愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:平和

むかいやまりょくち  向山緑地は,豊橋市街地東部の向山台地に昭和41(1966)年4月開設された。面積は17万1300㎡の総合公園である。「梅林園」は,27種類421本の梅が植えられ「梅まつり」が開催される。西側部分の通称「向山公園」は,「平和の塔」「豊橋工兵隊記念碑」など ...

ほづみ・しちろう(1904~95)  穂積七郎は,明治37(1904)年9月30日,八名郡能登瀬村(南設楽郡鳳来町)の鈴木麟三の7男に生まれた。昭和5(1930)年,東京帝国大学経済学部を卒業し,商工省に勤務した。このころ,京都の穂積家に入籍,姓を鈴木から穂積に変更した。昭和8 ...

へいわのめがみ  昭和25(1950)年大手通・神明町周辺の闇市・露店商が撤去され,神明公園が造られた。神明公園に復興のシンボルとして女神像の建設が企画され,彫刻家河内山賢祐(こうちやまけんすけ)に製作を依頼した。河内山賢祐は,昭和20(1945)年召集されて中部第100 ...

へいわのとう  豊橋平和の塔は,終戦20周年記念事業として工兵作業場跡(豊橋市向山緑地公園)に,昭和40(1965)年建設された。日清戦争以後の戦没者と空襲犠牲者を追悼し,世界の恒久平和を念願して,豊橋遺族会を中心とした市民の浄財によって建設されたものである。隣接 ...

へいわどおり  平和通りは,豊橋市駅前大通三丁目の「駅前大通り」より同中柴町の「みなと大通り」までの豊橋市道(駅前大通~中柴町8号線)の商店街の通称名である。 明治44(1911)年に道路大手線(豊橋市札木町~柳生橋間)が開通するまでは「田原街道」であり,豊橋市 ...

はやかわ・のぶみ(1902~91)  早川延海は,明治35(1902)年7月19日,八名郡玉川村(豊橋市石巻本町)に生まれた。昭和3(1928)年,同志社大学を卒業し,朝日新聞社(大阪)に入社した。昭和13(1938)年,朝日新聞社を退社して,粟村鉱業所(大阪)に入社し,満州国鞍山 ...

にっちゅうゆうこうきょうかい  豊橋地区日本中国友好協会は,昭和62(1987)年,南通市との友好都市提携調印が行われたのを機に,日本中国の相互理解を深めることにより,友好・文化・学術・産業・経済などの交流の拡大のため,豊橋地区に即した活動を展開した。友好交流訪 ...

とよはししか  豊橋市制実施5周年祝賀の歌(明治44年8月1日)1  今橋城は昔にて  吉田の里も夢なれや  名を豊橋とよびてより  四十余年は過ぎにけり2  市制布かれて五星霜  戸数一万五千あり  人口五万の余を数ふ  県下第二の大都会3  十五師団を迎へては  ...

とよはしくうしゅうたいけんき  「豊橋空襲体験記」(豊橋空襲を語りつぐ会 平成12年)は,平成2(1990)年から4年間毎年刊行された豊橋空襲を語りつぐ会の「豊橋空襲体験記」第1集~第4集に掲載された43人の原稿を加筆・訂正して,新たに12人の原稿を追加して総集編とし, ...

ちょうせんそうれん  在日本朝鮮人総聯合会豊橋支部は,昭和20(1945)年10月,在日朝鮮人聯盟(朝聯)の設立,同24(49)年9月朝聯の団体規制など法規制による強制解散を経て,同30(55)年5月25日に設立された。朝聯の豊橋支部として豊橋市花田町築地に事務所を設けた。  ...

ちゅうにちだいじてん  「中日大辞典」(大修館書店 昭和43年)は,旧東亜同文書院大学が作成していた華語辞典の原稿資料カード14万枚が昭和29(1954)年,中国側から返還されたことによって,編集が再開された。郭沫若(かくまつじゃく)中国科学院長の尽力も大きく,日中友 ...

たはらかいどう  田原街道は,東海道吉田(豊橋)の札木町と御輿休(みこしやすみ)町(豊橋市新本町)の境の横町から魚町へ通じ,魚町から東に移って,垉六(ほうろく)町・下リ町(花園町)を通り,新銭町・中柴町(平和通り)から柳生橋を経て田原へ通じる街道で,奥郡(おく ...

せいかつきょうどうくみあい  みかわ市民生活協同組合は,昭和49(1974)年創立,組合員数は現在約9万3000である。生活協同組合は厚生労働省の管轄下にあり,昭和23(1948)年に施行された消費生活協同組合法のもとで「よりよいくらしと平和のために」をスローガンに,全国 ...

すずき・えつ(1886~1933)  鈴木悦は,明治19(1886)年10月17日,渥美郡老津村(豊橋市老津町)で鈴木浅吉の長男として生まれた。成城中学校,東京外国語学校,早稲田大学を卒業後,明治43(1910)年「万朝報」に入社した。「早稲田文学」に「家なき人」「解放」「幻影」 ...

こじま・わしろう(1926~2004)  小嶋和四郎は,大正15(1926)年9月7日,豊橋市下地町の小嶋和四郎の長男として生まれた。東京大学農学部,同大学大学院でアルコール連続発酵を研究した。昭和33(1958)年,社団法人中部産業連盟(名古屋市)に入社し経営コンサルタントと ...

げんばくのひほぞんとう  原爆の火保存塔は,平成元(1989)年10月15日桜丘高等学校平和の塔建設委員会によって,桜丘学園正門脇に阿武隈山中から切り出した高さ5mの石で建設された。 昭和20(1945)年8月6日,広島市は原子爆弾で焦土と化した。呉市に出征していた福岡県八 ...

くうしゅうをかたりつぐかい  豊橋空襲を語りつぐ会は,平成元(1989)年,戦争と空襲体験を語りつぐことで,ふたたび惨禍を繰り返さないという決意を込めて結成された。豊橋が空襲された6月20日には毎年,豊橋市湊町公園で豊橋空襲犠牲者を追悼し,「平和を誓うつどい」を ...

ぎょらんかんのん  赤沢(豊橋市東赤沢町)の海に夜な夜なおかしな光が浮かび,魚が獲れず,村人たちは困り果てていた。漁師で信仰深い久作は,光るものを取り除けば,平和な村が戻るのではないかと光に向かって網を投げた。すると金色に輝く観音様が網で引き上げられた。左 ...

かあさんがちゅうがくせいだったときに  「母さんが中学生だったときに」(エフエー出版 昭和63年)は,松操高等女学校8・9回卒業生が豊川海軍工廠(こうしょう)被爆学徒たちの手記として刊行されたものである。 昭和20(1945)年8月7日,マリアナ基地を発進したボーイング ...

いぞくれんごうかい  豊橋市遺族連合会は,豊橋市から戦地に赴いて戦没した全ての英霊を慰霊し,遺族の福祉の増進を意図して昭和25(1950)年,豊橋市連合遺族会として発足した。昭和31(1956)年豊橋市遺族連合会に名称を変更し,全国遺族代表者大会への参加,豊橋市戦没者 ...

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