豊橋市議の長坂です。父方の実家は岡崎です。さて、豊橋には嵩山(すせ)という場所があります。由来は中国の嵩山(すーざん)という話で景色が似ているとか。https://www.google.co.jp/その嵩山について、8月14日の東愛知新聞でこんな記事を見つけました。「嵩山大念仏」と ...
タグ:嵩山
「鰐口」(白土社)(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
わにぐち(しらつちしゃ) 「白土社の鰐口」1口(白土社蔵)は,平成元(1989)年3月24日,豊橋市有形文化財(工芸)に指定された。 「白土社(豊橋市嵩山町)の鰐口」は,鉄製,長径29㎝,厚さ12㎝で,「三州八名郡嵩山(すせ)之郷白土大明神,願主太郎兵へ(たろうびょう ...
「鰐口」(長孫天神社)(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
わにぐち(おさひこてんじんしゃ) 「長孫天神社の鰐口」1口(長孫天神社蔵)は,平成元(1989)年3月24日,豊橋市有形文化財(工芸)に指定された。 「長彦神社(豊橋市嵩山町)の鰐口」は,青銅製,長径20㎝,厚さ6㎝。「刑部御厨内清福寺打響,明徳三年壬申十月日願主 ...
月ヶ谷村 とは(豊橋百科事典より)
わちがやむら 八名郡月ヶ谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に256石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分252石余,若王子社領2石,万福寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数33,人数134であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6 ...
月ヶ谷城(豊橋市嵩山町山軍場) とは(豊橋百科事典より)
わちがやじょう 月ヶ谷城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。城址(じょうし) は正宗寺の南西裏山にあたり,遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁,井戸,土止め用のためと思われる石積みが確認できる。縄張りは,南東方面に出曲輪を築くなど本坂峠方面か ...
老人保健施設 とは(豊橋百科事典より)
ろうじんほけんしせつ 老人保健施設は,病状が安定しており入院による治療を必要としない寝たきり・認知症など日常生活の自立が困難な高齢者が,家庭復帰のためのリハビリ訓練や療養に必要な看護・介護および医療サービスを受ける施設である。・光生会介護老人保健施設赤岩 ...
「霊山会図」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
りょうせんえず 「霊山会図」1幅(正宗寺蔵)は,平成5(1993)年2月16日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)の「霊山会図」は,中国よりの渡来品で,麻地着色,縦167㎝,横91㎝。釈迦が,霊鷲山(りょうじゅせん)で説法を行う情景が ...
竜泉寺(豊橋市石巻萩平町城脇) とは(豊橋百科事典より)
りゅうせんじ 雲洞山竜泉寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明だが,開山は蛮渓和尚(応永5年示寂(じじゃく))であるので,室町初期の創立と推察される。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,萩平村「雲洞山竜泉寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間・三間」とあり,古来正 ...
「竜虎の図」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
りゅうこのず 「竜虎の図 円山応挙筆」軸仕立二軸箱入 2幅(正宗寺蔵)は,昭和49(1974)年3月12日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)の「竜虎の図」は,紙本墨画,掛幅,縦140㎝,横91㎝で,竜と虎の描かれた双幅で,円山応挙(1 ...
弓張山系 とは(豊橋百科事典より)
ゆみはりさんけい 弓張山系は,愛知県と静岡県の県境を北東から南西に連なる山並みで,八名(やな)弓張山地ともいい,北東部で赤石山脈(南アルプス)に連なっている。弓張山系の北部は鳶ノ巣(とびのす)山(標高669m)・城(じょう)山(657m)・弓張山(679m)・浅間(せん ...
ムササビ とは(豊橋百科事典より)
むささび ムササビ(齧歯(げっし)目リス科)は,体長は約40㎝の哺乳類である。首から前後肢,さらに尾にかけて飛膜が発達しており,夜間飛膜を拡げて木から木へ滑空して移動する。昼間は樹の洞や人家の屋根裏で寝て,日没後に活動する。「ギュルギュルギュル・・・」という ...
美米村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
みこめむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,八名郡多米(ため)村(多米村・赤岩村が合併)・三輪村(金田村・神郷村が合併)と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行にあたって,多米村・三輪村は合併して美米村と改称した。明治25(1892)年12月2 ...
ミカワマイマイ とは(豊橋百科事典より)
みかわまいまい ミカワマイマイ(オナジマイマイ科)は,中部地方の山地に広く分布するミヤマヒダリマキマイマイに似ているが,体層周縁がいちじるしく角張るのが特徴である。殻は左巻きで,陸貝の仲間では大型で,殻径は40㎜ほど,螺塔(らとう)は低く,螺層は約6層を数え ...
「万福寺古墳」(豊橋市指定史跡) とは(豊橋百科事典より)
まんぷくじこふん 「万福寺古墳」1基(万福寺)は,昭和50(1975)年1月21日,豊橋市史跡に指定された。 「万福寺古墳」は万福寺(豊橋市嵩山(すせ)町)境内の山麓の緩斜面にあり,総数15基からなる奈木(なぎ)古墳群のうちの1基で,奈木11号墳ともいう。昭和37(1962)年 ...
万福寺(豊橋市嵩山(すせ)町奈木) とは(豊橋百科事典より)
まんぷくじ(すせ) 月ヶ谷山万福寺(臨済宗妙心寺派)の創立は貞和3(1347)年,開山は日顔禅師の3世の法孫にあたる大摸範和尚で,古来正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「月ヶ谷山万福寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿六間・ ...
万年妙暁 とは(豊橋百科事典より)
まんねん・みょうぎょう(1742頃~1816) 万年妙暁は,設楽郡出沢(すざわ)村(新城市出沢)の滝川家に生まれた。宝暦4(1754)年,東観音寺で得度し,京都に学び,明和8(1771)年,嵩山正宗寺(すうざんしょうじゅうじ)(豊橋市嵩山(すせ)町)に来住した。天明5(1785)年 ...
幻の遠三鉄道 とは(豊橋百科事典より)
まぼろしのえんさんてつどう 昭和初期に,豊橋~浜松間に鉄道を敷設しようとする計画が3つあった。1つは遠三軌道で,旧東海道を並走し,浜松から舞阪~新居~白須賀~二川を経由し,豊橋の柳生橋あたりまで至る計画であった。しかし,浜名湖の架橋工事が困難なことからとり ...
馬越村 とは(豊橋百科事典より)
まごしむら 八名郡馬越村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に132石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分233石余,素盞嗚(すさのお)社領4石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数43,人数204であった。馬越長火塚古墳がある。「三河国二葉松 ...
本坂トンネル とは(豊橋百科事典より)
ほんざかとんねる 本坂トンネルは,有料道路として,愛知県・静岡県道路公社が,昭和53(1978)年4月1日に供用を開始した。豊橋市嵩山(すせ)町の国道362号(姫街道)から本坂トンネル(全長1379m)を中心に,静岡県引佐郡三ヶ日町に至る国道362号本坂峠のバイパスで,延長2 ...
本坂峠 とは(豊橋百科事典より)
ほんざかとうげ 本坂峠は,豊橋市嵩山(すせ)町から愛知・静岡の県境になっている弓張山系の鞍部を越えて静岡県引佐郡三ヶ日町本坂へ通じる標高380mの峠である。近世には本坂道(姫街道)が通り,東海道の脇往還になっていたが,曲がりくねった急坂は,明治維新後も改修され ...
菩提寺(豊橋市石巻中山町奥屋) とは(豊橋百科事典より)
ぼだいじ 蓮華山菩提寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,嘉慶年間(1387~89),開山は遠峯座元と伝えられ,古来正宗寺末松寿派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「禅宗,蓮花山菩提寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間半・四間半」とある。本尊は ...
法蓮寺(豊橋市石巻本町宮前) とは(豊橋百科事典より)
ほうれんじ 明光山法蓮寺(臨済宗妙心寺派)の創立は不明であるが,開山慈因和尚の示寂(じじゃく)が永和3(1377)年であるので,室町初期と推察される。古来正宗寺末祥泉派に属していた。本尊聖観世音菩薩像は定朝作と伝えられるが詳細は判明しない。「三河国二葉松」(元 ...
坊ヶ峰 とは(豊橋百科事典より)
ぼうがみね 坊ヶ峰は,豊橋市の北東部,豊橋市嵩山(すせ)町と静岡県三ヶ日町を結ぶ本坂(ほんざか)峠から北側に急斜面を登ったところにある山である。山頂には,坊ヶ峰神社の祠(ほこら)があり,少し離れて2等三角点(445.8m)がある。登山ルートは,「嵩山蛇穴」から嵩山自 ...
ヒメボタル とは(豊橋百科事典より)
ひめぼたる ヒメボタル(ホタル科)は,体長約6㎜の小型のホタルで,体色は黒色,前胸は淡赤色である。雌は下翅(かし)が退化して飛べない。幼虫は湿地にすみ,陸生の巻貝であるオカチョウジガイを餌(えさ)にして育つ。成虫は5月後半から6月に発生し,瞬時に黄金色に発光す ...
姫街道 とは(豊橋百科事典より)
ひめかいどう 姫街道は,江戸時代東海道の付属街道であった本坂通(ほんざかどおり)の別称である。豊橋市内は,国道362号に指定されている。この名が使用されるようになったのは,江戸時代末期ごろからである。街道は御油宿(豊川市)の南で東海道と分かれ,豊川(とよがわ) ...
ヒノキ とは(豊橋百科事典より)
ひのき ヒノキ(ヒノキ科)は,常緑高木で,日本特産の樹木である。ヒノキの名の由来は「火の木」で,樹皮を細く裂いて,火口(ほくち)として利用したからだといわれている。材は緻密で硬く,建築材としてとくに柱などに重用される。江戸時代,幕府の御料林であった木曽で有 ...
ハチノコギセル とは(豊橋百科事典より)
はちのこぎせる ハチノコギセル(キセルガイ科)は,陸生巻貝で,殻径は5㎜前後,殻長18㎜前後の中型のキセルガイである。殻の巻数は10前後で左巻きである。殻の形はハチの子のように中央が太くなっているのが特徴で,この姿からハチノコギセルの名が付けられた。 腐葉や ...
橋良村 とは(豊橋百科事典より)
はしらむら 渥美郡橋良村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に557石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分656石余,正光寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数110,人数458であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,橋良村「 ...
「涅槃像」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
ねはんぞう 「涅槃像 伝兆殿司筆」軸仕立箱入 1幅(正宗寺蔵)は,昭和49(1974)年3月12日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)の「涅槃像」は,絹本着色である。「涅槃像」とは,釈迦入滅の状況を描いたもので,作者と伝えられる兆 ...
若一王子社(豊橋市嵩山(すせ)町山奈木) とは(豊橋百科事典より)
にゃくいちおうじしゃ 月ヶ谷(わちがや)(豊橋市嵩山町[月ヶ谷])の若一王子社は,熊野十二所権現の一社で,天平7(735)年の創建と伝える。棟札の古いものに文明6(1474)年のものがある。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「若王子,祢宜九右衛門,社領 ...
日顔 とは(豊橋百科事典より)
にちがん(1285頃~1354頃) 日顔禅師は,中国(元)の僧。宋僧中峰明本禅師の流れを汲む。正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)を創建し,開山として正法を伝えるとともに,東三河一帯に禅を普及した。日顔禅師の生年・没年には諸説あり定かでない。口伝では,嘉暦元(1326)年来 ...
西野石灰焼窯跡(豊橋市石巻本町西野) とは(豊橋百科事典より)
にしのいしばいやきがまあと 西野石灰焼窯跡は,豊橋市石巻本町西野に所在した板倉家所有の石灰生産用の窯である。創業は江戸時代末の板倉文右衛門(英光)と伝わる。平成13(2001)年に豊橋市教育委員会が発掘調査を行い,江戸時代末から明治33(1900)年まで順次操業を続 ...
長楽村 とは(豊橋百科事典より)
ながらむら 八名郡長楽村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に332石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分390石余,八幡社領3石,長楽寺領3石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数66,人数260であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年) ...
長彦村 とは(豊橋百科事典より)
ながひこむら 八名郡長彦村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に128石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分129石余,長孫(おさひこ)天神社領3石,十輪寺領3石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数29,人数126であった。「三州吉田領神社仏閣 ...
豊橋筆 とは(豊橋百科事典より)
とよはしふで 豊橋筆は,幕末期下級武士の手内職とされていた。毛筆の将来性に着眼していたのは,渥美郡高足村の神官芳賀(はが)庄左衛門の息子の次郎吉だった。芳賀次郎吉は,吉田(豊橋)藩鉄砲組の下級武士で手内職として毛筆を作っていたが,廃藩によって東京に出て修業 ...
桃林寺(豊橋市牛川町西側) とは(豊橋百科事典より)
とうりんじ 牛河山桃林寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,牛川村開発ごろと推察される。往古は天台宗であったのを,永和年中(1375~79),悦奈和尚が再興し,正宗寺5世陽岩禅師を請じて開山とし,正宗寺の末寺となった。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牛川村「牛 ...
東光寺(豊橋市石巻町門前) とは(豊橋百科事典より)
とうこうじ(じんごう) 湯王山東光寺(臨済宗妙心寺派)は,後白河法皇の勅願により,承安年中(1171~75)に創立された天台宗の寺院といわれる。後世焼失して廃寺となっていたのを,永正・大永(1504~28)のころ繁室玄茂和尚が再興し,臨済宗に改宗した。以後正宗寺末陽 ...
「東海道宿村大概帳」(道中奉行所編) とは(豊橋百科事典より)
とうかいどうしゅくそんたいがいちょう 「東海道宿村大概帳」は,東海道各宿の宿勢と沿道の状況を記したものである。江戸幕府管轄下の五街道およびそれに付属する美濃路・佐屋路・本坂通(ほんざかどおり)なども併せて作成された。記載内容は,宿高・町並の長さ・戸数・人別 ...
長楽寺(豊橋市石巻本町立石) とは(豊橋百科事典より)
ちょうらくじ 竜尾山長楽寺(臨済宗妙心寺派)は,正宗寺の祥叔和尚が延文2(1357)年,長楽(ながら)村(豊橋市石巻本町)の東北瀬戸山の山腹に創立した。山形が竜尾に似ていたことから山号にしたといわれる。正宗寺2世蒲済和尚を請じて開山と仰ぎ,浄蔭派に属していたが, ...
長谷寺(豊橋市石巻本町野添) とは(豊橋百科事典より)
ちょうこくじ 紫雲山長谷寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,永徳2(1382)年正宗寺3世蒲済和尚を勧請開山としている。開基は祥嶺和尚であり,古来正宗寺末浄蔭派に属していた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,高井村「柴雲山長谷寺,嵩山村正宗寺末寺,平僧,客殿 ...
「達磨図」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
だるまず 「白隠筆達磨図」1幅(正宗寺蔵)は,昭和61(1986)年3月28日豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)の「達磨図」は,白隠筆で,紙本墨画,掛幅 縦225㎝,横136㎝。臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685~17 ...
玉川村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
たまがわむら 明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡神ヶ谷村(明治8年7月神ヶ谷村は森岡新田を合併)・高井村・長楽村・和田村は合併して玉川村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(06)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・ ...
玉川小学校(豊橋市石巻本町野添) とは(豊橋百科事典より)
たまがわしょうがっこう 豊橋市立玉川小学校は,明治6(1873)年6月,第9中学区第37番小学和田学校として,和田村御所の竜泉寺を校舎として発足したことに始まる。明治9(1876)年,校地を高井村東野に移転し,同12(79)年10月,八名(やな)郡第32番小学玉川学校と改称した ...
タブノキ とは(豊橋百科事典より)
たぶのき タブノキ(クスノキ科)は,高さ15mあまりの大木になる常緑広葉樹である。葉は有柄で葉身も大きく,10㎝を超える。その表面に光沢がある照葉樹である。冬芽は枝先にあり,赤色を帯びた芽鱗(がりん)からできており,大きくよく目立つ。木肌は灰白色で,滑らかであ ...
高井村 とは(豊橋百科事典より)
たかいむら 高井の地名は,南北朝期にこの地を領した高井主膳に由来するとされる。八名郡高井村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に388石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分450石余,八幡社領3石,慈雲寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によ ...
大念仏 とは(豊橋百科事典より)
だいねんぶつ 嵩山(すせ)の大念仏は,豊橋市嵩山町のうち旧嵩山村であった藤薮・中村・市場・湯巻の各地区に伝承された念仏踊りである。旧盆の14日または15日の夜,集落内で初盆を迎える家を訪れて庭先で念仏踊りを供養し,16日に檀那寺(だんなでら)の正宗寺本堂前で興行す ...
宗栄寺(廃寺) とは(豊橋百科事典より)
そうえいじ 長楽山宗栄寺(臨済寺妙心寺派)の創立は,応安2(1369)年で,開山は蒲済和尚,開基は万江機和尚で,正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,長楽村「長楽山宗栄寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間半・四間,寺領壱石五斗,長楽 ...
浅間神社(豊橋市嵩山(すせ)町浅間下) とは(豊橋百科事典より)
せんげんじんじゃ 天平勝宝2(750)年,嵩山村(豊橋市嵩山町[嵩山])に富士浅間神社を勧請したとされ,大山つみの命(おおやまつみのみこと)を祀る頭浅間(大山社)・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る腹浅間(原川社)・秋津姫を祀る足浅間(富士社)の3 ...
石灰 とは(豊橋百科事典より)
せっかい 豊橋地方での石灰製造は,石灰岩を産出する石巻山を中心とする八 名(やな)郡嵩山(すせ)村(豊橋市嵩山町)と牛川村(豊橋市牛川町)で,江戸時代から焼製されていた。石灰岩は,石垣用材や石灰,セメント,肥料など用途は広い。近代化が進むにしたがって,セメン ...
「隻履達磨図」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
せきりだるまず 「紙本墨画淡彩隻履達磨図 長澤蘆雪(ろせつ)筆」1幅(豊橋市美術博物館蔵)は,平成16(2004)年6月24日豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 「隻履達磨図」は,縦135㎝,横56㎝で,正宗寺(豊橋市嵩山(すせ)町)に伝わった什宝(じゅうほう)であった ...