愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:国会議員

よしはら・ゆうたろう(1860~1936)  吉原祐太郎は,万延元(1860)年8月17日生まれ,三河国渥美郡の芦原新田(豊橋市芦原町)を開発した吉原弥次右衛門の末裔(まつえい)である。明治12(1879)年,郡内有志とともに農事団体を興す。明治20(1887)年,勧業協会と名付ける ...

やまもと・さんたろう(1837~97)  山本三太郎は,天保8(1837)年8月18日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正柔の2男に生まれた。宝飯郡下地村(豊橋市下地町)の製油業・山本家の養嗣子となる。文学を大田晴軒,武術を寺尾大之進に学んだ。明治13(1880)年から ...

やぎ・いちろう(1901~90)  八木一郎は,明治34(1901)年7月23日,八木用作の長男として,渥美郡高師村藤並(豊橋市藤並町)で生まれた。大正12(1923)年3月,東京高等蚕糸学校を卒業し,東京府・愛知県・農林省・興亜院・大東亜省の農林技師に就任,昭和21(1946)年, ...

むらた・けいじろう(1924~2003)  村田敬次郎は,大正13(1924)年2月12日,豊橋市清水町(豊橋市広小路三丁目)で村田可也の長男に生まれた。京都大学を卒業し,自治庁・愛知県建築部長を経て,昭和44(1969)年,衆議院議員に当選,平成13(2001)年引退するまで,連続1 ...

みうら・へきすい(1841~1915)  三浦碧水は,天保12(1841)年11月29日,吉田(豊橋)藩札元三浦深右衛門の2男に生まれた。幼名を陽次郎といい,字(あざな)を温夫と称した。文久のころ(1861~64),江戸に出て幕臣高畠眉山について西洋流兵学・砲術を学ぶ。慶応4(1868) ...

ほづみ・しちろう(1904~95)  穂積七郎は,明治37(1904)年9月30日,八名郡能登瀬村(南設楽郡鳳来町)の鈴木麟三の7男に生まれた。昭和5(1930)年,東京帝国大学経済学部を卒業し,商工省に勤務した。このころ,京都の穂積家に入籍,姓を鈴木から穂積に変更した。昭和8 ...

ふじかわ・いっしゅう(1914~92)  藤川一秋は,大正3(1914)年9月14日,額田郡豊富村鳥川(額田郡額田町)の松下房蔵の2男に生まれたが,同村の藤川家を継いだ。愛知県庁勤務の後,昭和10(1935)年に,上京して報知新聞社に入社した。昭和14(1939)年,東京シャリング ...

はやし・だいさく(1905~85)  林大作は,明治38(1905)年,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)に生まれた。東京帝国大学法学部を卒業し,三井物産から交易営団に移り,上海支部長を務める。第2次世界大戦後,片山哲の法律事務所で働き,昭和22(1947)年,日本社会党から衆議 ...

はやし・きろく(1872~1950)  林毅陸は,明治5(1872)年5月1日,佐賀県に生まれた。慶応義塾大学を卒業し,母校の講師,さらに教授となった。大正元(1912)年,衆議院議員に当選。大正12(1923)年,慶応義塾大学総長。第2次世界大戦後に枢密顧問官を務めた。昭和21(1 ...

とよはししんぽう  「豊橋新報」は,大正10(1921)年12月創刊。社屋は豊橋市中八町に置いた。社長は,大口喜六(衆議院議員),副社長小山信(県会議員),専務安藤角次郎(市参事会員),会計黒柳清次(市参事会員)であった。いずれも同志派の政治家である。 そのため, ...

とよはしかいしんとう  豊橋改進党は,明治26(1893)5月東京の本部から島田三郎,首藤陸三らを招聘(しょうへい)して,上伝馬(豊橋市上伝馬町)の劇場で演説会を開き,党員7人で発足した。7人は,宮脇国蔵,中村直吉,山本一六,大口喜六,織田清,山本元太郎,都筑孝成と ...

たかはし・こじゅうろう(ひさすけ)(1845~1911)  高橋小十郎(久助)は,弘化2(1845)年1月3日,渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田久二郎の2男に生まれた。安政元(1854)年,吉田(豊橋)船町の回漕肥料店高橋小十郎家に奉公した。明治3(1870)年主人高橋小十郎 ...

すぎうら・たけお(1890~1963)  杉浦武雄は,明治23(1890)年5月20日,渥美郡細谷村下細谷(豊橋市東細谷町)の網元・杉浦六太郎の長男に生まれた。杉浦六太郎は,明治25(1892)年の打瀬網(うたせあみ)事件で,首謀とされ服役した。この間,杉浦武雄は静岡県榛原町など ...

こんどう・じゅいちろう(1870~1960)  近藤寿市郎は,明治3(1870)年4月15日,渥美郡高松村(田原市高松町)に生まれた。豊橋市会議員・愛知県会議員・衆議院議員・豊橋市長を歴任した。大正10(1921)年東南アジアを視察し,インドネシアの灌漑(かんがい)用水に着目して ...

ごとう・ぶんいちろう(1861~1928)  後藤文一郎は,文久元(1861)年4月14日,碧海郡知立村(知立市)の林文三郎の2男に生まれ,渥美郡大岩村(豊橋市大岩町)の後藤家の養嗣子となった。明治法律学校などに学び,明治15(1882)年,代言人(だいげんにん)試験に合格し,岡 ...

かみの・きんのすけ(1849~1922)  神野金之助重行は,嘉永2(1849)年4月15日,海西郡江西村(海部郡八開村)で,神野金平(1811~1905)の5男に生まれた。5男であるが,長男は名古屋の富田重助の養嗣子となり,他の3人は夭折(ようせつ)したので,元治元(1864)年16歳で ...

かとう・ろくぞう(まさお)(1891~1969)  加藤六蔵正雄は,明治24(1891)年12月10日,宝飯郡前芝村の加藤六蔵尚正の長男として生まれた。幼名を正雄といった。慶応義塾大学予科を中退した。大正6(1917)年前芝村会議員,同8(19)年前芝村長,翌9(20)年愛知県会議員 ...

かとう・ろくぞう(なおまさ)(1858~1909)  加藤六蔵は,安政5(1858)年4月25日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正文の長男として生まれた。諱(いみな)は尚正である。明治5(1872)年,好問社で英語・漢学・数学を修めた。明治7(1974)年には上京して慶応義塾 ...

おかだ・てつじ(1923~94)  岡田哲児は,大正12(1923)年8月15日,豊橋市中世古町の岡田善吉の5男として生まれた。昭和12(1937)年豊橋高等小学校を卒業し,同14(39)年名古屋鉄道教習所を修了,東海道線の機関区に配属され,機関士として乗務した。昭和19(1944)年徴 ...

おおこうち・まさとし(1878~1952)  大河内正敏は,明治11(1878)年12月6日,旧上総大多喜(千葉県夷隅郡大多喜町)藩主大河内正質の長男として東京に生まれた。明治36(1903)年東京帝国大学造兵学科を卒業し,助教授・教授となり,造兵学の近代化に努めた。明治40(190 ...

おおぐち・きろく(1870~1957)  大口喜六は,明治3(1870)年5月25日,豊橋船町の大口為蔵の子として生まれた。幼名理一郎,号を蓊山と称した。児島閑窓の門で漢籍,穂積清軒の好問社で英書を学んだ。のちに東京帝国大学選科で薬学を修めた。帰郷後薬局を開業したが,政治 ...

うえむら・せんいちろう(1912~91)  上村千一郎は,明治45(1912)年1月17日,渥美郡福江町畠(渥美町福江)の上村杢左衛門の長男武太郎の長男として生まれた。昭和11(1936)年早稲田大学を卒業後,豊橋で弁護士開業のかたわら,磐境青年塾を開設して人材育成にあたった ...

あさだ・またしち(1838~1914)  朝田又七は,天保9(1838)年,渥美郡七根(ななね)村(豊橋市東七根町)に,勘解由甚四郎の2男として生まれた。吉田(豊橋)船町の高橋小十郎回漕店へ丁稚(でっち)奉公をした。22歳の時独立の決心をして,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)に肥 ...

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