愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:新朝報

豊橋市議の長坂です。今年の夜店が雨が多いです。さて、先日のこちらブログ。ちょっと、夜店の「青梅の市」発祥説については、ちょっと課題とさせてください。豊橋の夜店は、なぜ6月なのか? - 愛知豊橋・長坂なおと のblog http://nagasakanaoto.blog.jp/180530.html調べま ...

にししんさくのあしあと  「西進策の足あと-或る地方記者の記録」(三河輿論(よろん)新聞社 昭和46年)は,河合陸郎(1902~76)が昭和5(1930)年から同14(39)年までの約10年間,郷土紙「新朝報」および「豊橋同盟新聞」の記者時代に「喫煙室」「一日一題」「独りごと ...

なかむら・ふうせい(1884~1923)  中村風声は,本名を幸三郎といい,明治17(1884)年10月,渥美郡東豊田村(豊橋市野田町)に生まれた。小学校を卒業し,素修学校に学ぶ。その後,上京して苦学の日々を送ったが,徴兵により帰郷し歩兵第18聯隊に入隊した。 3か年の兵役 ...

とよはしげんろんし  「豊橋言論史─郷土新聞をめぐる人々─」(東海日日新聞社 昭和48年)は,東海日日新聞社社長宮脇良一が昭和48(1973)年,豊橋市のふるさと市民講座で行った講演に加筆して,東海日日新聞社から出版したものである。副題「郷土新聞をめぐる人々」でわ ...

とよはしきんだいげいのうし  「新聞広告から見た 豊橋近代芸能史」(芳賀信男 平成18年)は,豊橋で最初の芝居小屋・朝倉座から,明治・大正・昭和(第2次世界大戦前)の劇場・映画館で上演・上映された外題・演目や出演者などを「参陽新報」「新朝報」の広告・記事から ...

どうしは  同志派は,戦前の豊橋政界を実業派と2分した政治勢力である。明治31(1898)年に,実業派に対抗するために当時町長であった大口喜六が組織した。はじめ公同会と称したが,後に同志派といわれるようになった。同志派という名称は,当時愛知県会議員に政友派と同志 ...

とうさんしんじんかい  東三新人会は,昭和6(1931)年,小山三郎(大衆新聞),碓井不二男(大衆新聞),鈴木充(参陽新報),山本勇夫(名古屋新聞),田中廉平(豊橋新報),浅井弥之助(新朝報),佐藤長吉(新朝報),岩瀬正雄(詩人)の8人により結成され,東京帝国大 ...

とうさんじちけんきゅうかい  東三自治研究会は,昭和3(1928)年8月17日,豊橋の新聞記者を中心に結成された。主な構成員は,委員長広田喜平(水平社豊橋支部),書記長岩田潔(参陽新報),常任幹事河合陸郎(新朝報),常任幹事浅井秀雄(豊橋日日新聞),常任幹事内田駿 ...

つだしょうがっこうこうしゃとうかい  津田小学校校舎倒壊は,大正15(1926)年9月4日9時30分,東三河地域の悪天候により起こった。この日,早朝から暴風雨が東三河地方を襲っていたため,津田小学校登校児童数は全校児童197人中124人であった。このうち105人の児童が3年前 ...

たいしゅうしんぶん  「豊橋大衆新聞」は,昭和4(1929)年12月創刊の日刊紙である。タブロイド4ページだてで,購読料は1部2銭,1か月30銭であった。社屋を豊橋市花田町角田に置き,編集所を前田南町に置いた。創業者高崎信吉(1898~1944)の個人新聞的な性格が強かった。 ...

せいりょういんりょうすい  清涼飲料水は,食品衛生法の定義によると「乳酸菌飲料・乳および乳製品を除く,酒精分容量1%未満の飲料」である。豊橋市内における清涼飲料水の最初の製造業者は,明治39(1906)年に,関屋町に開業したマルタ商会である。大正15(1926)年には ...

しんちょうほう  「新朝報」は,明治35(1902)年9月28日に豊橋で発刊された日刊紙で,4ページだて。購読料は1部1銭,月ぎめは1か月15銭であった。新朝報の前身は,明治33(1900)年11月に朝倉幾太郎が発行した「めざまし新聞」であった。毎月3回の発行であったが,明治34( ...

じつぎょうは  実業派は,第2次世界大戦前の豊橋政界を同志派と2分した政治勢力であった。実業派は,明治31(1898)年に遠藤安太郎が組織した実業談話会に源を発している。当初実業談話会は,実業界の組織として政治とは一線を画して活動していた。しかし,制限選挙のため実 ...

しせいしこう  豊橋町が市制を施行したのは,明治39(1906)年8月1日であった。全国で62番目,県内で名古屋に次ぐ2番目の市であった。市制施行の動きは,明治34(1901)年2月,福谷元次町長の時代に町政刷新に関する委員会が設置され,同34(01)年9月に「市制に関する調査 ...

さんようしんぽう  参陽新報は,豊橋で最初に発刊された日刊新聞で,4ページだて。外国ニュース・国内政治・社会ニュース・汽車時刻表・諸相場・小説・文芸・広告などで紙面が構成されていた。発売当初の購読料は,1か月20銭であった。参陽新報の前身は,明治28(1895)年 ...

かわい・ろくろう(1902~76)  河合陸郎は,明治35(1902)年3月1日,渥美郡豊橋町(豊橋市飽海(あくみ)町)に白井又蔵の6男として生まれた。6歳の時,豊橋市札木町の叔母河合しげの養嗣子となった。大正5(1916)年八町高等小学校を卒業し,大阪で働き,YMCA夜間英語学校 ...

あさくら・いくたろう(1866~1928)  朝倉幾太郎は,慶応2(1866)年11月2日,渥美郡小島村(豊橋市小島町)朝倉清右衛門の子として生まれた。 明治25(1892)年2月29日,太平洋沿岸の下細谷・上細谷・小島・小松原・寺沢・七根(ななね)・高塚の漁民700余人が渥美郡役所へ ...

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