よしだじんじゃ 吉田神社は,古くは天王社・牛頭(ごず)天王・吉田天王社と称した古社で,治承2(1178)年源頼朝が普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町)に滞在したとき,戦勝祈願のため家臣を代参させ,三河守護安達藤九郎盛長も社殿を造営したという。天文16(1547)年今川義元 ...
タグ:今川義元
安海熊野社(豊橋市魚町) とは(豊橋百科事典より)
やすみくまのしゃ 安海熊野社は,保延2(1136)年,鳥羽上皇の命により,熊野から快円法印が下向して建立したと伝える。その後,紀伊の人・鈴木重胤(しげたね)が宝飯郡佐脇村(宝飯郡御津町)に上陸し,この地に住み熊野権現の神主となった。牧野古白は,明応4(1495)年社 ...
前芝湊 とは(豊橋百科事典より)
まえしばみなと 前芝湊は,豊川(とよがわ)河口部右岸,前芝村にあった湊である。天文17(1548)年,今川義元が伊奈城(宝飯郡小坂井町)の本多忠俊に「蔵(前)芝湊并湊役」を含む旧領を保証しているので,それ以前から湊としての機能を果たしていたことがわかる。江戸時代 ...
宝林寺(豊橋市杉山町松岡) とは(豊橋百科事典より)
ほうりんじ 大徳山宝林寺(曹洞宗)の創立は,応永3(1396)年で後方の山上にあったと伝わる。元来は六連(むつれ)(田原市)の長仙寺末の真言寺院であったが,後に元今川家家臣一乾徳公座元が開基として再興改宗したものとされる。元禄16(1703)年庸山仲公和尚の時,法地 ...
普門寺(豊橋市雲谷(うのや)町ナベ山下) とは(豊橋百科事典より)
ふもんじ 船形山普門寺(高野山真言宗)の開基は,神亀4(727)年,諸国巡錫(じゅんしゃく)中の行基菩薩が霊気を感じ,聖観世音菩薩立像を刻み本尊としたといわれている。平安時代に真言宗となった。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,雲谷村「真言宗,船形山普門 ...
日吉神社(豊橋市岩崎町坂尻) とは(豊橋百科事典より)
ひよしじんじゃ(てあらい) (手洗)日吉神社は,神亀4(727)年行基が大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀ったと伝える。保元3(1158)年再建,その後天文17(1548)年今川義元が再興したという。なお,手洗の地名は,建久元(1190)年源頼朝が京に上る際,手洗井戸の清 ...
「東三河の戦国時代」(横尾義貫) とは(豊橋百科事典より)
ひがしみかわのせんごくじだい 「東三河の戦国時代」(「東三河の戦国時代」刊行会 昭和60年)は,豊橋技術科学大学教授の横尾義貫が,地域計画は地域固有の風土と歴史に対する配慮がなければならないとの観点から,大名領国制が成立する東三河の歴史を書いたものである。 ...
戸田宗光 とは(豊橋百科事典より)
とだ・むねみつ(?~1508) 碧海郡上野荘(豊田市)にいた土豪の戸田宗光は,文明7(1475)年ごろ,渥美郡大津(豊橋市老津町)に入り,同12(1480)年ごろ田原(田原市田原町)に移った,明応2(1493)年ごろ牧野氏と今川氏に対峙するために,朝倉川左岸に仁連木(にれん ...
戸田宣成 とは(豊橋百科事典より)
とだ・のぶなり(?~1546) 戸田宣成は,戸田憲光の2男で,戸田金七郎宣成と考えられる。生年は不詳である。永正3(1506)年父・戸田憲光とともに今橋(豊橋)城主牧野古白を滅ぼし,今橋城主となった。大永(1521~28)初年に牧野古白の子・牧野成三に追われて大崎(豊橋 ...
「東観音寺中世文書」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
とうかんのんじちゅうせいもんじょ 「東観音寺中世文書」2巻(東観音寺蔵)は,昭和62(1987)年3月20日,豊橋市有形文化財(歴史資料)に指定された。 東観音寺(豊橋市小松原町)は,中世には多くの所領を持ち,寺伝では,3か村1000石の所領を持ったという。天文5(1536 ...
手筒花火 とは(豊橋百科事典より)
てづつはなび 手筒花火は,東三河の伝統行事として,毎年夏吉田神社の祇園祭や秋の羽田祭などで祭の呼び物として若衆により奉納されている。 吉田神社の「三河国古老伝」では,「永禄元年天王祭礼祀ノ花火ト云ウ事始メル」とあり,「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉 ...
潮音寺(豊橋市小池町西海戸) とは(豊橋百科事典より)
ちょうおんじ 塩満山潮音寺(曹洞宗)の創立は明らかでないが,「塩満山潮音寺記」(天和2年)では「鎌倉時代には歴代の執権が寺領を寄せ,北条時頼のころは最も盛んな天台寺院であった。天文5(1536)年竜拈寺(りゅうねんじ)4世休屋宗官和尚が再興し,曹洞宗に改宗してそ ...
ちくわ・かまぼこ とは(豊橋百科事典より)
ちくわ・かまぼこ かまぼこの起源は古い。日本書紀に神功皇后が三韓に行った時,魚を加工して保存食としたのが始まりとされている。蒲の穂が焼けている様子に似ていることから蒲穂子(かまぼこ)と呼ばれた。蒲穂子が蒲鉾と書かれるようになったのは,室町時代の初期といわれ ...
「太平寺寺領坪付」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
たいへいじじりょうつぼつけ 「天文十八年七月七日付 太平寺寺領坪付」1通(太平寺蔵)は,昭和32(1957)年9月19日豊橋市有形文化財(文書・典籍)に指定された。 「太平寺寺領坪付」は,天文17(1548)年,今川義元(1519~1560)が太平寺寺領を寄進した田地の目録で, ...
「大休禅師画像」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
だいきゅうぜんじがぞう 「大休禅師画像」1幅(太平寺蔵)は,昭和58(1983)年3月15日豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。 太平寺(豊橋市老津町)の「大休禅師画像」は,絹本着色,掛幅,縦88㎝,横36㎝。大休禅師は,京都妙心寺25世であったが,今川義元・太原雪斎 ...
清源寺(豊橋市大橋通一丁目) とは(豊橋百科事典より)
せいげんじ 石塚山清源寺(浄土宗)の創立は,天文3(1534)年で,開山は宅誉全賀上人,本尊は阿弥陀如来像である。「三河国吉田名蹤綜録」によると境内地は,石塚清助という人のいた古城址である。戦国時代今川義元の寄進を受けた。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年) ...
素盞嗚神社(豊橋市新本町) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(みこしやすみ) 治承2(1178)年源頼朝が雲谷(うのや)の普門寺に在泊,天王社(吉田神社)に祈願した。(御輿休(みこしやすみ))素盞嗚神社は,その後文治2(1186)年天王社の分霊を建立し,天王社の別宮としたことに始まる。天文16(1547)年今川義元は ...
素盞嗚神社(豊橋市下条東町宮脇) とは(豊橋百科事典より)
すさのおじんじゃ(ふじがいけ) (藤ヶ池)素盞嗚神社は,豊橋市下条東町[藤ヶ池]に鎮座する。創立年代は明らかでないが,天文17(1548)年今川義元の修造棟札がある。神輿(みこし)に「天王御輿一宇,三州宝飯郡豊川郷総氏子奉建立者也,宇時寛文壬寅年六月吉日,神主神 ...
十三本塚悲話(民話) とは(豊橋百科事典より)
じゅうさんぼんづかひわ 今川義元(1519~60)は,桶狭間で織田信長の急襲にあって戦死した。今川氏真(いまがわうじざね)(1538~1614)が後を継いだが,勢力は衰え,それまで味方であった松平元康(徳川家康)は織田信長側につき,それに同調するかのように東三河の武士た ...
西郷清員 とは(豊橋百科事典より)
さいごう・きよかず(?~1594) 西郷清員は,西郷正勝の子として生まれた。西郷氏は,肥前高来(たかき)郡西郷(長崎県南高来郡瑞穂町西郷)が発祥の地である。足利尊氏の将仁木義永が三河の守護であったときの守護代であったと伝えられる。 大永3(1523)年祖父の西郷正 ...
玄超院(豊橋市下五井町西屋敷) とは(豊橋百科事典より)
げんちょういん 夷嵩山玄超院(曹洞宗)の創立は,天文12(1543)年,開山は満光寺4世融山玄祝和尚,開基は山本右衛門大夫(後に山口加治馬と改名)である。山号と寺号は開基の法名「夷嵩玄超居士」から名づけられた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,下五井村「禅 ...
祇園祭(吉田神社) とは(豊橋百科事典より)
ぎおんまつり 吉田神社の祇園祭は,天治元(1124)年,この地に疫病が流行したので,天王を勧請し,祇園会を行ったことが起源であるといわれる。吉田神社の祭礼は,旧暦6月13~15日(現在は新暦7月)に行われ,花火のほかに,今川義元が寄進したという神輿渡御(みこしとぎ ...
円通寺(豊橋市上野町上原) とは(豊橋百科事典より)
えんつうじ 清原山円通寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,建武2(1335)年1月17日で,開山の大鑑禅師は宋朝渡来の鎌倉建長寺の高僧清拙正澄である。創建時より大鑑禅師の因縁により建長寺末であったが,天文18(1549)年,太原雪斎の勧告により妙心寺派に転じた。天文20(155 ...
魚町 とは(豊橋百科事典より)
うおまち 豊橋の魚市場は,天文年中(1532~55),今川義元がこの地方に勢力を振るっていた時,渥美半島の片浜13里(遠江新居の今切口から伊良湖岬に至る遠江灘)の水揚げは全部魚町の安海(やすみ)熊野社境内で取り引きし,その2%を口銭として神社の修理費に充てたことに ...
魚市場(豊橋市下五井町青木) とは(豊橋百科事典より)
うおいちば 魚市場は,天文年間(1532~55),今川義元(1519~60)から片浜13里の魚の販売権を与えられた。慶長6(1601)年に,熊野権現社境内の市開催が,伊奈備前守忠次によって継承された。 明治維新によりその特権を失い,明治9(1876)年,有志による問屋が開かれる ...
今川義元 とは(豊橋百科事典より)
いまがわ・よしもと(1519~60) 今川義元は,永正16(1519)年,今川氏親(1470~1526)の3男に生まれた。はじめ僧となったが,天文5(1536)年長兄氏輝の死により次兄と家督を争い,翌6(37)年還俗(げんぞく)して治部大輔兼駿河守となった。駿河・遠江(とおとうみ)・三 ...