れんだこあげ 豊橋市立五並(いなみ)中学校(豊橋市細谷町北芋ヶ谷)では,毎年連凧揚げの行事を実施している。この恒例の行事は,「小さな学校の大きな夢―生涯に残る思い出づくり―」をテーマに昭和60(1985)年11月から実施している。毎年,五並中学校近くの表浜海岸で連 ...
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細谷村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
ほそやむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ひがしななね)村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原 ...
細谷小学校(豊橋市細谷町中ノ島) とは(豊橋百科事典より)
ほそやしょうがっこう 豊橋市立細谷小学校は,明治5(1872)年,細谷義校として発足し,翌6(73)年12月,第10中学区第9番小学細谷学校となる。明治7(1874)年,小島村の大応寺内に分教場を設置(下細谷学校)し,同11(78)年,第10中学区第24番小学下細谷学校・第25番小 ...
東七根村 とは(豊橋百科事典より)
ひがしななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年戸田忠次に300石を分知して東・西七根村となった。東七根村は,寛文8(1668)年幕府領となり,天和元(1681)年から44年間鳥羽藩 ...
廃藩置県 とは(豊橋百科事典より)
はいはんちけん 廃藩置県は,全国の知藩事(旧藩主)を解任し藩を政府直轄の府県とする改革であった。明治4(1871)年の廃藩置県により,全国は3府302県に区分され,三河国では豊橋,田原,半原,岡崎,西大平,西尾,西端,刈谷,重原,挙母(ころも)の10藩がそれぞれ県と ...
西七根村 とは(豊橋百科事典より)
にしななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年,旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。渥美郡七根村の村高は,「三河国村々高附」( ...
七根村 とは(豊橋百科事典より)
ななねむら 七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。 七根村の石高は,「三河国村々高附」(寛永期)に,七根村686 ...
冬至に冬瓜 とは(豊橋百科事典より)
とうじにとうがん 「冬至南瓜」という言葉が辞書に出ているが,五並(いなみ)周辺(豊橋市東細谷町・細谷町・小島町・小松原町・寺沢町)には,冬至まで冬瓜を保存しておいて食べる習慣がある。「ふるさと細谷」に「冬至南瓜,とうがんを食べ風呂に柚子の実を入れてあたたま ...
寺沢村 とは(豊橋百科事典より)
てらさわむら 寺沢郷は,文永4(1267)年,高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)から分立したという。渥美郡寺沢村の村高は,「三河国村々高附」(寛政期)に174石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所177石余とある。昭和4(1929)年の家数は78,人数は870であった ...
地区市民館 とは(豊橋百科事典より)
ちくしみんかん 豊橋市地区市民館は,昭和47(1972)年3月,豊橋市社会教育審議会が行った「豊橋市における社会教育施設の適正な配置・規模および望ましい運営について」の建議を受け,年次計画で各中学校区に地区市民館(各小学校区には校区市民館)の建設を決定着工した ...
高根村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
たかねむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢 ...
下細谷村 とは(豊橋百科事典より)
しもほそやむら 細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡下細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に560石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所634石とある。明治7(1874)年の家数134,人数688で ...
小松原村 とは(豊橋百科事典より)
こまつばらむら 小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年) ...
小島村 とは(豊橋百科事典より)
こじまむら 小島郷は,暦応4(1341)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したとされる。渥美郡小島村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に392石余,明治2(1869)年「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所391石余とある。明治4(1871)年の家数167,人 ...
小沢村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
こさわむら 明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・七 ...
上細谷村 とは(豊橋百科事典より)
かみほそやむら 細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡上細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に742石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所862石余とある。延宝3(1675)年の家数229,人数1235 ...
外海漁業協同組合 とは(豊橋百科事典より)
がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい 豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...
小沢小学校(豊橋市小島町荒巻) とは(豊橋百科事典より)
おざわしょうがっこう 豊橋市立小沢小学校は,明治6(1873)年3月,小島村の大応寺内に小島義校が設けられたことに始まる。明治6(1873)年12月,第10中学区第9番小学細谷学校が設立され,小島・小松原・寺沢に分教場を設けたが,同11(78)年,第10中学区第26番小学小島学 ...
五並村 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 細谷村(町村制施行) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...
五並中学校(豊橋市細谷町北芋ヶ谷) とは(豊橋百科事典より)
いなみちゅうがっこう 豊橋市立五並中学校は,昭和22(1947)年,6・3制移行に伴い,細谷小学校・小沢小学校(平成3年校名呼称を「こさわ」から「おざわ」に変更)を校区として渥美郡二川町上細谷字北芋ヶ谷に設立された。昭和30(1955)年,豊橋市立五並中学校と改称した ...
朝倉天易 とは(豊橋百科事典より)
あさくら・てんえき(1879~1950) 朝倉天易,本名貞二は,明治12(1879)年9月15日,渥美郡五並(いなみ)村上細谷(豊橋市細谷町)の朝倉佐野四郎の2男に生まれた。明治36(1903)年,細谷村収入役,その後,二川町会議員を歴任し,上細谷に産業組合を創設して,17年間組合 ...