愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:前芝

豊橋市議の長坂です。2020年は祝日が移動するようです。さて、もうすぐ海の日です。海の日の豊橋と言えば「みなとフェスティバル」が恒例です。https://www.aichi-now.jp/spots/detail/1347/昨年の海の日、ふとこんなことを。「同じ三河湾の両隣、蒲郡と田原には海水浴場があ ...

わたなべ・へいないじ(1852~1925)  渡辺平内治は,嘉永5(1852)年11月,三河国渥美郡馬見塚村(豊橋市川崎町)の渡辺寛の長男として生まれた。幼名は潔,明治10(1877)年,24歳で家督を相続し,平内治を襲名した。明治5(1872)年,村の総代に推挙されて以来,宝飯郡鹿 ...

ろくじょうがた  六条潟は,三河湾沿岸部の豊川(とよがわ)を中心として,南は柳生川・梅田川,北は江川・佐奈川・音羽川の6河川が流入する河口一帯に広がる干潟・浅海域の総称で,6河川が流入することから吉田(豊橋)藩士(氏名不詳)が名付けたとされている。六条潟は,海 ...

よしだがわとせん  吉田川(豊川(とよがわ))に架かる吉田大橋の大規模な修理・架け替えは幕府直轄で行われた。江戸時代初期の吉田大橋の架け替えの際には,古い橋を通行しながら新しい橋の架橋工事が行われたが,正徳3(1713)年の大修理からは吉田宿の船町が渡船を運航し ...

ゆうりょうどうろ  豊橋市域には,東名高速自動車道のほか,多米(ため)峠・本坂(ほんざか)トンネル・豊川橋(とよがわばし)・小坂井バイパスの4つの有料道路があった。 愛知・静岡県道4号(豊橋大知波線)は,昭和40(1965)年11月29日認定されて,翌41(66)年6月24日道路 ...

ゆうびんばんごう  郵便番号制度は,昭和43(1968)年7月1日から実施された。豊橋郵便局の集配区域(昭和7年合併の豊橋市)は440となり,石巻局441-11・二川局441-31・高豊局441-32・老津(おいつ)局441-33・前芝(小坂井局)441-01のように集配局番号が付けられた。平 ...

やまもと・さんたろう(1837~97)  山本三太郎は,天保8(1837)年8月18日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正柔の2男に生まれた。宝飯郡下地村(豊橋市下地町)の製油業・山本家の養嗣子となる。文学を大田晴軒,武術を寺尾大之進に学んだ。明治13(1880)年から ...

やまのうちしんでん  山内新田は,享保16(1731)年以前,豊川(とよがわ)河口右岸に開発された新田である。一時荒廃し,宝暦8(1758)年,青木九郎治が再開発し,青木新田の1部となり,後,分村した。宝飯郡山内新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分14 ...

もくの・じんしち(1814~1904)  杢野甚七は,文化11(1814)年3月15日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の杢野銀右衛門の子に生まれた。嘉永6(1853)年冬,蛤(はまぐり)を囲った葦簀(よしず)や竹・籐蔓(ふじつる)などに海苔(のり)が付着しているのを発見した。安政元(1854 ...

めだか  メダカ(メダカ科)は,全長約4㎝前後の淡水魚で,群れを成して水面近くを泳ぐ。小川や水田近くの水路で普通に見られ,「メンパ」と呼ばれていた。しかし,昭和40(1965)年ごろから農薬や生活排水による河川の汚れや水路の改修に伴って生息場所が減少した。河川の ...

めいてつじどうしゃ  三谷自動車は,大正12(1923)年,蒲郡~豊川,蒲郡~豊橋間の運行を開始した。昭和11(1936)年には,豊橋電気軌道のバス路線と相互乗り入れ(豊橋駅前~前芝間)していた。 名鉄自動車は,昭和18(1943)年8月11日,名鉄自動車・尾三自動車・浄心自 ...

みかわのくにほいぐんし  「三河国宝飯郡誌」(著者自刊 明治24~26年)は,明治15(1882)年および同21(88)年に宝飯郡の各村が村名・分合・位置・地勢・神社・仏閣・官庁・鉄道・学校・戸口などを調査したものを基礎として著したものである。これらの村誌を早川彦右衛門 ...

みかわこう  三河港は,昭和37(1962)年5月,港湾法による豊橋港(昭和11年3月に豊川河港・前芝港・大崎港を統合して国の指定港となった),蒲郡港,田原港および西浦港が統一され,愛知県の管理港として誕生した港である。昭和39(1964)年4月に重要港に昇格した。 豊橋 ...

まきしんでん  牧新田は,元禄11(1698)年,牟呂村(豊橋市牟呂町)の牧野伝蔵の一族が豊川(とよがわ)河口左岸に開発したが,安政4(1857)年,前芝村(豊橋市前芝町)加藤六蔵に譲渡された。渥美郡牧新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分54石余とある ...

まえしばむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,宝飯(ほい)郡前芝村(青木新田・山内新田を合併)・日色野村・梅薮村は合併して前芝村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制が施行された。昭和30(1955)年3月1日,前芝村は豊橋市に合併した。 - ...

まえしばむら  宝飯(ほい)郡前芝村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に499石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分532石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数251,人数1042であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,前芝村「神明 ...

まえしばみなと  前芝湊は,豊川(とよがわ)河口部右岸,前芝村にあった湊である。天文17(1548)年,今川義元が伊奈城(宝飯郡小坂井町)の本多忠俊に「蔵(前)芝湊并湊役」を含む旧領を保証しているので,それ以前から湊としての機能を果たしていたことがわかる。江戸時代 ...

まえしばのとうみょうだい  「前芝の燈明台」19.8㎡(豊橋市前芝町青木地先堤防)は,昭和32(1957)年9月19日,豊橋市文化財に指定され,同40(65)年5月21日,愛知県史跡に指定された。 「前芝の燈明台」は,豊川(とよがわ)の河口部右岸,前芝村の西端青木新田の堤防上に ...

まえしばちゅうがっこう  豊橋市立前芝中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,前芝小学校を校舎とし,前芝小学校区を校区として,宝飯郡前芝村立中学校として開校された。昭和24(1949)年,前芝村前芝字塩見塚に木造校舎が竣工した。昭和28(1953)年,所在地 ...

まえしばそんし  「前芝村誌」(前芝村誌編纂委員会 昭和34年)は,昭和30(1955)年3月1日をもって宝飯郡前芝村が豊橋市へ合併されたのを記念して刊行されたものである。内容は自然環境,原始より幕末までの前芝村の沿革,明治より昭和30(1955)年の豊橋市への合併までの ...

まえしばしょうがっこう  豊橋市立前芝小学校は,明治6(1973)年6月,第10中学区第35番小学巴水(はすい)学校を前芝村・日色野(ひしきの)村・平井村の3村連合で前芝村の西福寺に設立したことに始まる。梅薮村は第39番小学伊奈学校(伊奈村の永正寺)へ通学した。明治9(1876 ...

まえしばおおはし  前芝大橋は,国道23号(蒲郡街道)が豊川放水路を横切るところに架けられた橋である。豊橋市日色野町と同清須町・同前芝町間を結ぶ。大正11(1922)年5月に江川(現在は豊川放水路)に木造の前芝大橋が完成したが,同15(26)年9月17日の台風で流失し,昭 ...

ふな  フナ(コイ科)は淡水魚で,成魚の体長は20~40㎝で釣りの対象魚として,また,食用にもされてきた身近な魚である。フナの仲間は体形や体色の違いからいろいろな種類に分けられているが,豊橋市内にはギンブナとゲンゴロウブナが多い。豊橋市の南部を流れる梅田川,紙 ...

ふくしましんでん  文政3(1820)年,吉田(豊橋)藩士福島献吉が牟呂沖新開惣奉行に任命された。文政4(1821)年豊川(とよがわ)河口左岸に東・中・西の3区画を造成して富士見新田と命名された。高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分232石余とある。「吉田領戸 ...

ひらまつしょくひん  株式会社平松食品は,大正11(1922)年に平松安治が前芝村梅薮(豊橋市梅薮町)で,はぜの佃煮(つくだに)・あさりのしぐれ炊きなどの山安平松商店を創業したことに始まる。昭和23(1948)年,山安平松食品合資会社を設立,同63(88)年株式会社平松食品 ...

ひらの・けんじ(1900~85)  平野賢治は,明治33(1900)年8月20日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)に生まれた。昭和6(1931)年,豊橋市北島町に豊橋飼料合名会社を創立し,同12(37)年豊橋市牟呂町扇田に移転した。昭和19(1944)年,豊橋飼料株式会社社長に就任した。昭 ...

ひらいいなりやまかいづか  平井稲荷山貝塚は,明治33(1900)年,宝飯郡小坂井町平井の大林意備(もとよし)によって小坂井町平井と豊橋市前芝町の境界地で発掘された遺跡である。縄文時代晩期の土器のほかに石鏃・石斧・石剣・骨角器・土偶が発掘された。大正元(1912)年, ...

びさんそくりょうにっき  「尾三測量日記」(愛知県郷土資料刊行会 昭和56年)は,享和3(1803)年,伊能忠敬(1745~1818)が第4次測量として江戸を出発し,駿河から三河,尾張,美濃,越前などを測量した日記から,三河,尾張の部分を抜き書きしたものである。 下細谷村 ...

はまぐり  ハマグリは,マルスダレガイ科の二枚貝で,殻長は8㎝になるものもある。殻の表面は平滑で,色や模様は変化に富む。内面は白色で,肉は食用となる。貝塚からよく出土し,縄文時代からよく食べられていたことがわかる。前芝海岸(豊橋市前芝町)でもかつてはたくさ ...

はっけいしいか  「三河国二葉松」(元文5年)に,熊野大権現八景詩歌がある。豊川帰帆 今号吉田川三河也。星野落雁 今在行明村旧跡。石巻秋月 在八名郡名山也。本宮暮雪 号一宮本宮山。本野晴嵐 号本野原出名所。宮路名照 云赤坂駅後山。渡津夜雨 云小坂井前芝辺。 ...

はが・やすじ(1857~1934)  芳賀保治は,安政4(1857)年1月12日,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂大西町)の5代芳賀清治郎憲祥の長男として生まれた。明治13(1880)年明治新田干拓の発起人に名をつらねているが,公職についたのは,同19(86)年牟呂村外2か村役場書記に挙げ ...

にのみやきんじろうぞう  第2次世界大戦前,多くの小学校には二宮金次郎(尊徳)像が建立された。豊橋市立前芝小学校の像は全国でその第1号といわれている。大正13(1924)年1月26日,皇太子の御成婚記念として,前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵が寄贈したものである。像 ...

なかむらしんでん  中村新田は,宝永4(1707)年,豊川(とよがわ)河口に篠束(しのづか)村(宝飯(ほい)郡小坂井町篠束)の七郎右衛門が開発した。渥美郡中村新田の高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分7石余とある。明治11(1878)年,青竹新田・茅野新田・富久 ...

とよはしゆうびんきょく  豊橋郵便局は,明治4(1871)年4月,豊橋上伝馬町に豊橋郵便取扱所として開業し,同6(73)年7月,豊橋郵便役所と改称した。明治8(1875)年1月,豊橋郵便局(3等)に改称した。明治5(1872)年9月,豊橋電信分局を豊橋関屋町に開設,同20(87)年 ...

とよはししげすいどう50ねんし  「豊橋市下水道50年史」(豊橋市下水道局 昭和60年)は,昭和11(1936)年に築造された下水道が第2次世界大戦後,4次にわたって拡張され,昭和54(1979)年の中島処理場の完成までを記述したものである。この間,6か所の地域下水道が整備さ ...

とよはしじいんし  「豊橋寺院誌」(豊橋仏教会 昭和34年)は,昭和28(1953)年豊橋仏教会総会において企画され,同34(59)年に刊行された。内容は,豊橋市内に現存する200か寺と廃寺61か寺についての創立・沿革・文化財(宝物),事業(幼稚園)などを,さまざまな資料 ...

とよだふみきり  豊田踏切は,豊橋市北島町北島・同南島町二丁目と豊橋市菰口町一丁目間の東海道本線・飯田線・名古屋鉄道名古屋本線の3線を横切る踏切である。明治21(1888)年9月1日に東海道線が開通した時,この地は東豊田村であり,船町の東海道から清須の渡し(渡津橋 ...

とよがわほうすいろ  豊川放水路は,豊川下流部の豊橋市・豊川市・宝飯郡小坂井町・同一宮町の流域1万haを洪水から守るため,豊川市行明町(豊川河口から11.6㎞地点)から豊川河口部の豊橋市前芝町まで,直線的に(延長6.6㎞・川幅120m~160m)開鑿した放水路であり,第2次 ...

とよがわばし  有料道路豊川橋は,国道23号豊橋バイパスが豊川・豊川放水路を横切るところに架けられた橋である。前芝IC(豊橋市前芝町)から豊川橋南IC(豊橋市神野新田町)を結ぶ。日本道路公団が建設し,昭和58(1983)年2月17日に供用開始した。豊川橋(橋長649m)を中 ...

とよがわのとせん  平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定され ...

とよがわのしゅううん  江戸期の豊川の舟運は,八名郡乗本村(鳳来町)と対岸の設楽郡長篠村(鳳来町)から,鵜飼舟によって吉田(豊橋)・下地・前芝に貨物を送ったものである。鵜飼舟は,長さ7間半・幅4尺5寸で,舟人2人ずつ乗組み,11里を9~10時間かかって下った。 宝 ...

とよかわかいぐんこうしょうのばくげき  豊川海軍工廠は,昭和14(1939)年12月15日,宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがる姫街道の北側約300haの土地に設立された。機銃部で陸用・空用の機銃,火工部で弾丸を製造した。その後,光学部と指揮兵器部が増設された。付帯 ...

とよがわ  豊川は,北設楽郡設楽町の段戸(だんど)山(標高1152m)を源流とする豊川(別名寒狭川)と,明神山(標高1016m)を源流とする宇連(うれ)川(豊川,別名三輪川・板敷川)が南設楽郡鳳来町長篠地先で合流し,中央構造線に沿って南西に流れ,新城(しんしろ)市で山地を ...

どぼくいじじむしょ  豊橋市土木維持事務所は,昭和43(1968)年4月,豊橋市前芝町に開設した前芝建設基地に始まる。昭和52(1977)年9月,道路維持課(第12係),河川土木課(河川係)の現業部門が結集,同54(79)年4月,建設基地を前芝から豊橋市西幸(にしみゆき)町へ移 ...

とうさんすいぞくようごどうめい  東三水族擁護同盟会は,水産業者の人毛工場(日本人造羊毛株式会社)誘致反対運動の団体である。昭和8(1933)年12月8日,豊川町(豊川市)の妙巌寺(豊川稲荷)において,宝飯郡,豊橋市,渥美郡裏浜,豊川上流の各漁業代表者32人が集まり ...

ちくしみんかん  豊橋市地区市民館は,昭和47(1972)年3月,豊橋市社会教育審議会が行った「豊橋市における社会教育施設の適正な配置・規模および望ましい運営について」の建議を受け,年次計画で各中学校区に地区市民館(各小学校区には校区市民館)の建設を決定着工した ...

たいりくばらたなご  タイリクバラタナゴ(コイ科)は,タナゴの仲間で,二枚貝の体内を借りて子育てをする珍しい習性をもった淡水魚である。以前は,河川やため池などでドブガイやカラスガイなどのイシガイ科の二枚貝が,ヤリタナゴなどの繁殖を手助けていた。ところが,昭 ...

しんめいしゃ(まえしば)  (前芝)神明社は,古説に仁和元(885)年伊勢大神宮を勧請したという。天文9(1540)年の津波に古記録をすべて流失した。境内社の熊野神社は,仁安3(1168)年当地へいずれよりかウツロ舟で漂着したと伝える。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...

じんじゃをちゅうしんとしたるほいぐんし  「神社を中心としたる 宝飯郡史」(愛知県宝飯郡神職会 昭和5年)には,その当時宝飯郡に属していた現在の豊橋市大村町・長瀬町・下地町・川崎町・横須賀町・清須町・下五井町・瓜郷町・前芝町・日色野町・梅薮町も含まれている。 ...

しかすがのわたし  志香須賀の渡しは,承和2(835)年の太政官符に飽海(あくみ)川の渡しとあったところで,豊川(とよがわ)の渡しである。東海道の要衝にあたり,古来知られていたが,特に名高くなったのは,天暦8(954)年,村上天皇が皇太后藤原隠子の70の賀のために,内裏 ...

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