愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:前芝

しおひがり  渥美湾に面した豊橋市梅薮町から杉山町に至る海岸は干潮の時には干潟になる。春の大潮などに際してアサリが採れる。和船でハゼなどを釣るのはかまわないが,沿岸の漁業組合が稚貝を蒔くので,入漁料が必要である。豊橋市前芝町・牟呂町の海苔養殖,牟呂町のむき ...

しおのや・つくも(1905~83)  塩野谷九十九は,明治38(1905)年10月12日,宝飯郡前芝村(豊橋市日色野町)に生まれた。東京商科大学を卒業し,昭和18(1943)年名古屋高等商業学校教官,同25(50)年名古屋大学経済学部教授となる。著書に「ケインズ経済学の展開」「経済 ...

しえいじゅうたく  豊橋市営住宅は,第2次世界大戦後の応急住宅として,昭和22(1947)年ごろ豊橋市南栄町・向山町・新八町など旧軍用地に木造平屋建ての住宅が建設されたが,同28(53)年から同50(75)年ごろまでに払い下げが行われた。豊橋市営住宅として最初は平屋建て ...

さいふくじ(まえしば)  蛤光山西福寺(浄土宗)の創立は,文明7(1475)年で,開山は光誉音周上人,開基は不明である。維新前までに度々津波の難に遭って,伝来の記録類は全部流失してしまった。西福寺の本尊阿弥陀如来立像は恵心僧都の作といわれる端麗な像である。脇侍 ...

こくどう247ごう  国道247号は,豊橋市から蒲郡市を経由して幡豆郡の平坂港までの通称名「平坂街道」を経て半田を通り,名古屋市熱田区の国道1号までの道路である。豊橋市内では,国道1号(東京起点296.5㎞)の豊橋市八町通一丁目が国道247号の起点であるが,宝飯郡小坂井 ...

こくどう23ごうばいぱす  国道23号豊橋バイパスは,名豊道路の一部として計画され,豊川市為当町(愛知県道31号)から伊古部南栄線(愛知県道407号)の豊橋市野依町までの延長17.6㎞の自動車道路である。豊橋市野依町からの国道23号豊橋東バイパス(野依IC~国道1号間)に ...

こくどう23ごう  国道23号は,昭和27(1952)年12月5日,1級国道23号として四日市市から宇治山田市までが認定された国道である。昭和50(1975)年4月1日,豊橋市から蒲郡市・名古屋市・四日市市を通って伊勢市までに改正された。昭和31(1956)年7月10日,国道247号(名古 ...

こうしゅじ  海潮山蛤珠寺(曹洞宗)は,永禄元(1558)年の創立で,開山は伊奈(宝飯郡小坂井町)東漸寺第2世大中一介和尚(~1532)で,開基は明らかでない。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,前芝村「禅宗,海潮山蛤珠庵,伊奈村東漸寺末寺,平僧,客殿五間・三間 ...

きゅうきゅうしゃ  市町村の救急業務は,消防法(昭和23年制定)が,昭和38(1963)年,改正されて消防の業務となった。豊橋市の救急活動は,昭和32(1857)年6月,豊橋市防火委員会より救急自動車の寄贈を受け,消防署に配置されたことから本格的に開始された。昭和33(195 ...

かやのしんでん  茅野新田は,元禄10(1697)年,前芝村・梅薮村の村請負で豊川(とよがわ)河口左岸に開発され,宝暦元(1751)年,新田の修復をし,堤を築いた。渥美郡茅野新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分64石余とある。明治11(1878)年,青竹新田 ...

かぶとえび  甲殻類葉脚目のカブトエビは,ヒトよりもかなり昔から地球上に生息していたといわれている。カブトエビは水の底を泳ぎまわり泥を足でかき回す。草取り虫などともいわれ,形状がカブトガニを小さくしたものに似ている。 ホウネンエビは体長15~20㎜で,背を下に ...

かとうしんでん  加藤新田は,元禄9(1696)年,吉田(豊橋)船町の加藤平四郎が,豊川(とよがわ)河口に開発したことによってできた。しかし,宝永3(1706)年,前芝村の加藤長左衛門に譲渡された。渥美郡加藤新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分79石 ...

かとう・ろくぞう(まさお)(1891~1969)  加藤六蔵正雄は,明治24(1891)年12月10日,宝飯郡前芝村の加藤六蔵尚正の長男として生まれた。幼名を正雄といった。慶応義塾大学予科を中退した。大正6(1917)年前芝村会議員,同8(19)年前芝村長,翌9(20)年愛知県会議員 ...

かとう・ろくぞう(ひろまさ)(1770頃~1840)  加藤六蔵広当は,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)に生まれた。諱(いみな)は広当,号を観魚楼と称した。詩歌を吉田(豊橋)悟真寺の東渡因静(いんじょう),国学を本居大平(もとおりおおひら)に学んだ。東海道を上下する多くの学 ...

かとう・ろくぞう(なおまさ)(1858~1909)  加藤六蔵は,安政5(1858)年4月25日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正文の長男として生まれた。諱(いみな)は尚正である。明治5(1872)年,好問社で英語・漢学・数学を修めた。明治7(1974)年には上京して慶応義塾 ...

かすみてい  霞堤は,河川における洪水の被害を最小限におさえるため,堤防の一部にわざと切れ目(差し口)をつくっておき,河川が増水した時にそこから水を導き,請堤(控堤・二重堤)との間の遊水地(主として農地)に一時的に河水をプールさせて(差し水)下流部の洪水を ...

がくときんろうどういんととよかわかいぐんこうしょう  「学徒勤労動員と豊川海軍工廠」(豊橋文化協会 昭和52年)は,豊橋市立工業学校の勤労動員学徒付添教官として豊川海軍工廠(こうしょう)の爆撃に遭った近藤恒次が「本書を豊川海軍工廠戦没学徒の霊前に捧ぐ」として刊 ...

かいすいよくじょう  豊橋の海水浴場は,前芝・大崎・吉前(よしざき)などがあった。学校にプールのなかったころには,海水浴場はにぎわいを見せていた。前芝海水浴場は,大正から昭和初年にかけて豊川鉄道を利用して小坂井からのバスの便もあった。このころの利用者は,毎夏 ...

おおさきじま・おおつじま  田原湾の海面の寄州(よりす)に,大崎村(豊橋市大崎町・船渡町)に属する本島・平島・長松島(一部)と大津村(豊橋市老津町)に属する大津島・蜷島(になじま)・仏島・長松島などがあった。江戸期にはこの海域に,野依村・西植田村・東植田村・切 ...

えがわ  江川は,かつては豊橋市瓜郷町から流れ出て豊橋市前芝町で豊川(とよがわ)と合流して三河湾に注いでいた。しかし,豊川放水路の開鑿によって下流部は消滅した。現在の江川は,上流部で江川(普通河川延長2140m)に南江川(普通河川延長680m)を合流して豊橋市横須賀 ...

うおでいり  嘉永4(1851)年から7年間にわたり,吉田(豊橋)魚町と牟呂村・前芝村の間に「魚出入」という争いが起きた。前年,嘉永3(1850)年には片浜13里(渥美半島の太平洋側)の海岸は鰯(いわし)の大漁にわいた。肥料用にその鰯を買った農民とそれを売った牟呂村,前 ...

いなのどうたく  伊奈の銅鐸は,大正13(1924)年12月22日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)林豊治所有の宝飯郡小坂井町伊奈字松間の畑の深さ80㎝の地中から,横里富三郎,北川馨によって,掘り出された3個の銅鐸である。弥生時代後期の三遠式銅鐸で,袈裟襷(けさだすき)文様 ...

いせわんたいふう  伊勢湾台風(台風15号)は,昭和34(1959)年9月26日18時過ぎに東海地方に来襲した。名古屋地方を中心に愛知県下で,死者3168人,行方不明92人,湛水(たんすい)2か月に及ぶ被害をもたらした。 豊橋市では,死者8人・重傷者14人・軽傷者108人,住宅の全壊 ...

あつみわん  渥美湾は,三河湾の東部の渥美半島に囲まれた海域につけられた名称である。渥美湾奥の汐川河口から柳生川河口の間を田原湾といい,大崎島・大津島などがあった。波は静かで,水深は10m以下の浅い部分が多く,沿岸は漂砂が集まり,近世以降に天津(あまづ)新田・ ...

あけみちょう  昭和13(1938)年から,大崎島・大津島に海軍航空隊基地が造成され,同18(43)年,豊橋海軍航空隊が開隊した。昭和28(1953)年6月,愛知県は豊橋港の港域拡張について告示し,同33(58)年,豊橋市は東都製鋼(トピー工業)を誘致するなど,豊橋港・臨海工 ...

あおたけしんでん  青竹新田は,明和7(1770)年,豊川(とよがわ)河口左岸に前芝村青木九郎治・吉田(豊橋)呉服町大嶽七右衛門が開発した新田である。新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分248石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数10 ...

あおきしんでん  青木新田の地名は,開発者・前芝村青木九郎治に由来する。元禄6(1693)年以前,豊川(とよがわ)河口右岸に新田が開発された。新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,豊橋藩領分118石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)では家数25,人数103であ ...

あおき・くろうじ(?~1782)  青木九郎治は,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の人で,元禄6(1693)年以前,豊川(とよがわ)河口に青木新田118石余を開発した。明和7(1770)年には,吉田(豊橋)呉服町の大嶽七右衛門とともに渥美郡青竹新田248石を開発した。天明2(1782) ...

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