愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:朝倉川

豊橋市議の長坂です。新アリーナ住民投票、多くの市議の反対で実現しませんでした。三河ぶらぶら歩き@toyohasi_love#新アリーナ建設 への”#住民投票案件”  #豊橋市議会 で否決。アリーナを作る・作らないは個人的には言う立場じゃないけど。住民の声を聞く場が無い ...

豊橋市議の長坂です。市議2期目での定例会もあと2回となりました。さて、豊橋市議会12月定例会、長坂の質問順は、抽選で12月7日(水)の最後(全体でも最後、24番)になりました。1日8議員、1人最大60分のため時間が読みにくく、おそらく16時頃~、早ければ15時 ...

よんけいかんじゅんしょく  四警官殉職は,昭和41(1966)年10月12日の豪雨(界雷豪雨)によって起こった。午後8時からの降水量は247㎜を記録し,朝倉川の氾濫によって孤立状態になった豊橋市牛川町ダーダー橋付近の住宅に豊橋警察署浪崎分隊が舟艇で出動した。5人の警官が ...

やなぐん  八名郡は,「倭名類聚鈔」の三河8郡の1つで,「八名 也名」と表記される。多米(ため)・美和・八名・養父(やぶ)・和太・服部(はとり)・美夫の7郷がある。渥美郡とは朝倉川,宝飯郡とは豊川(とよがわ)で境し,遠江(とおとうみ)国とは赤石山脈の末端を境として,北 ...

めだか  メダカ(メダカ科)は,全長約4㎝前後の淡水魚で,群れを成して水面近くを泳ぐ。小川や水田近くの水路で普通に見られ,「メンパ」と呼ばれていた。しかし,昭和40(1965)年ごろから農薬や生活排水による河川の汚れや水路の改修に伴って生息場所が減少した。河川の ...

べっしょかいどう  別所街道は,明治9(1876)年に,八名郡を縦貫する山手道・三ヶ日街道・川添道,大野(南設楽郡鳳来町大野)以北で金指街道を結んで,豊橋から本郷(北設楽郡東栄町本郷)へ通じる道が愛知県道として認定されたことに由来する。豊橋市西新町で東海道に別 ...

はじかみごうじょう  薑郷城は,一説に二連木(にれんぎ)城家老屋敷と伝えられ,御園橋の南東,二連木城から朝倉川沿いに200mほど西北に位置する。城址(じょうし)は河川改修や宅地化により,わずかに土塁の痕跡を残すのみとなったが,昭和初期の地図には50m×50m程度の方形 ...

のがわしんでん  野川新田は,元禄16(1703)年,朝倉川北方の台地に開発された新田である。八名郡野川新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分167石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数1,人数10であった。産土神(うぶすながみ)の神明社 ...

ぬすまれたかんのんさま  昔,牛川(豊橋市牛川町)に信心が深い男が住んでいた。男は,朝倉川の向こう岸にある太蓮寺(豊橋市東田町西脇)の三十三観音に日参を重ねていた。ある日,男は観音様を自分の家に持ち帰れば,毎日,寺に通わなくてすむと考え,観音様を背負って歩 ...

にれんぎむら  渥美郡仁連木村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に1096石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分1890石余,神明社領3石,全久院領36石余,悟真寺領16石余とある。寛文4(1664)年,仁連木村地の中央を通る東海道沿いに瓦町村が分立した。その ...

なかざわしんでん  中沢新田は,貞享年間(1684~88)朝倉川北方の台地に開発された新田とされる。八名郡中沢新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分41石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数1,人数8であった。神明社があったが,明治25 ...

とよはしだんきゅうめん  豊橋段丘面は,豊川(とよがわ)左岸の下流部に,更新世(およそ170万年前~1万年前)に形成された礫(れき)層と砂層からなる複数の段丘面のうち,最も下位にある段丘面をいう。この下位段丘上に永正2(1505)年,今橋(豊橋)城が築かれて城下町が形 ...

とよはしこうえんのしぜん  「豊橋公園の自然」(恒川敏雄 昭和58年)は,恒川敏雄により出版されたものである。発刊の動機は昭和35(1960)年豊橋文化協会より三河生物同好会へ第1回文化奨励賞を贈られたことと同55(80)年豊橋市教育賞授与への答礼である。さらに,吉田 ...

とだ・むねみつ(?~1508)  碧海郡上野荘(豊田市)にいた土豪の戸田宗光は,文明7(1475)年ごろ,渥美郡大津(豊橋市老津町)に入り,同12(1480)年ごろ田原(田原市田原町)に移った,明応2(1493)年ごろ牧野氏と今川氏に対峙するために,朝倉川左岸に仁連木(にれん ...

ためとうげ  多米峠は,豊橋市多米東町と湖西市大知波を結ぶ標高265mの峠である。弓張山系を越えて愛知県と静岡県を結ぶ峠のうち最も南に位置する。多米峠には,長い間徒歩道しかなかったが,昭和41(1966)年に多米峠有料道路が開通し,同62(87)年に豊橋側にあった料金所 ...

たなかしんでん  田中新田は,宝永5(1708)年,朝倉川右岸に開発された。八名郡田中新田の高は「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分24石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数6,人数18であった。産土神(うぶすながみ)に神明社がある。明治11(1878 ...

ただこうしんでん  忠興新田は,慶安2(1649)年,朝倉川の北方の台地に開発された新田であると伝えられる。八名郡忠興新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分83石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数13,人数46であった。産土神(うぶす ...

だーだーばし  ダーダー橋は,牟呂用水が豊橋市東田町と同牛川町間の朝倉川と立体交差する地点で,朝倉川懸樋(かけひ)と,牟呂用水側道である豊橋鳳来線(愛知県道69号)に架かる境橋の俗称名である。牟呂用水は,明治21(1888)年4月完成した。大正3(1914)年6月,朝倉川 ...

しんようていきち  昭和20(1945)年になると,米軍の日本本土上陸は必至の情勢となり,東三河も第73師団(怒部隊)を中心に防衛体勢がとられた。海軍も第4特攻戦隊を編成し,約50隻の特攻艇を三河湾および浜名湖の要地に分散配置した(司令部は鳥羽)。その基地の一つが豊 ...

17にんのごうし  戦国時代には多くの郷士が東三河に土着し,多くの郷村が成立した。林自見「三州吉田記」に「是時東三河有十七人郷士」とあり,今橋城を守る今川方の17人の郷士がいたことを記している。① 戸田惣兵衛は,二連木(にれんぎ)にいた。② 石田式部は代々,吉田 ...

さかいばし  境橋は,東海道(旧国道1号)で,現在の湖西東細谷線(愛知・静岡県道173号)が境川(三河国と遠江国の国境)を横切るところに架けられた橋である。古くから,境川・境橋は文書に登場し,「東海道名所記」に「境橋,これ三川・遠江のさかひ橋也,橋のしたハ小 ...

こうせきだいち  洪積台地は,更新世(約170万年前~1万年前)に形成された地層からなる台地である。一般的には沖積平野または海と山地との中間に分布する。豊橋では,豊川(とよがわ)左岸に河岸段丘として広く分布している。その下位段丘は豊橋段丘と称され,豊橋市街地の ...

げじょうかいどう  下条街道は,豊橋市が平成2(1990)年に道路愛称として公募して認定した道路である。豊橋鳳来線(愛知県道69号)の一部区間で,豊橋市旭本町の豊橋大知波線(多米街道)との交差点から豊橋市石巻本町の国道362号(姫街道)との交差点までの延長5.0㎞の道 ...

かわむつ  カワムツ(コイ科)は淡水魚で,成魚の体長は約16㎝で全身銀白色で体側に太い藍紫色の縦帯をおびている。オイカワと同様に雑食性で水中活動が素早いため,たも網などでは簡単に捕らえられない。初夏から夏にかけての繁殖期には,雄の背びれとしりびれは雌よりも大 ...

かわにな  カワニナ(カワニナ科)は,ごく普通に見られる淡水産の巻貝で,比較的きれいな水の河川や池などに生息している。この貝の成貝は3㎝前後の大きさで,表面は黒色でつるつるしている。成長するにつれて殻頂(かくちょう)(貝殻の先端部)が欠けてくることが多いが, ...

かまつか  カマツカ(コイ科)は,河川や池沼の砂底に生息している淡水魚で,成魚の体長は約25㎝である。頭部は吻部(ふんぶ)がやや長く,口は吻の下面に開き,左右一対の口ひげがあり,口の周囲は乳頭(にゅうとう)突起(とっき)で覆われ,味覚器を備えている。この特色をもつ ...

かに  カニは,甲殻類十脚目の節足動物で,多くの種類があり,三河湾の干潟では,チゴガニ,コメツキガニ,イソガニ,ケフサイソガニ,ヒライソガニ,ヤマトオサガニなどいろいろな小型のカニが見られ,それぞれのカニは生息する場所が少しずつ違っている。 チゴガニは,河 ...

おゆみばし  お弓は牛川(豊橋市牛川町)の庄屋の娘であった。年ごろになったお弓は,朝倉川の向こう岸に住む師匠のところに三味線の稽古(けいこ)に通うようになり,いつしか二人は恋仲となった。大雨が降ると歩いて川を越せないので,お弓は下男に命じて小さな橋をかけさせ ...

おだかのしんでん  小鷹野新田は,元禄3(1690)年以前,朝倉川右岸を開発したとされる。八名郡小鷹野新田は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分48石余とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数1,人数8であった。新田開発に際して神明社を奉祀した。 ...

おいかわ  オイカワ(コイ科)は,淡水魚で,成魚の体長は約20㎝で全身銀白色で体側に淡紅色の幅広い横帯が数個みられる。目の小縁が朱色で,素早い泳ぎをするのでハヤと呼ぶこともある。雄は雌に比べて背びれとしりびれが大きく,繁殖期の初夏から夏にかけて,頭部やしりび ...

いまはしちょう  今橋とは,牧野古白が,永正2(1505)年,豊川(とよがわ)と朝倉川の合流点の河岸段丘上に築いた城名である。今橋城は,大永2(1522)年,吉田(豊橋)城と改められたという。昭和38(1963)年1月1日,豊橋市中八町・東八町のうち旧吉田城(旧陸軍歩兵第18聯 ...

あつみぐん  渥美郡は,「和名類聚鈔」の三河8郡の一つで,「渥美 阿豆美」と表記され,幡太・和太・渥美・高蘆(たかし)・磯部・大壁の6郷を記す。しかし,この6郷の位置については諸説がある。東は,遠江(とおとうみ)国浜名郡(敷地(ふち)郡)と弓張山脈で境し,北は,八 ...

あずまだこふん  東田古墳は,朝倉川の沖積地を北に臨む段丘の緩斜面に位置している。前方後円墳で,全長40m,後円部の径25m,高さ3m,前方部の長さ15m,幅16m,高さ4mである。今までに発掘調査は行われていないが,明治12(1879)年から翌13(80)年ごろ,後円部の上に神社 ...

⇒ 四警官殉職 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

あさくらがわいくすいふぉーらむ  朝倉川育水フォーラムは,平成7(1995)年に発足した。平成11(1999)年,NPO法人登記し,朝倉川および朝倉川流域を活動場所にしている。主として,朝倉川にゲンジボタルを回復させるために,流域の環境改善を図ることを目的としている。活 ...

あさくらがわ  朝倉川は,豊川(とよがわ)水系に属する一級河川(県管理)で,豊橋市多米(ため)町の「多米の滝」を源流域とし,上流部は「蝉川」と呼ばれている。朝倉川・蝉川ともに名称の由来ははっきりしないが,朝倉川は戦国時代の今川17騎の内の朝倉氏が多米村の出自で, ...

あくみむら  飽海の地名は,飽海河の渡しとして「類聚三代格」(承和2年)太政官符に現われる。「和名類聚鈔」(承平年間)の渥美郡6郷中の渥美であるとの説もある。しかし,伊勢神宮領の「本神戸廿戸号渥美神戸,新神戸十戸号飽海神戸,新加神戸十戸」の記述などから,渥美 ...

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