わにぐち(すぎもとはちまんしゃ) 「椙本八幡社の鰐口」1口(和田椙本八幡社蔵)は,平成元(1989)年3月24日,豊橋市有形文化財(工芸)に指定された。 「椙本八幡社(豊橋市石巻本町)の鰐口」は,青銅製,長径22㎝,厚さ7㎝で,「奉掛三州八名郡和田郷藤社大明神御宝 ...
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月ヶ谷城(豊橋市嵩山町山軍場) とは(豊橋百科事典より)
わちがやじょう 月ヶ谷城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。城址(じょうし) は正宗寺の南西裏山にあたり,遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁,井戸,土止め用のためと思われる石積みが確認できる。縄張りは,南東方面に出曲輪を築くなど本坂峠方面か ...
和田村 とは(豊橋百科事典より)
わだむら 八名郡和田村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に564石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分554石余,椙本八幡社領3石,春興院領5石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数96,人数404であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...
和田城(豊橋市石巻本町嵯峨・同井田) とは(豊橋百科事典より)
わだじょう 和田城は,「三河国二葉松」(元文5年)に,「古代和田民部住ス,後渡部久左衛門,永禄年中,同息図書助・浄,元亀元卒,同息山城守茂」とある。和田氏については明らかではないが,渡辺氏は「渡辺氏御系譜」によれば代々摂津国に住み,楠木正成とともに千早城 ...
老人福祉センター とは(豊橋百科事典より)
ろうじんふくしせんたー 豊橋市老人福祉センターは,昭和41(1966)年から平成3(1991)年までに,市内6地域に開設された。地域高齢者に社会参加・健康相談・機能回復訓練等の場を提供している。・仁連木(にれんぎ)老人福祉センター(豊橋市仁連木町)は,昭和41(1966)年 ...
老人憩の家 とは(豊橋百科事典より)
ろうじんいこいのいえ 老人憩の家は,平成8(1996)から同16(2004)年に,老人福祉センターを補完する地域高齢者福祉施設として,市内3地域に開設された。60歳以上の市内居住者が利用できる。施設は集会室,機能回復訓練室,会議室と娯楽設備にはテレビ・ビデオ・カラオケ ...
霊江寺(豊橋市下条東町谷口) とは(豊橋百科事典より)
れいこうじ 神宮山霊江寺(曹洞宗)の創立は,不明であるが,はじめは神宮山神口(郷)庵と称する密教系の寺院であったとされる。神口(郷)庵という寺名と境内が接している点から推して,悲目(ひめ)天神社(比売天神社)の社僧寺だったと思われる。悲目天神社は国内神名帳 ...
竜泉寺(豊橋市石巻萩平町城脇) とは(豊橋百科事典より)
りゅうせんじ 雲洞山竜泉寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明だが,開山は蛮渓和尚(応永5年示寂(じじゃく))であるので,室町初期の創立と推察される。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,萩平村「雲洞山竜泉寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間・三間」とあり,古来正 ...
リス とは(豊橋百科事典より)
りす リス(ネズミ目リス科)は,頭胴長が18~20㎝の哺乳動物で,尾長が15㎝ほどである。木の洞や枝のところに小枝を集め球形の巣をつくる。昼行性で,早朝から活動を始め,木から木へ飛び回って生活し,ドングリやマツの種子など植物質のほかに,昆虫や小鳥の卵を食べる。 ...
ラミーカミキリ とは(豊橋百科事典より)
らみーかみきり ラミーカミキリ(カミキリムシ科)は,カミキリムシの一種で,体長は30㎜ぐらいの中型,黒地に緑色を配した体色をしている。豊橋市では,6月ごろから石巻山周辺の山道で多く生息している。東三河では豊橋市から新城市にかけての分布を確認している。西三河 ...
頼朝ゆかりの長楽の桧(民話) とは(豊橋百科事典より)
よりともゆかりのながらのひのき 鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147~99)は,京の都へ上る時,鎌倉街道を豊橋市雲谷(うのや)町の普門寺から船形山を越え,豊橋市岩崎町・多米(ため)町・牛川町乗小路・石巻本町和田へと駒を進めた。豊橋市石巻本町長楽の集落にひときわ大きな桧 ...
弓張山系 とは(豊橋百科事典より)
ゆみはりさんけい 弓張山系は,愛知県と静岡県の県境を北東から南西に連なる山並みで,八名(やな)弓張山地ともいい,北東部で赤石山脈(南アルプス)に連なっている。弓張山系の北部は鳶ノ巣(とびのす)山(標高669m)・城(じょう)山(657m)・弓張山(679m)・浅間(せん ...
ユキヤナギ とは(豊橋百科事典より)
ゆきやなぎ ユキヤナギ(バラ科)は,落葉低木で,関東以西の本州から中国南西部にかけて分布する。自然環境では川岸の岩上などに見られる。日本のものは植栽品の逸出(いっしゅつ)(栽培用外来種が野生化したもの)ではないかとの見方もある。細い枝がしなだれるように広が ...
郵便番号 とは(豊橋百科事典より)
ゆうびんばんごう 郵便番号制度は,昭和43(1968)年7月1日から実施された。豊橋郵便局の集配区域(昭和7年合併の豊橋市)は440となり,石巻局441-11・二川局441-31・高豊局441-32・老津(おいつ)局441-33・前芝(小坂井局)441-01のように集配局番号が付けられた。平 ...
郵便局 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 石巻郵便局(豊橋市石巻本町北市場) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂 ...
山の背くらべ(民話) とは(豊橋百科事典より)
やまのせいくらべ 神代のこと,石巻山と本宮山が,自分の方が背が高いといい争い,二つの山が背比べをすることになった。山の神様が,石巻山と本宮山に樋(とい)をかけ,水を流したところ,水は勢いよく石巻山の方に流れ落ち,石巻山は背比べに負けてしまった。その時,流れ ...
「八名郡誌」(愛知県八名郡役所編) とは(豊橋百科事典より)
やなぐんし 「八名郡誌」(八名郡役所 大正15年)は,郡制廃止記念として鈴木宇良安を主任として編集・刊行されたものである。「八名郡誌」は,郡内の史実を探求網羅しており,八名郡百科全書といってもいい過ぎではない。古代・中世から明治期まで記載されている。神社・ ...
森岡新田 とは(豊橋百科事典より)
もりおかしんでん 森岡新田は,貞享(1684~88)以前,神田川上流左岸に開発された新田である。八名郡森岡新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分20石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数4,人数18であった。明治8(1875)年,森岡新田 ...
モミ群落 とは(豊橋百科事典より)
もみぐんらく 山は高くなるに従って温度が低くなり,生える植物は異なってくる。愛知県では豊橋付近(低地帯)は通常シイ群落が成立する。段戸(だんど)山(北設楽(したら)郡設楽町)のように1000mを越える(山地帯)とブナ群落になる。700m付近にその境界があり,その付近 ...
モグラ とは(豊橋百科事典より)
もぐら モグラ(食虫目モグラ科)は,体長15㎝ほどの小動物で,豊橋で生息が確認されているのはヒミズモグラとコウベモグラである。 ヒミズモグラは小型のモグラで,落葉や腐植土層の浅い部分で生活し,時には地表面にも出て活動する。ミミズやクモ類などのほかに植物の種 ...
村松裕一 とは(豊橋百科事典より)
むらまつ・ゆういち(1926~2003) 村松裕一,本名良(はじめ)は,大正15(1926)年4月30日,八名郡石巻村小野田(豊橋市石巻小野田町)で生まれた。小学4年生の時に病気にかかり,長い闘病生活の後にクリーニング店を営む。そのかたわら,熊谷武至の短歌会で学び,また,大 ...
ムササビ とは(豊橋百科事典より)
むささび ムササビ(齧歯(げっし)目リス科)は,体長は約40㎝の哺乳類である。首から前後肢,さらに尾にかけて飛膜が発達しており,夜間飛膜を拡げて木から木へ滑空して移動する。昼間は樹の洞や人家の屋根裏で寝て,日没後に活動する。「ギュルギュルギュル・・・」という ...
「むかしはなし蟹猿奇談」(大須賀鬼卵) とは(豊橋百科事典より)
むかしはなしかいえんきだん 「むかしはなし蟹猿奇談」(尾州名古屋・風月孫助他 文化4年)は,猿蟹合戦(さるかにかっせん)と桃太郎を合わせた仇討小説である。舞台は三河の国吉田(豊橋)である。桓武天皇の時代,伊勢国鈴鹿山に棲(す)む鬼神阿黒王を将軍坂上田村麻呂が ...
向山 とは(豊橋百科事典より)
むかいやま 豊橋市向山町は,江戸期の仁連木(にれんぎ)村分地である。仁連木村の中央の東海道に沿った所に瓦町村が成立したのは,寛文4(1664)年で,その時,仁連木村分地となったものとされる。 仁連木村の村高は寛永期(1624~44)「三河国村々高附」に1096石余とある ...
「宮西古墳」(豊橋市指定史跡) とは(豊橋百科事典より)
みやにしこふん 「宮西古墳」1基(馬越素盞嗚(すさのお)神社)は,昭和61(1986)年3月28日,豊橋市史跡に指定された。 馬越(豊橋市石巻本町)の「宮西古墳」は,丘陵斜面の南端(豊橋市石巻本町北山)にあり,付近には十数基の古墳が集中して馬越(まごし)北山古墳群を ...
ミツバベンケイソウ とは(豊橋百科事典より)
みつばべんけいそう ミツバベンケイソウ(ベンケイソウ科)は,多肉植物で,岩場で乾燥に耐えて生育する。名前は,1か所から3枚ずつの葉を付ける特徴からつけられている。九州から北海道にかけた地域に分布し,河原や山地の岩礫(がんれき)地で生育する。肉厚で粉っぽい白色 ...
三ツ口池 とは(豊橋百科事典より)
みつくちいけ 三ツ口池(地元では三口(みくち)池という)は,豊橋市石巻町三口の溜池(ためいけ)であったが,豊川(とよがわ)用水事業により満水面積7.2ha,総貯水量24.3万立方メートルの傾斜コア型フィルダム(堤高12.5m)として,昭和40(1965)年5月に工事が完了した調整 ...
美米村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
みこめむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,八名郡多米(ため)村(多米村・赤岩村が合併)・三輪村(金田村・神郷村が合併)と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行にあたって,多米村・三輪村は合併して美米村と改称した。明治25(1892)年12月2 ...
ミカワマイマイ とは(豊橋百科事典より)
みかわまいまい ミカワマイマイ(オナジマイマイ科)は,中部地方の山地に広く分布するミヤマヒダリマキマイマイに似ているが,体層周縁がいちじるしく角張るのが特徴である。殻は左巻きで,陸貝の仲間では大型で,殻径は40㎜ほど,螺塔(らとう)は低く,螺層は約6層を数え ...
「三河文献集成」(久曽神昇・近藤恒次) とは(豊橋百科事典より)
みかわぶんけんしゅうせい 「三河文献集成」全4冊(愛知県宝飯地方史編纂委員会 昭和38~41年)は,宝飯地方史資料13~15巻として三河国関係の文献および一般編著中の三河国関係の記事など503の資料を集成して刊行されたものである。 「三河文献集成 上世編」(「宝飯地 ...
丸茂藤平 とは(豊橋百科事典より)
まるも・とうへい(1882~1956) 丸茂藤平は,明治15(1882)年3月25日,長野県諏訪郡玉川村(茅野市玉川)に両角(もろずみ)彦五郎の2男に生まれたが,丸茂米作の養嗣子となった。明治41(1908)年,京都帝国大学を卒業し,高等文官試験に合格し,愛知県警察部長・京都府警 ...
丸地幸之助 とは(豊橋百科事典より)
まるち・こうのすけ(1886~1972) 丸地幸之助は,明治19(1886)年12月8日,渥美郡東田村(豊橋市東田(あずまだ)町)西郷に生まれた。古城と号した。大正3(1914)年から同10(21)年,名古屋新聞豊橋支局長を務め,同13(24)年,豊橋市会議員に当選した。昭和4(1929) ...
窓口センター とは(豊橋百科事典より)
まどぐちせんたー 窓口センターは,昭和57(1982)年5月,豊橋市内9か所に設置された。業務は住民の身近な場所での行政サービスである。①届出書受付(戸籍・住民基本台帳・印鑑登録・国民健康保険・国民年金・福祉・学校各関係) ②証明交付(戸籍・住民基本台帳・公的年 ...
馬越村 とは(豊橋百科事典より)
まごしむら 八名郡馬越村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に132石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分233石余,素盞嗚(すさのお)社領4石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数43,人数204であった。馬越長火塚古墳がある。「三河国二葉松 ...
「馬越長火塚古墳」(愛知県指定史跡) とは(豊橋百科事典より)
まごしながひづかこふん 「馬越長火塚古墳」1900㎡(豊橋市石巻本町紺屋谷)は,昭和56(1981)年11月20日,愛知県記念物(史跡)に指定された。 「馬越長火塚古墳」は前方後円墳で,全長65m,後円部の径約32m,高さ5.75m,前方部の長さ約33mである。埋葬施設は南に開口す ...
牧野新二 とは(豊橋百科事典より)
まきの・しんじ(1911~97) 牧野新二は,明治44(1911)年2月21日,渥美郡牟呂吉田村東豊田(豊橋市北島町)で生まれた。大正15(1926)年,八町尋常高等小学校を卒業し,家業の玉糸製糸業を手伝った。昭和8(1933)年,合資会社ミスズセロファン商会を豊橋市関屋町に設立 ...
日南坂(豊橋市石巻本町) とは(豊橋百科事典より)
ぼとうざか 日南坂は,主要地方道東三河環状線(愛知県道31号)の豊橋市石巻本町〔神ヶ谷〕の神田川を渡った標高約15mの地点から同町〔高井〕の標高約30mの地点に至る坂道で,南向きの斜面にあるため日あたりがよい。豊橋地方の方言で日溜まりのことをボトウといい,日向ぼ ...
菩提寺(豊橋市石巻中山町奥屋) とは(豊橋百科事典より)
ぼだいじ 蓮華山菩提寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,嘉慶年間(1387~89),開山は遠峯座元と伝えられ,古来正宗寺末松寿派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「禅宗,蓮花山菩提寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間半・四間半」とある。本尊は ...
法蓮寺(豊橋市石巻本町宮前) とは(豊橋百科事典より)
ほうれんじ 明光山法蓮寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山慈因和尚の示寂(じじゃく)が永和3(1377)年であるので,室町初期と推察される。古来正宗寺末祥泉派に属していた。本尊聖観世音菩薩像は定朝作と伝えられるが詳細は判明しない。「三河国二葉松」(元 ...
法念寺(豊橋市前田南町二丁目) とは(豊橋百科事典より)
ほうねんじ 東岩山法念寺(曹洞宗)の創立は,昭和3(1928)年,開山は市川戒全尼である。法念寺ははじめ竹ノ内(豊橋市下条東町)に村持薬師堂があったものを,明治維新の際玉川(豊橋市石巻本町)の春興院が譲り受けて隠居地としていた。堂守の戒全尼は一寺院にしたいと ...
保寿寺(豊橋市石巻小野田町宮下) とは(豊橋百科事典より)
ほうじゅじ 延年山保寿寺(臨済宗妙心寺派)の創立は大永2(1522)年,開山は延岳量寿首座である。正宗寺2世方外和尚を勧請開山とし,正宗寺末陽徳派に属していた。開基は池田五郎三郎である。本尊は釈迦如来立像であるが,詳細は明らかでない。昭和17(1942)年,保寿庵を ...
坊ヶ峰 とは(豊橋百科事典より)
ぼうがみね 坊ヶ峰は,豊橋市の北東部,豊橋市嵩山(すせ)町と静岡県三ヶ日町を結ぶ本坂(ほんざか)峠から北側に急斜面を登ったところにある山である。山頂には,坊ヶ峰神社の祠(ほこら)があり,少し離れて2等三角点(445.8m)がある。登山ルートは,「嵩山蛇穴」から嵩山自 ...
宝王院(豊橋市石巻西川町西屋敷) とは(豊橋百科事典より)
ほうおういん 火鎮山宝王院(真言宗醍醐派)は,安永2(1773)年,青順法印の創立で,旧幕時代賀茂村加納寺配下の修験寺であったが,明治5(1872)年醍醐派の寺院となる。ただし西河寺の過去帳に,「専永法印,安永2年寂,宝王院父」とあるから,青順創立以前にこの地にあ ...
変電所 とは(豊橋百科事典より)
へんでんしょ 電力は発電所から高圧で基幹変電所に送電し,配電用変電所から需用者に配電する。明治42(1909)年,見代(けんだい)発電所(南設楽郡作手村)から豊橋変電所(宝飯郡下地町)に1万Vの特別高圧で送電したものを2200Vに降圧して豊橋市内に配電した。明治45(1 ...
ベニゴマオカタニシ とは(豊橋百科事典より)
べにごまおかたにし ベニゴマオカタニシ(ゴマオカタニシ科)は,石灰岩地に生息する巻貝の仲間である。殻径は2㎜ほどで微少種である。タニシのように殻口に蓋(ふた)を持ち,乾燥している時は殻口をふさいで体の乾燥防止の役割をしている。殻の色は赤で,右巻きで巻数は3.5 ...
別所街道 とは(豊橋百科事典より)
べっしょかいどう 別所街道は,明治9(1876)年に,八名郡を縦貫する山手道・三ヶ日街道・川添道,大野(南設楽郡鳳来町大野)以北で金指街道を結んで,豊橋から本郷(北設楽郡東栄町本郷)へ通じる道が愛知県道として認定されたことに由来する。豊橋市西新町で東海道に別 ...
ビロードシダ とは(豊橋百科事典より)
びろーどしだ ビロードシダ(ウラボシ科)は,岩や木の幹に着生する常緑性のシダである。直径1~2㎜の根茎が横に長くはって,長さ2~15㎝の枝分かれしないひも状の葉をたくさんつける。葉は肉質でやわらかく,全体が褐色の毛に覆われている様子をビロードにみたてて名づけ ...
平野村 とは(豊橋百科事典より)
ひらのむら 平野村は,慶長9(1604)年ごろ,西郷村から分立したとされる。八名郡平野村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に301石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分519石余,日吉神社領1石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数88,人数 ...
日吉神社(豊橋市石巻萩平町大門) とは(豊橋百科事典より)
ひよしじんじゃ(はぎひら) (萩平)日吉神社の創建は明らかでないが,西郷七か村の惣氏神(そううじがみ)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀ったものである。長承3(1134)年藤原成忠の2男晴蓮が天台宗白星山大陽寺を建立し,山王社を佐井天神の社地に建てて山内鎮 ...
ヒメボタル とは(豊橋百科事典より)
ひめぼたる ヒメボタル(ホタル科)は,体長約6㎜の小型のホタルで,体色は黒色,前胸は淡赤色である。雌は下翅(かし)が退化して飛べない。幼虫は湿地にすみ,陸生の巻貝であるオカチョウジガイを餌(えさ)にして育つ。成虫は5月後半から6月に発生し,瞬時に黄金色に発光す ...