きゅうきゅうしゃ 市町村の救急業務は,消防法(昭和23年制定)が,昭和38(1963)年,改正されて消防の業務となった。豊橋市の救急活動は,昭和32(1857)年6月,豊橋市防火委員会より救急自動車の寄贈を受け,消防署に配置されたことから本格的に開始された。昭和33(195 ...
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ぎす篭 とは(豊橋百科事典より)
ぎすかご ギスはキリギリスの別称ともいわれるが,豊橋ではショウリョウバッタなど細身のバッタをいう。そのため,「やせぎす」ということばがある。そのギスを飼う虫篭をギスかごといって,竹ひごで作られていた。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださ ...
かけ・にかけ とは(豊橋百科事典より)
かけ・にかけ かけは,いわゆる素うどんであるが,にかけうどんは,うどんにかまぼこ,あぶらげ,はなかつおを乗せたどんぶりうどんである。あっさりして独特の風味をもつ。豊橋のにかけうどんのつゆは,関東風のからつゆと関西風のあまつゆの中間に当たる。 - - 豊橋 ...
ガ行鼻濁音 とは(豊橋百科事典より)
がぎょうびだくおん 豊橋地方には共通語と異なるガ行鼻濁音がある。共通語のガ行鼻濁音は語中と語尾にだけにあるが,豊橋地方のガ行鼻濁音は語頭にもあるのが特徴である。共通語では「五月」は[ゴカ゜ツ]と発音されるが,豊橋地方では[コ゜カ゜ツ]である。 なお,同様 ...
海水浴場 とは(豊橋百科事典より)
かいすいよくじょう 豊橋の海水浴場は,前芝・大崎・吉前(よしざき)などがあった。学校にプールのなかったころには,海水浴場はにぎわいを見せていた。前芝海水浴場は,大正から昭和初年にかけて豊川鉄道を利用して小坂井からのバスの便もあった。このころの利用者は,毎夏 ...
外国人登録者数 とは(豊橋百科事典より)
がいこくじんとうろくしゃすう 豊橋市の外国人登録者数は,1万8610人(平成17年12月31日現在)である。最も多いのはブラジル人で1万2039人,ついで韓国・朝鮮人1990人,3位がフィリピン人1210人,4位中国人1137人,5位ペルー人1001人,6位インドネシア人243人,以下90人 ...
尾車部屋(豊橋市羽根井町) とは(豊橋百科事典より)
おぐるまべや 豊橋と大相撲の尾車部屋との関係は,20数年になる。その端緒は,尾車親方が現役の琴風豪規の時,昭和54(1979)年の初場所で半月板を痛め,塩之谷整形外科へ入院し治療を受けたのが最初である。琴風は,現役時代半月板損傷で,幕下30枚目まで下がったが,治療 ...
鰻の蒲焼 とは(豊橋百科事典より)
うなぎのかばやき 鰻を調理するのに,江戸時代の武士は腹開きを嫌って背開きにした。現代,東京では蒸して脂抜きをするが,関西ではたれを付けて焼く。浜松までは東京風であるが,豊橋は背開きをしながらもたれを付けて焼くという,東西の混交地帯となっている。 - - ...
田舎のバス とは(豊橋百科事典より)
いなかのばす 昭和25(1950)年,中村メイコは三木鶏郎の日曜娯楽版で,冗談音楽「田舎のバス」を歌った。中村メイコの母の故郷は富岡(新城市富岡)だったので,戦争中に疎開した時に利用した豊橋乗合自動車(豊橋鉄道バス)の印象を語ったものという。 田舎のバスはおん ...
朝市 とは(豊橋百科事典より)
あさいち 豊橋の朝市は,大正13(1924)年に豊橋市農会が豊橋別院裏の萱町線に農産物販売斡旋(あっせん)所を開設したのが始まりである。昭和6(1931)年東田(あずまだ)の前畑通りに三八(さんぱち)の市(毎月3と8の日),翌7(32)年から羽田八幡社境内の一五の市(毎月1と ...