愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:牧野古白

豊橋市議の長坂です。豊橋公園も縁(へり)の際(きわ)です。さて、10月11月の市政報告会・座談会に合わせ「豊橋公園地のこれまで」をまとめてみました。せっかくなので拙ブログでもご紹介させていただきます。(間違い等ございましたら、ご教授賜れば幸いです)■紀元前3 ...

りゅうねんじ  吉田山竜拈寺(曹洞宗)の創立は享禄元(1528)年,実質開山休屋宗官和尚が,福厳寺(小牧市)始祖盛禅洞しゃく和尚を開山とし,吉田(豊橋)城主牧野信成が亡父・古白の23回忌追善のために建てたとする説と,従来あった寺院跡に大永(1521~28)初年ごろ牧野 ...

よしだじょうえず  「吉田城絵図」は60数点が確認されており,描かれている内容により6分類できる。①郭内(三の丸内)中心に描き藩士屋敷地を簡略化したもの ②藩士屋敷地までを描くもの ③町屋までを描くもの ④地震破損図 ⑤御殿図 ⑥その他(例えば,街道筋を描い ...

よしだじょう  吉田(豊橋)城は,現在の豊橋公園とその周辺をはじめ,東は飽海(あくみ)町から旭町,南は曲尺手(かねんて)町から呉服町,西は関屋町に達する広大な城であった。その縄張りは豊川(とよがわ)を背に,本丸を基点に二の丸,三の丸を前面,側面に配したもので,半 ...

よしだがま  吉田鎌は,かつて東海道吉田(豊橋)宿の名物として知られた鎌である。厚い鉄を割って鋼を入れ,くっつけて薄くし,すいて地金だけをとってしまう(鋼を包んだ地金を鋼が出るまですいていく)製法で作られる。いわゆる「付け刃金」の鎌で,鋼が余分に外に出てい ...

よしだ  吉田は豊橋の旧称である。その名は古く,天慶3(940)年に伊勢神宮の神戸が飽海(あくみ)郷に置かれ,その後この中に吉田御園を設置したとあることから,すでに平安時代に吉田と呼ばれていた地域があったことを示している。 一方,永正2(1505)年に牧野古白が築い ...

やすみくまのしゃ  安海熊野社は,保延2(1136)年,鳥羽上皇の命により,熊野から快円法印が下向して建立したと伝える。その後,紀伊の人・鈴木重胤(しげたね)が宝飯郡佐脇村(宝飯郡御津町)に上陸し,この地に住み熊野権現の神主となった。牧野古白は,明応4(1495)年社 ...

まみづかむら  永正2(1505)年,牧野古白が馬見塚と飽海(あくみ)の地に今橋城を築いたという。また,馬見塚のもとの地は,後の吉田(豊橋)城の地である。今川氏親は,馬見塚の替え地として,渡辺平内次に三ツ相村120貫文をあてがったという。吉田方5か村は,寛永15(1638 ...

まきのこはくぼどうがぞう  「牧野古白母堂画像」1幅(竜拈寺(りゅうねんじ)蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 竜拈寺(豊橋市新吉町)の「牧野古白母堂画像」は,紙本着色,縦83㎝,横37㎝の掛軸で,数珠を手にする老女の座像であ ...

⇒ 牧野古白 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

まきの・こはく(?~1506)  牧野氏の祖は,長山(豊川市下長山町)の一色刑部の被官として讃岐国から来住して,牧野(豊川市牧野町)に城を築き,瀬木城(豊川市瀬木町)・一色城(豊川市牛久保町)を拠点とした。 牧野成時(法名古白)は,永正2(1505)年,今川氏親(1 ...

ひがしみかわのせんごくじだい  「東三河の戦国時代」(「東三河の戦国時代」刊行会 昭和60年)は,豊橋技術科学大学教授の横尾義貫が,地域計画は地域固有の風土と歴史に対する配慮がなければならないとの観点から,大名領国制が成立する東三河の歴史を書いたものである。 ...

はつぼんだいせがき  初盆大施餓鬼は,豊橋の各宗寺院(真宗を除く)で行われている。中でも豊橋市馬見塚町にある浄土宗専願寺で毎年行われている初盆大施餓鬼は東三河地方でも有名である。 施餓鬼会は,春秋の彼岸会とともに仏教の代表的な行事の一つである。本来は悪道に ...

とだ・むねみつ(?~1508)  碧海郡上野荘(豊田市)にいた土豪の戸田宗光は,文明7(1475)年ごろ,渥美郡大津(豊橋市老津町)に入り,同12(1480)年ごろ田原(田原市田原町)に移った,明応2(1493)年ごろ牧野氏と今川氏に対峙するために,朝倉川左岸に仁連木(にれん ...

とだ・のぶなり(?~1546)  戸田宣成は,戸田憲光の2男で,戸田金七郎宣成と考えられる。生年は不詳である。永正3(1506)年父・戸田憲光とともに今橋(豊橋)城主牧野古白を滅ぼし,今橋城主となった。大永(1521~28)初年に牧野古白の子・牧野成三に追われて大崎(豊橋 ...

だんごうじんしゃ  永正年中(1504~21),牧野古白が今橋城築城に当たって,元鍛冶町(かじまち)(豊橋市新吉町)に牛久保(豊川市牛久保町)から鍛冶職を移し,高皇産神(たかみむすびのかみ)など4柱を迎えて守護神としたという。「三州吉田神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連 ...

さんしゅうよしだき  「三州吉田記」(写半紙本1冊,墨付56丁 寛延3年序)は,吉田(豊橋)呉服町の郷土史家・林正森(自見)(1696頃~1787)の著した記録である。吉田におけるまとまった地誌としての最初のものである。 内容は,はじめに吉田に関する詩歌を挙げ,次に ...

きゅうおく・そうかん(?~1542)  休屋宗官は,興徳寺(豊橋市上伝馬町)第4世であった。大永年間(1521~1528)ごろ今橋(豊橋)城主牧野信成が亡父牧野古白の追善供養のために竜拈寺(りゅうねんじ)を開創し,これに請ぜられた。法祖を重んじて興徳寺開山をそのまま竜拈 ...

いまはしちょう  今橋とは,牧野古白が,永正2(1505)年,豊川(とよがわ)と朝倉川の合流点の河岸段丘上に築いた城名である。今橋城は,大永2(1522)年,吉田(豊橋)城と改められたという。昭和38(1963)年1月1日,豊橋市中八町・東八町のうち旧吉田城(旧陸軍歩兵第18聯 ...

いまはし  豊川(とよがわ)は飽海(あくみ)川と呼ばれ,承和2(835)年の太政官符では飽海の渡しと呼ばれた。貞応3(1224)年ごろ,ここに架橋された橋を今橋と称したとされる。地名は飽海で,橋名は今橋であった。永正2(1505)年,牧野古白が飽海と狸塚(まみづか)(馬見塚) ...

いけだ・てるまさ(1564~1613)  池田輝政は,永禄7(1564)年12月29日,池田恒興の2男として清洲に生まれた。天正18(1590)年,徳川家康の関東移封によって下総臼井(千葉県佐倉市)に転封した酒井家次にかわって,東三河4郡等15万2000石を領する吉田(豊橋)城主となっ ...

あくみむら  飽海の地名は,飽海河の渡しとして「類聚三代格」(承和2年)太政官符に現われる。「和名類聚鈔」(承平年間)の渥美郡6郷中の渥美であるとの説もある。しかし,伊勢神宮領の「本神戸廿戸号渥美神戸,新神戸十戸号飽海神戸,新加神戸十戸」の記述などから,渥美 ...

あくみかんべしんめいしゃ  天慶3(940)年,平将門の乱が平定されたので,朱雀天皇により伊勢神宮へ安久美郷を神領として寄進された(三河国新神戸)。社伝によれば安久美神戸神明社は,この時,大宮司頼基の庶流藤原基守は磯部・河野・清水らを伴い神戸の司となり,この地 ...

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