わたなべ・しょうか(1835~87) 渡辺小華は,天保6(1835)年1月7日,三河田原藩士渡辺崋山の2男として,江戸の藩邸に生まれた。名諧,小華と号した。弘化4(1847)年,江戸に出て椿椿山(つばきちんざん)に画を学んだ。兄・立が早世したため,安政3(1856)年,家督を継 ...
タグ:百花園
深井清華 とは(豊橋百科事典より)
ふかい・せいか(1827~88) 深井清華は,文政10(1827)年1月15日,吉田(豊橋)藩の家老深井藤右衛門資敬の子として生まれた。深井家は,藩祖松平伊豆守信綱の生母の里方にあたるので,藩士の中では格別の家柄で,禄高700石,代々吉田藩の重職を務めてきた。清華は雅号 ...
百花園 とは(豊橋百科事典より)
ひゃっかえん 百花園は,いつ開園し,いつ廃止したのかは不明であるが,その名を高めたのは渡辺崋山の第2子の渡辺小華(1835~87)が明治10(1877)年に豊橋の吉田神社境内に居を構えたころである。 百花園は,豊川(とよがわ)に臨み四季折々に風情を呈する花畑と,その一 ...
政談演説会 とは(豊橋百科事典より)
せいだんえんぜつかい 明治14(1881)年2月10日から3夜連続して,自由党を標榜(ひょうぼう)する政談演説会が豊橋札木町(寄席「貸浮」)で開かれた。豊橋での自由民権運動はこれを契機に始まった。豊橋で最初といわれる政談演説会がどのような経緯で開かれたかについては不 ...
「参陽商工便覧」(川崎源太郎) とは(豊橋百科事典より)
さんようしょうこうびんらん 「参陽商工便覧」(竜泉堂 明治21年)は,商店や製造業者の紹介本である。7.7㎝×18.0㎝のポケットサイズで使用しやすく,文字どおり便覧である。 1ページに1店舗の絵で紹介されている。全188ページで豊橋,岡崎,西尾,刈谷など三河全域にわ ...
遠藤安太郎 とは(豊橋百科事典より)
えんどう・やすたろう(1868~1913) 遠藤安太郎は,明治元(1868)年10月21日,渥美郡高須新田(豊橋市高洲町)で遠藤桃作の子として生まれ,叔父遠藤晏平の養子となった。22歳のとき,豊橋関屋の三等郵便局長を引き継いだ。明治29(1896)年に豊橋製糸株式会社取締役就任 ...