やまもと・かんすけ(1493~1561) 山本勘助は,明応2(1493)年8月15日,八名郡加茂庄(豊橋市賀茂町)で,2500石を領した山本光幸の第3子に生まれたという。「参河国名所図絵」や「牛久保密談記」には明応9(1500)年8月5日,山本藤士郎の3男とある。「甲陽軍鑑」では明 ...
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本願寺(豊橋市賀茂町出口) とは(豊橋百科事典より)
ほんがんじ 医王山本願寺(曹洞宗)の創立は不明であるが,もとは天台宗の古刹(こさつ)であったと思われる。開基の孤雲玄峯和尚の時,曹洞宗寺院に再興改宗され,豊川妙厳寺末寺となったものと思われる。本尊は薬師如来坐像で,十二神将とともに時代のある雄健の作である。 ...
二連木城(豊橋市仁連木(にれんぎ)町) とは(豊橋百科事典より)
にれんぎじょう 二連木城(古文書などには「二連木」の表記が多い)は,田原方面で勢力を誇った戸田氏の城の一つである。「三河国二葉松」(元文5年)に,「天文十年戸田丹波入道宣光,法名全香,新築之,同主殿助尚舍息,丹波守重定賜松平称号」とある。明応2(1493)年, ...
「人国記」 とは(豊橋百科事典より)
じんこくき 「人国記」の著者は明らかでないが,古くから北条時頼の著作と伝えられ,武田信玄が愛読したという。 「参河国」に,「三河の国の風俗,気勝れて,人の長け十人に七,八人は伸びず。その言葉卑しけれども実義なり。人と物を談ずるに,その事遂げずといふ事なし ...
三遠南信 とは(豊橋百科事典より)
さんえんなんしん 愛知県の東三河,静岡県の西遠,長野県の南信は,中心に豊橋・浜松・飯田の各都市があるが,いずれもその属する愛知県・静岡県・長野県のはずれにある。東三河の地域性は,東西に東海道が通り,南北に中央構造線が走ることによって規定されている。大きく ...
入文屋敷(豊橋市石巻小野田町出口他) とは(豊橋百科事典より)
いぶみやしき 入文屋敷は,位置が特定できない城館の一つである。豊橋市石巻小野田町の保寿寺(ほうじゅじ)付近にあったと推定される。築城時期,規模などは不明である。「三河国古今城塁地理誌」に山本清七郎の名があり,新城市黒田の「山本家系図」では清七が入文村(豊橋 ...
葵祭(賀茂神社) とは(豊橋百科事典より)
あおいまつり 賀茂神社の大祭は,御生(みあれ)祭とか葵祭りと呼ばれ,5月に行われる。京都の賀茂別雷社(がもわけいかずち)を勧請したので,競馬をはじめ祭礼に葵を使うことは京都と同様である。 徳川家康の危機を救い,その保護を受けた故事により始まったのが,大幡(おお ...