豊橋市議の長坂です。県議に立候補はしていません。さて、3月29日(金)にスタートした愛知県議会議員選挙、長坂なおと(東大卒 豊橋市議 最年少新人2019迄)@naotoyo84愛知県議選挙2019、はじまりました!迷っている方、豊橋では「中村たつひこ」に投票お願いします! @g ...
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14年前に豊橋の学生たちが始めたアートイベント「sebone」に行ってきました。
豊橋市議の長坂です。14年前は学生でした。さて、今年で15回となる豊橋の「都市型アートイベントsebone」に行ってきました。sebone(都市型アートイベント)@sebone_PR自由工作、自由研究が終わってない子必見!!ワークショップで自由工作を終わらし、色々なアート作品 ...
夏休みの自由研究に!豊橋の国登録文化財まとめ
豊橋市議の長坂です。このブログはこちらの続きです。祝!国の文化財登録へ。豊橋の上水道遺産。 - 愛知豊橋・長坂なおと のblog http://nagasakanaoto.blog.jp/180724.htmlさて、9件目の文化財登録が見込まれます。そして、これまでの8件がこちら(登録順)愛知大学旧本館 ...
横田忍 とは(豊橋百科事典より)
よこた・しのぶ(1883~1956) 横田忍は,明治16(1883)年9月8日,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂町)の横田源次郎の3男に生まれた。日露戦争に陸軍少尉として従軍する。明治40(1907)年,愛知県属となり,大正15(1926)年から昭和5(1930)年の間,田部井(ためがい)勝蔵豊橋 ...
遊佐幸平 とは(豊橋百科事典より)
ゆさ・こうへい(1883~1966) 遊佐幸平は,明治16(1883)年7月25日,宮城県で生まれた。陸軍士官学校第16期の卒業で,大正3(1914)年から3年間,騎兵将校として馬術研究のためフランスへ留学する。昭和3(1928)年,騎兵第14聯隊長に赴任,第9回アムステルダムオリンピ ...
山田信夫 とは(豊橋百科事典より)
やまだ・のぶお(1932~98) 山田信夫は,昭和7(1932)年7月11日,父の勤務地であった中国・上海で生まれた。昭和20(1945)年,豊橋に引き揚げ,豊橋工業高等学校電気科を卒業し,愛知大学および早稲田大学に進学した。その後,女子校教諭や業界紙記者などを経て,昭和34 ...
「南栄町物語」(水口源彦) とは(豊橋百科事典より)
みなみさかえちょうものがたり 「南栄町物語─軍隊の街から学園の街へ─」(水口源彦 平成8年)は,高師村の空池,福岡村の蟹原,磯辺村の東山という3地区が南栄町として成立したことを記したものである。田原街道が野依街道と分岐する辺りに,明治25(1892)年村づくりが ...
三河民俗談話会 とは(豊橋百科事典より)
みかわみんぞくだんわかい 三河民俗談話会は,昭和55(1980)年,愛知大学に在任した佐野賢治が作った研究会である。民俗に関する研究を主とするが,文学,史学,考古学,地理学,言語学などに関連する研究発表も多い。民俗については三河だけでなく日本各地,韓国,中国な ...
「三河遠江の史的研究」(歌川学) とは(豊橋百科事典より)
みかわとおとうみのしてきけんきゅう 「三河遠江の史的研究」(歌川学遺作集刊行会 昭和59年)は,愛知大学の歌川学遺作集刊行会によって編集発行された。 本書の中で,「東三河における条里制の遺構」についての論考は古代穂の国を考える上で重要である。また,神野新田 ...
丸山薫 とは(豊橋百科事典より)
まるやま・かおる(1899~1974) 丸山薫は,明治32(1899)年6月8日,父の任地大分市で生まれた。父・重俊は熊本藩士の家に生まれ,内務省に勤務した。丸山薫の出生時は,大分県警察部長であった。その後,島根県知事となったが,明治44(1911)年,病気のため死去した。そ ...
「馬見塚村渡辺家文書」(愛知大学綜合郷土研究所編) とは(豊橋百科事典より)
まみづかむらわたなべけもんじょ 「三州渥美郡馬見塚村 渡辺家文書」(愛知大学綜合郷土研究所 昭和52~平成11年)は,愛知大学創立30周年記念事業の一環として「愛知大学綜合郷土研究所資料叢書」の刊行が計画され,その叢書の第1~7集として22年かけて出版されたもので ...
松坂佐一 とは(豊橋百科事典より)
まつざか・さいち(1898~2000) 松坂佐一は,明治31(1898)年11月13日,岡山県都窪郡茶屋町(倉敷市)で生まれた。10歳で豊橋市曲尺手(かねんて)町の松坂家の養嗣子となる。大正12(1923)年,東京帝国大学法学部を卒業し,昭和2(1927)年,京城帝国大学助教授となり, ...
本間喜一 とは(豊橋百科事典より)
ほんま・きいち(1891~1987) 本間喜一は,明治24(1891)年7月15日,山形県東置賜郡川西町で,本間熊吉の2男として生まれた。大正4(1915)年,東京帝国大学法科大学を卒業し,司法官試補となり,同6(17)年,判事となった。大正15(1926)年,東京商科大学教授を経て, ...
歩兵第60聯隊 とは(豊橋百科事典より)
ほへいだい60れんたい 歩兵第60聯隊は,明治41(1908)年11月,陸軍第15師団が設置された時,渥美郡高師村(豊橋市町畑町)の師団司令部の北に田原街道(国道259号)に沿って兵舎が建設された。新兵徴集は飯田聯隊区であった。 大正14(1925)年4月,第15師団が解団され, ...
細迫朝夫 とは(豊橋百科事典より)
ほそさこ・ともお(1921~2002) 細迫朝夫は,大正10(1921)年9月30日,山口県に生まれた。昭和20(1945)年,東京帝国大学文学部を卒業し,翌21(46)年に,愛知大学文学部の講師となった。昭和23(1948)年には,愛知大学文学部の助教授となり,同32(57)年,文学部の ...
「百万分の一の歯車!」(松浦元男) とは(豊橋百科事典より)
ひゃくまんぶんのいちのはぐるま 「百万分の一の歯車!」(中経出版 平成15年)は,平成15(2003)年7月刊行された。著者松浦元男は,昭和35(1960)年愛知大学を卒業し,同40(65)年プラスチックスの抽出成型加工企業・株式会社樹研工業を設立し,現在取締役社長である ...
東三河懇話会 とは(豊橋百科事典より)
ひがしみかわこんわかい 昭和30(1955)年,豊橋地方の産業のあり方や方向性を探るため,豊橋商工会議所に産業調査室が新設されたのが始まりである。当時,愛知学芸大学,愛知大学の教授陣を中心に地域診断を行うなど,豊橋経済界にシンクタンク機能の導入が図られた。その ...
林毅陸 とは(豊橋百科事典より)
はやし・きろく(1872~1950) 林毅陸は,明治5(1872)年5月1日,佐賀県に生まれた。慶応義塾大学を卒業し,母校の講師,さらに教授となった。大正元(1912)年,衆議院議員に当選。大正12(1923)年,慶応義塾大学総長。第2次世界大戦後に枢密顧問官を務めた。昭和21(1 ...
「豊橋商工会議所百年史」(豊橋商工会議所編) とは(豊橋百科事典より)
とよはししょうこうかいぎしょ100ねんし 「豊橋商工会議所百年史」(豊橋商工会議所 平成5年)は,創立100周年を記念して刊行された。内容は本文編と資料編からなる。序章では江戸時代までの産業の発達を概観し,前段では第2次世界大戦前の産業と商工会議所を取り扱い(「 ...
中部地方産業研究所(愛知大学) とは(豊橋百科事典より)
ちゅうぶちほうさんぎょうけんきゅうじょ 愛知大学中部地方産業研究所は,昭和28(1953)年3月,陸軍豊橋第一予備士官学校の将校集会所の建物に設立された。あらゆる業界の会社史や市町村広報などの研究資料を収集し,所員の共同研究の成果として「東三河の経済と社会」を ...
「中日大辞典」(愛知大学中日大事典編纂処編) とは(豊橋百科事典より)
ちゅうにちだいじてん 「中日大辞典」(大修館書店 昭和43年)は,旧東亜同文書院大学が作成していた華語辞典の原稿資料カード14万枚が昭和29(1954)年,中国側から返還されたことによって,編集が再開された。郭沫若(かくまつじゃく)中国科学院長の尽力も大きく,日中友 ...
中産研 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 中部地方産業研究所(愛知大学) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なお ...
千葉徳爾 とは(豊橋百科事典より)
ちば・とくじ(1916~2001) 千葉徳爾は,大正5(1916)年5月22日,千葉県久留里町(木更津市)で生まれた。昭和14(1939)年東京高等師範学校文科を卒業し宮崎県の中学校教諭として勤務するが,同年,応召して野戦重砲第4聯隊に入隊,中国に渡り兵役についた。昭和22(194 ...
「地域社会の言語文化」(堀井令以知) とは(豊橋百科事典より)
ちいきしゃかいのげんごぶんか 「地域社会の言語文化」(愛知大学綜合郷土研究所 昭和63年)は,堀井令以知愛知大学教授が,愛知大学綜合郷土研究所紀要の第6輯(1960年)から第25輯(1980年)までに発表した18編(第8輯・第17輯を除く)の方言に,「対馬方言の語彙」「平 ...
高師原 とは(豊橋百科事典より)
たかしばら 高師原は,豊橋市街地南部の柳生川と梅田川の間に広がる東西約6㎞・南北約4㎞の洪積層の台地である。「たかし」の地名は,平安時代の「倭名類聚鈔」にある「渥美郡高芦(たかし)」によるものとされる。それは,古来から歌にも詠まれてきた。高師原は,南接する天 ...
高師口駅 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 愛知大学前駅(豊橋市町畑町町畑) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂な ...
「第15師団長官舎」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
だい15しだんちょうかんしゃ 「愛知大学公館(旧陸軍第15師団長官舎)」1棟(豊橋市高師石塚町石塚)は,平成14(2002)年9月30日豊橋市有形文化財(建造物)に指定された。 「愛知大学公館」は,明治45(1912)年「陸軍第15師団長官舎」として建設され,洋館とその西側に ...
「第15師団司令部庁舎」(国登録文化財) とは(豊橋百科事典より)
だい15しだんしれいぶちょうしゃ 「愛知大学旧本館(旧陸軍第15師団司令部庁舎)」木造2階建て,瓦葺(かわらぶ)き,建築面積1859㎡(豊橋市町畑町町畑)は,平成10(1998)年1月16日,国の文化財登録原簿に登録された。 明治41(1908)年「陸軍第15師団司令部庁舎」は,歩 ...
ソロプチミスト とは(豊橋百科事典より)
そろぷちみすと 国際ソロプチミスト豊橋は,女性の人権と地位の向上をめざし,各国の姉妹クラブとの交流を盛んにすることを目的に,昭和59(1984)年3月31日結成された。活動内容は,国際交流であるが,特に海外障害児支援のための寄付,海外の地震災害への救助支援,外国 ...
綜合郷土研究所(愛知大学) とは(豊橋百科事典より)
そうごうきょうどけんきゅうじょ 愛知大学総合郷土研究所は,昭和26(1951)年6月,旧豊橋陸軍第一予備士官学校の将校集会所の建物内に設立された。東海5県の資料・史料の所蔵が多く,機関誌「綜合郷土研究所紀要」は48輯刊行,資料叢書「三州渥美郡馬見塚村渡辺文書」など ...
鈴木択郎 とは(豊橋百科事典より)
すずき・たくろう(1898~1982) 鈴木択郎は,明治31(1898)年7月26日,栃木県芳賀郡清原村(宇都宮市)で鈴木伊平の子として生まれた。地元の中学校を卒業すると栃木県の給費生になり,上海の東亜同文書院に入学した。大正7(1918)年6月東亜同文書院商務科を卒業し,大 ...
師団口駅 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 愛知大学前駅(豊橋市町畑町町畑) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂な ...
四方晨 とは(豊橋百科事典より)
しかた・しん(1928~2003) 四方晨は,昭和3(1928)年3月6日,京城帝国大学教授四方博の子として,京城で生まれた。熊本に引き揚げたが,愛知大学在学中に中部日本放送に入社し,劇団かもめ(劇団名古屋)で活躍,昭和47(1972)年「むくげとモーゼル」を出版し,同49(7 ...
「三州吉田船町史稿」(佐藤又八) とは(豊橋百科事典より)
さんしゅうよしだふなまちしこう 「三州吉田船町史稿」(佐藤公彦・佐藤利恭 昭和46年)は,竜運寺(豊橋市船町)の宝蔵に収蔵されていた,江戸時代についての数千点におよぶ古文書(船町文庫)をもとに書かれたものである。編者である佐藤又八(閑翠)は郷土史家で船町文 ...
三遠南信地域連携センター(愛知大学) とは(豊橋百科事典より)
さんえんなんしんちいきれんけいせんたー 三遠南信地域連携センターは,平成16(2004)年10月,愛知大学豊橋校舎(豊橋市町畑町町畑)研究館内に開設された。このセンターは,天竜川水系と豊川(とよがわ)水系,秋葉街道によって古くから一つの文化・経済圏として築きあげら ...
近藤恒次 とは(豊橋百科事典より)
こんどう・つねじ(1910~78) 近藤恒次は,明治43(1910)年8月22日,近藤宇一の長男として豊橋市中柴町に生まれた。東洋大学専門部を卒業し,豊橋市立商業学校,豊橋工業学校,愛知県立時習館高等学校教諭を歴任した。昭和15(1940)年「明治初期に於ける豊橋地方の初 ...
胡麻本蔦一 とは(豊橋百科事典より)
ごまもと・つたいち(1903~93) 胡麻本蔦一は,明治36(1903)年10月1日,愛媛県に生まれた。大正13(1924)年,ハルビンの日露協会学校を卒業した。その後,大正13(1924)年ハルビン日露協会学校の講師・助教授を勤めた。昭和2(1927)年3月には北樺太鉱業株式会社に勤 ...
国民体育大会 とは(豊橋百科事典より)
こくみんたいいくたいかい 第1回国民体育大会は,昭和21(1946)年秋,戦災を免れた京都市を中心に行われた。第5回国民体育大会(秋季)愛知大会は,昭和25(1950)年10月,26競技が県下40会場で開かれた。豊橋会場は軟式野球・自転車・馬術の3競技を開催した。軟式野球は ...
「古今和歌集への道」(久曽神昇(きゅうそじんひたく)) とは(豊橋百科事典より)
こきんわかしゅうへのみち 「古今和歌集への道-国文学研究七十七年」(思文閣 平成16年)は,「古今和歌集成立論」をはじめとして,古今集に関する数々の書物を著した久曽神昇文学博士の回想録である。 久曽神昇は,明治42(1909)年5月31日,渥美郡牟呂吉田村高須(豊 ...
小岩井多嘉子 とは(豊橋百科事典より)
こいわい・たかこ(1906~66) 小岩井多嘉子は,明治39(1906)年3月12日,新潟県高田市(上越市)に山岸宏隆の長女として生まれた。東京女子大学校高等部を卒業し,文化生活研究所(出版社)へ入社。その後,新潮社の雑誌「新潮」および「日の出」のフリー・ランサーとし ...
小岩井浄 とは(豊橋百科事典より)
こいわい・じょう(1897~1959) 小岩井浄は,明治30(1897)年6月9日,長野県東筑摩郡島立(しまだち)村(松本市)の小岩井宗十の長男として生まれた。大正11(1922)年,東京帝国大学を卒業後弁護士となった。昭和3(1928)年,翌4(29)年に起きた,3・15事件,4・16事件 ...
小池隧道(渥美線) とは(豊橋百科事典より)
こいけずいどう 渥美線小池隧道は,豊橋鉄道渥美線の小池~大学前(愛知大学前)間(新豊橋起点2.1~2.5㎞)に,国道259号(田原街道)・豊橋環状線(愛知県道502号)と立体交差させるため,昭和61(1986)年11月27日,運行開始した。全長248mの単線の隧道である。なお,国 ...
憲兵隊 とは(豊橋百科事典より)
けんぺいたい 憲兵は,軍事警察(軍隊規律の維持)と治安警察(社会の安寧(あんねい)秩序の維持)の2つの任務を有していたが,後には思想警察,防衛,防諜(ぼうちょう),生産増強,国民生活の監視にまでおよぶようになった。 明治22(1889)年2月,陸海軍の20重大事件の一 ...
クロマツ とは(豊橋百科事典より)
くろまつ クロマツ(マツ科)は,常緑針葉高木で,雄松(おまつ)とも呼ばれ,庭木としてよく植えられている。幹が黒く,葉が長く,松笠も大きいなど,雌松(めまつ)と呼ばれるアカマツより豪壮に見える。山地に生えるアカマツに対して,クロマツは海岸近くに生える。美保の松 ...
「近世の交通と地方文化」(近藤恒次) とは(豊橋百科事典より)
きんせいのこうつうとちほうぶんか 「近世の交通と地方文化」(名著出版 昭和61年)は,愛知大学綜合郷土研究所所員の近藤恒次によって,著述された。 近世から近代にかけての東三河を中心とした古記録を広く読み精査した筆者が,陸上交通の宿場問題・遠州灘の海難事故・ ...
「賀茂真淵と菅江真澄」(近藤恒次) とは(豊橋百科事典より)
かものまぶちとすがえますみ 「賀茂真淵と菅江真澄」(橋良文庫 昭和50年)は,近藤恒次が植田義方(よしえ)没後170年を記念して自費出版した書である。 近藤恒次が植田家より文書の整理調査を依頼されたのは,昭和20年代も末のことであった。植田家は,高須・土倉新田120 ...
大野一英 とは(豊橋百科事典より)
おおの・いちえい(1930~2006) 大野一英は,昭和5(1930)年4月17日,豊橋で生まれ,愛知大学・竜谷大学卒業後,京都で宗教専門記者を務めた。昭和38(1963)年名古屋タイムズ社に転じ,編集委員となった。名古屋もの作家として「名古屋ケチケチ繁盛記」「書人まんだら─東 ...
大須賀初夫 とは(豊橋百科事典より)
おおすか・はつお(1908~81) 大須賀初夫は,明治41(1908)年10月15日,渥美郡高師村磯辺(豊橋市向草間町)の大須賀幸一の長男として生まれた。昭和2(1927)年,愛知県第一師範学校を卒業し,田原東部尋常高等小学校,田原中部尋常高等小学校の訓導,同18(43)年から ...
歌川学 とは(豊橋百科事典より)
うたがわ・まなぶ(1925~83) 歌川学は,大正14(1925)年,高知県に生まれた。東京帝国大学文学部国史学科を卒業し,北海道大学文学部の助手を務めた。昭和31(1956)年愛知大学文学部史学科創設にあたり,文学部助教授に就任した。昭和47(1972)年文学部長,同51(76) ...
上村千一郎 とは(豊橋百科事典より)
うえむら・せんいちろう(1912~91) 上村千一郎は,明治45(1912)年1月17日,渥美郡福江町畠(渥美町福江)の上村杢左衛門の長男武太郎の長男として生まれた。昭和11(1936)年早稲田大学を卒業後,豊橋で弁護士開業のかたわら,磐境青年塾を開設して人材育成にあたった ...


