愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:七根

やはしらじんじゃ(かみほそや)  (上細谷)八柱神社の創建は明らかでないが,高芦(たかし)郷の総氏神逆戈神社(さかほこじんじゃ)の文治4(1188)年の棟札に細谷村・七根(ななね)村・小嶋村とあり,分村は建久元(1190)年といわれるので,それ以来の鎮守とされる。元禄14 ...

やとさわ  谷は,東日本ではヤ,西日本では「タニ」と発音する。豊橋は「ヤ」である。太平洋に面した渥美半島には谷がたくさんある。また,谷川を意味する沢もある。 豊橋市東細谷町には,22字中3谷(根木谷・十ヶ谷・広谷)。豊橋市細谷町は59字中8谷(広谷・滝ノ谷・臍ノ ...

みくりやじんじゃ(ひがしななね)  七根村は,建仁2(1202)年高芦(たかし)村より分郷し,伊勢神宮領として「河内御厨」と呼ばれた。寛文9(1669)年,東七根村(豊橋市東七根町)は幕府領となり西七根村と分村し,八王子明神の分霊を奉祀して東七根村御厨神社を祀った。慶 ...

みくりやじんじゃ(にしななね)  七根村は,建仁2(1202)年高芦(たかし)村より分郷し,伊勢神宮領として「河内御厨」と呼ばれた。寛文9(1669)年,東七根村(天領)と西七根村(旗本戸田生勝領)に分村した。氏神の社名は両村ともに御厨神社であったが,西七根村は社宮神 ...

みかわだんじのうた  「三河男児の歌」は,渥美郡西七根村(豊橋市西七根町)出身の彦坂幸太郎(1873~1907)が,愛知県第一師範学校の教員時代に,「渥美範友会」(渥美郡出身の在校生の親睦会)の求めに応じて明治38(1905)年ごろに作詞したものである。歌詞は10番からな ...

みかわけん  三河県は,三河裁判所の後を受けて明治元(1868)年6月から翌2(69)年6月まで,政府の直轄県として設置された。管轄は三河国内の旧三河裁判所管轄地(旧天領)および旗本知行地・寺社領であった。旗本知行地や寺社領の県域編入を進める過程で,静岡藩および重 ...

ほそやむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ひがしななね)村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原 ...

ほうべ  ホウベとは,海岸に切り立った崖のことで,海食崖(かいしょくがい)上の魚見の場所である。太平洋に面した豊橋市の東西七根(ななね)町には,南浜辺・中浜辺・東浜辺・北浜辺・西浜辺の5字(あざ)がある。その西の高塚町には,東保部・中保部・下中保部の3字がある。伊 ...

ぷらすちっくりさいくるせんたー  プラスチックリサイクルセンターは,平成17(2005)年4月1日,豊橋市東七根町宝地道に建設され稼動した。豊橋市資源化センターの南に位置し,外観は地球環境を守る夢と願いを込めたデザインとなっている。施設は,鉄骨造り3階建て地下1階 ...

びさんそくりょうにっき  「尾三測量日記」(愛知県郷土資料刊行会 昭和56年)は,享和3(1803)年,伊能忠敬(1745~1818)が第4次測量として江戸を出発し,駿河から三河,尾張,美濃,越前などを測量した日記から,三河,尾張の部分を抜き書きしたものである。 下細谷村 ...

ひこさか・こうたろう(1873~1907)  彦坂幸太郎は,明治6(1873)年2月22日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市七根町)の高橋喜重郎の長男に生まれたが,同28(95)年渥美郡高師村本郷(豊橋市高師本郷町)の彦坂栄作の養嗣子となった。明治28(1895)年愛知県第一師範 ...

ひがしななねむら  七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年戸田忠次に300石を分知して東・西七根村となった。東七根村は,寛文8(1668)年幕府領となり,天和元(1681)年から44年間鳥羽藩 ...

はくさんしゃ(てらさわ)  (寺沢)白山社の創建は明らかでないが,高芦(たかし)郷の総氏神逆戈(さかほこ)神社の文治4(1188)年の棟札に細谷村・七根村・寺沢村・小島村とあり,分村は建久元(1190)年といわれるので,それ以来菊理比売命(くくりひめのみこと)を祀って鎮 ...

ねずみ  ネズミ(ネズミ目ネズミ科)は哺乳類で,体長5~30㎝,体毛は灰色・黒褐色などである。門歯が上下に2枚ずつあり,生涯伸び続け,物をかじるのに適する。繁殖力が旺盛で,環境への適応力もあり,農作物・食料品を食い荒らし,家財を破損し,病原菌の仲介をすることも ...

にしななねむら  七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。しかし,元和9(1623)年,旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年,旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。渥美郡七根村の村高は,「三河国村々高附」( ...

ななねむら  七根村は,江戸幕府成立時は幕府領であった。元和9(1623)年旗本戸田次郎九郎領(村高686石余)となり,寛永20(1643)年旗本戸田忠次に東七根村300石を分知して,七根村は東・西七根村となった。 七根村の石高は,「三河国村々高附」(寛永期)に,七根村686 ...

となみむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・万場新田・城下村は合併して豊南村と改称した。明治17(1884)年8月11日,豊南村は分離して高塚村・伊古部村・赤沢村・豊南村(城下)となった。明治22(1889) ...

となみしょうがっこう  豊橋市立豊南小学校は,明治6(1873)年5月,第10中学区第40番小学七根(ななね)学校が七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区として設置された。分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始まる。明治8(1 ...

とだ・ただみち(1813~91)  戸田忠道は,文化10(1813)年8月3日,渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)・西七根(にしななね)村(豊橋市西七根町)の領主旗本戸田忠養の2男として江戸で生まれた。天保15(1844)年兄・忠真の養嗣子として,家督を継いだ。安政3(1856)年幕府講武 ...

とうこうじ(ななね)  医王山東光寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,13世紀初頭と推測され,天台宗を経て臨済宗の建長寺派であった。本尊は当初,薬師如来坐像であったが後述の移転を期に釈迦如来坐像を祀る。創立以来の経過は不明であるが,元亀3(1572)年東観音寺中興玉岫( ...

てんぱくえんしゅうじょうかんてきじょ  天伯原陸軍演習場は,豊橋市の南部にひろがる天伯原台地一帯に設置されていた。面積約2740haに及ぶ。演習場のほぼ中央,豊橋市東七根町字稲場,浜田川左岸丘陵縁には,天伯原陸軍演習場の監的所が,平成15(2003)年まで残っていた。 ...

てらさわむら  寺沢郷は,文永4(1267)年,高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)から分立したという。渥美郡寺沢村の村高は,「三河国村々高附」(寛政期)に174石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所177石余とある。昭和4(1929)年の家数は78,人数は870であった ...

ちょうしょうじ  海応山聴松寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天正8(1580)年であり,開山は東観音寺中興玉岫(ぎょくしゅう)和尚である。本尊は馬頭観音坐像である。東観音寺16世収崖和尚筆「当寺沿革」によると,玉岫和尚の退休の地として当初,寺沢村西ノ谷付近に草庵を設 ...

たかはし・いよ(1849~1926)  高橋猪代は,嘉永2(1849)年6月,渥美郡七根(ななね)村(豊橋市西七根町)の高橋徳十郎の子に生まれた。高塚(豊橋市高塚町)の小野田吉次郎に教えを受け,明治7(1874)年養蚕業を志し,野生桑苗の栽培に着手した。明治15(1882)年蚕種製 ...

たかねむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村となった。しかし,明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢 ...

たかねしょうがっこう  豊橋市立高根小学校は,明治6(1873)年10月,西七根(ななね)村の竜泉庵に第10中学区第40番小学七根学校として,七根村・高塚村・伊古部(いこべ)村・赤沢村・城下(しろした)村を校区とし,分校を高塚・伊古部・東赤沢・西赤沢・城下に置いたことに始 ...

たかとよゆうびんきょく  高豊郵便局は,明治9(1876)年,高塚郵便局として開設され,下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根(ななね)村・西七根村・高塚村・東伊古部村・西伊古部村・赤沢村・城下(しろした)村・野依(のより)村・高足(たかし)村を管内にし ...

たかししんめいしゃ  「和名類聚抄」に見える渥美郡高芦(たかし)郷,「神鳳抄」の高足(たかし)御厨はこの地で,高芦神明社は白鳳3(674)年伊勢内宮を勧請したと伝える。配祀する須勢理比売命(すせりひめのみこと)は「三河国内神明帳」の従五位上伊久佐女天神である。「三州 ...

そうごうかいはつきこう  総合開発機構は,昭和43(1968)年8月,開発ビルに愛知県・豊橋市・中部電力・名古屋鉄道などが出資し,第三セクターとして設立された。その主な事業は,埠頭(ふとう)・港湾諸施設の運営・臨海工業団地の分譲・住宅用地の造成分譲およびビル管理運 ...

しもほそやむら  細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡下細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に560石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所634石とある。明治7(1874)年の家数134,人数688で ...

しずおかはん  静岡藩(駿河府中藩・駿府藩を明治2年6月改称)は,明治元(1868)年5月,徳川宗家を相続した田安亀之助(徳川家達)が駿府城主に任ぜられ,70万石を与えられたことに始まる。当初の所領は,駿河国一円と遠江(とおとうみ),陸奥両国とされた。しかし,陸奥国 ...

さんかくてん  三角点は,地表の位置(緯度・経度)の基準となる点で,高さの基準も兼ねる。しかし,厳密には高さの基準となるのは水準点である。三角点には一等三角点(全国に972点),二等三角点(同5056点),三等三角点(同3万2699点),四等三角点(同6万4557点)の4種 ...

こまつばらむら  小松原の地名は,天平4(732)年,行基が創建したと伝えられる東観音寺の山号が小松原山であったことによる。しかし,永正3(1506)年「小松原山寄進状」が初見である。高芦(たかし)庄(豊橋市高師町)からの分立は,寺沢村(文永4年)や小島村(暦応4年) ...

こじまむら  小島郷は,暦応4(1341)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したとされる。渥美郡小島村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に392石余,明治2(1869)年「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所391石余とある。明治4(1871)年の家数167,人 ...

こさわむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・東七根村・西七根村は合併して五並(いなみ)村と改称した。明治17(1884)年8月11日,五並村は分離して下細谷村・上細谷村・小島村・小松原村・寺沢村・七 ...

かんきょうせんたー  豊橋市環境センターは,全市のごみを3ブロック(東部・南部・西部)に分け収集する中継施設を含む基地である。 東部環境センターは,昭和62(1987)年,従前より豊橋市飯村(いむれ)町高山にあった高山清掃センターを名称変更し,敷地面積1万2171㎡・ ...

かみほそやむら  細谷郷は,建久元(1190)年,高芦(たかし)の庄(豊橋市高師町)から分立したといわれる。渥美郡上細谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に742石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に中泉支配所862石余とある。延宝3(1675)年の家数229,人数1235 ...

かたはまじゅうさんり  片浜13里は,渥美半島の太平洋岸の直線的な海岸の長さが,伊良湖岬の日出(ひい)の石門から浜名湖の今切まで13里(約50㎞)あることから付けられた俗称である。 渥美半島は太平洋岸が高く,三河湾に向かってゆるやかに傾斜しており,太平洋岸の最も高 ...

がいかいぎょぎょうきょうどうくみあい  豊橋市外海漁業協同組合は,昭和39(1964)年12月24日に,以前の五並(いなみ)漁業協同組合と高豊漁業協同組合が合併し,村田儀一を初代組合長にして設立された。表浜の静岡県境から田原市境まで13.9㎞の地先に漁業権を持ち,平成16( ...

おのだ・きちじろう(1822~79)  小野田吉次郎は,文政5(1822)年1月15日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市西七根町)の高橋能経の3男として生まれた。長じて渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田家に養嗣子となった。 小野田吉次郎は26歳の時に,羽田野敬雄に国学 ...

いなみちゅうがっこう  豊橋市立五並中学校は,昭和22(1947)年,6・3制移行に伴い,細谷小学校・小沢小学校(平成3年校名呼称を「こさわ」から「おざわ」に変更)を校区として渥美郡二川町上細谷字北芋ヶ谷に設立された。昭和30(1955)年,豊橋市立五並中学校と改称した ...

あさだ・またしち(1838~1914)  朝田又七は,天保9(1838)年,渥美郡七根(ななね)村(豊橋市東七根町)に,勘解由甚四郎の2男として生まれた。吉田(豊橋)船町の高橋小十郎回漕店へ丁稚(でっち)奉公をした。22歳の時独立の決心をして,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)に肥 ...

あさくら・いくたろう(1866~1928)  朝倉幾太郎は,慶応2(1866)年11月2日,渥美郡小島村(豊橋市小島町)朝倉清右衛門の子として生まれた。 明治25(1892)年2月29日,太平洋沿岸の下細谷・上細谷・小島・小松原・寺沢・七根(ななね)・高塚の漁民700余人が渥美郡役所へ ...

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