愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:大河内松平

よしだはんにっき  「吉田藩日記」(豊橋市 昭和55年)は,豊橋市史々料叢書の第1集として刊行された。豊橋市史々料叢書は,豊橋市史編集の過程で史料編(第5・6・7・8巻)を編集する際,収録できなかった史料の中で,未翻刻の重要史料を順次刊行するものである。「吉田藩 ...

よしだはん  吉田藩は,三河国吉田に置かれた藩で,藩主はいずれも譜代大名であった。15万石の池田輝政が姫路に移ると,松平(竹谷)家清が慶長6(1601)年,3万石で入封して吉田藩が成立した。以後,松平(深溝)氏・水野氏・小笠原氏・久世氏・牧野氏・松平(大河内)氏・ ...

もくの・じんしち(1814~1904)  杢野甚七は,文化11(1814)年3月15日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の杢野銀右衛門の子に生まれた。嘉永6(1853)年冬,蛤(はまぐり)を囲った葦簀(よしず)や竹・籐蔓(ふじつる)などに海苔(のり)が付着しているのを発見した。安政元(1854 ...

みうら・ちくけい(1689頃~1756)  三浦竹渓は,元禄2(1689)年,三浦平右衛門の子として,江戸に生まれた。荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666~1728)の高弟で柳沢吉保に仕えていた。享保18(1733)年,松平(大河内)信祝(のぶとき)が浜松藩主であった時,荻生徂徠の嗣子 ...

まつだいら・のぶより(1793~1844)  松平(大河内)信順は,寛政5(1793)年6月7日,松平(大河内)信明の庶子として生まれたが,寛政9(1797)年,嫡子となり,文化14(1817)年,父・松平信明の没後,家督を継いだ。学問を好み,漢学を大田錦城に学び,中山美石(うまし) ...

まつだいら・のぶひさ(1829~88)  松平(大河内)信古は,文政12(1829)年4月23日,越前国鯖江(鯖江市)藩主間部詮勝(まなべあきかつ)の2男に生まれた。嘉永2(1849)年7月27日,松平(大河内)信璋(のぶあき)の没後,末期養子として吉田(豊橋)藩主に迎えられた。嘉永 ...

まつだいら・のぶなお(1719~68)  松平(大河内)信復は,享保4(1719)年4月4日,松平(大河内)信祝(のぶとき)の子として江戸藩邸で生まれた。延享元(1744)年,松平(大河内)信祝が没すると,遺領遠江(とおとうみ)浜松7万石を継いだ。ついで,寛延2(1749)年,三河 ...

まつだいら・のぶとき(1683~1744)  松平(大河内)信祝は,天和3(1683)年11月6日,下総国古河(茨城県古河市)で,松平信輝の子に生まれたが,6歳の時叔父松平正綱の養嗣子となった。正徳2(1712)年,下総国古河から三河吉田(豊橋)7万石に転封となる。2年後には,奏 ...

⇒ 松平(大河内)信順 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog htt ...

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まつだいら・のぶあきら(1763~1817)  松平(大河内)信明は,宝暦13(1763)年2月10日,松平(大河内)信礼(のぶうや)の庶子として生まれたが,明和6(1769)年,嫡子となり,翌7(70)年6月22日,松平信礼が没すると家督を継ぎ,吉田(豊橋)7万石を襲封した。松平信明 ...

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まつだいら・すけのり(1700~52)  松平(本庄)資訓は,元禄13(1700)年に生まれた。享保8(1723)年,松平(本庄)資俊の遺領浜松7万石を継ぎ,同14(29)年,松平(大河内)信祝(のぶとき)と交替して遠江(とおとうみ)国浜松から三河吉田(豊橋)7万石に入封した。松平 ...

へいりんじ  金鳳山平林寺(臨済宗妙心寺派)は,埼玉県新座市野火止にある松平(大河内)三家(三河国吉田藩主・上野国高崎藩主・上総国大多喜藩主)の菩提寺である。はじめ永和元(1375)年太田道灌の父である太田道真によって岩槻(いわつき)(埼玉県岩槻市)に創建され, ...

ひしきのてんじんしゃ  菱木野天神社(豊橋市日色野町)は,天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ),高御産巣日神(たかみむすびのかみ),神産巣日神(かみむすびのかみ),宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこのかみ),天之常立神(あめのとこたちがみ)を祀り,その創建 ...

なかやま・うまし(1775~1843)  中山美石は,安永4(1775)年10月10日,吉田(豊橋)藩士中山弥助清勝の長男として生まれた。幼名を為蔵といった。その後,中山弥助美石と称した。寛政10(1798)年,郡奉行支配郷同心となった。文化2(1805)年本居大平(もとおりおおひら) ...

たけい・さんえつ(?~1750)  武井三悦は,上野国桐生(群馬県桐生市)の生まれで,はじめ新井七右衛門と称し,和利流の剣士であった。江戸に出て,下野国烏山(栃木県那須郡烏山町)城主板倉侯に仕え,平生無敵(へいぜいむてき)流の関野清太夫の門人斎藤半右衛門と試合を ...

すずき・ましげ(1750~1811)  鈴木真重は,寛延3(1750)年5月,吉田天王社(吉田神社)の祢宜(ねぎ)の家に生まれた。通称を若狭といい,のち周防と改名した。寛政5(1793)年本居宣長(もとおりのりなが)門に入り,享和元(1801)年本居宣長没後は本居大平(おおひら)に師 ...

こざんろうじっしゅ  「湖山楼十種」(美濃本10巻8冊 明治15年ごろ)は,小野湖山の詩集10部を合刻したものである。上帙(じょうちつ)は「湖山楼詩藁」と題して,湖山楼詩稿,火後憶得詩,鄭絵余意,北遊剰稿,湖山楼詩屏風の5部であり,下帙は「湖山近藁」と題し,湖山近稿 ...

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