よしはら・ゆうたろう(1860~1936) 吉原祐太郎は,万延元(1860)年8月17日生まれ,三河国渥美郡の芦原新田(豊橋市芦原町)を開発した吉原弥次右衛門の末裔(まつえい)である。明治12(1879)年,郡内有志とともに農事団体を興す。明治20(1887)年,勧業協会と名付ける ...
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柳生橋駅(豊橋市南松山町) とは(豊橋百科事典より)
やぎゅうばしえき 豊橋鉄道渥美線柳生橋駅は,大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄高師口~新豊橋(花田)間の開業により,新豊橋~小池間(新豊橋起点1.0㎞)に開業した。昭和59(1984)年2月1日に,貨物取扱を廃止,12月20日に乗降場を改良(高さ1100㎜)・ホーム上屋 ...
森夢筆 とは(豊橋百科事典より)
もり・ぼうひつ(1888~1952) 森夢筆,本名彦一は,明治21(1888)年12月11日,西加茂郡猿投町(豊田市)に生まれた。明治44(1911)年,早稲田大学を卒業し,愛知県第四中学校に奉職したが,大正6(1917)年退職した。以後,渥美電鉄・中部電力・中央水力などに勤務した ...
「南栄町物語」(水口源彦) とは(豊橋百科事典より)
みなみさかえちょうものがたり 「南栄町物語─軍隊の街から学園の街へ─」(水口源彦 平成8年)は,高師村の空池,福岡村の蟹原,磯辺村の東山という3地区が南栄町として成立したことを記したものである。田原街道が野依街道と分岐する辺りに,明治25(1892)年村づくりが ...
南栄町 とは(豊橋百科事典より)
みなみさかえちょう 豊橋市南栄町は,昭和7(1932)年,渥美郡高師村が豊橋市に合併した際,高師村大字福岡(橋良)字蟹原,大字高師字空池(からいけ),大字磯辺(草間)字東山で編成された町である。明治40(1907)年,高師村に陸軍第15師団が置かれ,大正13(1924)年, ...
南栄駅(豊橋市南栄町空池(からいけ)) とは(豊橋百科事典より)
みなみさかええき 豊橋鉄道渥美線南栄駅は,昭和12(1937)年ごろに,渥美電鉄兵器廠(へいきしょう)前(廃止)~空池(廃止)間(新豊橋起点3.2㎞)に分院前駅として開業し,同22(47)年1月10日に,南栄駅と改称した。昭和52(1977)年11月2日に,駅舎を改築,同59(84) ...
幻の伊良湖鉄道 とは(豊橋百科事典より)
まぼろしのいらごてつどう 着工したが開業に至らなかった鉄道として,伊良湖線・佐久間線・中津川線などがある。いずれも大正11(1922)年4月10日,改正鉄道敷設法の予定線である。「愛知県豊橋ヨリ伊良湖岬ニ至ル鉄道」の黒川原~福江間の建設は,昭和11(1936)年度から ...
牧野茂三郎 とは(豊橋百科事典より)
まきの・もさぶろう(1898~1986) 牧野茂三郎は,明治31(1898)年7月8日,豊橋呉服町に生まれた。愛知県第四中学校を卒業し,昭和2(1927)年,渥美電鉄に勤め,同9(34)年より,豊橋市役所に勤務した。昭和28(1953)年,豊橋博覧会事務局次長,豊橋市水道局長で退職し ...
兵器廠前駅(廃止) とは(豊橋百科事典より)
へいきしょうまええき 渥美線兵器廠前駅は,大正13(1924)年4月25日に,渥美電鉄高師~師団口の開業により,師団口~空池(廃止)間に兵器廠前駅として開業し,昭和18(1943)年11月1日に,町畑駅と改称した。昭和19(44)年6月5日に,休止し,同52(77)3月10日に,廃止 ...
花田駅(廃止) とは(豊橋百科事典より)
はなだえき 豊橋鉄道渥美線花田駅は,大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄師団口~新豊橋間の開業により,新豊橋駅として開業した。昭和2(1927)年10月1日に,花田(新豊橋)~新豊橋間の延長により花田駅と改称され,同19(44)年6月5日,休止,同29(54)年11月21日,国 ...
「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会) とは(豊橋百科事典より)
なごやてつどうしゃし 「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社 昭和36年)は,名古屋鉄道の約70年の歴史を書いたものである。東三河関係については,明治29(1896)年,横山孫一郎(1846~1911)により設立された豊川鉄道株式会社と,大正11(1922)年,吉原祐太郎(1860 ...
豊橋紡績(豊橋市大清水町大清水) とは(豊橋百科事典より)
とよはしぼうせき 豊橋紡績株式会社は,昭和10(1935)年渥美電鉄が豊橋市に提供した豊橋市大清水町地内の土地に,相模紡績が工場(敷地面積5万7000坪)を設置する契約を結んだことに始まる。昭和11(1936)年相模紡績は富士瓦斯(ガス)紡績に合併され操業を開始した。昭和1 ...
豊橋乗合自動車 とは(豊橋百科事典より)
とよはしのりあいじどうしゃ 豊橋乗合自動車株式会社は,昭和18(1943)年11月1日,陸上交通事業調整法によって,東三河地方の7社が合同して,資本金70万円で設立されたものである(三谷自動車は名鉄自動車に統合し,省営自動車は統合の対象とならなかった)。豊橋乗合自動 ...
「豊橋鉄道50年史」(豊橋鉄道創立50周年記念事業委員会編) とは(豊橋百科事典より)
とよはしてつどう50ねんし 「豊橋鉄道50年史」(豊橋鉄道 昭和49年)は,豊橋鉄道創立50周年を記念して製作された。大正11(1922)年渥美電鉄株式会社が設立され,同13(24)年高師~豊島間に開業した。大正12(1923)年豊橋電気軌道株式会社が設立され,同14(25)年駅前 ...
豊橋鉄道(豊橋市南松山町) とは(豊橋百科事典より)
とよはしてつどう 豊橋鉄道株式会社は,豊橋電気軌道株式会社が豊橋乗合自動車株式会社・田口鉄道株式会社を合併し,渥美線を名古屋鉄道株式会社より譲受して成立した。 豊橋電気軌道は,大正13(1924)年3月17日会社創立,翌14(25)年7月14日豊橋駅前~赤門間開業,同14 ...
武田賢治 とは(豊橋百科事典より)
たけだ・けんじ(1865~1937) 武田賢治は,慶応元(1865)年9月1日,尾張国知多郡成岩村(半田市)の医師荒川吉蔵の2男に生まれた。7歳で父を失ったため,苦学して医術開業試験に合格した。宝飯郡森村(豊川市)の武田準平の養嗣子となり,医学に専念して,宝飯郡医師会長 ...
高師駅(豊橋市高師町北新切) とは(豊橋百科事典より)
たかしえき 豊橋鉄道渥美線高師駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,新豊橋起点4.3㎞地点に開業した。昭和26(1951)年6月30日に,高師駅構外の大日本紡績(ユニチカ)に貨物専用線を敷設したが,同52(77)年8月1日に廃止された ...
杉山駅(豊橋市杉山町前屋敷) とは(豊橋百科事典より)
すぎやまえき 豊橋鉄道渥美線杉山駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,老津~谷熊(やぐま)間(新豊橋起点12.7㎞)に開業した。昭和42(1967)年10月1日に貨物取扱を廃止,同44(69)年4月20日に無人化となる。平成4(1992)年12月 ...
新豊橋駅(豊橋市花田町西宿) とは(豊橋百科事典より)
しんとよはしえき 豊橋鉄道新豊橋駅は,豊橋鉄道渥美線(新豊橋~三河田原間18.0㎞)の起点(終着)駅で,JR豊橋駅に隣接している。大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄師団口~新豊橋(花田)の開業により,終着駅として開業した。当初は現在地より南に400mほど離れた位 ...
終着駅 とは(豊橋百科事典より)
しゅうちゃくえき 豊橋駅の飯田線と名鉄名古屋本線は,頭站(とうたん)式の始発駅・終着駅である。豊橋駅の東海道線は,明治21(1888)年の開業以来,通過駅であった。しかし,近年電車のこま切れ運転が増加して,豊橋駅で折り返すものが増加して,乗り継がなければならなく ...
小池駅(豊橋市小池町原下) とは(豊橋百科事典より)
こいけえき 豊橋鉄道渥美線小池駅は,大正14(1925)年5月1日に,渥美電鉄師団口~新豊橋(花田)間の開業により,師団口~柳生橋(やぎゅうばし)間(新豊橋起点1.7㎞)に開業した。昭和53(1978)年6月10日に無人駅となる。昭和55(1980)年2月1日に,場内信号機に警戒信 ...
空池駅(廃止) とは(豊橋百科事典より)
からいけえき 渥美線空池駅は,大正13(1924)年4月25日に,渥美電鉄高師~師団口間の開業により,兵器廠前(へいきしょうまえ)(廃止)~高師間に開業された。昭和19(1944)年6月5日に,休止した。昭和52(1977)年3月10日に,廃止された。 - - 豊橋市議の長坂です。 ...
貨物専用線 とは(豊橋百科事典より)
かもつせんようせん 豊橋駅では,旧豊川鉄道船町貨物線が第2次世界大戦中増強され,昭和41(1966)年10月1日,豊橋貨物コンテナ基地となった。この間,昭和29(1954)年,豊橋駅経由飯田線で送られる佐久間ダム工事用資材輸送のため,豊橋駅に貨物引込線11本が増設された ...
大清水駅(豊橋市大清水町大清水) とは(豊橋百科事典より)
おおしみずえき 豊橋鉄道渥美線大清水駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,植田~老津間(新豊橋起点8.5㎞)に開業した。昭和10(1935)年3月8日に,大清水駅構外の相模紡績(豊橋紡績)豊橋工場の貨物引き込み線を敷設した。昭和 ...
老津駅(豊橋市老津町今下(こんげ)) とは(豊橋百科事典より)
おいつえき 豊橋鉄道渥美線老津駅は,大正13(1924)年1月22日,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,大清水~杉山間(新豊橋起点10.7㎞)に開業した。昭和55(1980)年2月1日に,場内信号機に警戒信号現示・列車同時進入を開始した。平成3(1991)年3月16日に無人 ...
上村杢左衛門 とは(豊橋百科事典より)
うえむら・もくざえもん(1863~1940) 上村杢左衛門は,文久3(1863)年5月10日,渥美郡畠村(渥美町福江)の上村杢八の長男として生まれた。明治20(1887)年24歳のとき,三河湾・伊勢湾を結ぶ旅客・貨物の海運業を始めた。航路は,福江~亀崎・福江~名古屋であった。明 ...
植田駅(豊橋市植田町中畑) とは(豊橋百科事典より)
うえたえき 豊橋鉄道渥美線植田駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島(としま)間の開業により,芦原~大清水間(新豊橋起点6.3㎞)に開業した。昭和44(1969)年4月20日に無人化,同61(86)年4月30日に駅舎を撤去,平成7(1995)年8月31日に乗降場を改良( ...
今西卓 とは(豊橋百科事典より)
いまにし・たく(1883~1933) 今西卓は,明治16(1883)年8月7日,岐阜県揖斐郡池田村(岐阜県池田町)の今西文造の長男として生まれた。京都帝国大学電気工学科卒業後,豊橋電気株式会社の主任技術者となり,大正11(1922)年寒狭川水系の横川発電所建設に従事した。横川 ...
渥美電鉄 とは(豊橋百科事典より)
あつみでんてつ 渥美電鉄株式会社に,大正10(1921)年4月13日,豊橋福江間の軌道特許状が下付された。大正11(1922)年3月6日,渥美電鉄株式会社創立,社長吉原祐太郎(1860~1936)。大正13(1924)年1月22日高師~豊島間を開業し,昭和2(1927)年10月1日,新豊橋~黒 ...
渥美線 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 渥美電鉄 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...
渥美巡航船 とは(豊橋百科事典より)
あつみじゅんこうせん 吉田(豊橋)と田原(田原市田原町)を結ぶ海上交通は,江戸時代からあったが,明治6(1873)年より小型船ながら牟呂(豊橋市牟呂町)と田原を定期的な通船が行われるようになった。明治17(1884)年からは蒸気船が使われるようになり,同36(1903) ...
芦原駅(豊橋市芦原町東) とは(豊橋百科事典より)
あしはらえき 豊橋鉄道渥美線芦原駅は,大正13(1924)年1月22日に,渥美電鉄高師~豊島間の開業により,高師~植田間(新豊橋起点5.2㎞)に開業した。昭和19(1944)年6月5日に休止した。昭和37(1962)年3月15日に復活し,同60(85)年9月1日に,列車行き違い設備を新 ...
浅田平太郎 とは(豊橋百科事典より)
あさだ・へいたろう(1882~1968) 浅田平太郎は,明治15(1882)年4月19日,福岡県嘉穂郡忠隈村(福岡県嘉穂郡穂波町)に生まれた。上京して攻玉社に学んだ。南満州鉄道に就職し,後に台湾の塩水港精糖の引込線の建設に従事した。大正11(1922)年豊橋へ赴任し,渥美電鉄 ...
愛知大学前駅(豊橋市町畑町町畑) とは(豊橋百科事典より)
あいちだいがくまええき 豊橋鉄道渥美線愛知大学前駅は,大正13(1924)年4月25日,渥美電鉄高師~師団口間の開業により師団口として開業した。昭和18(1943)年11月1日,高師口駅と改称し,翌19(44)年6月5日に休止した。昭和43(1968)年4月1日,新豊橋起点2.5㎞に移 ...
藍川清成 とは(豊橋百科事典より)
あいかわ・きよなり(1872~1948) 藍川清成は,明治5(1872)年4月15日,岐阜県厚見郡小熊村(岐阜市)の弁護士藍川清通の長男として生まれた。東京帝国大学卒業後,名古屋で弁護士を開業し,名古屋電燈・伊藤銀行の顧問弁護士となり,名古屋弁護士会会長にも推された。愛 ...