ひがしうえたむら 渥美郡東植田村の村高は「三河国村々高附」(寛永期)に197石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に405石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数52,人数179であった。元禄6(1693)年,「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,東植田村「 ...
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西植田村 とは(豊橋百科事典より)
にしうえたむら 渥美郡西植田村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に140石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分361石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数81,人数413であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,西植田村「車大明 ...
津田新田 とは(豊橋百科事典より)
つだしんでん 津田新田は,寛文6(1666)年,梅田川下流左岸に伊川津村(渥美町伊川津)の作兵衛が開発した。当初は高63石余であった。渥美郡津田新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分74石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数1,人数8 ...
植野村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
うえのむら 明治11(1878)年12月20日,郡区町村編制により,渥美郡西植田村・東植田村・津田新田は合併して植田村と改称し,野依村・切反ヶ谷(きったがや)村・仏餉(ぶっしょう)村は合併して野依村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制の施行にあたって,植田村・ ...