くれがわむら 八名郡暮川村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に206石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分249石余とある。「吉田藩領戸数調」(安政5年)によれば,家数38,人数150であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,暮川村「牛頭天王祢宜 ...
タグ:下条
行明の渡し とは(豊橋百科事典より)
ぎょうめいのわたし 行明の渡しは,豊橋市下条西町と豊川市行明町を結ぶ豊川(とよがわ)の渡船である。始まりは,天文12(1543)年であるとされ,昭和53(1978)年4月に,中条豊橋線(愛知県道394号)の下条橋の完成で廃止された。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のこと ...
霞堤 とは(豊橋百科事典より)
かすみてい 霞堤は,河川における洪水の被害を最小限におさえるため,堤防の一部にわざと切れ目(差し口)をつくっておき,河川が増水した時にそこから水を導き,請堤(控堤・二重堤)との間の遊水地(主として農地)に一時的に河水をプールさせて(差し水)下流部の洪水を ...
荻野久作 とは(豊橋百科事典より)
おぎの・きゅうさく(1882~1975) 荻野久作は,明治15(1882)年3月25日,八名郡東下条村白石(豊橋市下条東町)の中村彦作の2男に生まれた。17歳の時,西尾(西尾市)の漢学者荻野忍の養子となった。東京帝国大学医学部を卒業後,大正元(1912)年新潟市の竹山病院産婦人 ...
牛川村(町村制施行) とは(豊橋百科事典より)
うしかわむら 明治11(1878)年12月20日,郡区町村編制により,八名郡牛川村・若宮村・忠興(ただこう)新田・野川新田・小鷹野新田・中沢新田・田中新田・浪之上村は合併して牛川村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(06)年7月1日,牛川村・下条村は ...
牛川村 とは(豊橋百科事典より)
うしかわむら 八名郡牛川村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に772石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分889石余,桃林寺領5石とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)によれば家数105,人数476であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牛川村「 ...
牛川小学校(豊橋市牛川町中郷) とは(豊橋百科事典より)
うしかわしょうがっこう 豊橋市立牛川小学校は,明治6(1873)年,第9中学区第42番小学牛川学校として,牛川村中郷の正太寺本堂を借用して,牛川村・若宮村・田中新田・忠興(ただこう)新田・野川新田・小鷹野(おだかの)新田・中沢新田・浪之上村・暮川村・赤岩村・多米(た ...
市杵島姫社(豊橋市下条西町池端) とは(豊橋百科事典より)
いちきしまひめしゃ 八名郡天王村(豊橋市下条西町[天王])の市杵島姫社の縁起によると,「その昔,百姓の老人が山から薪(たきぎ)をとっての帰り,豊川(とよがわ)の鐘ヶ淵で休んでいる時,天女が現れて,この河は氾濫(はんらん)するので西方の葦の茂った所へ連れていって ...
石巻郵便局(豊橋市石巻本町北市場) とは(豊橋百科事典より)
いしまきゆうびんきょく 石巻郵便局は,明治9(1876)年,高井郵便局として開設され,同12(79)年,玉川郵便局と改称されたことに始まる。玉川郵便局の配達区域は,玉川村・三輪村・嵩山(すせ)村・馬越(まごし)村・東下条村・西下条村・犬ノ子(いぬのこ)村・牛川村で,多 ...
イカルチドリ とは(豊橋百科事典より)
いかるちどり イカルチドリ(チドリ科)は,中型のチドリの仲間で,一般には,多くのチドリは干潟に生息するものが多い中,「川千鳥」という感じがする。河口近くにはいなく,河川の中流域から上流域に多く,繁殖期には砂礫地(されきち)に縄張りをもって営巣する。 豊橋市 ...
「雨乞面」(比売天神社)(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
あまごいめん(ひめてんじんしゃ) 「比売天神社の雨乞面」5面(比売天神社蔵)は,昭和42(1967)年2月17日,豊橋市有形文化財(彫刻)に指定された。 「比売天神社(豊橋市下条東町)の雨乞面」は,女面1面と祭礼用面4面で,女面の裏面の墨書銘に「文明参辛卯(1471) ...
愛知県道69号(豊橋鳳来線) とは(豊橋百科事典より)
あいちけんどう69ごう 愛知県道69号(豊橋鳳来線)は,豊橋市旭本町の豊橋大知波線(愛知・静岡県道4号多米(ため)街道)から豊橋市石巻本町で国道362号(姫街道)と一部区間重複指定(牟呂用水の右岸まで)・東三河環状線(愛知県道31号)と一部区間重複指定(三上橋東側ま ...