⇒ 「東日新聞」(新聞) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...
タグ:新聞
「東愛知新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
ひがしあいちしんぶん 「東愛知新聞」は,昭和32(1957)年11月に豊橋市札木町で,川上義隆が創刊した「夕刊とよはし」に始まる。昭和33(1958)年3月,豊橋市前畑町に本社を移転し,自社印刷を開始した。翌昭和34(1959)年5月,「豊橋毎日新聞」と改題し,朝刊に切り替え ...
「豊橋日日新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とよはしにちにちしんぶん 「豊橋日日新聞」は,大正6(1917)年2月11日創刊された日刊紙である。豊橋市大字萱に本社を置いた。1部1銭,1か月13銭であった。創刊者は,新朝報の記者をしていた中村幸三郎(風声)であった。 豊橋日日新聞は,発刊の辞に「所謂(いわゆる)堅 ...
「豊橋同盟新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とよはしどうめいしんぶん 「豊橋同盟新聞」は,戦時下の国策に従い,昭和13(1938)年11月1日に,豊橋市内の日刊6紙(参陽新報・新朝報・豊橋日日新聞・大衆新聞・東海朝日新聞・あさひ新聞)が合併して創刊された。西八町の参陽新報社跡に本社を置き,後に豊橋市札木町に ...
「豊橋新報」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とよはししんぽう 「豊橋新報」は,大正10(1921)年12月創刊。社屋は豊橋市中八町に置いた。社長は,大口喜六(衆議院議員),副社長小山信(県会議員),専務安藤角次郎(市参事会員),会計黒柳清次(市参事会員)であった。いずれも同志派の政治家である。 そのため, ...
「豊橋新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とよはししんぶん 「豊橋新聞」は,昭和27(1952)年10月,元中部日本新聞出版部長・渡辺登喜雄により創刊された。本社を豊橋市紺屋町(豊橋市魚町)に置き,当初は全判半裁2ページ,後にブランケット判4ページであった。その後社屋を豊橋市下地町に移転した。発足時は編集 ...
「東日新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とうにちしんぶん 東日新聞は,昭和23(1948)年8月15日第2次世界大戦後の豊橋地方最初の日刊新聞「東三新聞」として,杉田英一郎(有窓子・杉八代表取締役)により創刊された。タブロイド判2ページだった。中部100部隊(歩兵第18聯隊)兵舎の一隅を借りてスタートしたが, ...
「東三新聞」 とは(豊橋百科事典より)
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「東海日日新聞」 とは(豊橋百科事典より)
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「東海朝日新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
とうかいあさひしんぶん 「東海朝日新聞」は,豊橋で最初に発刊された夕刊新聞である。大正15(1926)年10月1日の第1276号に「呱々(ここ)の声をあげて四年」の見出しがあることから,創刊は大正11(1922)年ごろとされる。豊橋市会議員をしたこともある岡田実が個人経営と ...
「大衆新聞」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
たいしゅうしんぶん 「豊橋大衆新聞」は,昭和4(1929)年12月創刊の日刊紙である。タブロイド4ページだてで,購読料は1部2銭,1か月30銭であった。社屋を豊橋市花田町角田に置き,編集所を前田南町に置いた。創業者高崎信吉(1898~1944)の個人新聞的な性格が強かった。 ...
新聞社の支局 とは(豊橋百科事典より)
しんぶんしゃのしきょく 豊橋市に支局または通信部を設けた新聞社として,「豊橋市市政施行二十年誌」に,名古屋新聞社 豊橋支局 明治41年(中八町)新愛知新聞社 豊橋支局 明治41年(中八町)大阪毎日新聞社 豊橋通信部 大正14年(中八町)大阪朝日新聞社 豊橋通信 ...
「新朝報」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
しんちょうほう 「新朝報」は,明治35(1902)年9月28日に豊橋で発刊された日刊紙で,4ページだて。購読料は1部1銭,月ぎめは1か月15銭であった。新朝報の前身は,明治33(1900)年11月に朝倉幾太郎が発行した「めざまし新聞」であった。毎月3回の発行であったが,明治34( ...
「参陽新報」(新聞) とは(豊橋百科事典より)
さんようしんぽう 参陽新報は,豊橋で最初に発刊された日刊新聞で,4ページだて。外国ニュース・国内政治・社会ニュース・汽車時刻表・諸相場・小説・文芸・広告などで紙面が構成されていた。発売当初の購読料は,1か月20銭であった。参陽新報の前身は,明治28(1895)年 ...