やすみくまのしゃ 安海熊野社は,保延2(1136)年,鳥羽上皇の命により,熊野から快円法印が下向して建立したと伝える。その後,紀伊の人・鈴木重胤(しげたね)が宝飯郡佐脇村(宝飯郡御津町)に上陸し,この地に住み熊野権現の神主となった。牧野古白は,明応4(1495)年社 ...
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札木町(豊橋市札木町) とは(豊橋百科事典より)
ふだぎちょう 豊橋市札木町は東海道沿いに造られた町で,吉田(豊橋)24町の1つである。天正18(1590)年,池田輝政(1564~1613)が吉田(豊橋)城を拡張し,町並みを整備した時に,安海(やすみ)熊野社を南に移し,外堀を造った。もと安海熊野社の境内地に,東西に走る東 ...
白山比咩神社(豊橋市広小路三丁目) とは(豊橋百科事典より)
はくさんひめじんじゃ 白山比咩神社は,安海熊野社の脇宮として奉斎されたもので,往古は白山権現と称した。保延2(1136)年ごろ札木町に勧請,天正18(1590)年城地拡張に際して魚町に遷り,さらに南方に遷したものである。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,羽田村 ...
「農業日用集」(鈴木梁満(やなまろ)) とは(豊橋百科事典より)
のうぎょうにちようしゅう 「農業日用集」(文政5年写本 文化2年稿本)は,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木梁満(1731頃~1817)が自らも農業をしながら,その経験から農作業のことを書き留めたものである。原本は鈴木家には存在せず羽田野敬雄写本と森田光尋写 ...
ちくわ・かまぼこ とは(豊橋百科事典より)
ちくわ・かまぼこ かまぼこの起源は古い。日本書紀に神功皇后が三韓に行った時,魚を加工して保存食としたのが始まりとされている。蒲の穂が焼けている様子に似ていることから蒲穂子(かまぼこ)と呼ばれた。蒲穂子が蒲鉾と書かれるようになったのは,室町時代の初期といわれ ...
鈴木梁満 とは(豊橋百科事典より)
すずき・やなまろ(1731頃~1817) 鈴木梁満は,吉田(豊橋)魚町の熊野権現(安海熊野(やすみくまの)社)の神主の家に生まれた。延享元(1744)年家職を継ぎ,はじめ鈴木伊予重房,後に鈴木土佐梁満と称した。遠江(とおとうみ)国浜松の杉浦国満(くにまろ)に学び,荷田春満 ...
「国学者 鈴木梁満」(山田久次) とは(豊橋百科事典より)
こくがくしゃ すずきやなまろ 「国学者 鈴木梁満」(日本図書刊行会 平成9年)は,山田久次による鈴木梁満(1731頃~1817)研究の成果をまとめた著作である。東三河の国学の概要について触れ,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木家の家系,鈴木梁満・重野・重実 ...
魚町 とは(豊橋百科事典より)
うおまち 豊橋の魚市場は,天文年中(1532~55),今川義元がこの地方に勢力を振るっていた時,渥美半島の片浜13里(遠江新居の今切口から伊良湖岬に至る遠江灘)の水揚げは全部魚町の安海(やすみ)熊野社境内で取り引きし,その2%を口銭として神社の修理費に充てたことに ...
今川義元 とは(豊橋百科事典より)
いまがわ・よしもと(1519~60) 今川義元は,永正16(1519)年,今川氏親(1470~1526)の3男に生まれた。はじめ僧となったが,天文5(1536)年長兄氏輝の死により次兄と家督を争い,翌6(37)年還俗(げんぞく)して治部大輔兼駿河守となった。駿河・遠江(とおとうみ)・三 ...
安海熊野社 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 安海熊野社(豊橋市魚町) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のbl ...