愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:岩屋

りゅうとうのまつ  昔,岩屋観音堂(豊橋市大岩町)の裏に松の大木があった。枝は四方に伸び,天にも届くかと思われるほどであった。いつのころからか,この大木に,夕方になると灯(あか)りがつくのが遠くから見えた。ところが近寄ってみると,灯りは見えないのであった。こ ...

もんがくはぎとり  昔,平家が隆盛であったころのこと,岩屋山(豊橋市岩屋町)に高足の庄司という山賊の頭目が手下をつれて住みつき,東海道を往来する旅人を襲っては金品を奪っていた。 治承4(1180)年7月のある日,源頼朝の命を受け,平家討伐の院宣を受けに伊豆から京 ...

ふるいち・もくだ(1727頃~1810)  古市木朶は,吉田(豊橋)で生まれた。父・古市猪左衛門とは2歳の時,母・よしとは7歳の時,死別した。そのため親戚の世話になり,14歳の時,犬山へ行って生業を習ったといわれる。20歳の時,名古屋の五条坊木児に入門して楚笠と名乗り, ...

ひとすじのなわ  宝暦4(1754)年,豊川(とよがわ)の大橋の架け替え工事にあたって,江戸下谷の大工茂平・善右衛門の2人は,工事の難しさに困って,岩屋山の観音堂に7日間参篭(さんろう)した。満願の日,豊川に一筋の縄が流れて行く夢を見た。縄は流れながら弓形になって, ...

ひうちざか  火打坂は,二川宿の西側で町並みを抜けた東海道が北に向かって大きくカーブした所(豊橋市大岩町)にある坂で,この火打坂のすぐ西にある岩屋山(標高78.2m)で火打石(チャート)が産出されたことが名称の由来である。ここの火打石は「三河国二葉松」(元文5年 ...

のぎく  「野菊」(大和田建樹 明治42年)は,国文学者で詩人の大和田建樹(1857~1910)が刊行した474ページの書物で,大和田建樹が暮らしの中で経験したこと,紀行文,短歌,詩などのエッセー集である。東三河を旅した時に羽田八幡宮文庫(この中では羽田野文庫となって ...

とのだばし  殿田橋は,豊橋市道(旧国道1号)が豊橋市飯村町茶屋の殿田川を横切るところに架けられた橋である。江戸時代の東海道のころに架設されたが詳細は不明である。また,明治初期の記録では,橋長5間3尺・幅員2間3尺の土橋とある。昭和3(1928)年に改築し,同54(7 ...

とうかいべんらんずりゃく  「東街便覧図略」(稿本 寛政7年)は,熱田から江戸にいたる東海道の名所・名物・風景を詳細な解説付きで描いた肉筆草稿本である。筆者は尾張藩士高力猿猴庵(こうりきえんこうあん),本名高力種信(1756~1831)である。天明6(1786)年,藩命に ...

てんぐさまにまもられたがく  大岩寺(だいがんじ)(豊橋市大岩町)に,かつて号を月舟(げっしゅう)という僧がいて,書をよくした。ある夜,僧の夢に秋葉山の天狗が現われて,「和尚の腕を貸して欲しい」と頼んだ。僧は頼みを聞いてやった。翌朝目を覚ますと,腕はちゃんと動 ...

たかしむら  「和名類聚鈔」の渥美郡6郷中の高芦(たかし)(多加之)は,渥美郡高足村とされる。ただ,古代の高芦郷の地は梅田川下流域のみではなく,広く太平洋岸に至る地をも包含し,鎌倉時代以後多数の村が分立して今日に至っている。渥美郡高足村の村高は,「三河国村々 ...

たかしばらおさきしんでん  渥美郡高足原尾先新田は,慶応3(1867)年の開発である。高は明らかでない。明治9(1876)年の合併願では家数25,人数108である。産土神(うぶすながみ)に大山津美神社を勧請した。明治11(1878)年,高足村・芦原新田・藤並新田・森田新田・高足 ...

だいがんじいわやどうかんのんきょう・とうろう・えま  「大岩寺岩屋堂の観音経・灯籠及び絵馬」(大岩寺蔵)は,昭和32(1957)年9月19日豊橋市有形文化財に指定された。 岩屋堂(豊橋市大岩町)の「観音経」(普門品)1巻は,元禄14(1701)年に岡山藩主池田綱政が自ら筆 ...

だいがんじ  亀見山大岩寺(曹洞宗)は,もと岩屋山麓にあって,岩屋観音に奉仕した6坊中の1坊で,真言宗普門寺の末寺であった。他の5坊の衰退の後は,大岩寺だけが残って観音堂の奉仕管理を続けていた。正応元(1288)年,天正11(1583)年の2度にわたる住民の集団移転の度 ...

すぎ  スギ(スギ科)は,常緑針葉高木で,日本特産の樹木である。本州から四国,九州に広く自生し,寿命が長く,各地に大木がある。材は芳香があり,美しいので建築材として重用される。また,三河地方でよく作られる五平餅のへら板や弁当箱にも用いられる。植林される樹種 ...

しんめいしゃ(おおいわ)  (大岩)神明社は,大宝2(702)年岩屋の南に勧請されたという。保延元(1135)年大岩村が本郷(豊橋市大岩町本郷)へ移村した際同地へ遷座,天正11(1583)年元屋敷へ移転・遷座,正保元(1644)年二川加宿となったとき東郷内(豊橋市大岩町東郷 ...

しえいじゅうたく  豊橋市営住宅は,第2次世界大戦後の応急住宅として,昭和22(1947)年ごろ豊橋市南栄町・向山町・新八町など旧軍用地に木造平屋建ての住宅が建設されたが,同28(53)年から同50(75)年ごろまでに払い下げが行われた。豊橋市営住宅として最初は平屋建て ...

さくら  サクラ(バラ科)は,落葉高木で,種類が多く,一般に春に白色または淡紅色の五弁の花が開く。古くから日本人に愛され,日本の国花になっている。豊橋では4月上旬に盛りをむかえ,豊橋公園・向山緑地・岩屋緑地・牛川遊歩公園などで花見を楽しむことができるほか, ...

こくどう1ごう  国道1号は,明治18(1885)年,国道2号(東京~大阪港)となった道路を大正9(1920)年4月1日,国道1号(東京~伊勢神宮)と改称した。昭和27(1952)年12月4日,東京から大阪までに変更された国道である。豊橋市の区間は,潮見バイパスの豊橋市東細谷町 ...

こくてつばす  国鉄浜名線は,昭和8(1933)年3月27日,豊橋~二川間6㎞の自動車による運輸営業を開始し,静岡運輸事務所二川自動車所(昭和11年9月1日二川自動車区と改称)が開設された。停車場は豊橋・公設市場前・豊橋瓦町・山中橋・飯村(いむれ)・岩屋観音・二川である ...

こうえん  豊橋市は,公園と街路樹が多いことから「緑の街」と呼ばれている。平成16(2004)年度末,都市公園355か所,総面積352万4600㎡,市民1人当たり9.33㎡である。これは,1人当たりの愛知県平均面積6.62㎡を大幅に上回っている。 この緑の街豊橋の形成は,第2次世 ...

けんこうのみち  健康の道は,平成5(1993)年にウォーキングを目的に設けられた。「文化つつじコース」(豊橋市民文化会館・幸公園・福東緑地・豊橋市民文化会館)の全長約6.0㎞が豊橋で最初の健康の道である。そこには,愛知県と豊橋市で道標22本・看板2か所が設置された ...

くろまつ  クロマツ(マツ科)は,常緑針葉高木で,雄松(おまつ)とも呼ばれ,庭木としてよく植えられている。幹が黒く,葉が長く,松笠も大きいなど,雌松(めまつ)と呼ばれるアカマツより豪壮に見える。山地に生えるアカマツに対して,クロマツは海岸近くに生える。美保の松 ...

ぐりーんすぽーつせんたー  グリーンスポーツセンターは,昭和55(1980)年5月豊橋市大岩町火打坂の岩屋緑地内の大蔵山(標高108m)に広がる19万㎡に開設された。センター内には,テニスコート2面,200mのランニングバーン,1周1.5㎞のジョギングコース,ディスクゴルフ, ...

かとう・こうじん(1906~99)  加藤康人は,明治39(1906)年8月24日,小坂井町篠束の加藤七三郎の2男として生まれた。本名を功といった。昭和45(1970)年,豊橋市牟呂町市道に住んだ。その後,豊橋市岩屋町,昭和63(1988)年に豊橋市西幸(にしみゆき)町古並に移り住んだ ...

かしゅくおおいわむら  大岩の地名は,南北朝期から諸史料にその名を見ることができる。江戸時代以前の詳細については不明な点が多いが,正応元(1288)年岩屋山麓にあった集落が本郷の地へ移転したと伝えられ,その後天正11(1583)年街道替えに伴い元屋敷の地(JR二川駅付 ...

おぶち・しち(1847~1929)  小淵志ちは,弘化4(1847)年10月2日,上野国勢多郡富士見村(群馬県勢多郡富士見村)の小淵徳右衛門の2女に生まれた。15歳の時,前橋の製糸業蔦屋三次方へ住み込み女工となった。16歳の時,自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めた。明治12(1879)年 ...

おおやまつみじんじゃ  慶応3(1867)年,高足(たかし)原尾先新田が開発され,明治2(1869)年飯村(いむれ)町高山にあった大山津美神社を西口・岩屋地区の氏神として奉祀した。昭和42(1967)年,新たに伊予大三島の大山祗神(おおやまつみのかみ)より分霊を請じ,翌43(68) ...

おおいわむら  大岩村は,正保元(1644)年,二川村が12町(約1.3㎞)西方へ移転し,改めて二川宿が形成されて,二川宿加宿大岩村となったことに始まる。渥美郡大岩村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期に)224石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所475石余 ...

えどさんぷきこう  「江戸参府紀行」(平凡社・東洋文庫 昭和42年)は,オランダ商館付医員として来日したシーボルト(1796~1866)の長崎から江戸往復の紀行文である。 往路は,文政9(1826)年3月30日,吉田(豊橋)に宿泊した。3月31日,白須賀等の村々を通り,マツ, ...

いわやりょくち  岩屋緑地は,豊橋市の東部丘陵地域南部にあり,市街地との接点に位置する自然林を残した緑地である。昭和33(1958)年3月,豊橋市大岩町火打坂に,面積20.97haの公園を開設した。当時は,松林の景勝地であった。しかし,既存の自然林と自然エネルギーを活か ...

いわやさんのしぜん  岩屋山は,山頂に聖観音立像が立つ独立峰(78m)と展望台がある大倉山(108m)からできている。岩屋山はチャートの岩からできており,豊橋地域の基盤がこの岩であることを示している。この岩上にはアベマキ群落が成立し,岩の下にはシイ群落が成立して ...

いわやさん  岩屋山は,豊橋市大岩町にある標高78.2mの独立峰で,火打石として利用されたチャートから成る岩山である。弓張山系の最南端にあたり,岩山には登攀(とうはん)ルートが整備されていて山頂に至る。この岩場には,大正12(1923)年に,「花・ベルツ(ベルツ博士夫 ...

いわやかんのん  岩屋観音は,岩屋山(標高78m)の南麓にあり,天平2(730)年に行基が諸国巡錫(じゅんしゃく)の途次,1尺1寸(約33㎝)の千手観音像を刻んで岩穴に安置したのが起源とされる。江戸時代には街道を行き交う旅人から多くの信仰を集めた。特に岡山藩主池田綱 ...

いわにししょうがっこう  豊橋市立岩西小学校は,昭和25(1950)年9月,旧陸軍豊橋第二予備士官学校の一部(豊橋市西口町西ノ口)を校舎として,岩田小学校分校として開設された。翌昭和26(1951)年,岩田小学校区の飯村(いむれ)町・岩西町・西口町・東幸(ひがしみゆき)町 ...

いむれしょうがっこう  豊橋市立飯村小学校は,昭和58(1983)年,豊橋市飯村町中島に,岩西小学校区の飯村町・岩屋町,二川小学校区の大岩町東山を校区として新設された。平成6(1994)年,所在地名が豊橋市飯村南四丁目に変更された。平成17(2005)年度,児童数869(27学 ...

いけだつなまさとかんのんれいげん  宝永4(1707)年,岡山藩主池田綱政は参勤交代の帰途,白須賀(しらすか)宿に泊った。その夜,岩屋観音(豊橋市大岩町)が池田綱政の夢枕に現われ,今夜大津波が押し寄せてくるので早く立ち去るがよい,とのお告げがあった。池田綱政は, ...

あいち・しずおかけんどう3ごう  愛知・静岡県道3号(豊橋湖西線)は,明治12(1879)年,国道県道一覧表,大正2(1913)年一覧表に,「渥美郡二川町より静岡県西浜名郡新所村に至る新所街道」と掲載されている。昭和34(1959)年12月15日に,湖西大岩豊橋線,同46(71)年 ...

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