愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:吉田神社

豊橋市議の長坂です。祇園精舎ってインドらしいです。さて、今週末は祇園祭。7月20日(金)に手筒花火、21日(土)に打上花火、22日(日)に本祭があります。今年も後輩から「長坂さん、どこで見るのがいいですか!?」という問い合わせをいただきました。この機会に ...

豊橋市議の長坂です。19歳から手筒してます。さて、4年前に友人が「豊橋祇園祭の手筒花火で短編ドキュメンタリーを作りたい」ということで、密着取材に同行していました。できた作品がこちら。(制作・伊納達也)インタビューも交え、素敵な映像をつくってくださり、感謝 ...

よしだじんじゃ  吉田神社は,古くは天王社・牛頭(ごず)天王・吉田天王社と称した古社で,治承2(1178)年源頼朝が普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町)に滞在したとき,戦勝祈願のため家臣を代参させ,三河守護安達藤九郎盛長も社殿を造営したという。天文16(1547)年今川義元 ...

みなもとの・よりとも(1147~99)  源頼朝は,久安3(1147)年4月8日,尾張熱田(名古屋市)で,源義朝の3男として生まれた。3男ではあるが,母が熱田神宮司藤原季範女であるため,嫡子とされた。治承4(1180)年の挙兵以来,建久元(1190)年と同6(95)年の2回上洛してい ...

まみづかむら  永正2(1505)年,牧野古白が馬見塚と飽海(あくみ)の地に今橋城を築いたという。また,馬見塚のもとの地は,後の吉田(豊橋)城の地である。今川氏親は,馬見塚の替え地として,渡辺平内次に三ツ相村120貫文をあてがったという。吉田方5か村は,寛永15(1638 ...

ひゃっかえん  百花園は,いつ開園し,いつ廃止したのかは不明であるが,その名を高めたのは渡辺崋山の第2子の渡辺小華(1835~87)が明治10(1877)年に豊橋の吉田神社境内に居を構えたころである。 百花園は,豊川(とよがわ)に臨み四季折々に風情を呈する花畑と,その一 ...

はなび  祇園祭は,吉田神社の例祭で恒例の各種花火が奉納される。とりわけ,手筒花火は,豊橋が発祥の地とされ,そのルーツは,永禄元(1558)年にさかのぼるといわれている。吉田神社奉賛会が中心となり,旧暦の6月13日~15日(現在は7月の第3金・土・日)に行われた。手 ...

てづつはなび  手筒花火は,東三河の伝統行事として,毎年夏吉田神社の祇園祭や秋の羽田祭などで祭の呼び物として若衆により奉納されている。 吉田神社の「三河国古老伝」では,「永禄元年天王祭礼祀ノ花火ト云ウ事始メル」とあり,「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉 ...

だんごうじんしゃ  永正年中(1504~21),牧野古白が今橋城築城に当たって,元鍛冶町(かじまち)(豊橋市新吉町)に牛久保(豊川市牛久保町)から鍛冶職を移し,高皇産神(たかみむすびのかみ)など4柱を迎えて守護神としたという。「三州吉田神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連 ...

すずきましげかしゅう  「鈴木真重歌集」(写半紙本一冊,墨付全54丁 明治13年)は,吉田天王社(吉田神社)神官,鈴木若狭真重(1750~1811)の歌集である。明治13(1880)年11月の序によれば,孫の鈴木石見磐根が子孫に伝え,また羽田八幡宮文庫に奉納するため編したもの ...

すずき・ましげ(1750~1811)  鈴木真重は,寛延3(1750)年5月,吉田天王社(吉田神社)の祢宜(ねぎ)の家に生まれた。通称を若狭といい,のち周防と改名した。寛政5(1793)年本居宣長(もとおりのりなが)門に入り,享和元(1801)年本居宣長没後は本居大平(おおひら)に師 ...

すさのおじんじゃ(みこしやすみ)  治承2(1178)年源頼朝が雲谷(うのや)の普門寺に在泊,天王社(吉田神社)に祈願した。(御輿休(みこしやすみ))素盞嗚神社は,その後文治2(1186)年天王社の分霊を建立し,天王社の別宮としたことに始まる。天文16(1547)年今川義元は ...

しょうみょういん  三社山称名院(浄土宗)の創立は,寛永19(1642)年で,開山は悟真寺第24世典誉上人,本尊は阿弥陀如来像である。境内は吉田神社の神職石田式部屋敷の一部で,山号三社山は,神明,白山,天満天神の三社によっての命名で,この三社は創立当初から祀られて ...

こうとくじ  今橋山興徳寺(曹洞宗)は,吉田神社の社人石田次郎兵衛を開基とし,永正から大永(1504~28)初年までの間に創立されたとされている。開山祖庵英彭和尚は,その師の盛禅洞しゃく和尚を始祖と仰ぎ,延命地蔵菩薩を本尊として祀っていた。 「三州吉田領神社仏閣 ...

ぎおんまつり  吉田神社の祇園祭は,天治元(1124)年,この地に疫病が流行したので,天王を勧請し,祇園会を行ったことが起源であるといわれる。吉田神社の祭礼は,旧暦6月13~15日(現在は新暦7月)に行われ,花火のほかに,今川義元が寄進したという神輿渡御(みこしとぎ ...

かみでんまちょうし  「上伝馬町誌」(上伝馬町誌編集委員会 平成16年)は,戦前編では,吉田(豊橋)宿伝馬制度の成り立ちや旅籠(はたご)・遊郭の変遷推移や花柳界の隆盛衰退など上伝馬の沿革,名所旧跡や娯楽・産業施設や風物などの上伝馬細見,吉田神社と花火など祇園祭 ...

あだち・もりなが(1135~1200)  安達盛長は,保延元(1135)年,小野田兼広(藤原北家魚名流)の子に生まれたと伝えられる。幼名を藤九郎と称した。文治元(1185)年,源頼朝が諸国に守護・地頭を補任した時,三河国守護となったとされる。文治2(1186)年には,安達盛長 ...

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