愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:石巻

さの・ほうそん(1895~1990)  佐野峰村は,明治28(1895)年1月10日,八名郡玉川村(豊橋市石巻本町神ヶ谷)に佐野五市良の長男として生まれた。名を康一,俳号を峰村と称した。大正3(1914)年愛知県第一師範学校二部を卒業して,小学校教諭の後,昭和5(1930)年から豊 ...

さくら  サクラ(バラ科)は,落葉高木で,種類が多く,一般に春に白色または淡紅色の五弁の花が開く。古くから日本人に愛され,日本の国花になっている。豊橋では4月上旬に盛りをむかえ,豊橋公園・向山緑地・岩屋緑地・牛川遊歩公園などで花見を楽しむことができるほか, ...

さきょうでんじょう  左京殿城は,「石巻村史」によれば大永3(1523)年ごろには小枝左京進が在城したとあるが,この小枝氏については明らかではない。 城址(じょうし)は三河と遠江を結ぶ本坂峠下の要衝で,新本坂トンネルバイパスに接する嵩山校区市民館の東の小山である ...

さかほこじんじゃ(たかし)  (高師)逆戈神社は,国常立命(くにのとこたちのみこと)を祭神とし,白鳳年間の創建と伝えられる。往古は八遅戈(やちほこ)大明神といったが,鎌倉時代以降石巻明神の分霊を合祀して,逆戈大明神と称したという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄 ...

さかいのこうしんさま  賀茂村の坂井(豊橋市賀茂町坂井)に,一体の庚申さまが流れ着いた。庚申さまは大雨の中をいずこから流れて来たのかも,どこのものかも分からなかった。村人たちは庚申さまを洗い清め,流れ着いた所にお祀りした。でも庚申さまは,雨のたびに水びたし ...

さいとう・ゆり(1891~1947)  斎藤百合(野口小つる)は,明治24(1891)年3月31日,八名郡美米(みこめ)村金田(豊橋市石巻町)の野口浪太郎の2女として生まれた。3歳のころ,麻疹(はしか)の後の栄養不足から突然失明して全盲になった。9歳で按摩(あんま)見習となり,10歳 ...

さいごうむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,八名郡中山村・萩平村・平野村(中野田新田を合併)・西川村・小野田村(入文村・成沢村が合併して改称)・馬越村となった。明治22(1889)年10月1日,町村制施行にあたって,中山村・萩平村・平野村・西川村 ...

さいごうのむかしばなし  「西郷のむかし話」(西郷郷土史会 昭和61年)は,西郷郷土史会の16人で編集・発行したものである。歴史編には戦国時代の西郷氏,むかし話編には豊橋市石巻中山町・石巻萩平町・石巻西川町・石巻小野田町の69の話のほかにそれぞれの町の地名あれこ ...

さいごうしょうがっこう  豊橋市立西郷小学校は,明治5(1872)年,西郷郷学校が萩平村(豊橋市石巻萩平町)の竜泉寺に設けられ,翌6(73)年6月,第9中学区第36番小学西郷学校として開校したことに始まる。明治9(1876)年,西郷学校は第9中学区小学萩平学校と改称し,成沢 ...

さいがじ  分明山西河寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山認得性公首座の示寂(じじゃく)は文禄3(1594)年であるので,戦国末期の創立と推測される。古来正宗寺末松寿派に属していた。西河寺の本尊は聖観世音菩薩像であるが,ただ脇壇安置の薬師如来像は西川村 ...

こんだ・さぶろう(1912~2002)  近田三郎は,明治45(1912)年6月25日,八名郡八名村庭野(新城市庭野)の小林家の3男に生まれた。昭和8(1933)年愛知県第一師範学校を卒業し,小学校教諭となり,石巻村玉川(豊橋市石巻本町)の近田家の養嗣子となる。昭和21(1946)年 ...

ごんげんやまほうだい  権現山砲台は,豊橋市石巻本町と豊川市三上町の間にある権現山に,豊川海軍工廠(こうしょう)の防衛のために構築された砲台である。砲台は,昭和19(1944)年の秋ないしは初冬から工事が開始され,第2次世界大戦終戦直前の同20(45)年8月7日の豊川海 ...

ごんげんやまこふん  「権現山古墳」2基(豊橋市石巻本町別所・北入田)は,昭和48(1973)年4月4日愛知県史跡に指定された。 権現山古墳群は,標高65mの独立丘陵・権現山の尾根上に築かれた古墳群であり,このうち1・2号墳の2基は「権現山古墳」の名称である。権現山1号 ...

こようそくしんじゅうたく  雇用促進事業団は,昭和36(1961)年設立され,全国各地に炭鉱離職者対策として住宅を建設した。豊橋市内には6か所ある。大村住宅 80戸(昭和39年建設)津田住宅 80戸(昭和41年建設)大岩住宅 80戸(昭和42年建設)下五井住宅 80戸(昭和43 ...

こまどめのいし  源頼朝(1147~99)は逆戈(さかほこ)神社(豊橋市浜道町)を崇敬(すうけい)していた。文治4(1188)年に神領を寄進した時,お墨付きに八遅戈(やちほこ)大明神と記した。神社は後に,石巻神社の分霊を祀り,逆戈神社と改名したという。源頼朝が鎌倉より京へ ...

ごほんまつじょう  五本松城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の本城である。西郷氏は,石巻中山地区を中心に城砦(じょうさい)群を築いたが,この城は唯一平地部に位置する。この城の様子を伝える広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五本松」に ...

ごほんじ  禅源山悟本寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山は機外座元であり,応安3(1370)年3月没であるので室町初期とされる。古来正宗寺末祥泉派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,平野村「禅源山悟本庵,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿六 ...

ごとう・かずお(1917~95)  後藤和夫は,大正6(1917)年4月12日,八名郡石巻村嵩山(すせ)(豊橋市嵩山町)の後藤礼一郎の2男として生まれた。東京帝国大学文学部を卒業し,昭和17(1942)年松本高等女学校に勤務した。第2次世界大戦後,郷里へ帰り,愛知県第二師範学校・ ...

こうれいしゃかつどうせんたー  豊橋市高齢者活動センターは,市内2か所に開設されている。事業は高齢者向きの軽作業,趣味の作品づくり,および地域(子ども・青年・女性)との交流による高齢者の社会参加の場である。 牟呂高齢者活動センターは,豊橋市牟呂町東里に,昭 ...

こうふくじ(いしまきほんまち)  中尾山広福寺(臨済宗妙心寺派)は,承安4(1174)年に創立した。当初天台宗であったが,天正10年(1582)遠山祖芳和尚が再興し,臨済宗に改宗した。正宗寺2世蒲済和尚を勧請開山と仰ぎ,以来,正宗寺末浄蔭派に属した。 所在地ははじめ神 ...

ごうどうのたき  郷道の滝は,豊橋市石巻西川町を流れる郷道川(川幅約10m)にある滝である。高さは約5m,平水時の落水の幅は50㎝ほどである。この滝を中心に,豊橋市建設部河川課が管理する緑地広場「郷道川の滝」が整備され,駐車場も完備している。周辺には,賀茂しょう ...

こうちせいり  神野新田二回地区約179haは,神野新田耕地整理の第1期事業として干拓による耕地整理を明治41(1908)年10月20日から始め,大正元(1912)年6月に完工した。引き続き第2期工事として,大正5(1816)年12月から神野新田耕地整理西部施行地区320haの整理が開始 ...

こうせきだいち  洪積台地は,更新世(約170万年前~1万年前)に形成された地層からなる台地である。一般的には沖積平野または海と山地との中間に分布する。豊橋では,豊川(とよがわ)左岸に河岸段丘として広く分布している。その下位段丘は豊橋段丘と称され,豊橋市街地の ...

こうじょう  高城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。この城の様子を伝える絵図として広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五葉」がある。 五葉城は,豊橋市と新城市の境の新城市富岡に所在し,東名高速道路沿いの大原調整池( ...

こうくしみんかん  校区市民館は,昭和47(1972)年,豊橋市社会教育審議会の社会教育施設の適正な配置と規模に関する建議を受け,地区市民館に次いで年次計画(昭和49年)で建設着工された。昭和55(1980)年,東田(あずまだ)・松葉・津田・磯辺・大崎・鷹丘・下条・多米( ...

げじょうかいどう  下条街道は,豊橋市が平成2(1990)年に道路愛称として公募して認定した道路である。豊橋鳳来線(愛知県道69号)の一部区間で,豊橋市旭本町の豊橋大知波線(多米街道)との交差点から豊橋市石巻本町の国道362号(姫街道)との交差点までの延長5.0㎞の道 ...

けいさつしょ  愛知県豊橋警察署は,明治5(1872)年11月に額田県が愛知県に合併した時,豊橋支庁に邏卒(らそつ)(巡査)など132人が配置されたことに始まる。明治6(1873)年,邏卒を番人に改称した。翌明治7(1874)年,豊橋駅札木町に屯所(とんしょ)を設置,警史1人,番 ...

くろやじんじゃ  成沢(豊橋市石巻小野田町[成沢])の黒谷神社の創建は明らかでないが,祭神は罔象女命(みずはのめのみこと)で,緑野城(勝山城)の四隅鎮護の社の一つと伝えられ,寛永6(1629)年社殿を建立したと伝えられる。明治24(1891)年牟呂用水の通水にあたり現 ...

くものすしだ  クモノスシダ(ウラボシ科)は,石灰岩地を好む代表的な植物として知られる常緑性のシダで,細長い葉を四方にはわせるように広げて岩壁に着生する。葉の先端から芽を出し,そこからさらに葉をひろげて増える様子をクモの巣にみたてて名づけられている。近年減 ...

くびながぎせる  クビナガギセル(キセルガイ科)は,陸地に生息する巻貝である。タバコを吸うとき使用した「キセル」に似た姿をしており,殻径は4㎜前後,殻長は17㎜前後の中型のキセルガイである。殻の巻き数は12~13で左巻き,殻の頚部(けいぶ)が細く長いのが特徴である ...

くだがゆしんじ  石巻神社の管粥神事は,豊橋市石巻町石巻山の山上社で,例年旧正月(2月)14日,15日に行われるその年の農作物の豊凶を占う神事である。 2月14日の夜,丑(うし)の刻(午前1時ごろ)神田で収穫された1升ほどの斎米(ときまい)を葦の茎(管)と一緒に,大き ...

くすのき  クスノキ(クスノキ科)は,常緑高木で,原産地は日本から中国にかけての暖帯から亜熱帯地方である。高さは30m余りに達するものもある。成長が早く,用材としても広く用いられる。また,樟脳(しょうのう)の原料としても価値が高かったために,江戸時代に広く植樹 ...

くすしじんじゃ  医神社は,長承3(1134)年,太陽寺鎮護社として少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り,建久7(1196)年安達藤九郎盛長が社領50石を寄進したと伝えられる。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「薬師堂,村中支配」とある。 - - 豊橋市議の ...

きわだ・きろく(1901~18)  木和田喜六は,明治34(1901)年3月1日,八名郡石巻村多米(ため)(豊橋市多米町)の木和田三作の2男に生まれた。大正7(1918)年6月9日,豊橋駅構内踏切で人命救助で殉職した。多米赤岩寺に「故鉄道院豊橋駅員木和田喜六之碑」が建立された。 ...

ぎょくせんじのなぎ  「玉泉寺のなぎ」1樹20坪(玉泉寺)は,昭和32(1957)年9月19日,豊橋市天然記念物に指定された。 ナギは,マキ科の常緑高木の針葉樹である。暖地性の樹木で,豊橋地方には自生はなく,社寺などに植栽されたのを見るだけである。葉は中央が広いが平 ...

ぎょくせんじ  南竜山玉泉寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山慈雲座元が嘉慶元(1387)年に没していることから,南北朝末期の創立と推察される。古来正宗寺末浄蔭派に属していたが,明治38(1905)年妙心寺の直末となった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...

きゅうきゅうしゃ  市町村の救急業務は,消防法(昭和23年制定)が,昭和38(1963)年,改正されて消防の業務となった。豊橋市の救急活動は,昭和32(1857)年6月,豊橋市防火委員会より救急自動車の寄贈を受け,消防署に配置されたことから本格的に開始された。昭和33(195 ...

きのした・かつみ(1914~80)  木下克巳は,大正3(1914)年3月28日,八名郡石巻村玉川(豊橋市石巻本町市場)の近田玉吉の2男として生まれた。父・珠浪の影響を受け,豊橋中学校在学中より俳句に興味を持ち,市川丁子(ていし)・臼田亜浪(あろう)に師事した。昭和10(1935 ...

きつね  キツネ(食肉目イヌ科)は,耳が三角形で大きく,尾は先が白く太くて長い。夜行性動物で,主にノネズミやノウサギなどを捕食し,アケビなども食べる。トンネル状の穴を掘り,時にはアナグマの古巣を利用して子育てをする。北海道のものをキタキツネ,本州以南をホン ...

きちじょうさん  吉祥山は,豊橋市石巻西川町吉祥と新城市一鍬田との境界の里山である。東西にやや長い円形の独立峰の頂上には,三角点(382.1m)がある。この山の北尾根の中腹に,かつて今水寺という寺院があって吉祥天を祀ったのが山名の由来である。この北尾根にはシイの ...

かんつばき  カンツバキ(カンツバキ科)は,サザンカの園芸品種とされることもあるが,ツバキとサザンカの交雑によって作り出されたものとされる。刈り込みに強く,葉を密につける。濃い赤色の花が目立つので,好んで生け垣として利用されている。ツバキと異なり,花弁がバ ...

かるすとちけい  カルスト地形は,石灰岩地域が雨水や地下水によって溶食されて生じた地形である。地上にドリーネやウバーレなどの縦穴を,地下には鍾乳洞(しょうにゅうどう)などの洞穴をつくる。山口県の秋吉台や福岡県の平尾台が有名である。豊橋市内には,牛川地区,石巻 ...

かもばし  賀茂橋は,石巻萩平豊川線(愛知県道499号)が豊川を横切るところに架けられた橋である。豊橋市賀茂町と豊川市向川原町間を結ぶ。昭和41(1966)年3月に完成,橋長332.2m・幅員6.0mである。なお橋の開通により,「賀茂の渡し」は廃止された。平成7(1995)年4月に ...

かものかねがふち  昔,賀茂の庄(豊橋市賀茂町)に長者がいた。その家には村で評判の美しい娘がいた。川を隔てた向かい側の麻生田(あそうだ)(豊川市麻生田町)に,京の都から高貴な身分の若者があらわれた。娘は,若者に想いを募らせた。ある日のこと,石巻神社に参詣した ...

かもしょうがっこう  豊橋市立賀茂小学校は,明治5(1872)年8月,賀茂郷学校として開かれ,翌6(73)年6月,賀茂村の本願寺に第9中学区第35番小学賀茂学校として発足したことに始まる。明治12(1879)年12月,校舎を賀茂村宗末に移し,八名郡第25番小学賀茂学校となる。明 ...

かみがやむら  神ヶ谷村は,鎌倉期~戦国期に見える「神谷御厨(みくりや)」ではないかと推定される。八名郡神ヶ谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に252石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分263石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家 ...

かみがやきょうどし  「神ヶ谷郷土史」(神ヶ谷郷土史編集委員会 昭和51年)は,神ヶ谷村と森岡新田を合わせた神ヶ谷の郷土史である。歴史編・現代編・宗教編・民俗編とあり,検地帳には神ヶ谷村は寛永6(1629)年,森岡新田は宝永2(1705)年新発とある。明治7(1874)年 ...

かみいしやま  神石山は,豊橋市の東部,愛知県と静岡県の県境になっている弓張山系の南端に近い,豊橋市岩崎町[手洗]と湖西市太田との境にある山である。手洗集落から神石山自然歩道(0.8㎞)が整備されており,神石山南の鞍部の稜線で豊橋自然歩道(本線)に接続して山 ...

かねがふち  昔,石巻山のある寺に,大変美男の青年僧がいた。豊川(とよがわ)の近くのさる大家の姫君が,この僧に恋をし,会ってほしいといい寄った。困り果てた僧は一計をめぐらし,「大雨の降る日に三明寺(豊川市馬場町)の釣り鐘を外し,引っ張って来たら会う」といった ...

かなだむら  八名郡金田村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に470石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分574石余,石巻社領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数131,人数550であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,金田村「石 ...

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