福祉センターを補完する地域高齢者福祉施設として,市内3地域に開設された。60歳以上の市内居住者が利用できる。施設は集会室,機能回復訓練室,会議室と娯楽設備にはテレビ・ビデオ・カラオケ ...
連凧揚げ とは(豊橋百科事典より)
れんだこあげ 豊橋市立五並(いなみ)中学校(豊橋市細谷町北芋ヶ谷)では,毎年連凧揚げの行事を実施している。この恒例の行事は,「小さな学校の大きな夢―生涯に残る思い出づくり―」をテーマに昭和60(1985)年11月から実施している。毎年,五並中学校近くの表浜海岸で連 ...
酪農 とは(豊橋百科事典より)
らくのう 酪農は,乳牛を飼育して牛乳を生産する畜産経営の一つである。飼育乳牛は,ホルスタイン種がほとんどである。豊橋に酪農が取り入れられた歴史は,昭和12(1937)年創立の中央製乳株式会社が,豊橋・渥美・八名(やな)・宝飯郡および湖西地方一帯に,乳牛飼育を積極 ...
「八柱神社の鬼瓦」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
やはしらじんじゃのおにがわら 「八柱神社の鬼瓦」2個(上細谷八柱神社)は,平成元(1989)年3月24日,豊橋市有形文化財(工芸)に指定された。 上細谷(豊橋市細谷町)八柱神社の鬼瓦の銘入りのものは縦33㎝,横33㎝,厚さ23㎝で,銘のないものは縦24㎝,厚さ21㎝である ...
八柱神社(豊橋市東細谷町宮下) とは(豊橋百科事典より)
やはしらじんじゃ(しもほそや) (下細谷)八柱神社の創建は明らかでない。高芦(たかし)郷から細谷村が分村したのは建久元(1190)年といわれるが,上・下細谷村の分村は明確でない。文禄年間(1592~96)数度の津波によって海岸の民家とともに神社も現在の地に移転した。 ...
八柱神社(豊橋市細谷町上大附) とは(豊橋百科事典より)
やはしらじんじゃ(かみほそや) (上細谷)八柱神社の創建は明らかでないが,高芦(たかし)郷の総氏神逆戈神社(さかほこじんじゃ)の文治4(1188)年の棟札に細谷村・七根(ななね)村・小嶋村とあり,分村は建久元(1190)年といわれるので,それ以来の鎮守とされる。元禄14 ...
八柱神社(豊橋市東細谷町一里山) とは(豊橋百科事典より)
やはしらじんじゃ(いちりやま) (一里山)八柱神社は,明治初年に下細谷(豊橋市東細谷町)の7戸の人たちが一里山を開き,下細谷の八柱神社を勧請したと伝える。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006 ...
谷と沢 とは(豊橋百科事典より)
やとさわ 谷は,東日本ではヤ,西日本では「タニ」と発音する。豊橋は「ヤ」である。太平洋に面した渥美半島には谷がたくさんある。また,谷川を意味する沢もある。 豊橋市東細谷町には,22字中3谷(根木谷・十ヶ谷・広谷)。豊橋市細谷町は59字中8谷(広谷・滝ノ谷・臍ノ ...
モチノキ とは(豊橋百科事典より)
もちのき モチノキ(モチノキ科)は,常緑高木で,表浜海岸沿いに見られ,ヒメユズリハ,ヤブツバキなどと海岸林を構成している。山の中に見られることもあり,10m近くまで生長する。葉はやや厚く有柄で,深緑色で表面には光沢があり,照葉樹である。葉の大きさは5㎝前後で ...
ミカワサビキコリ とは(豊橋百科事典より)
みかわさびきこり ミカワサビキコリ(コメツキムシ科)は,体長は20㎜前後であり,体色はほぼ黒色で,畑の周辺でよく見出されるサビキコリよりも細身形で小型である。豊橋市細谷町などの表浜海岸の流木の近くか,その周辺から見出された個体から記載された種で,岡崎市在住 ...
三河県 とは(豊橋百科事典より)
みかわけん 三河県は,三河裁判所の後を受けて明治元(1868)年6月から翌2(69)年6月まで,政府の直轄県として設置された。管轄は三河国内の旧三河裁判所管轄地(旧天領)および旗本知行地・寺社領であった。旗本知行地や寺社領の県域編入を進める過程で,静岡藩および重 ...
ミカワオサムシ とは(豊橋百科事典より)
みかわおさむし ミカワオサムシ(オサムシ科)は,体長約50㎜の昆虫で,産地の三河が和名につけられている代表種である。その分布域に特徴があり,西は鈴鹿山脈から東は天竜川を境に生息している。夜,地表をはい回り,ミミズなどの餌(えさ)を求める歩行虫の仲間である。体 ...
前田伝次郎 とは(豊橋百科事典より)
まえだ・でんじろう(1832~99) 前田伝次郎は,天保3(1832)年5月2日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田喜代次郎の長男に生まれた。20歳ごろ,魚の仲買人として表浜の生魚を干し鰯,煮干しとして付近の山村に出荷した。慶応元(1865)年から明治4(1871)年に至る ...
前田健次 とは(豊橋百科事典より)
まえだ・けんじ(1861~1927) 前田健次は,文久元(1861)年9月15日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田伝次郎の2男に生まれた。17歳の時,渥美郡野依村(豊橋市野依町)の山田家へ養子に行った。明治15(1882)年,前田伝次郎が経営する,細谷製糸所の所員となった ...
墓地 とは(豊橋百科事典より)
ぼち 墓地は,明治以前には,町方は寺院境内に,農村では村々に散在していた。明治以降は火葬が普及し,寺院境内に墓碑を建てることが多くなり,大規模な墓地が市営で造成された。平成17(2005)年,大規模墓地は,市営5か所,私営1か所である。 市営墓地は,飯村(いむれ ...
細谷村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
ほそやむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ひがしななね)村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原 ...
細谷製糸 とは(豊橋百科事典より)
ほそやせいし 細谷製糸は,朝倉仁右衛門(1829~85)によって始められた製糸工場である。朝倉仁右衛門は明治9(1876)年ごろから自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めていたが,明治10(1877)年に仲間を募って赤心組を結成した。その後,赤心組の主だったメンバーと長野県など製 ...
細谷小学校(豊橋市細谷町中ノ島) とは(豊橋百科事典より)
ほそやしょうがっこう 豊橋市立細谷小学校は,明治5(1872)年,細谷義校として発足し,翌6(73)年12月,第10中学区第9番小学細谷学校となる。明治7(1874)年,小島村の大応寺内に分教場を設置(下細谷学校)し,同11(78)年,第10中学区第24番小学下細谷学校・第25番小 ...
報徳二宮神社(豊橋市東細谷町牛田) とは(豊橋百科事典より)
ほうとくにのみやじんじゃ 報徳二宮神社は,昭和13(1938)年第八弥栄(いやさか)(豊橋市東細谷町)に入村した人たちが,同27(52)年小田原の二宮尊徳を勧請して建立したものである。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 ...
二川郵便局(豊橋市大岩町東郷内) とは(豊橋百科事典より)
ふたがわゆうびんきょく 明治5(1872)年渥美郡二川村に二川郵便局が設置された。明治10(1877)年,下細谷村・高足(たかし)村は高塚郵便局から二川郵便局管内となった。明治41(1908)年,高師村は二川郵便局から豊橋郵便局,翌42(09)年,二川町小島・小松原・寺沢は高 ...
二川南小学校(豊橋市大岩町前荒田) とは(豊橋百科事典より)
ふたがわみなみしょうがっこう 豊橋市立二川南小学校は,昭和63(1988)年4月,梅田川以南の二川小学校区の大岩町本郷・大岩町南・大岩町南丘・大岩町久保田,二川町南町,豊清(ほうせい)町・三弥(さんや)町・豊栄(ほうえい)町・細谷町一里山,谷川(たにがわ)小学校区の豊 ...
二川町(明治39年合併) とは(豊橋百科事典より)
ふたがわちょう 明治39(1906)年7月16日,渥美郡大川町・谷川村・細谷村・小沢村は合併して二川町と改称した。昭和30(1955)年3月1日,二川町は豊橋市に合併した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、200 ...
二川小学校(豊橋市二川町北裏) とは(豊橋百科事典より)
ふたがわしょうがっこう 豊橋市立二川小学校は,明治6(1873)年,寛明学校を二川村の松音寺に設立,同6(73)年10月,大岩寺を校舎として第10中学区第8番小学大岩学校を設立したことに始まる。明治11(1878)年,第10中学区第8番小学大岩学校・第22番小学二川学校となり, ...
「尾三測量日記」(大須賀初夫) とは(豊橋百科事典より)
びさんそくりょうにっき 「尾三測量日記」(愛知県郷土資料刊行会 昭和56年)は,享和3(1803)年,伊能忠敬(1745~1818)が第4次測量として江戸を出発し,駿河から三河,尾張,美濃,越前などを測量した日記から,三河,尾張の部分を抜き書きしたものである。 下細谷村 ...
彦坂幸太郎 とは(豊橋百科事典より)
ひこさか・こうたろう(1873~1907) 彦坂幸太郎は,明治6(1873)年2月22日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市七根町)の高橋喜重郎の長男に生まれたが,同28(95)年渥美郡高師村本郷(豊橋市高師本郷町)の彦坂栄作の養嗣子となった。明治28(1895)年愛知県第一師範 ...
東七根村 とは(豊橋百科事典より)
ひがしななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年戸田忠次に300石を分知して東・西七根村となった。東七根村は,寛文8(1668)年幕府領となり,天和元(1681)年から44年間鳥羽藩 ...
八幡社(豊橋市細谷町山ノ田) とは(豊橋百科事典より)
はちまんしゃ(ちはら) (地原)八幡社は,寛文2(1662)年地原が上細谷村(豊橋市細谷町)の枝郷として開発された時,氏神として祀ったものである。昭和11(1936)年社殿・社務所を改築した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござ ...
白山社(豊橋市寺沢町下坪尻) とは(豊橋百科事典より)
はくさんしゃ(てらさわ) (寺沢)白山社の創建は明らかでないが,高芦(たかし)郷の総氏神逆戈(さかほこ)神社の文治4(1188)年の棟札に細谷村・七根村・寺沢村・小島村とあり,分村は建久元(1190)年といわれるので,それ以来菊理比売命(くくりひめのみこと)を祀って鎮 ...
廃仏毀釈 とは(豊橋百科事典より)
はいぶつきしゃく 廃仏毀釈は,慶応4(1868)年3月,太政官から達せられた「神仏分離令」を契機に全国に巻き起こった反仏教運動であった。神仏分離令は,神社から仏教色を排除するため,明治新政府が慶応4(1868)年以降に出した一連の法令である。まず慶応4(1868)年3月1 ...
農協 とは(豊橋百科事典より)
のうきょう 農業協同組合(以下農協)は,昭和23(1948)年,それまでの農業会が解散して農業協同組合法に基づき,信用・購買・販売・加工・共同施設・福利厚生施設・技術指導などを主な事業内容として発足した。豊橋市内には27の農協と14の開拓農協があったが,昭和42(19 ...
西七根村 とは(豊橋百科事典より)
にしななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年,旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。渥美郡七根村の村高は,「三河国村々高附」( ...
難破船 とは(豊橋百科事典より)
なんぱせん 江戸時代に遠州灘を通過した廻船が難破した記録が残されている。元和7(1621)年以来,海難救助と浮荷物などの取揚げ・報酬などを規定した浦高札が建てられた。豊橋市域に属する下細谷村(豊橋市東細谷町)から城下村(豊橋市城下町)に至る村々の難破船の数は1 ...
七根村 とは(豊橋百科事典より)
ななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。 七根村の石高は,「三河国村々高附」(寛永期)に,七根村686 ...
冬至に冬瓜 とは(豊橋百科事典より)
とうじにとうがん 「冬至南瓜」という言葉が辞書に出ているが,五並(いなみ)周辺(豊橋市東細谷町・細谷町・小島町・小松原町・寺沢町)には,冬至まで冬瓜を保存しておいて食べる習慣がある。「ふるさと細谷」に「冬至南瓜,とうがんを食べ風呂に柚子の実を入れてあたたま ...
寺沢村 とは(豊橋百科事典より)
てらさわむら 寺沢郷は,文永4(1267)年,高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)から分立したという。渥美郡寺沢村の村高は,「三河国村々高附」(寛政期)に174石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所177石余とある。昭和4(1929)年の家数は78,人数は870であった ...
谷川小学校(豊橋市中原町東ノ谷) とは(豊橋百科事典より)
たにがわしょうがっこう 豊橋市立谷川小学校は,明治6(1873)年,二川(ふたがわ)義校分教場が中原村の原中寺に置かれたことに始まる。明治11(1878)年,第10中学区第23番小学大岩学校谷川分校となる。明治20(1887)年,渥美郡尋常小学二川学校谷川分教場となる。明治26 ...
高根村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
たかねむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢 ...
高芦神明社(豊橋市高師本郷町本郷) とは(豊橋百科事典より)
たかししんめいしゃ 「和名類聚抄」に見える渥美郡高芦(たかし)郷,「神鳳抄」の高足(たかし)御厨はこの地で,高芦神明社は白鳳3(674)年伊勢内宮を勧請したと伝える。配祀する須勢理比売命(すせりひめのみこと)は「三河国内神明帳」の従五位上伊久佐女天神である。「三州 ...
杉浦六太郎 とは(豊橋百科事典より)
すぎうら・ろくたろう(1860~1909) 杉浦六太郎は,万延元(1860)年6月15日,下細谷(豊橋市東細谷町)の網元の家に生まれた。杉浦武雄(1890~1963)の父である。明治14(1881)年ごろから打瀬網(うたせあみ)漁船が渥美半島の遠江(とおとうみ)灘一帯に出て来て地引網に ...
杉浦武雄 とは(豊橋百科事典より)
すぎうら・たけお(1890~1963) 杉浦武雄は,明治23(1890)年5月20日,渥美郡細谷村下細谷(豊橋市東細谷町)の網元・杉浦六太郎の長男に生まれた。杉浦六太郎は,明治25(1892)年の打瀬網(うたせあみ)事件で,首謀とされ服役した。この間,杉浦武雄は静岡県榛原町など ...
神葬祭 とは(豊橋百科事典より)
しんそうさい 江戸時代には,宗門人別改などの制度によって,一般庶民も全て仏教による葬儀を行ってきた。明治維新になって政府は,慶応4(1868)年3月,神道を国教化することを目的として,「神仏分離令」を布告して,寺社から神と仏を峻別した。 この神仏分離令によって ...
真月寺(豊橋市東細谷町西島) とは(豊橋百科事典より)
しんげつじ 仏光山真月寺(臨済宗妙心寺派)の創立は永和4(1378)年,開山は華運椿公首座である。本尊は聖観世音菩薩坐像で,約30㎝の体内仏が認められ,伝行基作とされる。当初は下細谷村十ヶ谷の海岸部に位置した。しかし,宝永4(1707)年の大地震津波の被害を受け,享 ...
下村快雨 とは(豊橋百科事典より)
しもむら・かいう(1879~1949) 下村快雨は,明治12(1879)年11月16日,豊橋指笠町(豊橋市新本町)願成寺の福沢家に生まれた。母方の姓をとって下村姓を名乗った。名は諦信。伊勢一身田(津市)の真宗高田派の本山教校に学んだ。帰寺後,叔父大河戸晩翠に画を学ぶかたわ ...
下細谷村 とは(豊橋百科事典より)
しもほそやむら 細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡下細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に560石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所634石とある。明治7(1874)年の家数134,人数688で ...
静岡藩 とは(豊橋百科事典より)
しずおかはん 静岡藩(駿河府中藩・駿府藩を明治2年6月改称)は,明治元(1868)年5月,徳川宗家を相続した田安亀之助(徳川家達)が駿府城主に任ぜられ,70万石を与えられたことに始まる。当初の所領は,駿河国一円と遠江(とおとうみ),陸奥両国とされた。しかし,陸奥国 ...
市会争擾事件 とは(豊橋百科事典より)
しかいそうじょうじけん 豊橋市会騒擾事件は,大正11年(1922)8月,細谷豊橋市長が,八町高等小学校の移転・市立図書館の移転・公会堂の建設・市立商業学校の設立を提案したことから始まった。細谷市長と対立していた大口喜六を中心とした同志派は,財源が増税と市債であ ...
潮見バイパス とは(豊橋百科事典より)
しおみばいぱす 潮見バイパスは,国道1号潮見坂南側に平成8(1996)年6月5日開通した自動車専用道路である。国道1号(静岡県浜名郡新居町)の浜名バイパス接続点(大倉戸IC)より,白須賀IC間の橋梁構造を経て潮見トンネル(全長320m)を通り,豊橋市東細谷町一里山(東 ...
潮見坂(湖西市白須賀) とは(豊橋百科事典より)
しおみざか 潮見坂は,東海道白須賀宿(湖西市)東南の街道にある坂で,その名のとおり南側に太平洋(遠州灘)を望むことができる。かつては,京都方面から江戸への道程で初めて太平洋や富士山が見える場所として名高く,歌川広重も白須賀宿の版画は「汐見坂」として遠州灘 ...
座頭崖(民話) とは(豊橋百科事典より)
ざとうがけ 二川中学校の東(豊橋市二川町道賢田)辺りは,梅田川に流れ込む落合川に沿って300mほど崖になっているところがある。この横を通る細い道が,昔は二川と細谷(豊橋市細谷町)をつなぐ大切な道であった。樹木や笹が生い茂り,昼でも暗く,狐や狸が住みついており ...