愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:石巻

ちくしみんかん  豊橋市地区市民館は,昭和47(1972)年3月,豊橋市社会教育審議会が行った「豊橋市における社会教育施設の適正な配置・規模および望ましい運営について」の建議を受け,年次計画で各中学校区に地区市民館(各小学校区には校区市民館)の建設を決定着工した ...

だんじょうとりで  弾正砦は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。位置を特定できないが,豊橋市石巻中山町の採石場付近にあったとされる。遺構はなく,規模なども不明である。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござい ...

ためとうげ  多米峠は,豊橋市多米東町と湖西市大知波を結ぶ標高265mの峠である。弓張山系を越えて愛知県と静岡県を結ぶ峠のうち最も南に位置する。多米峠には,長い間徒歩道しかなかったが,昭和41(1966)年に多米峠有料道路が開通し,同62(87)年に豊橋側にあった料金所 ...

ためしょうがっこう  豊橋市立多米小学校は,明治6(1873)年6月,多米村の宝珠寺に義校が設置されて,翌7(74)年1月,牛川学校出張所となり,同10(77)年,多米村・赤岩村を学区とする第9中学区第85番小学多米学校となったことに始まる。明治12(1879)年,八名(やな)郡 ...

たまがわむら  明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡神ヶ谷村(明治8年7月神ヶ谷村は森岡新田を合併)・高井村・長楽村・和田村は合併して玉川村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(06)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・ ...

たまがわしょうがっこう  豊橋市立玉川小学校は,明治6(1873)年6月,第9中学区第37番小学和田学校として,和田村御所の竜泉寺を校舎として発足したことに始まる。明治9(1876)年,校地を高井村東野に移転し,同12(79)年10月,八名(やな)郡第32番小学玉川学校と改称した ...

たぶのき  タブノキ(クスノキ科)は,高さ15mあまりの大木になる常緑広葉樹である。葉は有柄で葉身も大きく,10㎝を超える。その表面に光沢がある照葉樹である。冬芽は枝先にあり,赤色を帯びた芽鱗(がりん)からできており,大きくよく目立つ。木肌は灰白色で,滑らかであ ...

たけお・まさひさ(1834~1904)  竹尾正久は,天保5(1834)年3月28日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の賀茂神社神主竹尾大和守成樹の2男に生まれた。幼名を勝之助という。中務・八束髭などと号した。一宮の草鹿砥宣隆(くさかどのぶたか)に学んだ。明治2(1869)年,賀茂村 ...

たかいむら  高井の地名は,南北朝期にこの地を領した高井主膳に由来するとされる。八名郡高井村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に388石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分450石余,八幡社領3石,慈雲寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によ ...

たかいのもちつき  高井城(豊橋市石巻本町城之内)は,当時南朝に属していた高井主膳正の居城といわれている。ある年,暮れの12月28日のこと,高井の城は北朝軍の激しい襲撃を受け,苦戦を強いられていた。12月28日といえば,この村では「二八餅」といって,正月用の餅をつ ...

たかいじょう  高井城は,「三河国二葉松」(元文5年)に,「高井村古城,高井主膳」とある。国道362号(姫街道)小倉橋交差点の南の小高い丘状になっている所が城址(じょうし)である。畑地の端に高まりが確認でき,これが土塁の痕跡である可能性がある。広島市立中央図書館 ...

たかいいせき  高井遺跡は,豊橋市石巻本町投野の辺りに広がる弥生時代中期から,中世まで続く大きな遺跡である。特に弥生時代は大きな環濠(かんごう)に囲まれた豊橋市内でも有数の大規模な集落であった。 発掘調査が行われ,環濠や方形周溝墓,竪穴住居跡などが発見された ...

だいふくじ  清水山大福寺(臨済宗妙心寺派)は,明治初年の明細帳によると延久元(1069)年の創立となっている。しかし,開山陽岩和尚の示寂(じじゃく)は永徳元(1381)年であるので,往古天台か真言の寺であって衰退していたのを陽岩和尚が再興改宗したものとされる。開基 ...

だいはんにゃきょう  「大般若経」600巻(石巻神社蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(文書・典籍)に指定された。 石巻神社(豊橋市石巻町)の「大般若経」は,紙幅天地25㎝,長さ51㎝で,巻子(かんす)に仕立てられ,1張29行前後である。600巻のうち首尾 ...

だいねんぶつ  嵩山(すせ)の大念仏は,豊橋市嵩山町のうち旧嵩山村であった藤薮・中村・市場・湯巻の各地区に伝承された念仏踊りである。旧盆の14日または15日の夜,集落内で初盆を迎える家を訪れて庭先で念仏踊りを供養し,16日に檀那寺(だんなでら)の正宗寺本堂前で興行す ...

だいだらぼっちのあしあと  石巻山の山頂へ向かう途中,だいだらぼっちの足跡とか,山姥(やまんば)の足跡と呼ばれているまん中が凹(へこ)んだ大きな岩がある。大昔,だいだらぼっちが石巻山に登る途中で小便がしたくなり,石巻山に片足を踏ん張り,もう片足を本宮山にかけて ...

そうわちゅうがっこう  賀茂村・金沢村組合立双和中学校は,昭和24(1949)年,賀茂村天神前に,賀茂小学校・金沢小学校を校区として設立された。そのため,石巻村・賀茂村・金沢村組合立祥南中学校は廃止され,石巻村立石巻中学校と賀茂村・金沢村組合立双和中学校となった ...

せっかい  豊橋地方での石灰製造は,石灰岩を産出する石巻山を中心とする八 名(やな)郡嵩山(すせ)村(豊橋市嵩山町)と牛川村(豊橋市牛川町)で,江戸時代から焼製されていた。石灰岩は,石垣用材や石灰,セメント,肥料など用途は広い。近代化が進むにしたがって,セメン ...

せいしょうねんせんたー  豊橋市青少年センターは,昭和53(1978)年4月,青少年団体やサークルなどの活動,健全な育成の拠点として豊橋市牟呂町東里に開設された。敷地面積1万6612㎡(中央青年の家・児童文化センターを含む),建物延べ面積1180㎡,鉄筋コンクリート造り4 ...

すわひがしとりで  諏訪東砦は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五本松」で「タイトコロ」と記された場所の遺構と思われる曲輪(くるわ),堀切,土塁が確認できる。その規模は50m×20m程度 ...

すわじんじゃ(なかやま)  (中山)諏訪神社は,大永7(1527)年五本松城主西郷弾正左衛門尉信貞が建御名方命(たけみなかたのみこと)を勧請したと伝える。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「諏訪大明神,村中支配」とある。延宝6(1678)年吉田(豊橋)城主 ...

すせむら  明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡嵩山村・長彦村・月ヶ谷(わちがや)村は合併して嵩山村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(1906)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・嵩山村・西郷村は合併して石巻村と改称し ...

すせしょうがっこう  豊橋市立嵩山小学校は,明治6(1873)年8月,第9中学区第39番小学嵩山学校とした。嵩山村上角庵の正宗寺支院の陽徳院を校舎として,嵩山村・長彦(ながひこ)村・月ヶ谷(わちがや)村を校区として発足した。明治10(1877)年,嵩山村宮下に校舎である陽徳 ...

すずき・へいごろう(1847~1921)  鈴木平五郎は,弘化4(1847)年12月7日,八名郡萩平村(豊橋市石巻萩平町)の杉村家に生まれた。4歳の時,同村の鈴木平八の養子となった。明治5(1872)年西郷郷学校幹事となり,同7(74)年西郷学校教員(明治8~13年首座教員)となった ...

すさのおじんじゃ(まごし)  (馬越)素盞嗚神社(豊橋市石巻本町[馬越])の創建は明らかでないが,永享9(1437)年の棟札があり,裏面に寛正3(1462)年「為守右馬尉」とあり,牧野氏の一族の造立と考えられる。また,享禄5(1532)年西郷孫四郎信員(のぶかず)の棟札を ...

すさのおじんじゃ(にしがわ)  (西川)素盞嗚神社の創建は,最も古い棟札に「寛永六(1629)年創建牛頭(ごず)天王宮」とある。慶応4(1868)年素盞嗚神社と改めた。「三河国二葉松」(元文5年)に,「西川村天王社,除地新畑一反四畝四歩,神主西川伝九郎」とある。明治元 ...

すさのおじんじゃ(いぶみ)  入文(豊橋市石巻小野田町[入文])の素盞嗚神社の創建は明らかでないが,棟札の最も古いものが延宝8(1680)年「奉建立牛頭(ごず)天王西郷ノ内入文村」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「入文村天王社,除地二石,神主作之右衛門」と ...

すぎもとはちまんしゃのつなび  「椙本八幡社の綱火」(和田椙本八幡社綱火保存会)は,昭和59(1984)年2月24日豊橋市無形民俗文化財に指定された。 椙本八幡社(豊橋市石巻本町[和田])の綱火は江戸時代から伝わるもので,宵祭に手筒花火と綱火が奉納される。綱締唱(つ ...

すぎもとはちまんしゃ  和田(豊橋市石巻本町[和田])の椙本八幡社の創建は明らかでないが,「三河国内神明名帳」に,「正五位下椙本天神,坐八名郡」とある。境内社和田天神は「正五位下和田天神,坐八名郡」という。文明3(1471)年牧野駿河守が社殿を改築した。天正17 ...

すぎ  スギ(スギ科)は,常緑針葉高木で,日本特産の樹木である。本州から四国,九州に広く自生し,寿命が長く,各地に大木がある。材は芳香があり,美しいので建築材として重用される。また,三河地方でよく作られる五平餅のへら板や弁当箱にも用いられる。植林される樹種 ...

すいどう  豊橋市水道は,大正15(1926)年6月,豊橋市議会が水道敷設計画を可決,昭和2(1927)年7月着工した。八名郡下川(しもかわ)村大字西下条(げじょう)字三ノ下(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底から集水,同村牛川字小鷹野(おだかの)(豊橋市東小鷹野二 ...

しんめいしゃ(ひらの)  平野(豊橋市石巻平野町)など西郷7か村は,明治5(1872)年1村1社と定められる以前は萩平(豊橋市石巻萩平町)鎮座の西郷惣社日吉神社を7か村共同の氏神としていた。平野は明治22(1889)年神社の社殿を建てたが神社新設は許可にならず教会所と ...

じんごうむら  八名郡神郷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に436石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分442石余,石巻社領3石,東光寺領2石とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数88,人数366であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...

じろうがき  次郎柿は,豊橋で普通に庭先で見ることができる果樹である。果樹園芸としての柿栽培の中心は石巻方面で,品種は次郎柿である。出荷時期は10月から11月である。この時期には街道沿いで無人の販売所をよく見かける。 原木は静岡県周智郡森町である。大正元(1912 ...

しらいしいせき  白石遺跡は,豊橋市石巻本町櫃割にある弥生時代前期の遺跡である。遺跡は石巻山の麓を流れる神田川と三輪川とが合流する辺りの河岸段丘の先端にある。白石遺跡では村を囲む環濠(かんごう)と呼ばれる溝から,「遠賀川式土器(おんががわしきどき)」がまとまっ ...

しょこくこじょうのず  「諸国古城之図」は広島市立中央図書館浅野文庫所蔵の城絵図群で,正式には「諸国当城古城之図」のうちの「諸国古城之図」である。その編成については,広島浅野家第7代藩主であった浅野重晟(しげあきら)の治世中(宝暦13年から寛政11年)に,藩主の ...

しょうみょうじ  石巻山照明寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,承安年間(1171~75)で,古来石巻神社の社僧であったのを了渓座元が再興改宗して,正宗寺末浄蔭派に属しながら社僧を兼ねた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,金田村「石巻山照明寺,嵩山正宗寺末寺, ...

しょうぼうしょ  豊橋の消防組織の端緒は,天明3(1783)年,吉田(豊橋)藩主松平信明の火消し組設置であった。明治15(1882)年,私設消防5組が復活,同27(94)年,消防組規則が制定され,同38(1905)年,私設消防組から警察消防(公設)組が設置され,同42(09)年,私 ...

しょうべんじぞう  昔,信仰心に篤い庄屋がいた。ある日,庄屋が長楽(ながら)(豊橋市石巻本町[長楽])の地蔵堂の前を通りかかると数人の子どもたちが遊んでいた。子どもたちはお地蔵さんに土で作った団子を供えようとしているところだったが,水分が足りず丸めることがで ...

しょうぶかいどう  しょうぶ街道は,豊橋市が平成2(1990)年に道路愛称として公募して認定した道路である。豊橋鳳来線(愛知県道69号)の一部区間で,豊橋市石巻本町の国道362号(姫街道)から豊橋市賀茂町の宝飯郡一宮町との市町境界までの延長3.3㎞の道路である。なお, ...

しょうはちまんしゃ(ながら)  長楽村(豊橋市石巻本町[長楽])の正八幡社の創建は明らかでないが,最も古い棟札は永享8(1436)年「奉造営八幡宮」とある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,長楽村「八幡宮,神主三右衛門」「古塩大明神,神主三右衛門,社領右両 ...

しょうはちまんしゃ(たかい)  高井村(豊橋市石巻本町[高井])の正八幡社は,社伝によれば養老4(720)年の創建というが,高井主膳正の高井城の守護神として鶴岡八幡宮を勧請したものという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,高井村「八幡宮,祢宜庄太夫,神領 ...

しょうなんちゅうがっこう  石巻村・賀茂村・金沢村組合立祥南中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,旧石巻公民学校校舎を使用して,石巻村の玉川小学校・三輪小学校(昭和30年石巻小学校と改称)・嵩山(すせ)小学校・西郷小学校,賀茂村の賀茂小学校,金沢村 ...

じょうすいじょう  小鷹野浄水場は,昭和5(1930)年3月,豊橋市の上水道事業として建設された。八名郡下川(しもかわ)村西下条(げじょう)地先(豊橋市下条西町三ノ下)の豊川(とよがわ)河底の伏流水を水源として,同村牛川字小鷹野(豊橋市東小鷹野二丁目)に浄水場を,八名 ...

しゅんこういん  威徳山春興院(曹洞宗)の創立は,永禄9(1566)年,開山は豊川妙厳寺第7世直心弾達和尚,開基は和田城城主渡辺図書頭助清である。その子孫は代々江戸にあって明治維新前まで春興院に音信を続けていたが,その後は消息を絶った。はじめ和田村広福(豊橋市石 ...

じゅとうじ  瑠璃山受洞寺(臨済宗妙心寺派)は文安5(1448)年10月の創立,開山は受洞座元で,古来正宗寺末松寿派に属していた。 現在の建物は文久元(1861)年の建立。本尊は薬師如来像である。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうご ...

じうんじ  万竜山慈雲寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明。明治2(1869)年の記録によると,康暦2(1380)年,衰退していた慈雲寺を再興して臨済宗に改めていたことがわかるので,鎌倉末期から室町初期の創立と推察される。康暦2(1380)年に嵩山(すせ)正宗寺の虚庵和尚を勧 ...

しーてぃーてぃー  CTTは,コミュニケーション豊橋市北部テレビジョンの愛称で,平成4(1992)年,旧豊橋市北部農協(JA豊橋)が,従来の有線放送から転換して運営しているケーブルテレビジョンである。豊橋市の北部地域の石巻中学校区(石巻小学校・玉川小学校・賀茂小学校 ...

しいぐんらく  シイ群落は,シイ(スダジイ,コジイ)を優占種とする群落で,いわゆるシイの森を形成している。この森にはタブノキやヤブニッケイのような常緑広葉樹が生えることが多い。これらの葉の表面がテカテカ光るために,この林を照葉樹林という。低木にはヒサカキ・ ...

さんがくじいん  豊橋市と湖西市の境界である弓張(ゆみはり)山地の山中には,古代から中世にかけて存続した寺院址が存在する。これらは平安時代の真言宗・天台宗などの密教系寺院であり,いずれも後世に廃絶したか,あるいは山麓の別地点に境内を移転させてしまったものが多 ...

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