愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:小浜

やまだむら  山田村は,寛永4(1627)年の開発で,村高188石余で高足(たかし)村から分立したとされる。渥美郡山田村の村高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分228石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数18,人数99であった。「三州吉田領神社仏 ...

まんぷくじ(こはま)  宝樹山万福寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,寛治5(1091)年鎌倉時代以前の開創であり,本尊が大日如来坐像であることから往古は真言宗の寺院であったといわれている。その後,鎌倉建長寺派に転派し,天正年間(1573~92)京都妙心寺派に移って東観音 ...

ふくおかむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡橋良村・小池村・小池村持地高足(たかし)分地・山田村・小松新田・佐藤村・小浜村は合併して福岡村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制が施行された。明治39(1906)年9月10日,福岡村・高師 ...

ふくおかしょうがっこう  豊橋市立福岡小学校は,明治7(1874)年3月,橋良(はしら)村の正光寺に,小池・橋良・小浜村を学区とする第10中学区第10番小学高足(たかし)学校出張所橋良学校が発足したことに始まる。明治9(1876)年4月,高足学校から独立し,第10中学区第29番小 ...

はやし・しなじ(1890~1962)  林品次は,明治23(1890)年3月17日に渥美郡若戸村越戸(田原市)の網元・13代林七左衛門の2男として生まれた。明治42(1909)年,東京の私立高橋簿記学院で学んだ複式簿記で豊橋の繭問屋松本商店や豊橋倉庫,砂糖問屋福谷商店を近代的経営に ...

はしらむら  渥美郡橋良村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に557石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分656石余,正光寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数110,人数458であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,橋良村「 ...

はしらじんじゃ  橋良神社の社伝によれば,建久5(1194)年源頼朝が元野社のために社領を寄進し,貞治2(1363)年社殿を造営したという。古来橋良御厨(みくりや)に奉祀された神明社であった。江戸時代の初期,以前から祀っていた神明社を小浜村(豊橋市小浜町)の産土神(う ...

なんぶとちくかくせいり  南部土地区画整理事業(組合施行)は,豊橋市小池町・橋良町・小浜町の144haにわたって,昭和7(1932)年度から同28(53)年度に施行された。昭和21(1946)年7月25日,豊橋市西橋良町・東橋良町・中橋良町・松村町・有楽町・入舟町・鴨田町・西小 ...

なかのしょうがっこう  豊橋市立中野小学校は,昭和60(1985)年4月,豊橋市橋良町向山の旧愛知県立豊橋盲学校(昭和56年3月廃止)跡地に福岡小学校区の小浜町・中野町・中野草間町,磯辺小学校区の二六(にろく)町・王ヶ崎(おがさき)団地・草間三区,栄小学校区の新草間町を ...

とよはしちゅうがっこう  愛知県豊橋中学校は,明治26(1893)年に開設された私立補習学校(豊橋町西八町)が,同28(95)年,豊橋町立豊橋尋常中学時習館となったことに始まる。明治29(1896)年,豊橋町新川の避病院跡に新築・移転した。明治33(1900)年,愛知県第四中学 ...

たかししょうがっこう  豊橋市立高師小学校は,明治6(1873)年7月,第10中学区第10番小学脩徳学校として,高足(たかし)村の高林寺に,高足村・森田新田・藤並新田・小松新田・山田村・佐藤村・小池村・橋良(はしら)村・小浜村を校区とし,橋良に分場(小池・小松・橋良・小 ...

たいようこうくうこうぎょう  太陽航空工業株式会社は,昭和15(1940)年,林品次・坂神馨らによって,豊橋市小浜町に設立された。はじめ川西航空機などの板金加工を受注生産したが,昭和16(1941)年になると海軍航空技術廠(しょう)の双発低翼単葉艦上爆撃機「銀河」のフラ ...

しんめいしゃ(こはま)  (小浜)神明社は,橋良村(豊橋市橋良町)から村分かれにあたって古来から祀っていた神明社を新村の産土神(うぶすながみ)としたという。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,小浜村「八幡宮,祢宜五郎七」「神明,祢宜清六郎」「天王,祢宜八 ...

さとうむら  渥美郡佐藤村は,寛文7(1667)年,吉田(豊橋)の佐藤氏によって開発された。高足(たかし)村から分立し,村高は236石余であった。「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分247石余とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数30,人数172であった。「 ...

こまつしんでん  小松新田は,万治2(1659)年,柳生川左岸に開発された新田で,高39石余で高足(たかし)村から分立した。渥美郡小松新田の高は,明治2(1869)年,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分39石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数15,人 ...

こはまむら  渥美郡小浜村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に418石余,明治2(1869)年,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分529石余,万福寺領3石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数60,人数307であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6 ...

こはまのぼっちのいけ  神代のころ,小浜(豊橋市小浜町)に雲をつくような大男が現われた。男は「だいだらぽっち」と名乗り,諸国で田畑の作り方を教えていた。だいだらぼっちは,この村に田がないことを知り,「米を作らないのか」と尋ねた。村長は,「米を作りたいが,こ ...

こはまかいづか  小浜貝塚は,豊橋市小浜町・神ノ輪町に所在する縄文時代前期~晩期の貝塚である。標高約3mの段丘端部に形成された市内で最も長期間継続した貝塚である。昭和17(1942)年に久永春男によって発見され,小浜神明社境内を中心に貝層が4か所に散在していたこと ...

こいけむら  渥美郡小池村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に449石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分494石余,悟真寺領7石余とある。ほかに小池村持地高足分地101石がある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数69,人数297であった。「三州吉田 ...

うめむら・きよし(1901~82)  梅村清は,明治34(1901)年1月17日,渥美郡豊南(となみ)村赤沢(豊橋市西赤沢町)の網元・梅村儀平の2男に生まれた。大正2(1913)年東京に出て,神田工手学校電気機械科に入学したが,3年で中退した。大正10(1921)年豊橋で絹紡原料商を ...

うえのはらしんでん  上ノ原新田は,延宝7(1679)年以前,柳生川左岸を牟呂村によって開発された新田である。渥美郡上ノ原新田は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分117石余とある。八幡社があったが,明治24(1891)年,小浜村神明社の境内に遷座した。明治11( ...

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