豊橋市議の長坂です。火水木が一般質問で少し余裕あるスケジュールです。(通常は月火水)さて、3月議会(定例会)の質問順、抽選で3月7日(木)の6番目(全体20番目)になりました。早ければ13時半頃、遅くとも14時半頃からの開始となりました。インターネット中 ...
タグ:三河湾
六条潟 とは(豊橋百科事典より)
ろくじょうがた 六条潟は,三河湾沿岸部の豊川(とよがわ)を中心として,南は柳生川・梅田川,北は江川・佐奈川・音羽川の6河川が流入する河口一帯に広がる干潟・浅海域の総称で,6河川が流入することから吉田(豊橋)藩士(氏名不詳)が名付けたとされている。六条潟は,海 ...
養鰻 とは(豊橋百科事典より)
ようまん 養鰻は,天然のウナギの稚魚(シラス)を養鰻池で養殖することである。豊橋市における養鰻は,明治29(1896)年,神野新田の干拓事業とともに,神野新田の三郷付近で奥村八三郎が投餌(なげえさ)による養鰻を行い,企業化をしたのが最初といわれる。浜名湖と並んで ...
柳生川 とは(豊橋百科事典より)
やぎゅうがわ 柳生川は,柳生川水系の基幹をなす二級河川で,かつては薫瀬(くんぜ)川といわれた。豊橋市の東部,豊橋市岩崎町[手洗]から流れ出す内山川が宮前池・利兵池を経て,葦毛(いもう)湿原(豊橋市岩崎町)から流れ出す地蔵川(延長560m)を合流し,影岩池・上庄池 ...
藻草 とは(豊橋百科事典より)
もぐさ 藻草は,豊橋地方ではモクという。藻場は,比較的大型の藻草が群落を形成して生い茂っている場所をいう。三河湾内ではアマモやアカモクの藻場が代表的である。 藻場は,魚介類の産卵場,幼稚魚の保育場や餌場,水質浄化などの大切な役割を担っている。豊橋市の三河 ...
みなとフェスティバル とは(豊橋百科事典より)
みなとふぇすてぃばる みなとフェスティバルは,豊橋港(三河港豊橋エリア)におけるイベントとして,市民が港と触れる機会を作りだすことを目的に,豊橋港開港5周年の記念イベントとして昭和52(1977)年から始まった。平成11(1999)年からは7月の「海の日」に,ライフポ ...
みなとシティマラソン とは(豊橋百科事典より)
みなとしてぃまらそん 豊橋みなとシティマラソンは,昭和34(1959)年2月15日に,第1回豊橋10哩(マイル)ロードレース大会の開催で始まった。コースは,豊橋市公会堂前と豊川稲荷(豊川妙厳寺)の往復であった。その後,交通事情によりコースの変更が度々なされ,昭和57(1 ...
三河湾国定公園 とは(豊橋百科事典より)
みかわわんこくていこうえん 豊橋市や蒲郡市など三河湾周辺と渥美半島,知多半島の外側海岸部を区域として,昭和33(1958)年4月に指定された。指定面積は9443ha。景観的には湾内の10数の島々,宮路山・遠望峰(とぼね)山など湾を見渡せる山および伊良湖(いらご)岬などの海 ...
三河湾 とは(豊橋百科事典より)
みかわわん 三河湾は,渥美半島に囲まれた渥美湾と,知多半島に囲まれた知多湾を合わせた内湾の総称で,面積は539k㎡である。水深は,湾口の中山水道・師崎水道を除いて大部分は20m以下で,10m内外の浅い部分が多い。湾内を東西に中央構造線が走り,内帯と外帯に分けられ, ...
三河臨海緑地(豊橋市新西浜町・宝飯郡御津町佐脇浜) とは(豊橋百科事典より)
みかわりんかいりょくち 三河臨海緑地は,豊橋市新西浜町・宝飯郡御津(みと)町佐脇浜に位置する三河湾造成地の総合的なシンボル緑地として港湾の中央にある。港湾環境の創出・保全および人と港湾の調和を図り,人工造成地の環境創造機能をもっている面積90haの緑地である。 ...
ヒドリガモ とは(豊橋百科事典より)
ひどりがも ヒドリガモ(カモ科)は,頭央部がクリーム色で,頭全体が赤茶色の全長約45㎝の中型の淡水性のカモの仲間である。普通,池・湖・内湾などで越冬するが,最近は川の淀みにも見られる。向山の大池にもたくさんいて,人からパンくずをもらっていた。ユリカモメがそ ...
東山(豊橋市大岩町) とは(豊橋百科事典より)
ひがしやま 東山は,豊橋市の東部,弓張山系の南端にある標高258mの里山で,松明山(たいまつやま)または松明峠ともよばれている。豊橋市視聴覚センター・地下資源館付近より山頂に至る1.5㎞の東山自然歩道支線が整備され,山頂で豊橋自然歩道本線に接続している。本線を北 ...
東三河 とは(豊橋百科事典より)
ひがしみかわ 東三河は,三河国の東部,古代の穂国(ほのくに)である。「国造本紀(こくぞうほんぎ)」泊瀬(はつせ)朝倉朝(雄略朝)に「以生江臣祖葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)命四世孫菟上足尼(うなかみすくね)定賜国造」とあり,菟上足尼は国造に任命され,小坂井を本拠と ...
ナメクジウオ とは(豊橋百科事典より)
なめくじうお ナメクジウオは,ウオといっても魚類ではなく海水産のホヤ類と同じ原索(げんさく)動物である。普通の脊椎(せきつい)動物は発生の初期に脊椎の原基(げんき)ともいう脊索(せきさく)が途中で退化するが,ナメクジウオは脊索の構造を終生もっている。そのため,魚 ...
波入江城(豊橋市老津町波入江) とは(豊橋百科事典より)
なむれじょう 波入江城は,田原方面で勢力を誇った戸田氏の城の一つである。築城時期・規模などは不明である。祥雲寺(豊橋市老津町)が城址(じょうし)に当たるが,遺構はない。 現在は城址の北西方面は埋め立てられ,工業団地となっているが,往時は三河湾に面した城であ ...
中島隆功 とは(豊橋百科事典より)
なかじま・たかこと(1806~58) 中島隆功は,文化3(1806)年12月2日,備中松山(岡山県高梁(たかはし)市)藩主板倉勝政の子として生まれたが,中島勝邦の養嗣子となり,文政3(1820)年家督を継いだ。本居大平(もとおりおおひら)に国学・和歌を学び,中山美石(うまし)・ ...
豊橋平野 とは(豊橋百科事典より)
とよはしへいや 豊橋平野は,愛知県の東部に位置し,西側の三河山系と東側の弓張山系に囲まれ,三河湾に向けて南西方向にラッパ状に広がる平野で,東三河平野ともいう。平野の面積はおよそ375k㎡である。平野の中央部には中央構造線に沿って豊川(とよがわ)が流れ,豊川の両 ...
豊川流域下水道 とは(豊橋百科事典より)
とよがわりゅういきげすいどう 豊川流域下水道は,昭和46(1971)年,愛知県が豊川流域の8市町とともに,各河川と三河湾の水質汚濁を低減し,公共用水域の水質保全を図る下水道計画を策定して,同55(80)年から供用を開始した。区域は豊橋市北部・新城市・豊川市・蒲郡市 ...
豊川の蛇行 とは(豊橋百科事典より)
とよがわのだこう 蛇行は,川が連続してS字状にうねって流れる状態をいい,曲流またはメアンダーともいう。豊川は新城(しんしろ)市で三河山間部から豊橋平野に出ると蛇行し,沖積平野をつくり,三河湾に注いでいる。豊橋市内では,上流から豊橋市賀茂町,下条西町,牛川町 ...
豊川の自然 とは(豊橋百科事典より)
とよがわのしぜん 豊川は,段戸(だんど)山(北設楽(したら)郡設楽町)に源を発し,途中で宇連(うれ)川と合流し,豊橋市内を貫流して三河湾に注ぐ。源流域は標高約1000mのブナ林,下流域はシイを中心とする照葉樹林で,川岸には河畔林としてケヤキ・エノキ・ムクノキの林が ...
豊川 とは(豊橋百科事典より)
とよがわ 豊川は,北設楽郡設楽町の段戸(だんど)山(標高1152m)を源流とする豊川(別名寒狭川)と,明神山(標高1016m)を源流とする宇連(うれ)川(豊川,別名三輪川・板敷川)が南設楽郡鳳来町長篠地先で合流し,中央構造線に沿って南西に流れ,新城(しんしろ)市で山地を ...
東南海地震 とは(豊橋百科事典より)
とうなんかいじしん 東南海地震は,昭和19(1944)年12月7日午後1時30分ごろ熊野灘沖の北緯33.8度,東経136.6度を震源地として発生した。マグニチュード8.0,震度5であった(「愛知県災害誌」)。北海道・東北地方から九州にいたる広い範囲で人体に震動を感じた。紀伊半島 ...
東三水族擁護同盟 とは(豊橋百科事典より)
とうさんすいぞくようごどうめい 東三水族擁護同盟会は,水産業者の人毛工場(日本人造羊毛株式会社)誘致反対運動の団体である。昭和8(1933)年12月8日,豊川町(豊川市)の妙巌寺(豊川稲荷)において,宝飯郡,豊橋市,渥美郡裏浜,豊川上流の各漁業代表者32人が集まり ...
佃煮 とは(豊橋百科事典より)
つくだに 佃煮は,江戸開府と同時期,江戸佃島で作られはじめた。保存性と滋味から参勤交代を通じ全国に広まり,三河へも伝わった。三河湾と遠州灘に抱かれた地形から海の幸に恵まれ,採れるあさり・はぜなどの魚介類を保存のために佃煮に仕上げた。水飴も豊橋で生産された ...
中央構造線 とは(豊橋百科事典より)
ちゅうおうこうぞうせん 中央構造線は,メディアンラインともいい,日本列島がフォッサマグナ(大地溝帯)によって区分された西日本の地質を,内帯(日本海側・領家変成帯)と外帯(太平洋側・三波川変成帯)とに2分している古い断層線で,1億年ぐらい前に活動したと考えら ...
ちくわ・かまぼこ とは(豊橋百科事典より)
ちくわ・かまぼこ かまぼこの起源は古い。日本書紀に神功皇后が三韓に行った時,魚を加工して保存食としたのが始まりとされている。蒲の穂が焼けている様子に似ていることから蒲穂子(かまぼこ)と呼ばれた。蒲穂子が蒲鉾と書かれるようになったのは,室町時代の初期といわれ ...
高塚緑地(豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷(びわがや)) とは(豊橋百科事典より)
たかつかりょくち 高塚緑地は,豊橋市の南部,太平洋岸(表浜)の豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷にある面積25万7700㎡の風致公園である。昭和33(1958)年,三河湾が国定公園の指定を受けたのに伴い,豊橋市伊古部町枇杷ヶ谷の全部・小鮒ヶ谷(こぶながや)・本郷・北椎木谷(きたし ...
スナメリ とは(豊橋百科事典より)
すなめり スナメリは,哺乳類のクジラ目に属する小型のクジラで,一名ナメノウオという。体長は1~2mで,色は薄い灰色をしており,体の表面は滑らかである。宮城県以南の沿岸に生息しており,愛知県では,伊勢湾や三河湾などの内湾に生息している。数頭で群れをつくること ...
スズガモ とは(豊橋百科事典より)
すずがも スズガモ(カモ科)は,海ガモの一種で,翼長は20㎝ほどあり,漢字で書くと「鈴鴨」である。水面からいっせいに飛び立つとき,羽音が鈴を振るような音に聞こえるところから,スズガモと名づけられたという。オスは,頭は緑色光沢のある黒で,胸と尾も黒い。背は白 ...
水産業 とは(豊橋百科事典より)
すいさんぎょう 江戸時代,豊橋の海辺に面していた村々は農業のかたわら漁業を営んでいた。三河湾の漁業は,明治時代より,のり・あさりの養殖が盛んに行われてきたが,昭和30年代末期からの臨海工業地帯の造成に伴い,平成11(1999)年4月には,終わった。 外海の漁業は ...
震洋艇基地 とは(豊橋百科事典より)
しんようていきち 昭和20(1945)年になると,米軍の日本本土上陸は必至の情勢となり,東三河も第73師団(怒部隊)を中心に防衛体勢がとられた。海軍も第4特攻戦隊を編成し,約50隻の特攻艇を三河湾および浜名湖の要地に分散配置した(司令部は鳥羽)。その基地の一つが豊 ...
人毛誘致反対 とは(豊橋百科事典より)
じんもうゆうちはんたい 人毛誘致反対とは,昭和8(1933)年8月11日,豊橋市と豊橋商工会議所が,日本人造羊毛工業株式会社を豊橋市へ誘致することを決定したことに端を発して起こった工場誘致反対運動である。反対の理由は工場廃液・排水が三河湾の浅海漁業に被害をもたら ...
神明社(豊橋市松井町松井) とは(豊橋百科事典より)
しんめいしゃ(まつい) 寛文2(1662)年以前松井新田が開発された。(松井)神明社の社伝に享禄3(1530)年伊勢大神宮の宮司が分霊を奉持して航行中,暴風のため三河湾に避難して,松井の地に上陸したといわれる。明治9(1876)年道目記(どうめき)(豊橋市大山町道目記) ...
シラタマホシクサ とは(豊橋百科事典より)
しらたまほしくさ シラタマホシクサ(ホシクサ科)は,伊勢湾と三河湾に面した本州中部地方の湿地に生える1年生草本で,葉は細く元から多数付く。花茎も多数出て20㎝前後まで伸びる。茎には稜があるため,断面は四角形になる。その上部にコンペイトウ状の白い花をつける。 ...
シバナ とは(豊橋百科事典より)
しばな シバナ(ヒルムシロ科)は,多年生草本で,塩場菜の意である。草丈は20~30㎝で,細長い葉が多数出て,株をつくる。夏には株の間から穂状の花茎を出すが,花は目立たない。生育地は岸よりの海で,川の下流部,干潟の周辺,海岸線の泥地である。そこは,満潮時には海 ...
地震対策 とは(豊橋百科事典より)
じしんたいさく 大規模地震対策は,近い将来発生が予測される東海地震や東南海地震に対して豊橋市が推し進めている対策をいう。静岡県を中心とした東海地域でマグニチュード8クラスの巨大地震(東海地震)が発生することを予測して,昭和54(1979)年に6県167市町村が「東 ...
サヨリ とは(豊橋百科事典より)
さより サヨリ(サヨリ科)は,全長約40㎝の細長い海水魚で,特徴として口の下あごが長く伸び,先端部は赤味を帯びている。沿岸の表層を群れで遊泳し,主に動物プランクトンを食べている。産卵期は春から初夏で,産卵された卵には糸状の付着物がついており,これで海藻など ...
佐奈川 とは(豊橋百科事典より)
さながわ 佐奈川は,別名「三日川」ともいわれ,佐奈川水系の二級河川である。豊川市千両(ちぎり)町を源とし,豊川市を南に流れて帯川と合流し,西に向きを変え,宝飯郡小坂井町を経て,豊橋市梅薮町で三河湾に注ぐ延長3.96㎞の川である。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊 ...
金色島(豊橋市下地町) とは(豊橋百科事典より)
こんじきじま 金色島は,豊橋公園対岸の豊川(とよがわ)河口から6.2㎞地点の右岸蛇行部内側に土砂が堆積して陸地状になった砂州で,島といっても陸続きである。この水域は,三河湾の潮の干満の影響を受けるので,砂州の面積は大きく変化する。金色島の中央部には雑木が繁茂 ...
御賓様(民話) とは(豊橋百科事典より)
ごひんさま 三河湾沿岸などに夜出没する火の玉のことを,昔の人々は御賓様とか狗賓(ぐひん)様と呼んで恐れていた。ある日,大津(豊橋市老津町)の海を漁師がモク(藻草のこと,老津や杉山の人々は,昭和の20年代まで海に出てモクを採り,牛糞(ぎゅうふん)や藁(わら)を混ぜ ...
コノシロ とは(豊橋百科事典より)
このしろ コノシロ(コノシロ科)は,全長25㎝ほどの海水魚で,背部の鱗(うろこ)には1個の黒い点があり,これが連なって破線状の縦縞(たてじま)をつくっている。背びれの最後の軟条が長く伸びるのが特徴である。三河湾内に生息し,主に動物プランクトンを食べ,海底にたま ...
ゴカイ とは(豊橋百科事典より)
ごかい ゴカイ(ゴカイ科)は,河口付近の海辺の砂泥底にすむ環形動物である。体長は5~10㎝で細長い。体色は淡紅色から黄紅色をしており,体節数は70~150である。体節の両側に脚状の突起があり,その端に細い剛毛が生え,それで体を動かす。日本全土に分布し,釣りの餌に ...
漁業補償 とは(豊橋百科事典より)
ぎょぎょうほしょう 三河湾の神野新田地先の六条潟海域は,貝・藻・魚類の宝庫で昔から湾岸の人々の暮らしを支えてきた。しかし,昭和38(1963)年の東三河工業整備特別地域の指定と,同39(64)年4月三河港が重要港湾に指定されたことにより,愛知県の総合的な地域開発計 ...
北裏城(豊橋市老津町中北) とは(豊橋百科事典より)
きたうらじょう 北裏城は,田原方面で勢力を誇った戸田氏の城の一つである。豊橋市老津町中北の畑地の小高い高まりに祠(ほこら)があるが,この高まりが唯一の遺構,土塁の可能性がある。築城時期・規模については不明である。 城址(じょうし)付近は周囲より高くなっており ...
カワウ とは(豊橋百科事典より)
かわう カワウ(ウ科)は内海や河川,湖沼に生息する黒色の水鳥で,全長は約80㎝である。海岸や内陸の森林の高い位置に皿型の巣をつくり,日本全土に分布している。潜水が得意で,1羽のカワウが1日に平均400gほどの魚を「鵜呑(うの)み」にしているので,漁業関係者から嫌 ...
カレイ とは(豊橋百科事典より)
かれい カレイは,カレイ科の海水魚の総称で,愛知県でよく獲れる食用のものは,イシガレイ,マコガレイ,メイタガレイである。釣りで釣れるのはイシガレイとマコガレイである。 マコガレイは,三河ではモガレイとも呼ばれ,水深100m以浅の砂泥底に生息し,ゴカイ類,二枚 ...
カルガモ とは(豊橋百科事典より)
かるがも カルガモ(カモ科)は,体長60㎝ほどの大型のカモであるが,漢字では「軽鴨」と書く。当て字は「夏留鴨」で,当て字の方が生態をよく表している。大部分のカモは,北の国で繁殖し,秋に渡って来るが,カルガモは夏も留っており,豊橋市内でも繁殖する。大部分のカ ...
カニ とは(豊橋百科事典より)
かに カニは,甲殻類十脚目の節足動物で,多くの種類があり,三河湾の干潟では,チゴガニ,コメツキガニ,イソガニ,ケフサイソガニ,ヒライソガニ,ヤマトオサガニなどいろいろな小型のカニが見られ,それぞれのカニは生息する場所が少しずつ違っている。 チゴガニは,河 ...
片浜13里 とは(豊橋百科事典より)
かたはまじゅうさんり 片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。 渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高 ...
化石 とは(豊橋百科事典より)
かせき 表浜海岸に現れている渥美層群から,貝を中心としたさまざまな化石が発見されている。特に,豊橋市城下町・東赤沢町・高塚町では,多種類の二枚貝・巻貝と魚や木の葉などの化石が見つかっている。 よく見つかるのは,チヨノハナガイ,ヤマトシジミ,ウラカガミなど ...