わちがやむら 八名郡月ヶ谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に256石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分252石余,若王子社領2石,万福寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数33,人数134であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6 ...
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月ヶ谷城(豊橋市嵩山町山軍場) とは(豊橋百科事典より)
わちがやじょう 月ヶ谷城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。城址(じょうし) は正宗寺の南西裏山にあたり,遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁,井戸,土止め用のためと思われる石積みが確認できる。縄張りは,南東方面に出曲輪を築くなど本坂峠方面か ...
万福寺(豊橋市嵩山(すせ)町奈木) とは(豊橋百科事典より)
まんぷくじ(すせ) 月ヶ谷山万福寺(臨済宗妙心寺派)の創立は貞和3(1347)年,開山は日顔禅師の3世の法孫にあたる大摸範和尚で,古来正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「月ヶ谷山万福寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿六間・ ...
若一王子社(豊橋市嵩山(すせ)町山奈木) とは(豊橋百科事典より)
にゃくいちおうじしゃ 月ヶ谷(わちがや)(豊橋市嵩山町[月ヶ谷])の若一王子社は,熊野十二所権現の一社で,天平7(735)年の創建と伝える。棟札の古いものに文明6(1474)年のものがある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「若王子,祢宜九右衛門,社領 ...
長彦村 とは(豊橋百科事典より)
ながひこむら 八名郡長彦村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に128石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分129石余,長孫(おさひこ)天神社領3石,十輪寺領3石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数29,人数126であった。「三州吉田領神社仏閣 ...
嵩山村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
すせむら 明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡嵩山村・長彦村・月ヶ谷(わちがや)村は合併して嵩山村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(1906)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・嵩山村・西郷村は合併して石巻村と改称し ...
嵩山村 とは(豊橋百科事典より)
すせむら 八名郡嵩山村の地名は,正宗寺の開山日顔禅師が中国の少林寺畔の嵩山(すうざん)に似ているとしたことに由来するとされる。八名郡嵩山村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に670石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分653石余,白土社領3石,正宗寺 ...
嵩山小学校(豊橋市嵩山町宮下) とは(豊橋百科事典より)
すせしょうがっこう 豊橋市立嵩山小学校は,明治6(1873)年8月,第9中学区第39番小学嵩山学校とした。嵩山村上角庵の正宗寺支院の陽徳院を校舎として,嵩山村・長彦(ながひこ)村・月ヶ谷(わちがや)村を校区として発足した。明治10(1877)年,嵩山村宮下に校舎である陽徳 ...
西郷清員 とは(豊橋百科事典より)
さいごう・きよかず(?~1594) 西郷清員は,西郷正勝の子として生まれた。西郷氏は,肥前高来(たかき)郡西郷(長崎県南高来郡瑞穂町西郷)が発祥の地である。足利尊氏の将仁木義永が三河の守護であったときの守護代であったと伝えられる。 大永3(1523)年祖父の西郷正 ...
市場城(豊橋市嵩山(すせ)町荒木) とは(豊橋百科事典より)
いちばじょう 市場城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つと考えられている。 「三河国二葉松」(元文5年)に「嵩山村古城西郷孫四郎,奥山修理進,中山是非之助,西郷家之別」とあるのがこの市場城と思われる。当時の勢力関係から遠江(とおとうみ)国引佐を領 ...