愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

タグ:伊古部

豊橋市議の長坂です。手紙のハートマークがハイカラ過ぎます。さて、エイプリルフール以来、新型コロナウイルス以外の話題です。今春より絶賛放映中、NHK朝の連続テレビ小説「エール」二階堂ふみさん演じる関内音さんは、豊橋出身の古関(旧姓:内山)金子さんがモデルです。 ...

れいくたうん  豊橋レイクタウンは,豊橋市南部の南大清水・老津・西赤沢の各一部に造成された大清水台地区(開発面積45.79ha)と,東赤沢・南大清水・伊古部の各1部に造成された富士見台地区(開発面積44.53ha)からなっている。この辺りは丘陵地で原野や畑であったが,大 ...

やとさわ  谷は,東日本ではヤ,西日本では「タニ」と発音する。豊橋は「ヤ」である。太平洋に面した渥美半島には谷がたくさんある。また,谷川を意味する沢もある。 豊橋市東細谷町には,22字中3谷(根木谷・十ヶ谷・広谷)。豊橋市細谷町は59字中8谷(広谷・滝ノ谷・臍ノ ...

やがいきょういくせんたー  豊橋市野外教育センターは,昭和45(1970)年5月,豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷の丘陵を開削した海辺に開設された。センター事業は宿泊野外教育活動である。 敷地面積は13ha,事業費は1億7670万円である。施設・設備は ①本館(鉄筋コンクリート造 ...

みかわけん  三河県は,三河裁判所の後を受けて明治元(1868)年6月から翌2(69)年6月まで,政府の直轄県として設置された。管轄は三河国内の旧三河裁判所管轄地(旧天領)および旗本知行地・寺社領であった。旗本知行地や寺社領の県域編入を進める過程で,静岡藩および重 ...

ほうべ  ホウベとは,海岸に切り立った崖のことで,海食崖(かいしょくがい)上の魚見の場所である。太平洋に面した豊橋市の東西七根(ななね)町には,南浜辺・中浜辺・東浜辺・北浜辺・西浜辺の5字(あざ)がある。その西の高塚町には,東保部・中保部・下中保部の3字がある。伊 ...

ほうぞうじ  仏教山法蔵寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天正2(1574)年である。寺伝では,「村に月法庵と海蔵院の2か寺あってこれを併合,慶長9(1604)年,東観音寺中興玉岫(ぎょくしゅう)和尚を勧請して法蔵院とした」とある。本尊は仏師長兵衛作と伝える木造観音・勢至( ...

ふたおびみどりかみきり  フタオビミドリカミキリ(カミキリムシ科)は,体長30㎜ほどのカミキリムシの一種で,南方系の海浜性の代表種である。沖縄県・鹿児島県・四国・紀伊半島,そして渥美半島の延長線上にある豊橋市の南部の豊橋市伊古部(いこべ)町などでは,花や葉上に ...

ふじみかいどう  富士見街道は,豊橋市が平成2(1990)年に,道路愛称として公募して認定した道路である。この街道は,豊橋市植田町神戸坂の国道259号(田原街道)より同東赤沢町東横根の国道42号(表浜街道)までの東赤沢線(愛知県道409号)延長5.5㎞である。なお,「富士 ...

びさんそくりょうにっき  「尾三測量日記」(愛知県郷土資料刊行会 昭和56年)は,享和3(1803)年,伊能忠敬(1745~1818)が第4次測量として江戸を出発し,駿河から三河,尾張,美濃,越前などを測量した日記から,三河,尾張の部分を抜き書きしたものである。 下細谷村 ...

ひがしいこべむら  伊古部村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領となった。寛文2(1662)年,戸田数馬に西伊古部村122石を分知したので東・西伊古部村となった。東伊古部村は,寛永4(1627)年から豊後日田(大分県日田市)藩領となり ...

ばんばしんでん  万場新田は,宝永6(1709)年以前,赤沢村地を水野重郎兵衛が開発したものである。渥美郡万場新田の高は「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所28石余とある。明治11(1878)年高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・万場新田は合併して豊南(となみ ...

はちまんしゃ(のより)  (野依)八幡社は,慶雲元(704)年豊前国宇佐八幡宮からの勧請で,康和2(1100)年平忠朝が再建,神田を寄付したという。競馬・歩射神事は,野依および高塚・伊古部(いこべ)・植田・仏餉(ぶっしょう)で務めた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年 ...

はいきぶつさいしゅうしょぶんじょう  豊橋市の廃棄物最終処分場は,昭和44(1969)年,清掃事業部として発足,翌45(70)年,第1次埋め立て事業が豊橋市伊古部町大縄手地区で開始された。昭和46(1971)年,第2次埋め立て事業が伊古部町西ノ谷へ移動した。昭和47(1972)年 ...

にしいこべむら  伊古部村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領となった。寛文2(1662)年,戸田数馬に120石を分知して東・西伊古部村となった。西伊古部村は,寛文5(1665)年,幕府領となったが,安永元(1772)年,相良藩領となり ...

となみむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・万場新田・城下村は合併して豊南村と改称した。明治17(1884)年8月11日,豊南村は分離して高塚村・伊古部村・赤沢村・豊南村(城下)となった。明治22(1889) ...

となみしょうがっこう  豊橋市立豊南小学校は,明治6(1873)年5月,第10中学区第40番小学七根(ななね)学校が七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区として設置された。分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始まる。明治8(1 ...

たかはし・ぜんいち(1857~1923)  高橋善一は,安政4(1857)年8月,西伊古部村(豊橋市伊古部町)の河合善七の2男として生まれた。後,赤沢村(豊橋市赤沢町)の高橋家の養嗣子となった。明治6(1873)年鉄道駅夫となり,翌7(74)年出張車長に進んだ。大津~馬場間開業 ...

たかねしょうがっこう  豊橋市立高根小学校は,明治6(1873)年10月,西七根(ななね)村の竜泉庵に第10中学区第40番小学七根学校として,七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区とし,分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始 ...

たかとよゆうびんきょく  高豊郵便局は,明治9(1876)年,高塚郵便局として開設され,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ななね)村・西七根村・高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・城下(しろした)村・野依(のより)村・高足(たかし)村を管内にし ...

たかとよぶんこう  高豊分校は,昭和24(1949)年2月,愛知県立成章高等学校定時制課程(普通課程)の分校として,高豊中学校(渥美郡高豊村伊古部字原)に隣接し,もと公民館の建物を移設して設置された。昭和24(1949)年4月,愛知県立豊橋時習館高等学校高豊分校と改称・ ...

たかとよちゅうがっこう  豊橋市立高豊中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,高豊村伊古部字原の高豊村立青年学校校舎に,高根小学校・豊南(となみ)小学校を校区とする高豊村立高豊中学校として創立された。昭和30(1955)年,豊橋市立高豊中学校と改称した。 ...

たかつかりょくち  高塚緑地は,豊橋市の南部,太平洋岸(表浜)の豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷にある面積25万7700㎡の風致公園である。昭和33(1958)年,三河湾が国定公園の指定を受けたのに伴い,豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷の全部・小鮒ヶ谷(こぶながや)・本郷・北椎木谷(きたし ...

たかつかむら  高塚村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高252石)となった。渥美郡高塚村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に252石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に戸田次郎九郎知行336石余とある。明治5(1 ...

せいそうじむしょ  昭和29(1954)年,汚物清掃法(明治33年)に代わって清掃法が制定された。豊橋市は特別清掃区を設定,ごみ処理を市の清掃事業とし,昭和30(1955)年,ごみ収集専用車2台を購入した。豊橋では昭和20年代までは,農家に還元していたが,昭和30年代に入り ...

しろしたむら  渥美郡城下村は,慶長9(1604)年,赤沢村から分立したという。城下村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,天和元(1681)年,鳥羽藩領となり,享保10(1725)年,幕府領に復した。天明5(1785)年,旗本諏訪家領となり幕末を迎えた。渥美郡城下村の ...

しょうねんしぜんのいえ  豊橋市少年自然の家は,昭和47(1972)年5月,豊橋市伊古部町に開設された。小・中学校の集団宿泊,野外観察,自然探求,自然活用の野外活動,スポーツ・レクリエーション,指導者研修に利用されている。敷地面積は,3万8611㎡。施設は,中央管理棟 ...

しずおかはん  静岡藩(駿河府中藩・駿府藩を明治2年6月改称)は,明治元(1868)年5月,徳川宗家を相続した田安亀之助(徳川家達)が駿府城主に任ぜられ,70万石を与えられたことに始まる。当初の所領は,駿河国一円と遠江(とおとうみ),陸奥両国とされた。しかし,陸奥国 ...

さーふぃん  サーフィンは,ハワイ諸島の原住民たちが丸太を削り,魚を取るのに移動する足としてはじめられた。いまや世界中に広がり,スポーツとして若者たちに絶大な支持を得ている。日本のサーフィンは,昭和35(1960)年ごろ始まったとされ,やがて若者たちのスポーツと ...

こくどう23ごうばいぱす  国道23号豊橋バイパスは,名豊道路の一部として計画され,豊川市為当町(愛知県道31号)から伊古部南栄線(愛知県道407号)の豊橋市野依町までの延長17.6㎞の自動車道路である。豊橋市野依町からの国道23号豊橋東バイパス(野依IC~国道1号間)に ...

くさまむら  「和名類聚鈔」の渥美郡6郷中の磯部(以曾倍)は太平洋岸の伊古部とする説もあるが,現在の磯辺地区とされる。江戸期には草間村であったが,やがて,向草間村・松井新田・上ノ原新田が分立した。草間村内には,王ヶ崎・駒形・一色・大山などの枝郷があった。渥 ...

かたはまじゅうさんり  片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。 渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高 ...

かいしょくがい  海食崖は,海岸に面した陸地が,波浪にけずられてそそり立つ崖となっている地形をいう。太平洋の荒波を受ける渥美半島南岸は,更新世中期の渥美層群という厚い地層が重なり,「片浜13里」とも呼ばれる直線的な海食崖が浜名湖の今切から伊良湖岬まで続く。豊 ...

がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい  豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...

うえじじょう  上地城は,豊橋南部の梅田川流域で勢力を誇った畔田(くろだ)氏の城の一つである。愛知県道伊古部南栄線の旧道と新道の分岐する交差点の南側の若干小高くなった辺りが城址と推定されているほかは,築城時期・規模など不明である。明治期の地籍図には約50m四方 ...

いこべむら  伊古部村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(183石)となり,寛文2(1662)年戸田数馬に西伊古部村122石を分知して,伊古部村は東西伊古部村となった。伊古部村の石高は,「三河国村々高附」(寛永期)に,伊古部村183 ...

いこべじんじゃ  伊古部村は,往古伊勢国伊雑宮(いざわのみや)を奉遷して村名を伊曾部といったという。元和9(1623)年,西伊古部村は旗本戸田生勝領となり,寛永13(1636)年,住吉大明神を勧請して氏神とした。東伊古部村は鳥羽領となる。延宝8(1680)年の火災によって焼 ...

いこべきょうどし  「伊古部郷土誌」(伊古部町 平成元年)は,「高豊史」(高豊史編纂委員会 昭和57年)刊行後,伊古部町独自の郷土誌の発行を求める声に応じて編纂された。 内容は,豊橋市伊古部町の自然や地誌的内容,古代から近代に至る歴史などが記述されている。 ...

あかさわむら  渥美郡赤沢村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,天和元(1681)年,鳥羽藩領となり,享保10(1725)年,幕府領に復し,幕末を迎えた。村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に281石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,中泉支配所356石余とある。明治 ...

あかあしこはなこめつき  アカアシコハナコメツキ(コメツキムシ科)は,体色は光沢のある黒色で脚は茶色,体長は8㎜前後である。夏の砂浜の40℃を超える厳しい環境でも生息することができ,生存競争の相手が少ない場所に適応している。この仲間はもともと肉食であり,体を ...

あいちけんどう407ごう  愛知県道407号(伊古部南栄線)の通称は野依(のより)街道である。大正4(1915)年に認定された軍事国道の国道特5号であり,昭和34(1959)年12月15日,地方道(愛知県道407号)に認定された。豊橋市高師町北原(南栄町空池)の国道259号(田原街道) ...

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