愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:植田義方

みかわのくにしもじめいしょうそうろく  「三河国下地名蹤綜録」(著者自筆,美濃本1冊,墨付42丁 享和3年)は,「豊橋市史々料叢書」四「三河国吉田名蹤綜録」の付録として平成9(1997)年翻刻・出版されている。下地村の商家山本貞晨(1775頃~1821)が,当時流行した「 ...

せきのこまん(?~1684)  関の小万は,近松門左衛門の浄瑠璃「丹羽与作」に出てくる美女であった。三河国吉田坂下町(豊橋市湊町)の山田市郎右衛門が,京都へ家業の小間物を仕入れに行き,小万を吉田へ連れてきて,本名を秘して店頭に出て蒸脂(べに)を売っていたところ, ...

すがえ・ますみ(1754~1829)  菅江真澄は,宝暦4(1754)年,渥美郡高須新田(豊橋市高州町)の庄屋白井八兵衛の子に生まれたといわれる。はじめは,白井英二・知之・秀超・秀雄などと称し,後年に秋田へ行ってからは菅江真澄と名乗るようになった。菅江真澄は,故郷や出 ...

かものまぶちとすがえますみ  「賀茂真淵と菅江真澄」(橋良文庫 昭和50年)は,近藤恒次が植田義方(よしえ)没後170年を記念して自費出版した書である。 近藤恒次が植田家より文書の整理調査を依頼されたのは,昭和20年代も末のことであった。植田家は,高須・土倉新田120 ...

うえた・よしえ(1734~1806)  植田義方は,享保19(1734)年11月15日,吉田(豊橋)本町の高須乗成の2男として生まれた。幼名を茂六といい,のち七三郎・義方,字(あざな)を子直といった。延享2(1745)年12歳の時,吉田札木の吉田藩御用達植田喜右衛門の養嗣子となった。 ...

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