すさのおじんじゃ(よこすか) (横須賀)進雄神社は,応長元(1311)年の創建で,天文9(1540)年の津波によって社殿宝物すべてを流失した。社伝に,永正(1504~21)のころ牧野田三がこの地を開発したとある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,横須賀村「牛頭(ご ...
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進雄神社(豊橋市南栄町空池) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(みなみさかえ) (南栄)進雄神社は,元禄11(1698)年森田新田(豊橋市町畑町森田)が開発され東浦(豊橋市北山町東浦)の地に牛頭(ごず)天王を奉斎したが,明治5(1872)年進雄神社と改め,同42(09)年遷祀,大正8(1919)年空池(豊橋市南栄町空池) ...
素盞嗚神社(豊橋市新本町) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(みこしやすみ) 治承2(1178)年源頼朝が雲谷(うのや)の普門寺に在泊,天王社(吉田神社)に祈願した。(御輿休(みこしやすみ))素盞嗚神社は,その後文治2(1186)年天王社の分霊を建立し,天王社の別宮としたことに始まる。天文16(1547)年今川義元は ...
素盞嗚神社(豊橋市石巻本町宮前) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(まごし) (馬越)素盞嗚神社(豊橋市石巻本町[馬越])の創建は明らかでないが,永享9(1437)年の棟札があり,裏面に寛正3(1462)年「為守右馬尉」とあり,牧野氏の一族の造立と考えられる。また,享禄5(1532)年西郷孫四郎信員(のぶかず)の棟札を ...
進雄神社(豊橋市藤並町藤並) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ふじなみ) (藤並)進雄神社は,寛文8(1668)年藤並新田が開発され,翌9(69)年進雄命(すさのおのみこと)を勧請して氏神とした。昭和32(1957)年本殿を改築,同57(82)年社殿を改修,社務所を新築した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことを ...
素盞嗚神社(豊橋市下条東町宮脇) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ふじがいけ) (藤ヶ池)素盞嗚神社は,豊橋市下条東町[藤ヶ池]に鎮座する。創立年代は明らかでないが,天文17(1548)年今川義元の修造棟札がある。神輿(みこし)に「天王御輿一宇,三州宝飯郡豊川郷総氏子奉建立者也,宇時寛文壬寅年六月吉日,神主神 ...
素盞嗚神社(豊橋市植田町西ノ山) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ひがしうえた) (東植田)素盞嗚神社は,宝亀元(770)年山城国祇園天王を勧請し,長治元(1104)年社地を洪水の害から移したという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,東植田村「天王,祢宜五太夫」とある。昭和12(1937)年進雄社を素盞嗚神社 ...
素盞嗚神社(豊橋市下条西町西郷廻リ) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(はったがや) (八反ヶ谷)素盞嗚神社は,天正元(1573)年八反ヶ谷村(豊橋市下条西町[八反ヶ谷])の産土神(うぶすながみ)として創建された神社である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,八反ヶ谷村「天王,祢宜小太夫」とある。 - - 豊橋 ...
素盞嗚神社(豊橋市野田町野田) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(のだ) (野田)素盞嗚神社は,応仁元(1467)年の勧請であるが,天文9(1540)年大津波に遭い,天正7(1579)年吉田城主酒井忠次が再建したという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,野田村「野田,天王,祢宜孫四郎,右社拾二年以前申ノ年大風 ...
素盞嗚神社(豊橋市石巻西川町欠下) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(にしがわ) (西川)素盞嗚神社の創建は,最も古い棟札に「寛永六(1629)年創建牛頭(ごず)天王宮」とある。慶応4(1868)年素盞嗚神社と改めた。「三河国二葉松」(元文5年)に,「西川村天王社,除地新畑一反四畝四歩,神主西川伝九郎」とある。明治元 ...
素盞嗚神社(豊橋市長瀬町東浦) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ながせ) (長瀬)素盞嗚神社は,慶長14(1609)年尾張国津島神社の牛頭(ごず)天王を勧請し,長瀬村(豊橋市長瀬町)の産土神(うぶすながみ)としたものである。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,長瀬村「牛頭天王,祢宜茂右衛門,」とある。 ...
素盞嗚神社(豊橋市花田町中郷) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(なかごう) (中郷)素盞嗚神社は,花ヶ崎村中郷(豊橋市花田町[花ヶ崎]中郷)の氏神である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,花ヶ崎村「牛頭(ごず)天王,祢宜五平次」とある。鎌倉時代の開村と伝えるが,寛文3(1663)年の棟札が残る。社殿は ...
素盞嗚神社(豊橋市下条西町杉本) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ごい) (五井)素盞嗚神社は,五井村(豊橋市下条西町[五井])の鎮守である。創立年代は明らかでないが,天文5(1536)年の棟札があり,室町時代の作と思われる古鏡と獅子頭がある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,五井村「天王,祢宜七郎左 ...
素盞嗚神社(豊橋市梅薮町上屋敷) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(うめやぶ) (梅薮)素盞嗚神社の創建は,宝暦8(1758)年というが,口碑に朱鳥元(686)年にはじめてこの地に素盞嗚尊を祀ったという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,梅藪村「天王,祢宜喜兵衛」とある。明治38(1905)年社殿を改築した。 ...
素盞嗚神社(豊橋市石巻小野田町滝沢) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(いぶみ) 入文(豊橋市石巻小野田町[入文])の素盞嗚神社の創建は明らかでないが,棟札の最も古いものが延宝8(1680)年「奉建立牛頭(ごず)天王西郷ノ内入文村」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「入文村天王社,除地二石,神主作之右衛門」と ...
素盞嗚神社(豊橋市飽海(あくみ)町) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(あくみ) (飽海)素盞嗚神社は,古くは飽海村天王といわれ,万治4(1661)年創建された。古くから安久美(あくみ)神戸神明社の諸役はこの地の住民が奉仕している。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 ...
素盞嗚社(豊橋市向草間町向西) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(むこうくさま) (向草間)素盞嗚社は,社伝によると寛永2(1625)年はじめて祀るとある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,向草間村「牛頭(ごず)天王,祢宜茂兵衛」とある。大正10(1921)年稲荷社を合祀した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋の ...
素盞嗚社(豊橋市野依(のより)町西屋敷) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(ぶっしょう) (仏餉(ぶっしょう))素盞嗚社の創建の年ははっきりしないが,寛永3(1626)年仏餉村(豊橋市野依町[仏餉])の村田三郎太夫が願主となり,神主村田九郎兵衛らと再建したといわれる。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,仏餉村「天王,祢 ...
進雄社(豊橋市小松原町今西) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(こまつばら) (小松原)進雄社の創建は明らかでないが,口碑によれば垂仁天皇30年海岸の地に奉祀したという。その後,数度の津波によって天平5(733)年東山に奉遷,宝永4(1707)年の地震・津波によって現在の地に鎮座された。享保12(1727)年社殿を造営 ...
素盞嗚社(豊橋市牛川町宮脇) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(くれがわ) (暮川)素盞嗚社は,豊橋市牛川町[暮川]の鎮守である。創建の年代は明らかでないが,明暦3(1657)年以降21度におよぶ社殿造補の記録が残っている。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,暮川村「牛頭(ごず)天王,祢宜孫右衛門」とある。社 ...
素盞嗚社(豊橋市大村町高之城) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(おがさと) (大蚊里(おがさと))素盞嗚社は,享禄4(1531)年牛頭(ごず)天王を勧請して鎮守とした。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大蚊里村「牛頭天王,祢宜七太夫,右境内薬師堂」「正八幡宮,祢宜七太夫,観音堂」とある。明治5(1872)年素盞 ...
素盞嗚社(豊橋市王ヶ崎町宮脇) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(おがさき) (王ヶ崎)素盞嗚社は,社伝によると寛永9(1632)年はじめて祀るとある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,草間村「牛頭(ごず)天王,祢宜五左衛門」とある。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござい ...
素盞嗚社(豊橋市牟呂大西町) とは(豊橋百科事典より)
すさのおしゃ(おおにし) (大西)素盞嗚社は,大宝元(701)年の創建と伝える。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牟呂村「牛頭(ごず)天王,祢宜芳賀(はが)太郎左衛門,御朱印社領壱石五斗目,八幡宮之内」とある。昭和20(1945)年6月,社務所を除いて社殿は戦火 ...
進雄(しんゆう)神社 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 素盞嗚(すさのお)神社 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...